わたしはなぜ、A男(夫)と出会い、結婚式を挙げる段になるまで、インドに行ったことがなかったのだろうか……。機上で雲海を見下ろしながら、考えていた。
もう、随分昔から、インドという国は、私の興味を十分に喚起して余りある国だと言うことは、気づいていたはずだ。
なのに、なぜ、わたしは行かなかったのだろうか。中国やモンゴルやインドネシアやマレーシアやタイに行くくらいなら、インドに行ってもよかったのではあるまいか。
インドを訪れるとき、わたしは多分「たいへんな気構え」が必要かも知れないと思っていた。訪れるに適切な「時機」というものがあるような気さえしていた。
しかし、2001年、インド人の男性と結婚式を挙げるためにインドを訪ねることになったとき、あるべき「気構え」は失われており、極めて事務的に、インドの土を踏んだ。
そして、主には「結婚式」というイベントごとに神経の大半を持って行かれ、インドという国に対峙する精神的余裕のないまま、2週間を過ごした。
距離を置いて伺っていたはずのインドが、妙な形で身近な国になってしまった。詳しく知りもしないうちに。
あれから2年半。今度はインドという国へ、夫とともに、「里帰り」することになった。ただ1度訪れただけ国にも関わらず、そこはもう、わたしにとって、故郷の一つであり、「里帰り」の場所なのである。そこには、わたしたちの家族や親戚が住んでいる。
不思議なものである。
今回の旅は、しかし単なる「里帰り」ではなかった。私たち夫婦は、旅行前に幾度か話し合いをしていた。
私たちは米国で出会い、米国で生活をしているが、ひょっとすると将来、インドに住むことになるかも知れない。従っては、「インドに住めるか否か」という視点で、いや、住めるには違いないので、「インドに住みたいか否か」という視点で旅をしてみようではないか、と。
観光や家族との交流のほか、A男は今回、インドのビジネス事情をリサーチするべく、いくつかの会社にアポイントメントを入れていた。
現在のA男の仕事に反映させるのはもちろんだが、遠い将来、インドに移り住むことになった場合、どれほどのビジネスチャンスがあるかを知る上で、現地での情報を得ることは大切なことである。
わたし自身はといえば、ここしばらく、インド経済に関する記事を積極的に読んできており、インド情勢に関して少なからず興味があったので、観光とは異なった視点でインドという国を眺めてみたいと思っていた。
そして、それなりの収穫はあったように思う。
今回は前回の結婚式レポートに増して、ありのままの出来事を綴るつもりだ。時にそれは、あからさまに私事を明かしているように思われるかも知れない。あるいは自慢話のように受け取られる部分もあるだろう。
かといって、表現を抑えたり歪曲することに、あまり意義を感じないのでしない。ここに旅日記を綴る本意は、インドという国の断片を、私の体験を通して忠実にレポートすることにあるので、そのあたりを理解して「楽しんで」読んでいただければと思う。