■極楽の一日がはじまる。日本人母娘に出会う。
今朝もまた、いい天気だ。風が本当に、気持ちいい。
太陽は鋭すぎず、気温は実にほどよく、風の吹き具合も絶妙で、これまでいくつかのビーチリゾートを訪れたけれど、こんな風に「空気のよさ」を味わえたのは初めてのような気がする。
前述の通り、海は別段きれいでもなく、眺めも抜群というわけではない。第一、初日から気になっていたのだが、沖合に「古びたタンカー」が浮かんでいるし。
インドとはいえ、ここは一応、「一大リゾート地」で世界各地からの旅行者も少なくない。カリブあたりじゃ、白亜に輝く豪華客船が見えるところだが……。
なにゆえに、あんなところに停泊させるか、タンカーを。
気になって仕方なく、A男に、「ねえねえ、あれってさあ、ひょっとして捨てられてるんじゃない?」と話しかけると、
「ミホはまったく、インドに対して失礼だ! インドがいくら発展途上国だからって、リゾート地にタンカーを捨てるわけ、ないじゃないか!」と憤慨なさる。
まさか、タイタニックがはやったとき、「沈没船ブーム」に便乗して、わざわざ古い船を「ディスプレイ」しているわけじゃないよなあ。と、どうでもいいことを想像する。
タンカーはさておき、ゴアはこの時期が最も過ごしやすい、いいシーズンらしい。にも関わらず、理由はわからないとのことだが、今年は観光客が少ないらしい。昨日、タクシーのドライバーが言っていた。
確かに、ホテルは満室だと聞いていたが、少しも込み合った雰囲気がない。個人的には込み合わず静かな場所で過ごせるのは幸せである。
朝食を食べたあと、プールサイドのデッキチェアに寝転んで、本を読む。時折スタッフが、冷たいおしぼりを持ってきてくれる。インドのライムはとてもおいしいので、ライムジュースを頼む。
絞っただけのライムの果汁を、炭酸水で割ってもらう。砂糖は入れず、ただ酸っぱいばかりのライムだが、それがとてもおいしい。
「今日はウォータースポーツをするのだ!」と張り切っていたA男だが、彼もデッキチェアでゴロゴロとしている。
本当に、いい風だ。いい風が、こんなにいいものとは……。と思ううちにも、うとうととする。
どれくらい、まどろんでいただろうか。プールの方から聞こえてくる歓声で目が覚めた。ふと見ると、A男が10歳くらいの東洋人の女の子と一緒にビーチ・バレーボールをしている。
(それがウォータースポーツかい?!)
と心中にてつっこみを入れつつ、ふらふらとプールに歩み寄る。
「ミホも一緒に遊ぼうよ!」
水しぶきキラキラと、満面の笑顔で声をかけるA男。えらく楽しそうである。
聞けばその女の子、オーストラリアはシドニー生まれの日本人らしい。日本語は少ししかできないというので、英語で話をしたが、どうやらお母さんと二人で遊びに来ているようだ。
再びデッキチェアーに戻ると、近くにお母さんらしき女性がいたので話しかける。彼女はかつて日本で働いていたらしいが、ご主人の転勤でシドニーに渡り、以来、長年暮らしているという。
非常に「インドが好き」らしく、シドニーから年に4回も来ているらしい。それでもって、これまで合計40回は渡印しているとか。なんでも、南インドの「ケララ州」が大好きらしく、ぜひ行くことを勧められる。
わたしが、「ニューヨークと出会ったインド人(A男)と結婚して、今回は2度目の里帰りなのだ」との旨を告げると、
「えっ! ご主人、インドの方なんですか? いいですね〜! うらやましい!!」
と言われる。う、うらやましいとは、これいかに。実状をしらんな、と思いつつも、インド人の夫を持つことをうらやましがられたことは初めてなので、照れる。
彼女が最初にインドを訪れた理由は「サイババ」に会うためだったらしい。なんでも、わたしたちがこれから訪れるバンガロールにサイババは住んでいるらしい。
話を聞いているうちに好奇心がわいてきて、サイババ氏はいないかもしれないけれど、その場所を訪ねてみたいな、と思う。
ちなみに、A男はサイババその他、スピリチャルな世界に全く関心がなく、むしろ、いやがっている節がある。
以前「アガスティアの葉」の話で盛り上がったときも、どうにも信じたがらなかった。だからわたしが「行ってみたい」といったら、呆れられた。やはりな。
■極楽ランチ。古びたタンカーの謎、解明。
ランチは、初日、夕食をとった海の見渡せるシーフードレストランで食べることにした。食前に出されるあのパン類をもう一度食べたかったのだ。
料理は軽めにサラダとスープ、魚のゴア風カレーをオーダーする。
サラダは、レッドペッパーやニンジン、キュウリ、トマトなど、しっかりとした歯ごたえの野菜が千切りにされて、油分のほとんどない、ライムのドレッシングであえられていた。
素材の味がいいせいか、あっさりとした味付けなのに、とても風味がよく、こういうサラダだったら毎日でも食べたいわ。と思う。
スープはまるで南フランスのブイヤベースのような味わい。ほのかにインド的なスパイスが加えられており、それがタイのトムヤンクンの風味をも連想させる。あくまでもマイルドかつ濃厚なおいしさである。
一方、フラウンダー(ヒラメ)のカレーは、やはり甘みのある味付けのカレーで、こちらもまた美味なり。
海を眺めながら、しかし、どうしてもタンカーのことが気になるわたし。ウエイターに尋ねる。
「ねえ、あの船は、なに?」
「あれは、オイルを抜き取った、タンカーです。マダム」
「オイルを抜き取った、タンカー……。一時的に停泊しているの?」
「いえ、もうあの船は、使われることのない、古いタンカーです」
「使われることのない……ってことは、捨てられてるの?」
「そういうことになります。マダム」
やっぱり! 予想通りだ。A男の表情が曇る。
ウエイターの話によると(あくまでも噂話らしいが)、この界隈にリゾートを持つホテル経営者が、あのタンカーの所有者でもあるらしい。古くなったタンカーの、「廃船処分」が滞っているとかなんとかで、一時的にあそこに「捨てて」いるらしい。
一時的と言いながら、すでに2年以上、放棄されているとか。
それを聞いたA男、怒り出す。
「まったく、どういうことなんだ! こんな世界中の人が集まるリゾート地に船を捨てるなんて情けない。恥ずかしい。なんとかならないの? 信じられない!」
するとウエイター
「今、訴訟問題になっているようです。でも、なかなか解決しないようですね。僕たちは冗談半分で、あの船の上にレストランでも開こうよ、って言ってるんですよ。
船体をペンキで塗り直して、コカコーラとかの広告を付けてもらったりして……」
そりゃあ、いいアイデアだ。とわたしは相づちを打つが、A男は依然、憮然としている。
■極楽の極み、バリ娘によるカップルマッサージ。
ゴアではフェイシャル&マッサージを受ける予定でいた。
本来はアーユルヴェーダのマッサージを試してみたかったのだが、スパのスタッフによると、アーユルヴェーダはオイルを身体になじませるソフトなマッサージで、あまり強くはないという。
それよりも、最近、バリ島からエステティシャン3人娘がやってきて、彼女らの技術はすばらしいから、彼女たちのマッサージを試してみてはどうかと勧められる。
当初は「マッサージよりもウォータースポーツ」と意気込んでいたA男だが、「バリ島の3人娘」と聞いた途端、身を乗り出す。あからさまな男だ。
結局、二人一緒なら「カップルマッサージ」がお得だと言うことで、それを選んだ。ソルトマッサージとオイルマッサージ、それにスチーム浴とバスタブでの温浴がセットになって、二人で120ドルほどである。
インドに来て以来、経済感覚、金銭感覚の基準をどこに定めて良いかわからず、混乱することしきりであるが、この場合、米国の物価に照らして考えれば、非常にリーズナブルである。
スパは独立した建物のなかにあり、随所に花が飾られ、雰囲気がとてもよい。個室には、広めの室内にベッドが二つ並び、奧に大理石の大きな浴槽がある。
ニコニコと笑顔のかわいらしいバリの女性二人がやって来て、マッサージを施してくれた。
うっとり……。言葉にするのも、もどかしい、至福の1時間あまり。
最後に、ブーゲンビリアの花びらが散りばめられた浴槽で、しばらく身体を休める。心底「姫気分」である。
●コラム7:アーユルヴェーダとはなにか●
アーユルヴェーダとは、5,000年以上前からインドに伝わる「伝承医学」で、語源はアーユス(生命、長寿)+ヴェーダ(科学、知恵)。
アーユルヴェーダは「自己治療の科学」ともよばれ、体内の治癒力を活性させるのが目的。人間を精神面、肉体面からホリスティック(総合的)に捉える科学だという。
アーユルヴェーダによる治療には、主にハーブ(薬草や薬木)が用いられ(外用もしくは内服)、副作用はない。
アーユルヴェーダでは人間の体質を大きく「火」「風」「水」の3つに分ける。これらの3つのエネルギーのバランスを維持することが健康の秘訣だとか。
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風(ヴィーダ):運動エネルギー
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火(ピッタ):変換エネルギー(代謝や消化作用)
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水(カパ):結合エネルギー(構造維持、体力や免疫力に作用)
上記3つのエネルギーのバランスには「体質」「時間」「日常生活」「場所」「天体」の5つが作用する。これらのエネルギーバランスを考慮することで「健康」を捉えているのがアーユルヴェーダの特徴の一つ。
ちなみに日本でも流行しているインド式エステ(オイルマッサージ)はアーユルヴェーダの一環だ。
ヨガはアーユルヴェーダにおいて重要な位置を占めているらしく、ポーズだけでなく、「呼吸法」が肝要とされている。
■英国紳士との会話。イタリアンのブッフェ。
マッサージを終えた我々は、非常にさっぱりとした気分で、ガーデンを歩く。今日は、ガーデンの一画で結婚パーティーが行われるようで(3晩続けて行われるうちの第一夜らしい)、テーブルやライトのセッティングがされていた。
プールサイドのガーデンでは、本日、イタリアンのブッフェが行われるとのこと。「インドでイタリアンとはこれいかに……」と一瞬、躊躇したものの、毎日インド料理を食べているのだから、違った料理もいいだろうと、予約を入れる。
夕食までのひととき、屋外のバーで、インド産のスコッチ「ブラック・ドッグ」のストレートを頼む。スコッチについては全然詳しくないのだが、海外のスコッチよりも格段に安かったので、どんな味なんだろうと試したくなったのだ。
意外においしかった。なにぶん、他のスコッチの味を知らないので比較のしようもないのだが……。
わたしたちが飲んでいる傍らで、昨日見かけた蝶ネクタイの老紳士が、やはり今日も、麻のスーツに蝶ネクタイ姿でカクテルを飲みつつ新聞を読んでいた。
わたしがスコッチを飲みながら英語日記を書き始めたので、持て余したA男が彼に話しかける。
彼は英国出身の科学者で、若いころ、仕事の関係でゴアを訪れたという。そこで出会った、やはり科学者の現地の女性と恋に落ちたが、英国の両親からは反対されたままだった……。
なんだか面白そうな会話なので、ペンを休め、わたしも会話に参加する。
「彼女の両親からも、もちろん反対されて、結婚するまで5年もかかったんだよ」
そこで、アルコールの入った饒舌なわたしが、ついつい口を挟む。
「あら、わたしたちも結婚までに5年かかったんです。でも、わたしたちの場合、両親は賛成していたんですけど、本人が決意できなかったんですよ」
とA男の方を見ながら突っ込みをいれた瞬間、(言い過ぎたか)と思ったが、紳士が「そうかそうか」と豪快に笑ってくれたので助かった。
彼ら夫婦はしばらく英国で暮らしていたそうだが、10年前にゴアへ移り、今はこの界隈に暮らしつつ、英国の会社をクライアントに、自ら製薬関係のビジネスをしているという。
二人は子供がいないようだが、二人の時間をとても楽しんでいる様子で、ことのほか、ゴアの人々の温かさ、空気の穏やかさ、平和な日々が愛おしいのだという。
自分が、いかにロンドンでの暮らしで荒んでいたか、そして、自分が急速に発展を続ける文明というものの恩恵を享受するよりも、拒絶する部分の方が強かった……といったことを、彼は淡々と話す。
ほどなくして、背後から、美しく着飾った女性が現れた。
「あら、あなた、ここにいたのね。気づかなくて探したわ!」といいながら、声をかける華やかな女性。彼の妻だ。挨拶を交わしたあと、彼らは二人で手をつなぎ、ホテルのロビーの方へと立ち去っていった。
……わたしたちはこれから20年後、30年後、どこに暮らしているのだろう。そんなことを考えるうちにも、そろそろ空腹だ。いい塩梅で夕食の時間である。
イタリアンのブッフェは、野菜やシーフードのマリネがとてもおいしく、(こんなに野菜がおいしいと、ダイエットも楽勝よね〜)などと思いながら、食が進む。
あっさりと塩をふっただけのエビのグリルや、バターの風味がまろやかなポテトのソテー、白身魚のクリーム煮など、おいしそうなものだけを、少しずつ味わう。
デザートのティラミスやマンゴームースなどは、クリーム分が多くてかなりこってりだったが、カプチーノと共に、ほんの少しずつを味わい、満足である。
今夜も星が、きらめくきらめく。幸せな一日だった。