■名残惜しきはゴアの風。そして忘れ難き日没。
ゴアを去らねばならぬ時が来た。余りにも短い極楽のとき……。正午にはホテルを出ねばならないので、荷物のパッキングを早々にすませ、時を惜しむかのように、またわたしはプールサイドでくつろぐ。
A男は「今日こそウォーター・スポーツ!」と意気込んで、ジェットスキーをしに行った。水面を豪快に走り、ずいぶん楽しかった様子。
わたしは、ペイストリーシェフがケーキ作りの実演をやるというので、なんとなく見に行ったが、ドイツのケーキ「黒い森」のデコレーションを見せてくれただけで、それはそれで楽しかったけれど、切り分けて味見をさせてくれるのかと思えばそうでもなく、(なんだかなあ。詰めが甘いなあ)という気分で再びプールサイドへ。
チェックアウトをしていると、バンガロール行きの便が「3時間遅れ」との情報が入る。何でも、その飛行機はニューデリーからバンガロールを経由してゴアに入り、再びバンガロールに飛ぶらしいのだが、ニューデリーが濃霧のため出発が遅れたとのこと。
これ幸いと、再び風の気持ちいいレストランでゆっくりとランチを食べる。
そしていよいよ、ゴアともお別れ。バスに揺られて空港に向かう。車窓からの風景を、しみじみと眺めつつ、やっぱりいつしか眠ってしまい、目覚めれば空港。
結局、飛行機は3時間30分も遅れる。滑走路が目前に見える待合室で、飛行機が飛んでくるのを待つ。
滑走路には、たくさんの男たちが、そこここに、数人ずつ固まって立っている。働いているのだか、ただおしゃべりしているのだか、よくわからない。
やがて、大きな大きな太陽が、地平線に沈み始める。あたり一面がオレンジ色に包まれる。ちょうどそのころ、飛行機が着陸した。ゆっくりと、方向を変えながら、こちらに向かってくる飛行機……。
たとえ3時間半遅れていようとも、慌てる様子もなく、ゆっくりと作業を始める男たち。オレンジ色の空を背景に、飛行機と人々が黒い影となり、それはまるで影絵のような光景だ。舞台を見ているような心持ちで、その緩やかに流れる情景を見守る。
そのうちにも、巨大な太陽はどんどんどんどん落ちていく。
わたしとA男は窓に貼り付き、最後の、ひとかけらのオレンジが消えてしまうのを見守る。
それにしても、飛行時間わずか45分のフライトなのに、3時間半も遅れるとは、ある意味、ダイナミックである。わずか45分なのに、機内食が出たのにも驚かされる。
豆のカレーやサンドイッチなど、しっかりと食べ応えのあるおいしい料理だった。「これが夕食代わりね」と言いながら、きれいに平らげる我々。
A男は隣り合わせたインド人の男性と、ビジネス・経済の話で盛り上がっている。新聞には2003年におけるインドの劇的な経済成長を記した記事が踊っている。
ゴアのホテルでも、A男は何人かのインド人男性と知り合いになり、ビジネスの話に花を咲かせていた。インド経済が、いま急成長のうねりのなかにあることを、メディアや人々の話や街角から垣間見る。
■そしてバンガロール。スジャータとラグバン、そして両親に再会
午後7時過ぎ。デカン高原南部、カルナータカ州の州都であるバンガロールに到着。飛行機が遅れたお詫びにと、乗客にバラの花を一輪ずつ配る航空会社スタッフ。なんだかかわいい。
便が遅れる旨はスジャータに電話を入れていたので、空港に迎えに来てくれているはずである。我々は、ひとまず荷物を受け取りに、ベルトコンベアーの方へ向かう。……と、見慣れた顔の二人が……。
ロメイシュとウマが、別のベルトコンベアーから荷物を受け取っているではないか!
わたしに気づいたロメイシュ、「ミホ〜!」と叫びながら満面の笑顔で手を振る! わたしもついつい、「ロメ〜イシュ!」と、大きく手を振り返す!
彼らは予定通りのフライトでボンベイからバンガロールに到着した模様。3時間半遅れて、わざわざ彼らと同じタイミングで到着した我々……。家族の絆、というか粘着度の高さを否応なく感じる。脱力。
久しぶり(といっても半年ぶり)に再会するスジャータは元気そうだった。
我々はひとまず、ホテルにチェックインするため街へ向かう。わたしたちはバンガロールの中心地にある、やはりタージ・グループのゲートウェイ・ホテルに予約を入れていた。
ロメイシュとウマは、我々のホテルから車で5分ほどの「バンガロール・クラブ」の宿泊施設を利用することになっていた。
バンガロールクラブとは、1868年に創立された英国系の社交クラブで、ウィンストン・チャーチルをはじめ著名人らがメンバーに名を連ねていたという由緒ある組織だ。
ロメイシュとスジャータはここのメンバーらしく、このクラブの設備を自由に利用できるらしい。
A男が旅行前、僕たちもここにも泊まろうと誘ったのだが、「古いクラブ」だと聞いて、前回の旅行で一泊させられたインターナショナルセンターのような古くさい宿泊施設を連想し、さらには、ロメイシュ&ウマから少しでも距離を置いておきたいとの心理から、「一般のホテルに泊まらせてくれ!」と頼んでおいたのだ。
バンガロールの街は、大きな街路樹が立ち並び、夜目にも緑豊かで、風も心地よい。インドで最も過ごしやすい都市との噂通り、いい気候のようだ。ネオンに彩られた町並みを車窓から街を眺めつつ、ホテルへ向かう。
ホテルは、クリスマス前とあって、壁一面に虹色のすだれのようなネオンが施されており、ぎょっとするほど派手派手しい外観だ。電力供給が不安定なのに、こんなに電力を浪費していいのか、とも思う。
無事にチェックインをすませたあと、家族全員で集うため、ロメイシュらの泊まっているバンガロール・クラブに向かう。
タクシーがバンガロール・クラブの敷地内に入った瞬間、「しまった……」と思う。なにがしまったかって、何だか雰囲気が、とても「すてき」なのである。
虹色すだれの我々のホテルよりもぐっとセンスがいい。ムードがある。まさにコロニアルスタイルの建築物だ。高い天井、シックな調度品……。
(いや〜ん、ここにすればよかった〜)と、発作的に思う。
わたしの好みを知るA男が、「ねえ、僕らのホテルよりも、こっちの方がいいんじゃない? 変えてもらうように頼もうか?」と言うのだが、いや、部屋が古くさいかもしれないし、あるかなきかの自由を確保するためにも、やっぱり我々は別のホテルに泊まるべきだと判断し、彼の提案を却下する。
ちなみに宿泊費はホテルの方がかなり高い。バンガロール・クラブは会員とその家族しか宿泊できないが、リーズナブルなのだ。
無論、その後、ホテルが別々だろうが何だろうが、結局は「粘着的な家族行動」を免れられず、我が主張はほとんど「無駄な抵抗」であったことを、ここに追記しておきたい。
ホテルでは、仕事を終えたスジャータの夫ラグバンも来ていた。彼とも半年前に会っているので、別段久しぶりだというわけではないが、懐かしげに挨拶を交わす。
ゆっくりとファンが回る高い天井、美しいシャンデリア、クラシックな雰囲気の漂うダイニングで、我々は軽食を食べ、なぜか皆でカスタードプティングを食べ、歓談する。
A男の父ロメイシュは、英国の大学院を出たあと、シェル石油に就職した。結婚する前は海外にも赴任したらしい。
結婚後は、国内においてだが、転勤の多い歳月で、一時期、一家四人でこのバンガロールにも暮らしたこともあったという。ロメイシュはその折、このクラブの会員になった。
当時は5年ほど待てば会員になれたが、現在は20年ほども待たねばならないらしい。いったい、何を以て20年なのか。気長なことだ。グリーンカードを取るより大変だな。などとわけのわからないことと比較しつつ話を聞く。
さて、バンガロールで何をしたいか。とスジャータに尋ねられたので、街の色々なところを歩いてみたいの……。と言ったあと、
「これは、ジャーナリズム的見地から、レポートしてみたいと言うことで、行きたいんだけど……」
と、前置きした上で、
「サイババが住んでいるところに行ってみたい」
と言ったら、一同、「へっ?」という顔になる。やっぱりなあ。インドにも、たいへんな信者と、激しく疑っている人と、なんら興味を持たない人とがいるから、こういうことは状況に合わせて話を運ばなければならない。
「日本では、なぜかサイババを信仰する人が多くて、日本に住むわたしの友人の夫も会いに行ったことがあるの。実際の所はどういう場所で、どういうことがなされているのか、ちょっと興味があるのよね……」
と、言うと、
「じゃあ、場所を調べて置くから、あした決めましょう。行くとしたら、明日のランチのあとね」
とスジャータが言う。わたしは一人で行きたいくらいなのだが……。すでにランチも一緒にとることが自動的に決まっているようである。とほ。
ロメイシュが、プリンを食べつつわたしに話しかける。
「ねえ、ミホ。このバンガロール・クラブにはね、男性しか入れない、伝統的なメンズ・バーがあるんだよ。女性や子供はだめなんだ。ミホが入りたい、って言っても、入れないんだよ。あ、もちろん、女性も入れるバーもあるけどね」
と、ものすごくうれしそうに打ち明ける。「男性しかはいれない」という封建的な部分を主張するのが、ことのほかうれしそうである。ロメイシュ……。女性(ウマ&ダディマ)に虐げられているのか?
さて、明日、A男は朝からブレックファスト・ミーティングのアポイントメントを入れている。明日一日で4人に会う予定だ。
バンガロールはインドの「シリコンバレー」「ハブ・シティ」とも呼ばれるIT関連の盛んな街で、欧米のIT関連企業や投資家たちは、この地への進出を始めている。
スジャータによれば、10年ほど前まではもっと静かでのどかな街だったが、年を追うごとに人口が増え、中心街の様相も目まぐるしく変化しているとこのこと。
数年前まではクリスマスのネオンすらほとんど見られなかったという。好況の兆しが顕著な今年は、一際、イルミネーションも華やかなのだそうだ。バンガロールが豊かになりつつあり、また海外からの赴任者、出張者、旅行者が増えているせいだろうとのこと。
我々夫婦がもしもインドに暮らすことになった場合、このバンガロールが第一候補になるだろうとA男と話をしていた。
A男が現在の会社の社員としてインドのIT業界との橋渡しをするのが理想的だが、まあ今の世の中、3年後、5年後を読むのは難しい。
今の会社に居続けるか、あるいはそうでないにしても、他都市に比べ、バンガロールは彼にとってのビジネスチャンスは多いとみている。
バンガロールの魅力はビジネスだけではなく、その気候にある。ここは夏もニューデリーほど暑くならないし、冬も寒くならない。南インドとはいえ標高が900メートルを超えるため、年間を通して過ごしやすい温暖な気候なのだ。
ニューデリーの郊外にはA男の祖父がA男とスジャータに遺した土地と家があるので、実際にはそこに住むのもいいのかもしれないが、わたしはぜひとも避けたい。だって、ニューデリーにはA男の実家があるんですもの。
A男の実家から車で30分ほどの距離だから、さほど近いというわけではなく、スープも冷める距離であるが、もしもわたしたちがそこに住もうものなら、ロメイシュはスープが冷めようが凍ろう腐ろうが、しばしば訪れることだろう。
それにニューデリーは夏、猛烈に暑くて、冬、寒いからいやなのだ。というわけで、第一候補のバンガロールなのである。
わたしも明日は、街を歩いて、自分の目で、この街の様子を確かめてみよう。