INDIA: BANGALORE
●バンガロール●

DAY 8-1
12/22/2003

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■繁華街を一人歩く、束の間の自由(午前中のみ)

A男は8時半のブレックファスト・ミーティングを約束していたので、早めに起床。わたしも一緒に起きる。A男より一足遅れて朝食のブッフェがあるカフェへ行く。

一応、A男が打ち合わせをしているテーブルに赴き、相手に挨拶をしたあと、わたしは別のテーブルで朝食を食べる。

ここのホテルもまた、朝食のメニューが充実している。オムレツやドサを焼いてくれるのはもちろん、南インド名物の、やはり米の粉で作られた蒸しパン「イデゥリ(idli)」も、注文すれば蒸してくれる。

そのほかにも、トーストや各種ペイストリーがバラエティ豊かに用意されている。また、フルーツ、ヨーグルトをはじめ、野菜、魚介類、肉類のカレー風煮込みといったインド料理と、ソーセージやフレンチトースト、ベーコンなどのコンチネンタル・ブレックファストがそろっている。

朝っぱらから重い物を食べ過ぎてはならぬ、と思うが故に、まずはいつものようにたっぷりのフルーツ。そして素焼きの小さなカップに入った自家製のヨーグルトを食す。ヨーグルトは表面がクリーミーで中はさっぱり、とてもいいお味だ。つい2つほど食べる。

料理類は、一応、すべて蓋を開け中身を確認、おいしそうなものを少しずつ皿に取る。思いがけず、鶏レバーの煮込みを発見! わたしはレバーが好きなので、少量を皿に盛り、朝からヘビーだとは思いつつも、食べてみると、まあ、おいしいこと。

醤油を使っているわけではないはずなのに、なんだか醤油で煮込んだような味がして、非常に懐かしげな味わいだった。

このホテルもまた従業員のサービスがよく、お茶だジュースだと非常にいいタイミングでサービスしてくれるのでうれしい。一般的にインド人は時間にルーズだし、サービスもさほどよくないというのがあらかじめの認識だったが、外国人の来るホテルやレストランなどは違うようである。

この1週間のうちに、ホテルやレストランで何回か「お客様アンケート」みたいなものを配られ「サービス度チェック」を依頼された。ニューデリーの空港で飛行機を待つ間も、「空港の設備とサービスに関するアンケート」を書くよう頼まれた。

従来から、こういう「アンケートもの」が一般的なお国柄なのか、それとも「サービス向上」が最近の趨勢なのかどうかはしらないが、接客に対して前向きな姿勢が見られるのは確かだ。

別にインドをひいき目に見るつもりはないが、彼らのサービスには、表面的ではない「思いやり」と「気持ちよさ」があるように見受けられ、とても気分がよい。無論、日本と比較すれば大したことはないのだろうが、現在のわたしの基準は「米国式サービス」なのでね。

さて、カフェには、ビジネスマンらしきインド人男性と、旅行者が半々くらいの割合で食事をしていた。ビジネスマンらは、みな一様に携帯電話をテーブルに置いている。時折、大きな着信メロディーが店内に響きわたる。


●コラム8:急速に浸透する携帯電話●

2年半前と明らかに変わっていたのは、携帯電話の普及である。ロメイシュもスジャータもラグバンも、それぞれ持っている。

町中には携帯電話を販売する店舗やブースが点在し、機種もアメリカにあるもの(NOKIA やSAMSUNG)と似たような物ばかりだ。

新聞広告やテレビのコマーシャルも華やかで、特にAirtel, Hutchといったキャリアの広告が目だった。写真を撮影して送ることの出来る機種もあり、普及のほどはわからないが、テクノロジーに関していてば、先進諸国と変わらない。

無論、先進諸国とひとことで言っても、日本とアメリカでは好まれる機種の傾向は異なっているし、アメリカでは写真を撮影する携帯電話は、日本のように普及していない。

ともあれ、インドでは近年、通話料金が手頃になったらしく、携帯電話は庶民にも身近な存在になっているようだ。

ちなみにロメイシュの携帯電話の着信音は「ロックンロール調」のやたら賑やかなもので(彼の好みらしい)、鳴るたびにぎょっとさせられた。


わたしは、A男と離れた席に座っていたが、彼らのテーブルは見える。会話に熱中しているのか、テーブルにはお茶があるだけで、朝食の皿がない。A男は食べることが好きなくせに、パーティーやミーティングのときなどに、食べながら話すのが苦手だ。

パーティーの時は料理を食べ損なうこともあるし、ブレックファースト・ミーティングのときは、必ずあらかじめ、食事をしていく。

A男はいいとして、しかし、相手の人がお腹を空かせているかもしれないし、しゃべってばかりいないで、料理を取りに行けばいいのに……と、気を揉む世話女房。

そんな女房の念力が通じたのか、二人して立ち上がり、料理に向かった。しかしA男の皿はほんの少しのフルーツだけ。「ちゃんと食べればいいのに……」とまたしても大きなお世話を考えていると、ウエイターが大きなドサをA男に持ってきた。

ドサ、焼いてもらってたのね。念力不要だった。

カチカチと、フォークが皿に触れ合う音と、インドなまりで聞き取りにくい、くぐもった英語による会話があたりに満ちているなか、なまりのほとんどないA男の声が、ひときわ大きく、わたしのテーブルにまで響いてくる。

アメリカじゃ、「ソフトスポークン」、つまり口調が穏やかだと評価されるA男。ともすると、アグレッシブな周囲のアメリカ人らにのみこまれがちだ。故に、「スピーチ」のクラスに通ったりして、できるだけはっきりと話すように努力している昨今。

最近では、シャワーを浴びながら、「エイ・イー・アイ・オー・ユウ!」と発声練習をするのが日課でもある。その成果もあるのかもしれないが、彼の発音、いや口調は、明らかに、インド人ではなく、「アメリカ人」に近かった。

A男、すっかりアメリカナイズされているなあ……。と善し悪しは別にして、しみじみと思う。

インドで生まれ育ち、18歳で初めて渡米、ボストンに暮らし始めたA男。大学在学中に母を失い、ホームシックと傷心で1年休学した。

大学卒業後はニューヨークの企業で働き始めるが、アメリカ的な競争社会に、頭がついていっても、心がついていかなかった。親しい友人もおらず、大学時代のガールフレンドは香港に就職し、同時に破局。

子供時代は、何もかもを周りにやってもらっていたのを、ニューヨークでは何もかもを一人でやらねばならず、しかしその「やり方」すら知らなかった彼は、彼なりに相当、辛かったろうと予測される。

さまざまな負の要因が重なり、ちょっとした鬱状態になり、一時は心配したロメイシュが1カ月ほど様子を見に来たこともあったらしい。その最中にも、A男の敬愛する母方の祖父がスイスのホテルで心臓発作を起こし客死する。

ロメイシュは葬儀のためインドへ戻り、再びA男、一人での生活である。

わたしとA男が出会ったのは、そのわずか半年後、彼が23歳のときだった。若かったのね。それにしても、わたしときたら、まるで「救世主」のように、絶妙のタイミングで登場しているのね。

あれから会社を変わり、MBAに行き、今の会社に働き始め、この8年のうちに彼は本当に、成長したんだなあ……。と思う。アメリカ的な人との付き合い方、ビジネス上の交渉の仕方…。自分のキャリアを生かすための手段を、今、彼は、実践的に学んでいる。

わたしもまた、この8年のうちに、自分の気付かないところで成長しているんだろうなあとも思う。

わたしたちは、これまでの歳月、一緒にいろんなことを学びあってきたのだということを噛みしめつつ、鶏レバー噛みしめつつ、思いめぐらす朝のひととき。

さて、朝食の後、わたしは街を歩くことにした。しかし正午には戻ってこなければならない。スジャータとロメイシュ、ウマがホテルに迎えに来るのだ。

今日はロメイシュの古い友人とみんなで、どこぞのゴルフクラブで会食をすることになっており、わたしも同席することが運命づけられているのである。

A男も打ち合わせと打ち合わせの間に時間がとれれば来るとのことだが、どうなることやら。

さて、ホテルの外を出た途端、そこは排気ガス地獄だった。

自動二輪、オートリクショーと呼ばれる三輪の乗り合いタクシー、バス、自動車が道路に入り乱れ、ホーンの騒音も高らかに、灰色のガスを盛大に噴出している。それはもう、筆舌に尽くしがたい、写真でも捉えられない、強烈な煙たさと匂いと騒々しさである。

道路脇を十数メートル歩いただけで、鼻の穴まで黒ずんでしまいそうな勢いだ。信号待ちなど拷問沙汰。こんなこともあろうかと、タオルタイプの大きなハンカチを持ち歩いていて正解だった。鼻口をタオルで覆い隠し、これはマスク必携だ、とも思う。

しかし、インドのみなさんは、タフね。昨年、DCでパーティーをしたとき、インドにSARS患者が少ないのはなぜだろうという話になった。インド人の友人が、「インド人は免疫力が強いから」と言ったひとことに、一同納得したものだが、実にその通りだ、と思いながら歩く。


●コラム9:壮絶なる排気ガス事情●

今回、ニューデリーでは排気ガスが以前ほどきつく感じられなかった。というのも、前回、わたしたちがインドを訪れた直後の2001年夏、排気ガス問題を憂慮した政府が、燃焼による煤煙や残留物がほとんどない「天然ガス(CNG)」の使用を義務づけたかららしい。

当初は天然ガスの供給が追いつかず、オートリクショー(三輪車の乗り合いタクシー)のドライバーらはガスの補給に相当な苦労を強いられたようだが、現在は「見る限り」では落ち着いており、交通量が多い割に、街の空気は格段にきれいになっていた。

一方、バンガロールは、オートバイにせよオートリクショーにせよ、「2気筒」エンジンが主流のため、不燃ガスを濛々と振りまきながら走っている。

ちなみに、外見は同じでも、ニューデリーのオートリクショーは「4気筒」に移行しているようで、ニューデリーの街角で注意して見ていると、多くのオートリクショーの右後ろに「AC CNG 4 Stroke」と記されたエンブレムがあるのに気づく。

バンガロールはここ数年で急激に人口が増え、それに伴い交通量が激増している。中心部の交通渋滞も年々深刻化しているようだ。

この猛烈な排気ガスでは、どんなに「インドのシリコンバレー」を叫んでも、海外からの出張者は喉や目をやられて、仕事に集中できまい。わたしたちも数日後より、喉をやられ、帰国後もしばらくは咳が止まらなかった。

道路・車両の整備、公害対策が急務であると見受けられた。


さて、ホテルから徒歩数分のところにある賑やかな通り「ブリゲイド・ロード(Brigade Rd.)を歩く。

両脇にレストランやショップが連なる繁華街で、リーバイスなど米国のファッションメーカーが入ったショッピングモールがあれば、ピザハットやケンタッキーフライドチキンなどの飲食店もある。

まだ朝早いせいか、大半の店はシャッターを下ろしたまま。通勤のオートバイ、自転車、そしてオートリクショー、バス、自動車が通りを激しく往来するばかりだ。

ブリゲイド・ロードから今度はMG(マハトマ・ガンジー)ロードへ入る。ここはかなり道幅のある目抜き通りで、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街でもある。欧米のIT企業の名を掲げた近代的なビルもそこここに立つ。が、相変わらずの排気ガス攻撃に、我が身は朝からすっかり煤けている。

「サイバーカフェ」の看板が見えたので、通りの奧に入ってみると、小さなプレハブ小屋があり、そこにコンピュータが3台ほど設置されていた。

一応ハイスピード・インターネットらしいし、料金もホテルよりは格段に安いから、ここでメールなどをチェック(といっても主な目的はジャンクメールの削除)する。

しかし、サイバー「カフェ」と言いながら、茶の一杯も出ない。

わたし以外には誰もお客はおらず、店番の男の子が隣のコンピュータを使いつつ、同時に、大音量でインド独特のくにゃくにゃした音楽を流し始める。うぅぅぅぅぅぅ……うるさい!

BGMのサービスか? それとも己の娯楽か? 

その後、MGロード沿いのサリー専門店を数軒、見学。バンガロールはシルクの特産地でもあるらしく、サリーの店が多いのだ。

店内は、きれいに折り畳まれた色とりどりのサリーが壁一面に美しく並べられており、店員はお客が来ると、気前よく次々に、パタン、パタンと布を広げて見せてくれる。

わたしは買う予定はなかったので見せてもらうのは控えたが、それにしてもその種類の多さ、光沢のある生地の美しさ、色の組み合わせの妙、デザインの巧みさに感嘆することしきりである。

サリーはブラウスと、下に履く長いスカートのようなものをオーダーメイドすれば、あとは布を身体に巻き付けるだけの、極めて簡単に着衣できる民族衣装である。

普段着としても、気軽に着ている女性が非常に多い。なお、わたしが今回の旅で着ているのはすべて、サルワール・カミーズ(パンジャビドレス)と呼ばれるカジュアルな民族衣装で、これはサリーではない。

サリーはあくまでも、布を身体に巻き付けて着る衣装のみを指すので念のため。

バンガロールのサリーを販売するウェブサイトを見つけたので、ご興味のある方はこちらもしくはこちらへ。

さて、散歩をするうちにも正午が近くなり、ホテルに戻る。戻る途中、開店したショッピングモールに立ち寄ったら、モダンなサイバーカフェを発見。

よく磨かれたガラス越しに、欧米のビジネスマンらしき人々がコンピュータに向かっているのが見える。ここは携帯電話の販売ショップとサイバーカフェが同居した店で、最近できたばかりの様子。

店内のコンピュータも液晶画面で新しかった。うるさいBGMもなさそうだ。ここに来ればよかった……。

さて、ホテルのカフェでコーヒーを飲みながら、英語日記を書いていると、スジャータたちがやってきた。これから町はずれのゴルフクラブへ行くのである。


ところで、で念のため書いておくが、わたしとA男が将来、インドに住むことを考えているということは、インドの家族には一切話していない。

彼らが日本語が読めないのをいいことに、堂々と公表しているわたしもわたしだが、だからインドのマルハン家を知る方でこの旅日記を読んでいる方は、どうか口外されぬよう願いたい。

なぜ秘密にしているかと言えば、期待をさせたくないからだ。インド移転を匂わせるようなことを言っておきながら、もし実現できなかったとき、彼らは相当に、がっかりするに違いない。

一昨年の年末、飛行機のチケットが取れずインドに帰省できなかったときも、みな、とてもがっかりしていたから、住むとなると期待度が猛烈に高まるに違いないのだ。

そんな訳で、実現するまでは秘密なの。


 

 


ホテルの窓から見下ろす通り


ここでも朝食は、まずたっぷりのフルーツとヨーグルト


路肩に駐車するオートリクショーの列。排ガスの源


音と匂いをお届けできないのが残念。写真だとあっさりして見えるから不思議。


ブリゲート・ロード沿いのショッピングモール。


朝から店頭の飾り付けに余念がない果物屋。ここはいつも繁盛している様子だった。


南インドにはおいしいローカルのコーヒーがあるのに、人気があるらしきネスカフェ。


インド人の多くは「写真に撮られるのが好き」と見た。わたしはポストを撮影したいのに、わざわざ被写体に入ろうとする人々。


信号が青になるやいなや、暴走するバイク軍団


そのあとを追う自転車軍団


ちょっとモダンなMGロードだけど、ヤシの実やさんは健在


おう。キル・ビルを上映中


街角のお掃除やさん。長い箒で歩道などを掃く人たちをよく見かける。


インドは過剰に派手なトラックが多い。ユニークな絵柄が施されたお茶目なトラックも多い。いったい誰が描くのだろうかと興味深い。


最近、ワシントンDCのダウンタウンにも導入された、「残りの秒数」を表示するタイプの信号。


街角にはヒンドゥー寺院


愛嬌のある神様たち


シーメンスのビル


海外の企業が入ったビル


バスは満員で人々はあふれ出している


パパイヤやさん


サイバーカフェ、ならぬサイバー小屋を発見!


いちおう、インターネットの環境は整っていた。


料金は1時間使っても1ドル以下。ホテルの3分の1の値段だった。


ミルクバーでくつろぐ男たち


帰りしな、モールの中でモダンなサイバーカフェを発見!


ホテル前の道路を掃いていたお掃除部隊。

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