■オールド・ゴアで教会巡り。フランシスコ・ザビエルに会う
ポルトガルによって植民地化されたゴアは、東方進出の拠点として16世紀後半に栄華を極めた。現在、オールド・ゴアと呼ばれる地域は、かつてポルトガルがリスボンを模して造った街だという。
しかしながら、タクシーの車窓から見る限り、その「繁栄」の面影はどこにもない。
ドライバーは私たちを、3つの大きな教会がまとまって立っている場所へ連れていってくれた。ここがオールド・ゴア観光の中心地である。
まずは「アッシジの聖フランシス教会」を訪れる。イタリアのトスカーナ地方にあるアッシジはまた、わたしの大好きな場所の一つで、非常に思い出深い。このことを書き始めるとまた横道に逸れるので割愛するが、ともかく、思い入れを込めて、教会内を歩く。
フランシスコ会の修道士が1521年に建造したもので、見事な装飾が施されている。
次に訪れたのは、「アッシジの聖フランシス教会」に隣接する「セ大聖堂」。イタリアのトスカーナ地方の大聖堂を模して造られた、アジア最大の大聖堂だ。この大聖堂もまた、黄金色の祭壇がまばゆく、壮麗である。
ここには、すばらしい音色を奏でる「黄金の鐘」があるらしい。
その音を、聞いてみたかった。
そして、3つめの教会。「ボン・ジェス教会」へと歩く。
オールド・ゴアは興味深いだのなんだの言っておきながら、大した下調べをしていなかったわたし。中に入り、それを見て、猛烈に衝撃を受けた。
そこには、聖フランシスコ・ザビエルが眠っていたのだ!
聖フランシスコ・ザビエル。そう。1549年、鹿児島にやってきてキリスト教を日本に広めた、あの、「以後よく来る」イエズス会のフランシスコ・ザビエルである。
そもそも彼は、東アジアでのキリスト教布教のため1542年にゴアを訪れた。当時36歳だった彼は、数年、ゴアで布教活動をしたあと、日本を含むアジア諸国を訪れた。
しかし、1552年、中国大陸での布教活動の航海中、嵐に巻き込まれ命を落とす。遺体は一時的に、小さな島に埋葬されたが、3カ月後、掘り返されたとき、遺体は腐敗していなかったという。
その後、遺体はゴアに移され、この教会のガラスの柩のなかで眠り続けている。
彼の遺体は、きれいに「ミイラ化」しており、その事実は「奇跡」としてそこに存在していた。
柩は祭壇の上部に置かれており、中をよくみることはできなかったが、頭部や胸部の輪郭が見えた。話によると、皮膚にはまだ弾力があるのだという。
温度や湿度を調整する、何の特殊な装置もない、この南インドの教会の一隅で、何百年も眠り続けている聖フランシスコ・ザビエル。
ひたすらに、ひたすらに、驚嘆するばかりであった。
■いちおう、ヒンドゥー寺院も見学して、遅いランチ。
聖フランシスコ・ザビエルに、二人して驚かされたあとは、一応、ドライバーの勧めてくれるヒンドゥー寺院も行くべきだろうと、「マンゲーシュ寺院」へゆく。
ポルトガル統治時代、町中のヒンドゥー寺院は破壊されたため、ヒンドゥー教徒らは町はずれに寺院を建立した。従って、この寺院もまた、オールド・ゴアから30分ほど車で走った、奥地に立っていた。
寺院内で、お布施をしたら、額に灰を塗られ、蓮の花をもらった。
このころには、かなり空腹度が高く、更にはザビエル衝撃の余韻が強く、大した情熱なく、ヒンドゥー寺院を去る。すでに時計は2時を回っている。
ドライバーが、パナジにおいしいゴアの料理を出す店があるというので行ってみたが、中途半端な時間につき、営業しておらず。がっかりしつつも、A男、お気に入りのガイドブックをたぐり、「よさげ」な店を発見。
ドライバーに尋ねると、確かにおすすめであるらしく、従って、そこを目指す。ゴアにはいくつものビーチがあるが、その一つにあるシーフード&ゴア料理の店らしい。
そのビーチ<カンドリム・ビーチ>は、安宿や土産物屋が連なる、賑やかなエリアだった。バックパッカーやインドの旅行者たちがあふれかえっており、活気に満ちている。
わたしたちは、ビーチを望むスーザ・ロボというレストランに入った。ビーチで遊ぶ人々の姿が見える。インドの海は、水着を着ている人よりも着衣の人の方が圧倒的に多いので、なんだか見慣れない「ビーチの風景」ではある。
インド人女性らは、サリー姿で波に戯れており、肌をあらわにしている女性は、主に海外からの旅行者だ。
さて、わたしたちは、タイガープラウン(大きなエビ)とカニ料理を頼んだ。串に刺されて香ばしくグリルされたエビは、頭にミソがたっぷり、歯ごたえよく、ほのかな甘みがよく、おいしい。
カニの甲羅にほぐされたカニの身が詰められたカレー風味の料理もまたユニークな味わいでおいしかった。付け合わせのフライドポテトも、そしてタマネギやトマトのスライスもまた、おいしい。
こうして、海風を受けながら食べる料理というのは、その「雰囲気」だけで味が引き立つというものだ。
そのそも、この店は、店名にもなっている「スーザ・ロボ」というクレープで有名らしい。すでにお腹いっぱいで、デザートを食べちゃ太ってしまう、と自粛したが、今思えば、食べておけばよかった。
インドは小麦粉やミルクがおいしいから、クレープもまた、おいしかったに違いない。惜しいことをした。
■ナイト・マーケットで過ごす夜。
ホテルに戻り、シャワーを浴び、リラックスしたあと、ガーデンのバーでマティーニを飲む。無闇にまずいマティーニだったが、雰囲気とサービスがよかったので我慢する。
バーの隅で、白い麻のスーツに蝶ネクタイをした白人男性が、カクテルを飲みながら新聞を読んでいた。
その姿を見て、50年前のこの地の情景を想像する。
太陽が沈み、あたりが暗くなったころ、ホテルの中庭でブッフェの準備が始まった。今日はインド料理のブッフェらしい。しまった! 昼ご飯を遅く食べるんじゃなかった! とA男と二人、後悔する。
なにしろ、その料理の種類の多さ、デザートの豊富さ。どれもこれも、見るからにおいしそう! これを見過ごすことができようか。いや、できまい。
食べもしないのに、二人して、「さりげなさを装いつつ」ブッフェのあたりを見学。しかし、他のゲストは誰一人いない中、さりげなさが装えるはずもなく、コックらにちょっとばかし笑われる。
インドは夕食が遅い時刻に始まるようで、8時過ぎてもまだテーブルに着く人はおらず、ゆっくりゆっくりと、夜が更けていった。
隣のホテルでナイト・マーケットとイベントをやっているというので、わたしたちはそちらに行ってみることにした。広々としたガーデンには民芸品の露店が並んでおり、食べ物の屋台もある。
大道芸人の「ファイヤーショー」を見たりしつつ、屋台で軽食を買って食べ、楽しい夜を過ごした。
明日の夜は、ブッフェはあるのだろうか。あるなら明日はブッフェだ。と思いながらホテルに戻る。
今日も星がきれいだ。