■風邪をひく。だらける朝。新聞に笑う。
自分の咳と鼻水で、目が覚める。A男ともども、具合が悪く、鼻声。
バンガロールの公害に加え、夕べの急激な冷え込み。何が理由かわからないが、ともかく調子が悪い。おまけに腰もちっとも治らず、ふんだりけったりだ。
しかし、今回は、前回の旅と違って「胃腸絶好調!」だからいいの。
前回、旅の中盤でお腹を壊し、おいしいものを食べられず、どれだけ悔しい思いをしたか。だから今回は、何があっても、胃腸だけは死守する構えだったのだ。
歯磨きの時さえミネラルウォーターを使うこまやかな心配りを継続しているうえ、あれこれ食べてはいるものの、食べ過ぎに気を付け、「腹九分」を保っているのだ。
だから、腰が痛くっても、喉が痛くっても、朝からお腹ペコペコなの。
というわけで、A男がベッドでだらだらしているうちから、階下に下り、料理番ケサールにトースト2枚(小振り)とスクランブルエッグを頼む。チャイを飲みつつ、テーブルに供されているフルーツをつまむ。
日によってオレンジやバナナ、グレープなどそれぞれだが、今日はこのあいだマーケットで見かけた「食用ほうずき」が出されていた。
甘酸っぱくて、歯ごたえがあって、とてもおいしい果物。いつだったが、欧州のどこかで、デザートに添えられたものを1粒2粒食べたことがあったが、こんな風にパクパクと何粒も食べたことはなかった。
食べているうち、わたしのほうずきの記憶が蘇る。
子供のころ、お盆の時期になると、母方の祖母が住んでいた福岡県嘉穂郡を訪れた。当時そこは、炭鉱の面影が残る、夕日の美しい田舎だった。
夏の夕暮れ。ひぐらしの鳴き声。精霊流しの蝋燭。廃れた共同浴場。久しぶりに会う従兄弟たち。カマキリの卵。背の高いひまわり。そうめん流し。頂上が水平のぼた山。舞い飛ぶ赤とんぼ。廃校の割れた窓ガラス。長屋のコンクリートのたたき。夏の間だけのともだち。「金鳥の夏」の看板。次の夏には死んでいたゆかりちゃん。大村昆に由美かおる。風船に入った氷菓子。プロレス興行のポスター。線香花火の匂い。夕日の色した熟れたほうずき。そのほうずきを鳴らす音……。
前世の記憶ではないだろうか、と思えるくらいに、遠くなってしまった記憶が、ほうずきに導かれてあふれだす。
一人で浸りながらほうずきを食べていると、ダディマが起きてきた。ダディマと二人の食卓。言葉が通じないけれど、しゃべる二人。トーストと、スクランブルエッグを食べたあとだったが、ダディマがミルク粥を勧めるので食べてみた。
全粒小麦をミルクで煮込んだそれは、とても柔らかな風味でおいしい。思わずケサールに追加を頼む。
ダディマは、A男の母アンジュナにも、そしてウマにも、口うるさい嫌味な義母なのだが、わたしには、言葉が通じないこともあるのだろうけれど、本当にやさしい。
「ダディマは、僕のお母さんに、どれだけ意地悪だったことか。ミホにはやさしいから、よかったねえ」と、以前、A男がわたしに言った。
でも、意味不明のヒンディー語で、延々と話しかけられるのは、実に辛い。たまに英語が混じるんだけど、それを拾い上げるのがまた辛い。根気が勝負だ。3階から下りてきたA男に救いを求めるが、ちっともダディマの話を聞こうとしない。
だいたい、ロメイシュにせよ、ウマにせよ、ダディマがしゃべっていても、ほとんど注意を払っていない。まあ、ダディマは猛烈におしゃべりだから、聞いていられないんだろうけどね。
たまに訪れるわたしが「相手にならなきゃ気の毒だ」と思う気持ちもあり、わかってもいないのに相づちを打ったりするから、喜ばれているのかも知れない。
朝食のあとは部屋に戻り、ベッドの上で新聞やアンジュナのメモワールを読んだりしてゴロゴロする。新聞で、インドらしい事件を発見。
その名も「タンドーリ殺人事件」。
政治家が愛人を殺害し、遺体を知り合いだかどこだかのレストランのタンドーリ(釜)で焼いた。レストランの煙突から漂ってくる、普段とは異なる異臭に気づいた警官二人がその場で犯人を逮捕したとのこと。
なんてばかな事件なの?! とA男と二人で笑う。不謹慎だけど。
■ケサールのランチ。模様替えの午後。
朝食が済んだかと思えば、ランチタイム。思えば、ケサールの料理をきちんと食べるのは、このランチが初めてだった。ホウレンソウとカッテージチーズ(豆腐状)の煮込み、ダル(小粒の豆の煮込み)、カリフラワーのソテーなど、どれもマイルドなやさしい味で、痛む喉にもうれしい料理。
ついつい何度もおかわりをしそうになるが、今夜は我が家でパーティーで、しかも前回、その美味ぶりに感動したタンドーリのケータリング屋さんがやってくるので、食べ過ぎないよう制御する。
今日は、身近な親戚や友人を20名ほど招き、カジュアルなパーティーを開くのだ。しかし、客間となる2階があまりにも地味であることにA男が不満げ。
「パパ。この部屋のインテリア、なんとかならないの? パーティーをするには、地味すぎるよね、ミホ!」
と同意を求める。今更本音を隠すのもなんなので、
「そうね。確かに地味だと思う。あの中国風の絵は安っぽいし……。3階にあるインドの絵を持ってきた方がいいと思う。あと、蛍光灯も料理をおいしくなさそうに見せるから、電球のライトだけを点灯させる方がいいよね。
あのガネイシャの像はすてきなのに、隅の方に置いておくのはもったいない。あの裸の神様の彫刻も、あそこに飾るのはもったいない。
あのバラの花束(12月25日はダディマの誕生日だったので、祝いの花束がいくつか届いていた)も、生け方をかえた方がいいかもね」
と、チャイを飲みつつ偉そうに述べる。するとロメイシュが、
「じゃあ、ミホ、やってよ」
と言う。それまでは、A男の実家とはいえ「お客様」な気分だったから、部屋の模様替えなんて、わたしのやることじゃないと思っていた。しかし、ウマも
「わたしはやるつもりはないから(全部捨てたくなるし)、ミホ、やっていいわよ」
というし、A男も、じゃあ僕たちで模様替えしようよ! と急に張り切り出すので、そんじゃあ、やってみよう! と食卓から立ち上がる。
さっきまで、咳をゴホゴホ言わせ、腰を押さえながら「あいたたたた」なんて言いつつ歩いていた癖に、俄然元気になり、テキパキと働きはじめるわたし。
カトちゃんとケサールを率いて3階にあがり、テーブルとチェアのセットや額装画、調度品などを2階に運ぶよう頼む。
弥生式土器みたいなもの、西周の青銅器みたいなものなど、単なる古い壺か、価値ある骨董品なのか、誰もわからないままに放置されているもの。
折れた首を接着剤でくっつけた形跡のある、しかし雰囲気のある白磁の仏像。カーペット。サイドテーブル。ともかく「さまになりそうなもの」を階下へ運ぶ。
「埃を被ったような薄汚い布製の絵」を外し、小さいながらも美しいインドの細密画に掛け替える。
プラスチック製のレース風マットも、すべて取り払い、クローゼットにしまわれていた手刺繍のマットと取り替える。
無数に放置されたバルコニーの鉢植えの中から、形状の美しい折り鶴蘭を選び、葉や鉢を洗って台の上に飾る。
椅子のレイアウトを替え、テレビをダディマの部屋に移動させ、花束だったときのままの形状で花瓶に突っ込まれたバラやカーネーションの花束を生け直す。
バスルームにあるロメイシュの歯ブラシやひげ剃りなどを一掃し、新しいタオルに替え、花を飾る。
水を得た魚の如く働く。A男も非常に張り切る。特に「クッションの位置と角度」について、厳しく考察する。(どうせ人が座ると、クッションは見えなくなるよ)と言いたかったが、せっかくの積極性を否定してはまずかろうと、口にせず。
地味な花柄カーテンがどうも足をひっぱるが、できばえは上々である。予算ゼロで最大の効果を。
A男、使用人の皆さんともども、心地よい達成感に浸る。ロメイシュも美しく変わった部屋に喜んでいる。
しばらくして、バンガロールからスジャータもやってきた。
「埃を被ったような薄汚い布製の絵」が壁から外されていることに気づいた彼女はA男に耳打ちする。「あれは、いいものなのだから、あとで戻しておいてね」と。
なるほど。そういうことなのだな。ウマがこの部屋に手を出したくないのは。アンジュナの他界後に建てられた家とはいえ、ここにはもしかすると、彼女の思い出の品なども、随所にあるのかもしれない。
障害は、思いがけない人物だった。ダディマでもロメイシュでもなく、スジャータだったのね。
この「家」のことに立ち入るのは、これが最初で最後にしておこうと思う。
■そして、会話弾むパーティー。
しばらく仮眠を取り、パーティーの前に目を覚ます。ともかく寒い。こんなに寒くなるとは予想しておらず、着る服がない。黒の長袖シャツとパンツを履いていたら、
「ミホ、ダディマがくれたゴールドのパンジャピ・ドレスを着たら?」という。
わたしがインド服を着るのはいやがっていたはずなのに、旅の途中で、考えが改まった様子。しかし、ちょっと豪華なそのドレスは、半袖で寒い。買ったばかりのストールを巻き、もらったジュエリーを身につけ、階下に下りる。
アメリカのセントラルヒーティングは光熱費の無駄だ、資源の無駄だ、大気汚染の元凶だ、と、批判的だったわたしだが、今、それが恋しくてならない。軟弱なの。
さて、ゲストはインドらしく、定刻より大幅に遅れ、徐々にやってきた。前回、結婚式関連のイベントで顔を会わせた人ばかりだが、当然、誰が誰やらさっぱりわからない。でも、でも、向こうはわたしが誰かを一目瞭然だ。だから、取り合えず、みなに
「まあ! お久しぶりです。お変わりありませんか〜?」
と言いながら抱擁の連続。
やがて、バルコニーからケータリングのお兄さんたちが用意する、タンドーリチキンのいい香りが漂ってくる。ワインを飲みつつ、前菜を食べつつ、おしゃべりを楽しむ。
ロメイシュが「ミホの日本のお友達も呼んだら?」と言ってくれていたので、先日お会いした日本人のMさんも招待した。
ところで、ダディマには、30年来の付き合いがある親しい日本人女性がいる。その人は、マルハン家の隣家に住んでいる。彼女はインド人と結婚したあと、貿易関係の仕事をしており、夫が他界したあと、仕事はリタイヤしたものの、日印米三カ国を行き来しているらしい。
彼女の風ぼうは、華やかなメイクのせいか、すでに日本人のそれではなく、かなりのインパクト。口調も会話も相当に個性的でパワフル。わたしがいくらアグレッシブだからといって、彼女の足許には到底及ばす。
ロメイシュ曰く「彼女はもう、何十年も、この町内のボスなんだよ」とのこと。少なくとも、マルハン家周辺の人々には「日本人女性」=「大和撫子」=「控えめでおとなしい」という先入観がなかっただけ、わたしとしては助かった。のか?
ちなみに彼女とダディマはヒンディー語で話をしているため、どんな会話が展開されているのか大いなる謎だ。
今回、ケータリング軍団による料理を非常に楽しみにしていたのだが、やっぱりおしゃべりに夢中になって、「じっくりと味わう」気分ではなかった。
しかし、みんなと話をしていて、それぞれの故郷の話を聞いているうちに、インドの色々な地域に行ってみたいという旅情が沸々とわいてきた。
ヒマラヤ付近が故郷のおばさまも、「ぜひ、うちの実家にお泊まりなさい。10月頃が一番いい時期よ」と言ってくださる。
「ファミリープランニング・アソシエーション」のニナおばさんも来てくれた。彼女によると、人口増加が最も緩やか、つまり「成績がいい」のは南インドの方らしい。
特にケララ州は識字率も90%、人口の増加率も低く、とても優秀な州だとか。ちなみにケララは、かつて「母系制」だったらしく、子供たちは母方の家名を名乗っていたという。
さらには、20世紀初頭まで「一妻多夫制」が見られていたらしい。無論、イギリス植民地時代には、その傾向が抑制されたものの、女性の地位が高いという伝統は、続いているようだ。
ケララにも、ぜひとも訪れたいと思う。インド、旅したいと思うところがいっぱいある。
ラグバンの母が、別れ際、「インターナショナルセンターでの、エキシビジョンの件、次回来るときには、考えておいてね」とわたしに耳打ちする。
わたしが公私ともにおいて、文章を書いたり写真を撮ったりすることが好きだということを知っている彼女は、インターナショナルセンターで、わたしに展示会をしてはどうかと、これまでにも何度か、声をかけてくれていたのだ。本当に、ありがたいことだと思う。
今回はあらかじめ準備する余裕がなかったが、次回は是非、テーマを決めて何らかの展示会をさせていただければと思う。
数時間の宴を終えたあと、しばらくチャイを飲みながら、家族だけで話をして、解散となる。思ったよりも楽しいパーティーだった。
自分が、インド人家族に、そしてインドに、ぐっと深入りしていることを実感しながら、複雑な気持ちでベッドに入った。
●コラム12:インドの人口と識字率●(2001年の国勢調査)
インドの人口:10億2700万人
識字率:65.38%(男性75.85%、女性54.16%)
(資料:www.censusindia.net)