■ヨガで目覚める朝。フルーツたっぷりの朝食
このリゾートでは、朝と夕方の2回、ヨガのレッスンをやっているというので、参加してみることにした。場所は、滞在しているホテルから500メートルほど離れた、やはり同じタージ・グループのリゾート(こちらはコテージが主)で行われると言う。
シャトルバスが随時出ているので、それに乗って行く。
やはりヤシの木に囲まれた芝生の庭で、先生と、インド人の女性がマンツーマンでヨガをやっているのが見える。
わたしたちも途中から参加し、爽やかな朝の風を体中に吸い込む。ヨガそのものはビギナー向けで、ちょっと物足りない感じだったが、何より外で身体をリラックスさせるのは気持ちよく、非常に満ち足りた時間だった。
参加していたインド人女性は両親と訪れているらしい。彼女のお兄さんはワシントンDCに住んでいるとか。彼女も渡米経験は豊富らしく、世間話をしつつ、ホテルに戻る。
ホテルでは、室内のレストランとテラスとの両方でブッフェが用意されていたが、わたしたちは外で海を眺めながら食べることにした。
わたしは主に、パパイヤやメロン、パイナップルなどのフルーツやヨーグルトを食べ、ヘルシーかつ重すぎない料理を選ぶ。前回は旅の中盤でお腹を壊し、以降、悲惨な目にあったので、今回は、胃腸を健康に保とうと決めていたのだ。
歯磨きの時でさえ、ボトルの水を使用するという徹底ぶりである。
ちなみにパパイヤは消化を促進し、胃腸によいフルーツである。だから、格別に好きだ、というわけでもないが、多めに食す。
一方、A男は「心の思うがまま」に、食べたいものを食べる心意気が見て取れる。この半年間、ヨガで減った体重を再び盛り返す勢いだ。
シェフにマサラ・ドサを焼いてもらい、オムレツを焼いてもらい、その上パンは食べるし、フルーツ、カレー、ソーセージなどもちょこちょことお皿に盛り、それはもう、朝っぱらからたいそうな食欲である。
さて、3泊4日といえば、フルに過ごせるのは今日と明日のみである。従って今日は、ゴアの中心地であるパナジの町と、教会が点在するオールド・ゴアを巡り、明日は一日ホテルでくつろぐことに決めた。せめてもう一日、くつろぎの日がほしいところだ。
■新しい街とはいえ、相当に古いパナジでナッツを買う。
ホテルでタクシーをチャーターする。車は冷房付きと冷房なしがあり、それにより料金が異なる。
風が心地よいこんな日は、もちろん「冷房なし」である。丸一日借りて、多分20ドル程度だったと思う。
ドライバーは、白いパンツと白い半袖の開襟シャツを着た、長身の、品のいい初老の男性だった。彼は訛の少ない、聞き取りやすい英語を話してくれる。
●コラム6:インドの言語●
インドでは、ヒンディー語と英語が国語として採用されているが、州ごとに更に14の公用語がある。実質的にはもっと多種の言語があるようだが、政府が便宜上、英語を除き、15言語に「減らした」ようだ。
その証として、インドのルピー札の裏には、15種類が羅列表記されている。
彼は、英語と土地の言葉以外にも、かつてはポルトガル語が話せたという。
「でも、ポルトガルが去ってからは、40年以上話していませんから、もう、ほとんど忘れましたよ」
車は田園地帯の中を走り抜けて行く。時折、白い教会が目に飛び込んでくる。大きめの建物もあれば、掘っ建て小屋のようなものもある。
青空に向かってそびえる大きな十字架が、それが教会であることを示している。
車はやがて、マンドヴィ川にかかる橋を渡り、パナジの町に到着した。
「ここが、新しい街?」と確認したくなるほど、それはそれは古びた建物が多い、濃密な濃密な空気が漂う町だった。私たちは、なんて「新しい国」に住んでいるのだろう……とも思う。
たとえば古い家の、バルコニーのそのさびた鉄柵の模様が、心に突き刺さってくる。怖いくらいの郷愁が、心臓からあふれ出す。
わたしはどうして、こういう雰囲気のものに、過剰に反応するのだろうと、自分でも不思議に思う。
数年前、インドの写真集を見ていて、インド北部のジャイプールと言う町にある、ある建築物を見て、戦慄した。それは、わたしが子供のころ、繰りかえしみていた夢に出てくる「建物の内部」を連想させる、「外観」をしていたからだ。
------夢の中で、わたしは長いドレスのような物を着ている若い女性である。わたしは、いくつもの支柱のある、長い回廊を駆けている。回廊の一方は全体が窓になっていて、しかしガラスがはめ込まれているわけではない。
時刻は夕暮れ。回廊全体が、オレンジ色ともピンク色ともつかない、なんともいえぬまばゆい光に包まれている。------
あいにく、その建物の内部を示す写真がなかったので、実際の所、夢の中の光景と似ているのかどうかはわからない。
ただ、その写真を見たとき、わたしは思ったのだ。わたしのいくつかあったであろう前世のうちの一つは、ひょっとしたらインド人だったかもしれんな。と。ありがちな思い入れかもしれないが。
もしかすると、子供のころ、テレビなどで見た映像がそのまま夢の中に独自の記憶として刻まれているだけかもしれない。しかし、いずれにせよ、大切な情景の一つに変わりはない。ジャイプールにはいつか、訪れたいと思っている。
さて、パナジでは、車を降り、町をふらふらと歩いた。ドライバーが「カシューナッツを買うといいですよ」と勧めてくれたので、店に立ち寄る。味見をするとおいしかったので、ついでにピスタチオとアーモンドも買う。
高台に、町を見下ろすようにそびえ立つ真っ白な聖母教会(パナジ教会)の階段を上る。マリア様の像が町を見守っている。電球が施された後光が、いかにもインド的でお茶目だ。
教会の中はだれもおらず、ガランとしている。古くて古くて、だけれど、黄金色の祭壇が今を輝いている。シャンデリアのガラスの模様や、やはりバルコニーの鉄柵や、床のタイルの模様や、そういうあらゆるものが、途方もなく長い時間の積み重ねの果てにここにある。
という事実がずっしりと、しかし、満たされた心持ちへといざなってくれる。
そのあと、パステルカラーの家並みが続く、植民地時代の面影を漂わせたあたりを車ですりぬける。そうして、サン・セバスチャン教会へゆく。
あいにく、扉は閉ざされていて中には入れなかったので、車に乗り込み、オールド・ゴアを目指す。
パナジの、町にちらばる、何かしら、ひとつひとつが、いちいち訴えかけていた。わたしの記憶の壺にたたえられた水を、静かに、強く、かきまわす。
オールド・ゴアへの車中、少しうつろな気持ちで、外を眺めていた。そしてサン・セバスチャンのことを考えた。
サン・セバスチャンとは全身を矢で射抜かれた殉教者である。三島由紀夫も魅せられたサン・セバスチャン。
スペイン北部、フランスの国境に近いピレネー山脈麓のバスク地方に、サン・セバスチャンと言う名の海辺の町がある。
かつて、ある人と、そこを訪れたことがある。ちょうど十年前だ。そんなことを思いながら、自分が踏みしめてきた日々のことを束の間、思いめぐらす。
かつてA男とポルトガルのリスボンの、オールド・ゴアを歩いたときのことをも思い出す。やはり、その古い町の魅力に引きずられながら歩いていたわたしに、彼は言ったのだった。
「このあたりはなんだか、懐かしい。インドに似てて、汚いし」
そう。確かに、古いと汚いは表裏一体。でも「汚い」の一言で片づけてしまうと、旅情が半減するので、言わない。
それにしても、本国から遠く離れたこんな場所に、こんな風に自分を遺すポルトガル。
リスボンだけでなく、わたしがとても好きだと感じたポルトガル最南端の港町、ファロのことも思い出された。あの港町の古さもまた、筆舌に尽くしがたい哀愁だった。
いつまでも、若い若いと思っていたけれど、わたしも結構、年を重ねていたのね。と思う。
回想する過去の量が、どんどん増えてくる。