■家族揃って、マイソール1泊2日のドライブ旅行に出発
今日からマイソールへ家族旅行である。無論、今回の旅のすべてが家族旅行であると言えなくもないが、それにも増しての家族旅行だ。
マイソールはバンガロールの南西約140キロ、デカン高原の南端にあるインドの古都。マイソールの山麓はコーヒー豆の栽培も行われおり、南インドのおいしいコーヒーはここが産地のようだ。
ちなみにマイソールの名は「水牛の町」という言葉に由来するらしい。
さて、午前10時過ぎ、我々はバンガロールを出発した。車はインド国産車「TATA」の四輪駆動車、「SUMO」である。乗り心地が決して良さそうではない車なので、ホテルで枕を借り、クッションにする。シートベルトを着用して安定したいので、助手席に座らせていただく。
ドライバーは若い男性。運転をする前に、ボンネットに備えてある小さな神様(ジャスミンの花かざり付き)に手を合わせて、「安全の旅」を祈願している。
その「神頼み」の姿勢に、微笑ましさよりも一抹の恐怖が先に立つ。何しろインドのドライブ事情の劣悪さは、前回のニューデリーとアグラ(タージ・マハルのあるところ)間のドライブにて痛いほど思い知らされているからだ。
だいたい、道路が悪い。まあ、最近はワシントンDCの悪路に慣れているから、そんなにショックを受けることもないかもしれぬが、悪路の上に運転マナーが滅茶苦茶なのである。
一車線ずつの狭い道路でも、前方がよく確認できないまま追い越しにかかる。四六時中、ホーンを鳴らしているのもうるさい。しかし、トラックなど大型車両の後ろには、ホーンを歓迎する文字が踊っているから厄介だ。
ちなみに、ニューデリー界隈では「HORN
PLEASE」とホーンを「請う」ものが主流だったが、この南インドでは「HORN
OK」と、ホーンを「許可する」ものが主流であった。両者にどのような違いがあるか不明だが、ともかく、道路上は、常に騒々しく、クラクションが響き渡っているのである。
●コラム10:インドの自動車事情
前回、インドを訪れたときに、最もよく目にした車両のひとつは、アンバサダーAmbassadorという車だった。これは、1950年代、英国で製造されていたMorris
Oxfordという車に倣い、「Hindustan
Motors」というインドの会社が販売を始めたもので、長年モデルチェンジのないまま、今日に至るまで販売を続けている。
日本車などに比べると、故障やトラブルが多いとの噂だが、クラシックな車体は温かみがあり、かわいらしい外観の車だ。
アンバサダーに並んでよく見かけたのが「マルチ・スズキ
MARUTI
SUZUKI」の軽自動車「マルチ800」であった。マルチ・スズキとは、インド政府と日本のスズキとの合弁会社「マルチ・ウドヨグ社」の生産する車である。
マルチ・ウドヨグ社は1983年に操業を開始、インド最大の自動車メーカーに成長した。近年、インドでは政府運営企業の「民営化」が進んでいる。その一環として、政府はマルチ・ウドヨグ社の保有株の大半を放出したため、2003年にスズキが「子会社化」した。
今回は、前回に比べると、街を走る車の種類が増えていたように見受けられた。アンバサダー、マルチ800は相変わらず多かったが、マルチのZEN、アルト、ジプシーのほか、HYUNDAI、フォード、日産、スバル、ホンダなど、さまざまな自動車メーカーの車が走っていた。
また、インド最大のコングロマリット(複合企業)、TATA社の四輪駆動車「SUMO」「SAFARI」も目に付いた。A男に「SUMOってヒンディー語なの?」と尋ねたら、「そんなわけないでしょ。相撲レスラーのSUMOだよ。大きくて力持ち、ってことなんじゃない?」とのこと。
ちなみに自動二輪は圧倒的にホンダが多かった。HONDA-HEROにHONDA-HAIKU(!)、SUZUKI
SAMURAIなど……。しかし、バイクに「俳句」とは、これいかに。
バンガロールからマイソールにかけての道路は「いい」と聞いていたが、米国の広々としたハイウェイをスイスイと静かに走り慣れている我々としては、なにがどういいんだか、さっぱりわからない。
バンガロールの郊外十数キロ地点までは、なんとなく道幅が広く、片側2車線ずつという道路もあったが、市街を離れ、あたりが田園風景になってくると、道幅は狭まり1車線ずつとなる。
時にはセンターラインすらひかれていない道が現れたりもする。なにしろわずか140kmなのに、3時間以上かかることからして、その悪路加減を物語っている。
ドライバーは、わたしの腰痛を知っているため、乱暴な運転をさけ、道路に凹凸のあるところなどは減速するなどの配慮を見せてはくれるのだが、しかしその運転は決して「安全運転」とはいえない。
無論、彼ばかりではなく、周り全体がそうなのだが、運転のテーマは、「いかに大型車両を追い抜くか」にかかっているようだ。ところでインドのトラックは、何やら知らぬが、どれもこれも、黄色やらオレンジ色やら緑やら、派手に車体をペイントされ、さまざまな絵柄が施されている。
派手なばかりで、ちっとも馬力がないから、スピードが遅くて、後続車がどんどん追い抜くわけだ。しかも、見通しの悪い場所にも関わらず、2台3台が連なって「見切り追い越し」をするから怖い。
追い越しざま、目前に対向車が迫ってくること数知れず。対向車も対向車で、路肩にはみ出してよける心意気があるから見上げたものだ。お互い、命は守りたいからね。
助手席のわたしは、対向車が迫ってくるたびに、声を上げそうになる。しかし、いちいち叫びを上げるのもなんなので、般若、もしくは鬼瓦の形相にて「うぎゃ〜!」と声なき声を上げることにより、衝撃を発散する。
わたしの「般若顔」を見た対向車のドライバーは、少なくなかろうと思う。
見切り追い越しもさることながら、なかなか道を譲ろうとしないトラックを、反対側(インドは左車線なので、つまり左端から)から追い越そうとしたときにはさすがのわたしも声を上げたね。
異状に気づいたロメイシュが、ドライバーに「そこまでして急ぐことはない。危険なことはしないでくれ」と諭し、事なきを得た。
ちなみに車は平均70〜80キロで走行していたから、結構なスピードなのだ。なのに、なかなか目的地につかなかったのは、いったい何故だろう。
ともかく、わたしは、常時両足を踏ん張り、左手で窓の上のハンドルを握り、右手でシートベルトの付け根とカメラのストラップを握っていた。これらの写真を撮影するのには、結構な労力と気合いが必要だったことを書き添えたい。
■道中のドライブイン(?)にて、軽食ランチ
やがて車窓からの風景は、田園風景が主となり、時折、小さな店舗がひしめき合い、人々が往来する賑やかな「町」や、ただバラックのような古びた建物が連なる集落が現れる。
経済的にいえば、貧しい暮らしなのかもしれないが、しかしあたりを包む空気は、見る限りにおいて、のどかで平和である。
牛やヤギなどの家畜を引き歩く人、あるいは牛車に荷物を載せて運ぶ人々を、しばしば追い越し、しばしばすれ違う。
正午を回り、ランチ休憩を取ることになった。
その「ドライブイン」的な集落は、バンガロールとマイソールのちょうど中間地点あたりにあった。レストランと商店、スイカとヤシを売る露店、それに土産物店がある。
土産物店には、この辺の特産物だという「木馬のおもちゃ」が並んでいた。
わたしたちは、テラス席に座る。のどが渇いていたので、まずはヤシの実ジュースを飲もうと、露店へ行く。味の薄いものから濃いめのものまで3種類あるらしいが、中ぐらいの味を選んだ。
あっさりとした透明のジュースで、少々たとえに無理があるが、強いて言えば、ポカリスェットを薄くした感じ。飲んだあとのヤシの実は、割ってもらってゼラチン状の白い実も食べる。ほの甘い、ゼリーのような果肉。
わたしたちは朝食ブッフェをたらふく食べていたせいか、さほど空腹ではなかったので、ドサとスナックを半分ずつ食べる。
ドサはいつもの「ロール状」とは違い、「とんがり帽子」のような立体的な形でテーブルに供された。てっぺんにバターが載っている。それを付けながら、パリパリと食べる。
ドサの香ばしいおいしさもさることながら、気に入ったのは見た目がチョコチップクッキーのようなスナック。タマネギやナッツ、スパイスが入った香ばしいクラッカーのようなもので、噛みごたえ、歯ごたえがあり、やめられなくなる味。追加オーダーをする。
さらには、コーヒー豆の産地に近いだけあって、例の「大人のコーヒー牛乳」もよりいっそう美味に感じられる。
ウマはちょっと席をはずした隙に、お土産やさんで、孫娘への木製の電車を買ってきた様子。手作りの素朴なおもちゃだが、なんだかかわいい。さすが、お買い物の達人である。
食事を終え、出発前にトイレへ行く。トイレを出たわたしをつかまえて、ウマが尋ねる。
「ねえ、トイレ、きれいだった?」
「うん。悪くなかったよ。トイレットペーパーはないけど。わたし、持ってるからあげようか?」
ホテルから取ってきた丸ごとのトイレットペーパーをハンドバッグから取り出すと、「ペーパーならわたしも持ってる」と言って、ウマはトイレに消えた。
ウマとA男。血がつながっていないのに、なんて似たような質問をするのだろうわたしに。A男はインド人なのに、などと言うと語弊があるが、ともかく「汚いトイレ」が苦手である。
無論、「汚いトイレが得意だ」と言う人も稀ではあろうが、彼の場合は妥協を許さない。よほど汚いところでは、トイレに行かず、我慢する勢いだ。これまでの彼との日々、いったい何度、「トイレ、きれいだった?」と尋ねられたことだろう。
男子トイレと女子トイレは別なんだから、たいして参考にならぬだろうと思うのだが、それでもあらかじめの目安がほしいらしい。
●コラム11:インドのトイレ事情とわたし。●
インドの公衆トイレには、ほとんどトイレットペーパーはついていない。この件に関して言えば、日本も似たような状況ではなかろうか。少なくとも、わたしが日本にいたころは、駅のトイレや観光地などにトイレットペーパーはなかった。
一方、米国では、かなり高い確率で、あらゆる場所にトイレットペーパーが設置されている。水洗設備のない、国立公園の奥地にある簡易トイレにさえ、巨大なトイレットペーパーが備え付けられている。
というわけで、日本からの旅行者は、インドのトイレにさほどの衝撃を受けることはないと見受けられる。インドは、紙がなくても、「水で洗う」人のために、トイレに蛇口がついている。その点では、むしろ日本より清潔といえるかもしれない。
いったいインド人口の何割が、現在も水で洗っているかはしらないが、今回の旅で利用した「全トイレ」の個室に水道の蛇口がついていた。蛇口だけでなく、洗浄しやすいよう、シャワーがついているものもあった。
ちなみに便座は西洋式のものもあるが、観光地などでは昔の日本と同じ「しゃがむタイプ」(水洗)が主流である。
あるとき、ある観光地のトイレで用を足したわたしは、手持ちのトイレットペーパーを切らしていることに気がついた。
(こんな話題で失礼)
幸いにもそれは(小)であったため、勇気をふりしぼって、というのも大げさだが、ほかに選択肢がなかったので、備え付けのシャワーを利用することにした。
しかし、これをどの方向から、どういう角度で使用すればいいのかわからない。下手をすると服を濡らしそうだ。自分なりに工夫した末、取りあえず、うまいこといった。しかし、次なる課題が待ち受けていた。どうやって乾燥すればいいのか。
どうしようもなかったので、しばらく、そのままの状態で、ちょっと気長に自然乾燥を待った。
そんなこんなでようやく用をすませ、洗面所で手を洗っていると、今どきのファッション(ジーンズ&Tシャツ)に身を包んだインド人の若いお嬢さんが入ってきた。
「ここ、トイレットペーパーある?」
「それがないのよ」
「じゃあ、わたし、もらってくるわ、ちょっと待ってて!」
そう言って、外で待っていた家族からトイレットペーパーをもらってきた彼女、わたしにその一部を手渡してくれる。彼女は当然、わたしがまだ用を足していないと思ったらしい。
便宜上、もう一度トイレに入り、水を流して、去った。
わたしは、中国の「個室の仕切がない開放的なトイレ」をはじめ、モンゴルでは広大なゴビ砂漠にて爽やかな風を受けながらの、あるいは山岳地帯の茂みに隠れての、と比較的ワイルドな経験をしていることもあり、結構、フレキシブルなのである。
ちなみに、空港のトイレでも、やはりインド人の女性が「トイレットペーパーがない!」と文句を言っている場面に出くわした。なお、A男の家族、親戚宅にはすべてトイレットペーパーが備え付けられていた。
以上、数少ないわたしの経験から申せば、インド人でも、「水洗い」を受け付けない人も結構いるようだ。
さて、車はマイソールを目指し、相変わらず乱暴な走りを見せている。途中、ヤシの木々の向こうに広がる水田で、腰をかがめて田植えをしている人々の姿が見える。
かと思えば、耕田で、水牛に鋤(すき)や鍬(くわ)を引かせ耕している人もいる。
かと思えば、鎌(かま)を片手に、稲を刈っている人がいる。
つまりこのあたりは、米の二期作、三期作が行われているようなのだ。
更田(さらた) 田植え前の乾田
水田(みずた・すいでん) 水をたたえた田
黒田(くろた) 稲の植え付け前の田
代田(しろた) 田植えの準備の整った田
植田(うえた) 田植えをすませた田
青田(あおた) 稲が生育して青々とした田
穂田(ほだ) 稲が穂を出した田
刈田(かりた) 稲を刈った後の田
同じ道路上に、次々に現れるさまざまな「田」。そして、それらを眺める坂田。機械を使わない、昔ながらのやり方で、のどかに、ぼちぼちと、農民たちは働いている。
時折、道路の上に、稲が一面、敷き詰められているのを見かけた。最初、これは「乾燥させている」のだろうかと思ったが、どうも違う。その上を車が平気で通過していくのだ。
途中で気づいたのだが、稲を道路に広げて車に「踏ませる」ことで、稲の脱穀をしているらしい。生活の知恵ね。
それにしても、このあたりの牛、特に、角が長く、背中に大きな瘤のある「瘤牛」は働き者だ。インドじゃ牛は神様だから、全国的に、呑気にしているんだろうと思っていたが、ここに来て考えを改めさせられた。牛は大いに働き者である。
■ティプー・スルタン。つわものどもが、夢のあと。
マイソールの町に入る前に、郊外にある、ティプー・スルタンの夏の宮殿、Daria
Daulat Baghを訪れる。
ティプー・スルタン(Tipu
Sultan)、別名「マイソールの虎」。彼は18世紀中後半、父親とともに強大なマイソール王国を築き上げた藩主だ。親子はフランスと同盟し、イギリスや国内の他勢力と争うが、1799年にイギリス軍に破れ、戦死する。
このパレスは、外観を緑色のカバーで覆われており、一見したところ、美しさのまったく感じられない建物である。しかし、中に入って息を呑む。
建物の外壁一面に、戦闘の場面を描いた壮大な壁画が施されているのだ。それは、ティプー・スルタンが英国軍に裏切られたが故に火蓋が切られた、戦いの様子だった。
写真撮影は禁止だったので、残念ながら紹介できないが、その戦いの図は、帰国後に見た「ラスト・サムライ」の、最後の戦闘シーンと酷似していた。銃を構える英国軍と、槍を構えるスルタン軍。結果は火を見るより明らかだ。
この宮殿には、壁画があるほか、建物内部には当時の戦闘に用いられた武器などが展示されていた。木造の建築物そのものの意匠もまた、ムスリム風のドームあり、日光東照宮風のカラフルさあり、と、「何風」がさっぱりわからないが、興味深かった。
さて、夏の宮殿の観光を終え、いよいよマイソールの町を目指す。車に乗って、力強くドアを閉めるウマに向かってドライバーが一言。
「マダム。ドアはやさしくしめてください。さもなくば、ドアが壊れます」
「それから、マダム、窓の開閉も、ゆっくりとお願いします」
思わず吹き出してしまう。
乱暴な運転をしているわりに、車を大事にしているのねドライバー。この車は知り合いと共同購入し、ドライバーのビジネスをしているようで、ともかく、車を傷つけたくないらしい。
しかし、そんなにヤワな車なのか? SUMOよ。