INDIA: MYSORE-BANGALORE
●マイソール→バンガロール●

DAY 11
12/25/2003

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■グリーン・ホテルの朝。

小鳥たちがさえずる声で目が覚める。部屋には、ほのかに蚊取り線香の残り香が漂っている。しばらくの間、ベッドに横たわったまま、天井を見つめて、ぼんやりとする。

「おはよう」

声をかけるが、返事がない。隣のベッドは空だった。A男は朝からどこへ行ったのだろう……。と思いつつ、起きあがる。

腰痛は、より一段とひどくなっていて、起きあがるのも一苦労だ。まさに「重い腰を上げて」バスルームへ行き、シャワーを浴びて、一日を始める。

部屋の入り口のドアを開けると、庭のベンチで、A男とロメイシュが語り合っていた。しかも寝間着のクルタ・パジャマ(上着をクルタ、パンツをパジャマと呼ぶ)姿で。

わたしはひとりで、また庭を散歩する。そして、カフェへ行き、ひとりで朝食を始める。絞りたてのグレープジュース。いつものように、パパイヤ、バナナ、パイナップルなどのフルーツ。

クリスマスだということもあり、スライスされたクリスマス・プティング(といってもプリンではなく、スパイスと洋酒が効いたドライフルーツのケーキ)も用意されていた。

やがて、他の家族もやってきて、各々、テーブルで食事を始める。A男がロメイシュとスジャータに、ホテルの2階のことを話す。彼らも夕べ、見に行ったようで、

「本当に、あの家に、よく似ているね……」

と、しみじみとしている。

朝食のあとは、マイソール観光のハイライトである「マハラジャ・パレス」を見学した後、ホテルに戻ってチェックアウトをし、バンガロールに戻る予定である。

ホテルの入り口では、数人の女性が、色とりどりの粉の染料で、地面に紋様を描いていた。その様子をしばらく眺める。

 

■なんだこれは!? 豪華絢爛マハラジャ・パレス

マイソール市街の中心地。広大な敷地内に、威風堂々、どすんと立った、マハラジャ・パレス(マイソール・パレス)。

そもそも、今回インド旅行に来るまでは、マイソールがインドの古都だったと言うことも知らなかったから、そこにあるパレスがどういうものかもよく知らなかった。持参していた日本のガイドブックには、以下のようにある。

1897年から16年の歳月を費やして建てられた宮殿。全体はインド・サラセン様式だが、細部にこの地方に特徴的なホイサラ建築の伝統が活かされている。マイソールの藩王(ラージャ)はハイダラバードの藩王(ニーザム)とともに、藩王の長者番付の一、二位を争う金持ちであっただけに、象牙やヨーロッパから輸入したガラスなどもふんだんに用いて贅を尽くしている。また、壁に掛けられた絵画や武器、ムガル皇帝アウラングゼーブから贈られたという玉座などが昔の栄華をしのばせる。(ブルーガイド・ワールド「インド」265ページ)

そもそも、サラセン様式というのはヒンドゥとモスリム、欧州の建築様式が入り交じったものである。それに加えて、見当もつかぬ「ホイサラ建築の伝統」が入り交じった日には、いったい、どんなことになるのだ?

そんなことを思いつつ、さほど期待することもなく、出かける。外観は比較的シンプルで気品があり、「欧州風」のような気がする。しかし、両脇にヒンドゥー寺院が立っていて、しかしそのアンバランスなところも自然と調和しているところがユニークだ。

宮殿内へは、絶対にカメラの持ち込みが禁止だとのことで、入り口の「カメラ預かり所」に預ける。あと、土足禁止なので、靴も脱ぐ。腰が痛いのに、靴を脱いだり靴下を脱いだり面倒なこった。と思うが仕方ない。

空港並みの厳重や「入場検査」を経て、冷たい大理石の回廊をペタペタと歩きながら、巡る。

まず、総合的な感想から述べるに、「度肝を抜かれた」ね。

なにがってもう、その威風堂々たる成金趣味。

趣味がいいとか悪いとか、そういう平民らの評価を超越した、圧倒的な豪華絢爛さに脱帽。

ここまでやりたい放題、財力をつぎ込むそのエネルギーにも敬服。

広大なホールに、デコラティブな装飾が施された柱が無数に並ぶ部屋。があるかと思えば、はるか高い天井に、クジャクやら何やらのステンドグラスが、強いて言えばアール・ヌーボー風の色合いで、「これでもか!」というくらい大げさに、施されているホール。

そして、何かと言えば、金。ゴールドね。

ゴールドの椅子にゴールドのテーブル、ゴールドのランプにゴールドのドア。あっちこっちでゴールド三昧。びっくりよ。

あえて言えば、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿を初めて訪れたときよりも、衝撃度が高かった。事前の情報がなかったからかもしれない。

起こらなかったんだろうか、市民革命。というか藩民革命。

秋には「ダシャへラーの祭り」というのがあって、王宮全体が派手派手しくライトアップされるらしい。あと象の行進もあるらしい。象にはゴールドの「かぶと」のようなものも施されるようだ。

写真撮影ができないので、ガイドブックを買おうと思うが、その「観光ガイド」がまた、このパレスの豪華絢爛さに比して、恐ろしく陳腐。

がさがさの紙にずれまくった製本、写真は写真そのもののアングルやクオリティが悪い上に版ずれを起こして汚いし、色もまったく忠実じゃないし、もう、本当に、わたしに作らせてちょうだい、ガイドブックを! ついでもポストカードも!!と思う。

インドは、もうちょっと頑張って観光事業に取り組めば、外貨の収入が増えると思うんだけどなあ。シンガポールを見習って欲しいものだ。

まあ、その前に交通網や宿泊施設の整備とか、やるべきことがいっぱいありそうだけど。

無論、インドの観光局は、最近、米国でも観光キャンペーンの広告を出したりしているんだけど、今ひとつ漠然としていて「核心を突いていない」から、旅情がそそられない。

バックパッカーとか、ちょっと宗教寄りな人とか、思索好きな人とか、ヨガに夢中な人とか、ヒッピーとか、ガンジス川で沐浴してみたい人とか、「現代人の失ってしまった何か」を探して求めている人とか、インド人と結婚してしまった外国人とか、そういう人たちだけに旅をさせておくのは惜しいと思うよ。インドは。

もっと世界に開かれるべきだね。気軽な旅先として。先は長そうだけど。

なんてことを考えされられる。

観光を終えた帰り、町中の庶民的なホテルにある、庶民的な食堂でランチを食べることになった。ここでも定食の「ミールス」を頼む。

ほんとね。安いの。ご飯、おかず、お代わりし放題で一人25ルピー。50セントか60セントか、そんなところよ。日本円だと70円くらいかな。しかもおいしいし。コーヒー牛乳もまた飲むし。

経済感覚が、本当に、よくわからなくなってくる。

 

■名残惜しきホテル。農村ドライブ。寺を訪ねて帰路に就く。

観光を終え、ホテルに戻ったわたしたちは、1時間ほどくつろいだ後、チェックアウトして出発することにした。A男が小さなギフトショップで見つけた操り人形を買いたいという。

その人形は、実は北インドの特産品でこの地域のものではないのだが、買いたいらしい。2つで3ドル程度の安さもまた、購買欲に拍車をかけたようだ。ウマもまた、シルクのスカーフを買っていた。

わたしはホテルと別れを惜しみつつ、カフェでライムジュースなどを飲み、庭を眺めていた。すると、A男が包んでもらった人形を片手にやってきた。

「今、ホテルのフロントで働いている人と、話をしてたんだ。」

A男によると、その男性は、そもそもボンベイだかチェンナイだかの都市で、宝石商を営む一家に生まれ育ったという。かなり裕福な家庭だったらしいが、父親が亡くなったあと、店の相続に関して親戚らともめ、長い時期、訴訟沙汰が続いたらしい。

お金を巡るトラブルに疲れ切っていたとき、旅行先でこのマイソールを訪れた。このあたりののどかな雰囲気がとても気に入り、お金のことは諦め、ここに移り住すむ決意をした。

今は、このホテルに働きながら、家族とのんびり暮らしているという。

「1カ月に300ドルもあれば、十分な暮らしができるんだって。物価が安くて、人がやさしくて、そしていろんな所から旅人がやってくるホテルに勤められて、今はとても幸せなんだってよ」

豊かさと貧しさ、文明と文化、先進国と発展途上国……。そういった言葉の、各々の定義についてを、わたしなりに、根本的に、考え直したいと思わされるような出来事が、連発する。

チェックインをすませ、ホテルを去る間際、一人の日本人男性に会った。彼は東京でヨガのインストラクターをやっており、毎年、1カ月ほどマイソールを訪れ、例の「アシュタンガ・ヨガ」の指導者であるパタビ・ジョイスのもとで修業をしているのだという。

このホテルには、彼以外にも、「いかにもヨガをやっている」という感じの西洋人を数名、見かけた。こういうところで1カ月、修業をしながら暮らすと、心持ちがずいぶん、変わることだろうと思う。

さて、車に荷物を積み込み、出発の準備。ドライバーのお兄さんが、マリーゴールドを3輪摘んできて、ダッシュボードの神様の、ジャスミンの花輪に添え、祈る。わたしも心中にて、安全なドライブを祈る。

車は、町はずれにある農村地帯をくぐりぬけ、ソームナートプルという小さな村を目指す。ここにあるヒンドゥー教のケーシャヴァ寺院 (Keshava Temple)が目的地だ。

ケーシャヴァ寺院は1268年に建立された「典型的なホイサラ建築」らしい。つまりここで、ホイサラ建築とはなにか、が明らかにされるわけだ。

マイソールからソームナートプルにいたる道は、これまでにも増してのどかな田園風景が広がっている。車窓からは、農作業をする人々や、ただ道ばたで雑談する人々や、遊ぶ子供たちの姿が見える。

みんな、驚くほどに「走り去る車」に注意を払っていて、わたしに向かって手を振ったり、ほほえんだりする人も少なくない。

わたしが、窓からカメラを突きだして適当にシャッターを切っていると、「わたしも撮って〜!」とばかりに、満面の笑みで車を追いかける子供もいる。どの子も汚れた服を着て、汚れた顔をしているけれど、元気いっぱい、楽しそうである。

寺院の入り口で車を降りると、こんな小さな村でもやはり観光客を目がけてやってくる「物売り」がいた。たいていは何も買わず、無視しているのだが、子供が売っていた絵はがきのセットを買った。

さて、その「ホイサラ建築」の寺院は、全体に「石」だった。またしても、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、寺院内を歩く。

壁面一面に、精緻な彫刻が施されている。神様や、人々や、馬や、象や、さまざまが、物語のように表現されているものもあれば、ただレリーフのように、似たモチーフが連なっているものもある。

白い衣服に身を包み、杖をついた、まるで「仙人」のような老人が、思慮深い表情で、それらを眺めている。まるで哲学者のような風情だ……。

と思っていたところ、A男に「講釈」をはじめた。

見かけによらず饒舌で、

「この先端は、誰かが折ってしまったんじゃな。まったく!」

などと感情を交えつつ、熱弁をふるう。どうも、おしゃべり好きな、近所にお住まいのおじいさんらしい。こういう老人の存在が、いかにも「ある意味において」インドを象徴しているように思われた。

一見したところは、とても「宗教的」で「思慮深く」「近寄りがたい」「奥深い」なにかを感じさせる。けれど実際は、みんなかなり、「お気楽」で「お茶目」なのね。

 

■バンガロール着。クリスマスの夜。物価でもめる夜。

長いドライブを終え、バンガロールに到着したのは午後8時過ぎだった。「みなでおいしいチャイニーズを食べに行こう」との案が出されたが、わたしは腰痛もさることながら、相当に、解放されたい気分があったので、A男にその旨を伝え、別々に食事をすることにする。

そもそも、A男と二人で生活をしているときですら、「自分一人の時間と空間」を絶対的に必要としているわたしなので、こうも四六時中、誰かと一緒にいるのは、取材の仕事でもない限り、耐えられないのだ。

昔は色々な人たち(フォトグラファー、ライター、エディター)と、取材で海外を2週間、3週間と旅したものだが、あの仕事は「他人と朝から晩まで一緒に過ごす」ための、非常にいい訓練だったと思う。

いろいろあったもの。

それにしても、チャイニーズを食べに行かなくてよかった。なにしろ、クリスマスの夜とあって、町は猛烈な渋滞だったのだ。ロメイシュたちの泊まっているバンガロール・クラブから我々のホテルまでは、車でわずか数分の距離なのに、なんと30分以上もかかってしまった。

途中で歩いて帰りたくなった。

翌日の新聞によると、「記録的な渋滞」だったらしい。「右肩上がりの好況」と、クリスマスを祝おうとする「西欧化」と、そんなさまざまが、人々を街に駆り出した模様だ。

そんなこんなでくたびれたわたしたちは、レストランを探す気力もなかったので、先日、みんなで出かけたホテル裏の南インド料理のレストランへ行く。

A男はみんなとチャイニーズを食べたかったらしく、ちょっと不機嫌である。少しは妻の気持ちも汲み取れよ。と思うが、もう、仕方ないのよね。家族の結束が強力なインドだもの。

それでもひとまずは、気分良く食事を終えた。しかし、問題は、その直後に起こった。わたしがチャイ(紅茶)をオーダーしたのが引き金だった。

「チャイは部屋にあるんだから、部屋で飲めばいいじゃない」

「わたしは、今ここで、気分よく飲みたいの」

わたしがチャイを飲む間、A男はなぜかむくれていた。わたしも疲れていたし、知らん顔をしていた。そして部屋に戻ってから、A男は文句を言い始めた。

「まったく、ミホは無駄遣いをする」

「何言ってるの?」

「この部屋のチャイは無料だよ。でも、あのレストランは、ほかの店と違って、チャイが100ルピー(約2ドル)くらいするんだよ。今日の昼ご飯よりも高いんだよ。あの店のチャイはいくらだったと思う? 7ルピーだよ!」

「そりゃそうかもしれないけど、アメリカじゃ、2ドルや3ドルのコーヒー、しょっちゅう飲んでるじゃない。なんでケチるわけ? だいたいクリスマスの夜だって言うのに! ケチな男!」

「ここはアメリカじゃなくて、インドなの! ケチってるんじゃなくて、無駄だって思ったの!」

「なによそれ。わたしはレストランでお茶を飲むことで、雰囲気と時間に対しても、対価を支払っているわけよ。部屋で地味〜に飲むのとは違うじゃない」

「ミホの感覚はおかしい。受け入れられないね。無駄遣いだと思う」

「わたしたちは、アメリカで働いて、アメリカの生活水準をもとに生活しているわけでしょ。今は、旅行者としてここに来ていて、周りの旅行者が皆、支払っている額と同様の額を払うことが、どうしておかしいのよ?! わたしたちのようなもののために、外国人向けのホテルがあり、レートがあるんでしょ?!」

「ミホは旅行者かもしれないけど、ぼくはインド人だ。旅行者じゃない」

「ふん。それなら、なおのことよ! わたしたちはアメリカで働いて、アメリカで税金を納めて、アメリカで消費生活をしているわけよね。あなたが祖国を思うなら、アメリカで稼いだお金を、インドで使いまくった方が、祖国の経済活性化に貢献することになるんじゃないの!?」

2ドルの紅茶の話が、どえらい大げさなことになってしまった。自分でまくしたてながらも、(無理があるんじゃないですか、その理屈)と突っ込みたくなるが止まらない。

二人して、「ああ言えばこういう」を繰り返し、堂々巡りの会話が続く。疲れているせいもあって、いつもに増して理性が失われていた。

口論をしながら、多分わたしたちは、気がついていた。お互いの言っていることは、どちらも間違いではないと。

このしょーもない口論は、しかし、わたしたちの混乱を象徴的に表していたと、旅を終えた今になって思う。

経済感覚というものが、本当に、わからなくなってしまっていた。何に対して、いくらを支払うことが「妥当」なのかということが、わからない。

インドにおいては経済的に恵まれた家庭に育ったA男と、日本で標準的な環境に育ったわたしとは、偶然かも知れないが、かなり近い「経済感覚」と「価値観」持っていた。

たとえば、スジャータとアルヴィンドは兄弟だが、二人の経済感覚、お金の使途先はかなり違う。

無論、アルヴィンドがスジャータに比べて「ラグジュリアスな暮らし」を好むからと言って、彼がお金を散財したり、無駄にすることは決してない。

経済的に豊かな家庭に育ったからと言って、別段、お金で買える何かを無闇に与えられていたわけでもなさそうだ。米国での、相当に高い大学の学費も、ものすごく高いMBAの学費も、彼は全部、自分で支払った。

長かったローンの返済を、ようやく一年前に終えたばかりだ。

そういう意味では、まるで当然のように両親から学費を出してもらって進学したわたしよりも、遥かに早い時期から自立した経済感覚を持っていると思う。

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ともあれ、米国に暮らしている際には、ほとんどもめることのなかった「お金の使い道」について、わたしたちは、「2ドルの紅茶」を巡って、もめた。そしてその口論はうやむやのうちに終わった。

その夜、わたしたちは、ずいぶんと、混乱していたし、疲れていた。


朝の庭。A男とロメイシュが、花に埋もれている。


ホテルの門の向こうは、通勤のバイクや車やバスが行き交う、賑やかな生活の道。


今朝も、まるまると、黄金色に咲くマリーゴールド


甘酸っぱくておいしい、絞りたてのブドウジュース。


庭で見つけた蓮の池


ちょっと自己撮影


ホテルの車寄せに紋様を書く女性たち。粉の染料を手に取り、パラパラと振りまくようにして描く。


パレスのパーキングで。観光客にパイナップルやキュウリを売る露天商。


こちらはパパイヤ露天商。皮を剥いて、ディスプレイに凝ってはいるが、埃・ハエが付きそうな気がする……。


これがマイソール・パレスの外観。


こちらはパレスに向かい合って立つ門。


カタログをスキャンしてみた。実際の迫力は、写真ではとても伝わらない。

どれも写真の品質が低いので、載せるのを迷ったが、わざわざマイソールまで見に行く人も、あまりいないだろうから、一応、載せることにした。

次回、訪れる機会があったら、プレスとして取材の申請をしようと思う。受け入れてくれるかどうかは不明だが……。


パレスの敷地内にあるヒンドゥー寺院。


ランチを食べたレストラン


どの料理もとても安い。


これがミールス。上に載っている香ばしいスナックがおいしい。


マイソールの町


牛乳の広告。乳牛を前にポーズを決めるモデルが印象的


帰る前に、グリーン・ホテルを名残惜しむ。


街角には映画のポスターが。衆知の通り、インドは「映画大国」。特にボンベイは「ボリウッド」(ハリウッドに因んで)と呼ばれる映画の都。


あまりにも恐ろしすぎる、インド版「座頭市」(?)のポスター。子供が見たら、うなされるんじゃないか?


車でうとうとしていたら、妙な鳴き声で目覚めた。うわ〜っと羊の群! 窓を開ける余裕なく撮影につき、青白い


これはサトウキビか?


瘤牛は、今日もよく働く


道を塞ぐほどの荷をつんで。


羊飼いの女性。


黄金色に実る稲穂


写真を撮って〜! と、手を振り走る女の子。左から3番目。ちゃんと撮れてなくてごめんね〜。


ソームナートプルの寺院にて。


土地の古い言語が刻まれた石版。


この寺院は上から見ると「星形」になっているらしい。


哲学者のような風情の老人だが、しゃべり始めるととまらない。


寺院内部の様子。


一番下で支えているのは、いつも象。


カーマスートラ的な彫刻を見つけ、A男、喜ぶ。


夕暮れの村。仕事を終えた牛が、お家へ帰る。


羊も帰る。


見渡す限りの、蓮の池。

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