■アシュタンガ・ヨガの道場見学
眠たい目をこすりつつ、身体にむち打ち起きる朝5時。本日は、スジャータとラグバンが「毎朝通っている」ヨガ道場を見学することになっているのだ。
実は昨日の午後、ホテルで荷物の整理をしているとき、わたしの腰に「ビビッ」と電流が走った。腰痛開始のサインである。ここ半年ほどヨガを続けていて、ひどい腰痛に見舞われたことはなかったのだが、こともあろうか、道場見学を前日に控えての腰痛である。
飛行機による長旅、気候の変化、高地であるバンガロールの気圧、それに加えてご家族行動によるそれなりのストレスからだろうか、繊細な我が腰は敏感に痛みを訴え始めた模様。
とはいえ、腰痛は寝ていて治るものでもないので、ともかく出かけることにする。
5時半、スジャータとラグバンがホテルに迎えに来てくれる。ラグバンが運転する車で、まだ暗いバンガロールの街を走る。この時間帯は街を行く車もほとんどなく、排気ガスもなく、静かで、まるで別の街のようである。
ヨガ、と一言でいっても、さまざまな流派、スタイルがある。
我々が向かっているヨガ道場は、マイソールに住む「アシュタンガ・ヨガ」の指導者、パタビ・ジョイスの甥が運営している道場で、スジャータとラグバンは数年前より通い始めている。
ここはそもそも、ヨガのインストラクターや、インストラクターを目指す海外からの「修業者」たちが、約3カ月単位で訪れる場所で、インド人はスジャータとラグバンしかいない。
スジャータはこの道場をインターネットで見つけたそうだ。彼らは毎朝、ここで2、3時間のヨガを行い、一日を始める。
住宅街の一画、先生の自宅の最上階に、その道場はあった。ドアを開けると、すでに4、5人の生徒がヨガをやっている。先生は、お腹がずんぐりとした、恰幅のいいおじさんだ。
彼は昔、たいへんな交通事故に遭い、その後遺症から足を切断せねばならない事態に陥ったらしいが、彼の叔父であるパタビ・ジョイスの助言でヨガをはじめ、切断を免れ、歩けるようになったらしい。
しかし、未だに痛みがあるらしく、自分自身は、ヨガの理想的なポーズを取ることはできない。しかし、教え方が非常にうまく、ポイントを的確に指導するため、スジャータらによれば、大変すばらしい先生なのだという。
わたしたちは最初、教室の隅に座って見学をしていた。確かに、先生はほとんど言葉を発しない。各々のペースで、さまざまにポーズを取る生徒たちの間をゆっくりと歩き、軽く手で姿勢を正したりするだけだ。
生徒たちは欧州から来たという男女2人ずつと、韓国人の女性一人だった。彼らはみなこの家に合宿しており、朝はこのヨガの実習に始まり、呼吸法の練習、午後はヨガの理論を学んだあと、先生の妻による「インドの古典的な歌」の指導もあるのだという。
スジャータによれば、どの生徒も、最初の1、2週間を過ぎたあたりから、驚くほど顕著に、物腰が穏やかになり、平和な顔つきに変わるのだという。
しばらく見学した後、わたしたちもマットを借りてヨガをはじめる。
あらかじめスジャータが「ヨガをやってもいいけれど、先生は指導してはくれない」と言っていたし、わたしたちも見学のつもりで来ていたのだが、先生は、わたしやA男にも、軽くポーズを矯正するなどの指導をしてくれた。
わたしは腰痛のためしっかりとはできなかったが、それでも、先生の指が軽く触れて少しポーズが変わっただけなのに、「ああ、正しい位置になった」ということが実感できて驚いた。
スジャータ曰く、インドでも、いいヨガの先生を見つけることはなかなか難しいらしい。とあらば、アメリカではなおのことだろうなあ、と思いつつも、きちんと基本からヨガを学びたいものだと思う。
ヨガを終えたあと、スジャータとラグバンを待つ間、近所を散歩する。このあたりは古くからの住宅街らしく、ガネイシャなど、ヒンドゥーの神々が玄関先に祀られた家をいくつも見かけた。
屋根に日本の鬼瓦によく似た魔よけを掲げた家も多い。わたしがそんな写真を撮っていると、通学途中の子供たちが寄ってきて、自分たちの写真も撮って欲しいという。
みんな笑顔が本当にかわいくて、こっちまでニコニコしてしまう。それにしても、インド人。気さくでフレンドリーだということもあるが、写真を撮影されるのが好きな人が多いんじゃないだろうか。
頭上に大きな籠を載せて花を売っているお姉さんを見つけたので、写真を撮らせて欲しいと声をかけたら、とても自然な笑顔でカメラに向かって微笑んでくれた。どことなく、「撮られなれてる」感じがするのは気のせいか。
■部屋でくつろぐ午後。新聞を読み、テレビを観る。
ヨガ道場見学のあと、我々はホテルに戻り、朝食をとる。今日もまた旺盛な食欲を発揮するA男。だけでなくわたしも。3日目ともなるとウエイターにも顔を覚えられ、部屋の番号を言わずとも、「105号室ですね」と確認してくれる。
朝食のあとは、部屋でしばらくくつろぐことにした。旅行中はできるだけ色々な経験をしようと、朝から晩まで予定を入れがちなので、つい疲れてしまう。
新聞を読んだり、ガイドブックを開いたり、A男はテレビでクリケットを見たり……。そんなうちにもうとうととし、しばらく仮眠をとる。しかし腰痛は治らず。
明日から1泊2日でマイソールへドライブ旅行なのだが、この腰痛で大丈夫だろうかと不安になるがどうしようもない。
ところで、New Indian
Expressという新聞を読んでいたら、キャリア構築のための特集が組まれており、「言語の学習」という記事があった。そこに、
Knowledge of Japanese
language is the most in-vogue skill.
の一文を発見。日本語を身につけることは、今、インドで最も必要とされているスキルのようだ。ほほう。と思い、A男に記事を見せると、彼は「この記事を見てよ」と示す。
こちらはThe Times of
Indiaの記事。
"Yen for Indian
software engineers"
というタイトルで始まるその記事は、日本のIT企業がインド人のエンジニアを必要としてはいるものの、言語の問題が壁になっている、という記事だった。
ふむ。記事を読んでいるうちに、目まぐるしいスピードで、我が脳裏に「ミューズ・インディア」のビジネス構想が駆けめぐる。日本人のわたしにも、売上げが立つのかどうかは不明だが、少なくとも数種類のビジネスを始められるな、と確信する。(言うだけ言わせといて〜)
それにしても、A男はじめインド人は、本当にクリケットが好きね。何日も何日も継続して結果の出ないこのスポーツを、よくもまあ根気よく愛好するものだと感心する。
クリケットに関心のないわたしは、もっぱらコマーシャルに注意を払う。コカコーラ、携帯電話のキャリア、そして目だったのは韓国のサムソン(SAMSUNG)の家電CMだった。
あとは国産の洗剤とかシャンプー、石鹸のコマーシャル。なんだか知らないけれど、洗剤系のコマーシャルが多いインドである。
■町歩き、遅いランチ。夜はスジャータ宅で夕食。
そして午後3時過ぎ、空腹で目を覚ます。取りあえず、軽食を食べようと街に出る。ローカルなスーパーマーケットを覗いたり、ブティックに立ち寄ったりしながら、ふらふらとブリゲイド・ロードを歩く。
それにしても、物価の幅の広いこと。衣類にせよ、食品にせよ、あまりの幅の広さに標準がどこなのか、さっぱりわからなくなる。
通りをはずれた、少し静かな場所にあるカフェテラスで、チキン・サンドイッチなどの軽いランチ。その後、A男は電話での打ち合わせの約束があるからと一人でホテルに戻り、わたしはしばらく街を一人で歩く。
ふと、頭上の看板を見上げてびっくり。昨日会ったCMモデルのお姉さんが、微笑んでいるではないか! 保険会社の大きな広告に、彼女は登場しているのであった。こんなにすぐに発見できるとは、驚きである。
帰り道、切手を買おうと思い郵便局に行くが、窓口の前で待つ人々はどうにも「列」を作っている気配がない。最初、それに気づかず、次々に追い抜かれて初めて気がついた。
「ちょっと、わたしがここで待ってるのに、どうして他の人を優先するわけ?」と、いつもの調子でつい声を荒げ、職員に詰め寄ってしまうわたし。しかし、わたしを一瞥するだけで、誰も、反応してくれず……。
ここでは、自分で順番を死守するべく、努力をせねばならないらしい。「列」の概念なき中国での旅行を思い出した。あの国の「列のなさ」ときたら半端じゃなかった。
食堂で食券を買うにも、駅で切符を買うにも、人だかりを「かきわけ、かきわけ」窓口まで泳がねばならなかったからなあ。最近じゃ変わったのかしらん。
ところで郵便局だが、無駄に待ったにも関わらず、わたしが欲しかった切手は「売り切れて」おった。MGストリートの郵便局に行ってくれ。とのこと。
「郵便局が切手を品切れして、どうするのだ!」と一応、苦情を申し立てたが、それは明らかに「暖簾に腕押し」であり「馬耳東風」であった。
さて夕刻。バンガロール・クラブにロメイシュとウマを迎えに行き、スジャータ&ラグバンの家へ行く。彼らの家はラグバンの勤務先であるIIS(Indian
Institute of
Science インド科学技術大学)の敷地内にある社宅だ。
大学内は緑がいっぱいで、ここもまた、市街の喧騒とはうってかわってのどかである。航空機の大きな模型が展示されているなど、ちょっと「社会主義国」っぽい雰囲気をも漂わせたキャンパスだ。
彼らの家は、予想通り「ミニマム(最低限)」だった。シンプルと言えばシンプル。質素と言えば質素。余計なもののない、爽やかささえ感じられる屋内だ。
スジャータは、全体に古びた感じのキッチンで、夕食の準備をしていた。バリヤーニというインド風の炊き込みご飯と、ラグバンの弟の誕生日を祝うために、レモンパイの準備をしていた。
お世辞にもきれいなキッチンとはいえないが、棚にはさまざまな調味料やスパイスが並び、毎日楽しく料理をしているのだろう様子が想像できる。彼女らが好きだという味噌汁(インスタント)をお土産に持ってきていたのだが、それらも収納されていた。
スジャータの料理を待つ間、家族のアルバムを見せてもらう。アルバムは、マルハン家のものと、ヴァラダラジャン家(ラグバンの苗字)のものに分かれている。
A男の両親の若かりしころの写真、A男の祖父母、そしてA男とスジャータの子供時代の写真……。これまでに何枚かの写真を見たことはあったけれど、こんなにたくさんの過去を一度に眺めるのは初めてのことで、本当に興味深かった。
A男のバックグラウンドが、より具体的に想像でき、とても楽しかった。それにしても、幼少期のA男がかわいかったのは知っていたが、ラグバンの子供時代の「かわいらしさ」は予想外だったので、驚かされた。
ラグバン。メガネを外して、ヘアスタイルを何とかすれば、実は「いい男」なのかもしれん。とも思う。
そうこうしているうちに、やはりIISで教授をしているラグバンの弟がやってきた。実は彼は、ドイツに留学中の妻があったのだが、数カ月前に不本意な離婚したばかりで、現在はかなりブルーなのであった。
弟は米国の大学、大学院を卒業したこともあり、話し方も気さくでアメリカンなところがある。しかし、どうにも、ふとした表情が暗くなりがちで、気の毒なことだと思う。
さて。スジャータの作ったバリヤーニは、マトン、ポテト、タマネギ、ライスなどが層になっており、マイルドな味わいでとてもおいしかった。
食事のあと、レモンパイに大きなキャンドルをブスッと突き刺し、火を灯して、みんなで「ハッピーバースデー♪」を歌う。弟が火を消す瞬間、ロメイシュが、
「たくさんガールフレンドを作って、楽しい日々を過ごしてね!」
と声をかける。ロメイシュ……。屈託なさすぎ。
帰り際、わたしがぎこちない歩き方をしているので、腰痛に気がついたラグバン。スジャータと二人で、タタタッと階段を駆け上がり、ほどなくして、タタタッと下りてきた。
ラグバンの手には、何やら油がにじんで文字がよく読みとれない、オイルが入っているらしき薬瓶、スジャータの手には、軟膏がある。
「これはマッサージオイルだから、これを塗ってもいいし、この筋肉痛に効く軟膏もいいかもしれない」
といって、手渡してくれる。ああ。なんてやさしい人たちなんだろう……と胸が熱くなる。このやさしさ、なにもヨガのお陰だけではあるまい。
やさしいと言えば、A男の家族は、わたしの家族のことも気遣ってくれる。とくに我が家は父親が「肺がん中」につき、なんやかやと心配だったりするのだが、心情を察してくれるのはありがたいことだ。
何かと言えば一発触発、すぐさまプリプリしてしまうわたし(たち夫婦)とは、根本的な生き様が違う、とさえ思う。見習わねばなあ。