南ゴビ砂漠へ

 9月15日(火曜日)、午前8時。今、ウランバートル空港で、いつ発つとも知れぬ飛行機の出発を待っているところ。タイワンの話だと、彼女の友人であるマネージャーが、出発時間その他をすべて決定するのだという。 

 かつては定期便で就航していた路線も、財政難により、必要に応じて飛ぶシステムに変わった。いかに少ない燃料で、効率よく人々を運ぶかが問題なのだ。だから、ツアーに参加していても、予定通りにことが運ぶとは限らない。すべては燃料を優先に考えられる。

 それにしても、おなかが空いた。昨日の昼からなにも食べていない。9時になったら食堂が開くから、そこで食事をしようとタイワンが言う。要するにあと1時間以上は飛行機が出ないということだ。やれやれ、気長に待つしかない。

 今朝はとても晴れている。昨日は曇天で風が強かったが、今日は天気がいいせいか、町も明るく感じられる。町中でタクシーを拾い、空港へ来た。ちなみにタクシーといっても普通の車と同じ。目印になるサインなど、何もつけていない。だから、車が来たら、やみくもに手を上げる。止まればそれがタクシーだ。

 彼方の山脈から、赤くて大きな太陽が昇り始めていた。ここにいると、太陽や月の存在がとても大きく感じられ、ことごとく目に付く。思わず手を合わせて拝みたくなる。気持ちのそばに、いつも大きな自然がある。


●遊牧民が暮らす家「ゲル」 その2


 

ゲルの夜、ロウソクの明かりのもとで

 果てしなく、果てしなく広がる荒野。ゴビ砂漠。そのただ中に、ぽつんとたたずむゲルの集落。そのゲルの中で、今、ペンを執っている。天窓から垣間見える満天の星空。天球からあふれるほどに輝く星々の光と、凍えそうなほど冷たい月の光が、静かに降り注いでくる。暖炉の薪が燃えるぱちぱちという音と、彼方から届く風の音が聞こえるばかり。

 それにしても……本当に、来てしまった。地理の時間によく目にした場所、ゴビ砂漠。あの広い広い場所の真ん中に、今、わたしはたたずんでいる。ウランバートルではあんなに怖かった暗闇が、ここでは怖く感じられないのはなぜだろう。月の光が、星の輝きが、生き物たちをやさしく包み込んでくれるみたいだ。凪の海のように、心がしんと静まり返る。

 午後2時30分。わたしたちが乗った飛行機は、管制塔も滑走路もない、荒野のただ中に、砂塵を巻き上げながら着陸した。このツーリストキャンプ以外、何もない、見渡す限りの荒野だ。地平の果てに、なだらかな山脈が見える。それ以外は、土と、石と、わずかに生えた草があるばかり……。

 

ウランバートル空港事件

 それにしても、このゴビ砂漠にたどり着くまで、どんなに面倒だったことだろう。空港の待合室で待ち続け、ようやく出発が決まったのは午前10時30分。駐機場までタイワンとその友人のマネージャーとともに歩く。

 マネージャーの彼は、切れ長の目が涼しげな好青年。背が高く、スラリとしていて、制服姿がよく似合う。25歳という若さで重要なポストについているだけあり、頭の切れそうな、知的な雰囲気だ。

 さて、駐機場に着いてちょっと意外に思った。自分が乗る飛行機は、大きなジェット機のようなものだと思い込んでいたからだ。しかし、わたしの目の前に現れたのは17人乗りの小さなプロペラ機。主要なタイヤ3本のうちの1本が、空気が抜けて少しつぶれているのには、かなり不安を覚えた。しかし、まあ、何とかなるのだろうと気を取り直し、機内に乗り込む。

 ほどなくして団体がどやどやとやってきた。アメリカからのツアー客とイタリア人の個人客1人。アメリカ人ツアーは、コーディネーターとガイドを含めて21人もいる。定員17人の飛行機に、私たちを含め、全部で24人。原因はアメリカ人ツアーの人数の申告ミスらしい。

 事態を知ったアメリカ人たちは、騒ぎ始めた。どうやら彼らはロシア経由でウランバートルにやってきたらしく、ロシア人のコーディネーターとモンゴル人のガイドとによって率いられている。ところが、このロシア人の若い女性コーディネーターの申告がいい加減だったため、この事態に及んだらしい。にも関わらず、彼女はどこ吹く風。まるで人ごとのようにぼーっとして少しも前向きな対応しようとしない。

 いつまでたっても埒があかず、無駄な時間が過ぎていく。わたしもだんだん苛立ってきた。仕事でウランバートルに赴任しているというイタリア人男性も、かなり腹を立てている。彼は、これまでに何度も、欠航や時間の遅れにより出発を断念しており、これで4回目だという。怒るのは当然だ。

 ところがタイワンいわく、「大丈夫です。みんな乗れます。わたしは立って行きますから」という。“あなた、バスや電車じゃあるまいし1時間半もたったまま飛行機に乗るわけ?”ということばが喉まででかかったけれど、ぐっと我慢した。彼女は1人でも多くの人にゴビ砂漠に行ってほしいのだ。

 そんな彼女の熱意も知らず、わたしたちが英語をわからないものと思ったアメリカ人のおばあさんが、「あの子達が降りればいいのよ!」などと、眉毛をピクピクさせながら言う。いよいよ腹立たしくなって、タイワンに「もう、わたしはあきらめるから、帰ろう」というと、タイワンは「この前も立っていきましたから大丈夫です。美穂さん、日本に帰ったら、きっといい思い出になります」とまでいう。“日本に帰る前に墜落して死んだらどうするのよ!”と、再び言いたかったが、またもぐっとこらえた。

 それにしても、なんていい加減なんだろう。ウランバートル-ゴビ砂漠線は、モンゴルの主要な国内線のはずだ。それがこんな状況の中で、就航か否かを決定するのか。

 「あなたがどうするか決めなさいよ」とロシア人コーディネーターに詰め寄ると、「なによ、あんた」みたいな顔でわたしを見たきり、大騒ぎしている自分の客をまとめようともしない。アメリカ人たちはひたすら意見を交わし合い、騒いでいる。

 今日、出発できる人を選ぼうと、せっせとクジを作っているおじいさんもいる。ああ、本当にどうしようもない。タイワンは、みんなで行こうとまだ粘っている。好青年マネージャーも臨時便を出すか否かで悩んでいる。

 わたしとイタリア人は、帰るにも帰れず、憮然とした表情で駐機場に座り込んだ。

 

 

●モンゴルの民族衣装

モンゴルの民族衣装は「デール」と呼ばれる。男性用も女性用も同じようなデザインだが、素材はサテンだったりフェルトだったりとさまざま。色や柄も種類がたくさん。地味なグレイやベージュ、ど派手なピンクやブルー、オレンジなど。

紀元前の昔から、ほとんど変わらないデザイン。乗馬に適したシンプルな作りなのだ。靴も乗馬しやすいように先端が上を向いている。

現在でも、ゲルに住むおおよその人たちがデールを着用しているようだ。ウランバートル市内でも、年配の人たちは着用していた。帯をしっかり巻くのが特徴。ベルトをしている人もいた。


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