多国籍4人旅の始まり

 もめ続けること1時間半。ようやく飛行機は出発することになった。みんなで好き勝手に、文句を言ったり、怒ったり、騒いだりした結果、アメリカ人ツアーが明日の便に変更することになった。さすがにアメリカ人も、立って飛行機に乗る気にはならなかったらしい。

 そういうわけで、結局、今日の便でゴビ砂漠に向かうことになったのは、わたしとタイワンとイタリア人の男性、それに、ツアーで来ていながら、「わたしはツアーは嫌いなの」なんていいつつ、ひとりで団体を抜け出してきた妙なアメリカ人のおばあさんの計4人になった。このおかしな取り合わせの4人が、ゴビ砂漠への旅行を共にすることになる。

 飛行機はウランバートルを飛び立つ。瞬く間に町は遠ざかり、景色は草原に変わった。時折、ヒツジの群れやゲルが見える。離陸して30分ほどたったころだろうか、突然、機内に轟音が響き渡り、シューッと空気が抜けるような音がし始めた。うとうとしていたわたしは一瞬で目を覚ました。いったい何が起こったのだ!

 乗務員の1人が、機内の至る所に手を当てて、空気が抜けている箇所を調べている。そんな恐ろしい挙動をしないで! 怖いじゃないのよ! 墜落するんじゃないでしょうね!! 胸の鼓動が高まる。まだ死にたくない。

 幸いにも、数分後、音はやんだ。よかった……。なのに、なのにだ。2人のパイロットのうちの1人が、イタリア人に向かって「操縦してみないか」と、持ちかけた。イタリア人は嬉々としてコックピットに座り、機長の指示に従って本当に操縦し始めた。ああ、もう勘弁して……。

 “あんたたち、ここはゲームセンターじゃないんだからね!”と、心底叫びたかった。そりゃ〜、機長がそばについてるから安全なのかもしれないけど、怖いじゃない!!

 そういうわけで、わたしは飛行機が無事着陸できたことを、とても嬉しく思った。「君たちはいい仕事をした」だなんて、イタリア人の男性が乗務員を称えている。なんなのよ、いったい。飛行機をバックに記念撮影。それにしても奇妙なグループだ。

 

ゴビ砂漠の真っただ中へ

 「ゴビ砂漠」といっても、サハラ砂漠や鳥取砂丘のようなさらさらした砂のある砂漠ではない。大地に丈の短い草がまばらに生え、あちらこちらに石ころが転がっている、砂漠性ステップ地帯だ。ツーリストキャンプには、数十個の宿泊用ゲルがある。そのほかには、食堂の建物と、トイレ・シャワーの建物、ペンキで「SHOP」と書かれた小さな小屋があるだけ。

 飛行機の音を聞きつけて、食堂からおばさんが鍵を持って出てきた。私とタイワンは同じゲルだ。南京錠で木の扉を開ける。頭をぶつけないようにかがんで中へ入る。思っていたよりも広くて、しかもきれい! 

 丸い部屋の中央には暖炉とテーブル。左右にはオレンジ色のベッド。正面には鏡台と洋服タンスが並んでいる。これもベッドと同じオレンジ色。緑や青、黄色などの鮮やかな色で絵が描かれている。どことなく中国風の室内装飾だ。壁は、かわいい模様がついた緑色の布で覆われている。傘の骨のように木組みされた天井の真中には、明り取りのための穴が開いている。暖炉の煙突も、この穴から外に向けてのびている。夜になったらこの天窓越しに、星を見ながら眠れるんだと思うとわくわくした。

 


● 英雄チンギス・ハーンのこと

13世紀に世界を席巻したモンゴル帝国の創設者。1162年に生まれ、1189年にモンゴル部族の長を宣言。1206年の帝国創設後、ロシア、南西アジア、中国などに遠征して大帝国を築き、1227年に病死した。社会主義時代のモンゴルは旧ソ連の影響下にあり、ロシアを侵攻したチンギス・ハーンは虐殺者、侵略者として否定された。だが1990年の民主化で「民族の英雄」として再評価され、映画や切手、ホテルや酒の名前などに登場し、復権した。(朝日新聞より)


束の間の旅仲間のこと

 ここで、イタリア人男性と、アメリカのおばあちゃんのことを紹介しておきたい。イタリア人男性はロレンソ。40歳、独身。中肉中背。ちょっと白髪混じりで、ダンディーな感じのすてきなおじさんだ。彼はWHOの派遣員で、半年間、ウランバートルに滞在するらしい。いまは丁度3カ月目。イタリアでは、ベネチアの近くに住んでいるという。

 グループからはずれ、ひとり飛行機に乗り込んできたアウトサイダーのおばあちゃんはアスナ。サンフランシスコに住んでいる。彼女は旅が好きで、よく旅行に行くらしい。今回も友達といっしょにツアーでやってきたのだという。にもかかわらず、この身勝手な行動には、友達も呆れているに違いない。しかし、いつもケラケラと笑っていてかわいい。むかしは教師をしていて、日本の企業の駐在員に英語を教えたこともあったという。小柄な体をきびきび動かして、とても元気がいい。

 ところで彼女は、分厚い靴下の上に、なぜかゴムサンダル(つっかけ)を履いている。ゴビ砂漠にサンダル履きでくる人も珍しい。しかも今は初冬。変わったおばあちゃんだ。

 


● モンゴルの学校教育

モンゴルの義務教育は1989年より10年間になった。それ以前は小学校と中学校を一緒にしたような8年制学校だった。学校に通い始めるのは7歳から。田舎では、家の仕事が忙しく、8歳や9歳から通わせるところもある。4学期制で、9月1日から新学期が始まる。通学距離が10km以内(冬は4〜5km以内)の生徒は親元から通う。それ以外の生徒は寄宿生活を送る。

通学は、低学年の場合、スクールバスを利用するが、高学年になると自分で育て始めた馬に乗っていき、学校の近くの友人の家や電柱につないでおく。モンゴルの少女たちは、よく髪にリボンを付けているが、これは校則で決められていること。12歳までの女の子は、普通は赤いリボン、おさげ髪には青いリボン、お祭りの時には白いリボンと決まっている。


ゴビ砂漠のお決まりツアーへ

 昼食後、わたしたちは観光に出かけることになった。どこから来たのか、ジュルチン・ツアーズの黄色いバスが、ツーリストキャンプの脇にとまっている。

 わたしたち4人だけを乗せたおんぼろバスは、ヨーリンアム渓谷を目指す。荒野のただ中の道なき道を、バスは砂埃を上げながら、轍を標に走る。ラクダが歩く。キツネが横切る。雲の影が、大地にまだらの模様を描く。遥か彼方、海のようにきらきら輝く蜃気楼が見える。激しくゆれるバスに翻弄されながら、しかし、視線は遠くに漂う。遮るものは、何もない。

 わたしたちのバスは、彼方に見えていた山脈を目指して走っている。出発して1時間ほどたったころだろうか。バスは山合の道にさしかかった。先程の荒野からは想像もつかないような、緑豊かな場所。ウマやウシの姿が見える。毛の長い、大きなウシのような動物はヤクだ。やがて山合を抜け、谷にたどり着く。せせらぎが見える。ここから渓谷まで約30分ほどのトレッキングだ。

 谷間を擦り抜けてくる冷たい風に首をすくめながらも、わたしたちは歩き始めた。真っ青な空に鷹がゆうゆうと旋回している。空気はしんと澄み渡り、空が抜けるように青い。ちなみにヨーリンアムとは、モンゴル語で「鷹の谷」という意味らしい。ロレンソは懸命にカメラを構えている。アスナは、石や草を拾っては、持参のスーパーマーケットのビニール袋に入れている。「このおみやげが一番安くていいのよ」といいながら、ケラケラと笑う。わたしも彼女のアイデアに賛同して、一緒に石を拾い始めた。

 ヤクの群れが傍らを通り過ぎて行く。せせらぎで喉を潤すウマ。キーキーと鳴ながらすばしっこく走り、巣穴に戻っていくのはナキウサギ。山ねずみロッキーチャックみたいだ。ロレンソはさっきからこのナキウサギをカメラに収めようとしているのだが、すばしっこくて、どうにも写せない。

 わたしたちは「きれい!」とか「大きい!」とか「ウサギだ!」とか好き勝手に叫びながら、だらだらと渓谷歩きを楽しんだ。アスナは、サンダル履きの自分のことを「まるで、近所にショッピングに来てるような格好よね」といいながら、自分で大笑いしている。


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