中田氏との出会い

 夕刻。久しぶりにすっきりとした面持ちで、ホテルのロビーにあるポストオフィスで切手を眺めていると、「日本の方ですか?」という男性の声。顔を上げるとそこに、さわやかな笑顔のおじさんが立っていた。眼鏡を掛け、そこはかとなく貫禄のある風情は、ニュースキャスター風。ジーパンに紺色のブルゾンを羽織っている。

 わたしたちは互いに自己紹介をした。彼は中田智洋氏。日本で有数のモヤシ会社を経営しているという。今回は、モンゴルで事業を展開しようと、数人で調査に来ているらしい。わたしが、自分のこれまでのモンゴルでの出来事を簡単に説明すると、たいへん興味を持ってくださって、ぜひ、ゆっくりお話を聞かせてくださいとおっしゃる。わたしたちは夜、再び会う約束をして別れた。

 

時田氏、押見氏、永田氏との出会い

 夜9時。中田さんたちの部屋に向かう。わたしは中田さんを含む4人の男性に盛大に迎えられた。部屋のテーブルには、日本から持ってきたらしいチョコレートやスナック菓子が広げられ、お酒も用意されている。

 4人の男性。まずわたしを誘ってくれた中田氏。彼は日本でモヤシを作る会社を経営している。「化学肥料、脱色剤を一切使わない」ことを理念に、主に生協などを介して、無農薬のモヤシを販売しているという。

 今回モンゴルには、モヤシの種である「緑豆」(緑豆が発芽したものがモヤシ)を無農薬で栽培したいという目的のもと、調査に訪れている。現在、彼の作るモヤシは無農薬とはいうものの、種そのものは、中国や米国の農薬処理された緑豆を使用せざるを得ない状況だ。中田氏は、最初から最後まで無農薬のモヤシを作りたいという思いから、有史以来、農薬にさらされていない土地が豊富に残るモンゴルで、種を栽培できたらと考えている。

 そんな中田氏の片腕となっているのが時田研二氏。彼は現在、米国カリフォルニア州で、モヤシの栽培を行っている。米国に暮らして久しい彼だが、今回、モンゴルでのプロジェクトが決まったら、彼が駐在員として、モンゴルに赴任するのだという。

「決まったらたいへんだよな〜」と、彼は苦笑する。モンゴルでの暮らしは確かにたいへんに違いない。

 自ら司会者となって、この場を盛り上げてくれているのが押見昭二氏。彼は日本で、広告の企画、デザイン、編集などを行う会社を経営している。彼自身はカメラマンでもある。今回のこの企画も、そもそもの発起人はこの押見氏らしい。

 かつてモンゴルを訪れた彼は、この国にたいへん心をひかれた。政治的にも経済的にもたいへん不安定な今のモンゴルの、少しでも力になることが出来たらと考えている。この国を潤すための手助けをしながら、何か新しい事業ができたらと。そんな思いから、中田氏に声をかけ、今回の調査の運びになった。この夏、彼は、日本に興味があるというモンゴルの女子学生を、自宅にホームステイさせたという。

 そして、みんなの話を穏やかな笑顔で聞きながら、時折、ゆったりとした口調で語りかけてくれるおじいさん、永田照喜治氏。押見氏いわく、日本で、最も著名な農業研究家として活躍している人だという。みんなは永田氏のことを「先生、先生」と呼ぶ。とても親しみやすい、やさしいおじいさんだ。

 現在、モンゴルの混沌とした状況を狙って、世界各国の企業がモンゴル経済に参入しようと、ウランバートルを訪れている。彼らはこのバヤンゴール・ホテル、そしてウランバートル・ホテルを拠点に活動する。わずか数日の間にも、ビジネスマンらしき人々を何人も見かけた。

 ロビーで、レストランで、彼らは神妙な面持ちで新聞や資料を眺めている。ウランバートル・ホテルに行ったとき、デンマークのビジネスマンと話をしたことがあったが、彼は印刷機の販売のためにここを訪れていた。パスポートやお札など、大切な物を印刷するための機械を販売することが目的らしかった。

 彼らすべてがそうだというわけではないが、中には「モンゴルを餌食にする」ようなやりかたをたくらんでいる企業もあるのではないかと、何となく感じていた。

 長い社会主義国時代にピリオドを打ち、新しい時代に突入したモンゴル。どの国も、どの企業も、温かくこの国を見守っていこうとしているとは思えない。そんな状況のもと、押見氏や中田氏は、なんとかモンゴルとうまく共存しながらやっていけたらと考えている。

 農業という労働の場面を提供し、しかもその農作物を買い取ることで外貨を与え、人々の暮らしを潤す。その結果、自分たちは、農薬におかされていない上質の緑豆を手に入れる。

 「お金を儲けることよりも、その儲けた金をいかに使うかが難しい」という中田氏の話を聞いていると、少しでも誠実に事業を進めようとする彼の気持ちが、ひしひしと伝わってくる。

 明日、彼らはプロジェクトを試みるべく、候補地の村を訪れるという。もしよかったら一緒に行きませんかと誘ってくださる。気ままな一人旅の身の上、しかも明日どうするか、特に決めていなかったので、喜んで同行させていただくことにした。思いがけない出会いに感謝。

 


● 恐怖のエレベーター

モンゴルのエレベーターは怖い。ある日わたしは、バヤンゴール・ホテルのエレベーターに閉じ込められた。そもそもよく故障していたので、そんなに驚きはしなかった。10階まで階段で昇降したこともあったし。それに男性客2人と一緒だったから、何とかなるだろうと思っていた。

しかし、警報ベルを鳴らしても、ドアをどんどん叩いても、だれも助けに来てくれない。2分、3分とたち、彼らは苛立ち始めた。業をにやした彼らは、ホテルのキーで、内扉を強引に開け始めた。すぐ壊れるだけあって、簡単な構造だ。力ずくで開くところがすごい。

かすかに外が見え始めた。幸い、階と階の間の少し上で止まったらしく、這い上がれば外に出れそうだ。外扉は、たまたまその階でエレベーターを待っていたおじさんが気が付いて(おじさんはわたしたちの姿に、OH!といったきり、一瞬ことばを失った)、一緒に開けてくれた。まぁ、とりあえず出られてよかった。一日に数回故障するこのエレベーター。そのたびにだれかが閉じ込められているのかと思うと、なんともはや、しのびない。とりあえず、出られてよかった。


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