7/18/2001
★下部に写真があります。
結婚式は夕方から行われるので、マックスとA男、妹夫婦とわたしは市内観光に出かけることにした。両親には、疲れが出ないよう、ホテルでくつろいでもらうことにする。 インドが最も暑いのは5月6月で、気温は40度を超えるという。この時期は35度前後だったのだが、何しろ湿気が多いのと、街がごみごみしているせいもあり、やたらと暑苦しい。寺院などの観光地を歩くのだが、わたしも妹夫婦も、かなりうなだれ気味。 マックスはシャワーを浴びたかのようにシャツが汗でびっしょりだ。しかし、北欧からイタリアまで自転車旅行をしたことのあるスポーツマンだけあり、細身ながらも体力はありそう。今度はイタリアからインドまで自転車旅行をしたいと張り切っている。たいそうなことだ。っていうか、無茶やろう、それは。 驚いたのは、A男がちっとも汗をかいていないこと。ニューヨークではちょっと暑いだけで「ああ、暑い、冷房入れよう」などという癖に、わたしたちがうだっているのに涼しい顔をしている。やはり、母国の気候に身体が合っているのだろうか。
家のゲートには、花が暖簾のように下げられ、通りや階段の両脇に、花びらが美しく施されている。家の外壁にはクリスマスのように色とりどりのネオンが光る。 結婚式は外で行われるから、気合いをいれて化粧をしても汗で流れ落ちるだろうと踏んで、いつもと変わらぬあっさりとしたメイクをし、親戚のお姉さんにサリーを着付けてもらう。 そのうち、日本の家族もホテルからやってきた。一応、父と義弟はスーツを着ているが、バルコニーは暑いので、早速、上着を脱ぐ。 スジャータがお母さんの形見だと言って、ゴールドの6連のバングル(腕輪)をくれた。わたしの手首にギリギリでちょうどいいサイズだった。わたしは身体に対して手が小さめなので入ったけれど、入らなかったら洒落にならんな、と思う。 妹に髪をまとめてもらい、結婚式用のバングルを更に何連も腕に付け(これも全部、入ってよかった)、おばあちゃんにもらった金のネックレスを付けて、わたしの準備は終わり。 式は6時半に開始、と聞いていたが、7時になっても、なんだか場のまとまりがない。結婚式はごく身近な親戚が50名ほど集うことになっているが、皆、三々五々やって来る。 男性の参加者は「ターバン巻き職人」から、ピンク色のターバンを巻いてもらう。もちろん、我が父も、義弟も巻いてもらう。 「で、式はいつ始まるの?」 とA男に聞けば、「今、段取りを考え中」とのこと。なんとまあ、いい加減なこと。伝統的なインドの結婚式だと、長時間、あるいは数日間かけて、ヒンドゥーの儀式をせねばならないらしいが、今回は思い切り端折って肝心の部分だけを執り行うらしい。が、どれが肝心な部分かは、わたしにはさっぱりわからない。 ひとまず、「喜びの踊り」をすることになり、一同、わらわらと庭に下りる。ホラ貝の合図と共に、楽団の演奏が始まり、皆、人差し指を天に突き立てるようにして、阿波踊りっぽく踊る。我が母も、妹夫婦も、誘われて踊る。わたしは一応、花嫁なので、踊りには参加せず、2階のバルコニーから様子を眺める。 踊りを終え、ほどなくしてから、我が父と、ロメイシュが花輪(レイ)の交換をする。そしていよいよ、花で美しく飾り立てられたやぐらで式が始まった。 父は(本人いわく)、「抗ガン剤と放射線治療のせいで、体温の調整ができず、とにかく暑いのはだめだ」と言っていた。 「火の前で儀式をするのはわたしとA男だけだから、涼しい部屋にいてもいいんだよ」とあらかじめ言っていたにも関わらず、いきなりわが両親もやぐらに駆り出される。 段取りとか、あらかじめの打ち合わせ、というのが、全くない。どういうこっちゃ! インド全体がこうなのか、ただマルハン家が杜撰(ずさん)なのか、知る術もない。 一家の精神的な大黒柱だったA男の実母が生存していれば、もっと整然としていたのではないかと予測される。
わたしたちの正面に、ヒンドゥー教の祭司が座り、右側にわたしの両親、左側にA男の両親が座る。祭司がサンスクリット語(梵語)で読経をはじめる。A男も、そして通訳のお兄さんも、正確に、いやほとんど理解できない様子。 そこから、行き当たりばったりの儀式が開始された。わたしの父が、A男の額に赤い粉で印を入れたり、わたしたち二人が水を酌み交わしたり……。そのうち、司祭の合図に従い、中央の釜に二人して薪を一本ずつ入れる。 何度か、ヒンディー語の読経を、祭司の真似をして口にしなければならない。必ず最後に「オーム」とつぶやく。ちなみに「オームom」とは「絶対的真理」という意味のサンスクリット語で、世界一切の調和などを表す神聖なる言葉だという。キリスト教で「アーメン」と唱えるのと同様に、「オーム」と唱えるのだ。 ギーと呼ばれる精製バターの油を、わたしとA男がそれぞれが杓子ですくって、同時に薪にかける。ついに火が焚かれ、しばらくは、「読経→合図→火に油を注ぐ→読経→合図→火に油を注ぐ」の繰り返し。もう、暑い、油はもういい、勘弁してくれ! という感じだ。 ともかく熱気ムンムンのやぐら周辺。父親の具合が心配だが、この期に及んでは、どうしようもできない。我慢してもらうしかないだろう。何しろ「地の果て」だからね。 暑いし煙たいし、段取りはいい加減だし、厳粛な気分などかけらもなく、折に触れ、おかしさの波が襲って来て、笑いがこみあげてくる。 「だいたい花嫁は、こういうとき涙ぐむものなのに、美穂は何、笑ってるの?」 両家の親からお菓子を口に入れてもらったり、二人の頭をコツンとくっつけてもらったりと、謎めいた儀式を次々にこなす。やっぱり、笑わずにはいられない。 終盤、二人は日本の子供の浴衣の帯のような紐で結ばれ、火の周りを7回まわる。そのあと、親戚の人たちに花びらを投げつけられるようにまき散らしてもらい、約1時間ほどの儀式は終了した。 「式次第」は「気分次第」だし、ともかく暑いしで、わけがわからない式だったが、非常に楽しめたひとときだった。 そのあとは、お待ちかねのディナータイム。先日よりも増員した「タンドーリ屋」によるタンドーリ・チキンやラム、ナンに加え、ビュッフェのコーナーも設けられて、またしても、参加者は皆、食に走る。暑くったって、食欲旺盛! この日の食事も、実においしかった。
■イベントその3:結婚の儀式
さて、夕方近くになり、家へ戻る。数日前から家のバルコニーに結婚式用のやぐらが準備されていた。結婚式では火を焚くため、バルコニーで式を行わねばならないのだ。
さて、いよいよ、式の開始である。
とA男が耳打ちする。いったいこの状況で、どう感極まって、泣けというのだ!
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式の2日前より、バルコニーにてテント作りが始まった。本来はモンスーンの時季につき、雨が降ることを想定してのテントだったが、実際には雨が降ることなく、従ってテントは不要だった。 |
玄関の一画に、花びらであしらわれた文様。 オーム、と書かれているらしい。右側のキャンドルが、消えてますけど。 |
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家のゲートも、花の暖簾で彩られている。とても美しい。 本来は、結婚式は嫁の実家が執り行うもので、場所なども嫁の実家が手配するという。式の日、花婿は「白馬に乗って」その式場に向かうのがならわしだとか。しかし嫁の実家が日本だから今回はしょうがない、ということで「白馬」は省略された模様。白馬、見てみたかった気もする……。残念。 |
外壁のふもとにも、ピンク色のバラの花びらが敷き詰められている。 |
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階段にはマリーゴールドの花びらとキャンドルが配されている。 |
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日本の家族がホテルから到着。楽団がお出迎え! この写真は「ロマンティック」なぼかしの加工を入れているのではなく、冷房の入った車から蒸し暑い外に出たため、レンズが曇ったせいでぼけている。 |
タンドーリ・ケータリングのお兄さんたち。暑い中、熱い釜を前にしての作業は格別にたいへんなことであろう。暑苦しさが伝わってくる一枚。 |
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姫は冷房の効いた部屋で着付け。親戚のお姉さんが、サリーを着付けてくれる。でも、髪型とかを調えてくれる人は誰もいない。あゆみ妹がきれいにまとめてくれた。どこかから持ってきた花(ジャスミン?)を頭につけてくれる。いい感じ。 |
式が始まる前の、着崩れていない、爽やかな一枚。ピンクのターバンが妙な感じだが、結婚式はピンクのターバンを、こうしてリボンのように巻くのが一般的らしい。 他の人の結婚式の写真を見ていると、花婿だけは特別の大げさなターバンを巻いているものが多いが、A男の場合、ゲストと同じ。つまり、一見したところ、誰が花婿かわからない。ロメイシュとは双子状態のファッションだし……。 |
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3階からバルコニーを見下ろした様子。この四角いやぐらで「挙式」が執り行われる。 |
挙式の道具。薪のほかに、スパイスなどが器に入っている。 |
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親戚のおじさんが、ホラ貝を吹く。これが「ダンスをはじめますよ!」の合図らしい。え? ダンスやるの? という感じで、日本の家族も玄関先に駆り出される。 |
ノリノリで踊るラグバン。マックスのシャツはこのあと、水浸し、ならぬ汗浸しになっていた。 |
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彼がタイから来てくれたスジャータ&ラグバンの知人。父の「前方」を歩く母をほめたたえた人物。 一見「日本の家族?」と思わせる顔立ちに、親近感を覚える。 |
あゆみ妹とK夫 |
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大げさなカメラも回っているが、この時撮られたビデオはたいへん質が悪く、観ていると具合が悪くなる。 日本製のご家庭ビデオの方が、よほどよかったと思う。 |
さて。踊りが終わったら、花輪の交換らしい。間に祭司が立ち、日本父とインド父が花輪を互いの首に掛け合う。 |
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花輪の交換のあと、感激するインド父、日本父に抱きつく。祭司、「うわっ、抱き合う必要はないんだが……」という顔。 |
花輪の交換のあと、満面の笑みをたたえるインド父、ロメイシュ。非常にうれしそうである。 |
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さて、式が始まる前に、軽く記念撮影。 |
だいたい、両家の両親が、こうやってやぐらの下で式に参加せねばならないなど、一言も聞いていなかった。わたしとA男だけが何かをやるのだろうと思っていたのだが、突然両親が駆り出されてしまい、なんてこった、と思う。 |
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知ってたんだったら、早めに教えてよ。 |
暑いのが苦手な父も、こうなったら乗りかかった船である。辛抱していただこう。 |
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早くも謎めいた儀式が始まる。ともかく、言葉がヒンディー語で、A男もいまいちよく理解できないから、何をやってるのかさっぱりわからない。「いいなり」になって、何かをやっている、という感じ。意志なし。 |
式が執り行われている間、参加者は周辺でうだ〜っと座っている。特に式に集中する必要はなく、雑談可。緊張感皆無。 だから、そのカメラは大げさすぎます。 |
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古典的なヒンディー語を日本語に訳そうとして、混乱の極みに陥る通訳のお兄さん。 わっけわからんこと言ってまっせ〜。と、込み上げる笑いを抑えられない姫。 |
互いの手のひらに水を注ぎ、それを手から直接飲む。という儀式。 |
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さ〜て、いよいよ、火が焚かれる。 |
ヒンディー語の読経を唱える祭司。 |
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ああ〜、炎がだんだん大きくなってきた〜。あんまり燃えさからないでほしい〜。 笑うわたしに意味不明の視線を送るA男。だから、間違っても涙ぐんだりできません。 |
燃えさからないでほしいと願う心とは裏腹に、ギー(バターの製油)を杓子ですくい、何度も火に注がねばならない。杓子にたっぷりギーをすくうA男に、 |
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「これでいいの?」という感じで、いちいち、確信のないまま進行する儀式。ところでA男、参加者は「靴下を脱がねばならない」のではなかったか? なぜ、あなたは靴下を履いているのか? |
熱血カメラマンとなって撮影するK夫。汗と湿気で、ターバンがだらりとうなだれている。 |
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祭司「わしだって、暑いんじゃよ。夏に結婚式をするとは、どういうことなんじゃ」 |
突然、式への参加を命じられたK夫。姫の足許に石を置いたり、米菓子のようなものを分配したり、なぞめいた儀式を担当する。 |
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A男「こうやって手を握るんですか?」 もう、なにやってるんだか、わかりません。 |
今度は義姉のスジャータ登場。二人の首に、まるで日本の子供の浴衣の帯のようなものを巻き、それを結びつける。ちなみに、この絞りの布は「ジャパニ(ジャパン)」と呼ばれているらしい。日本の布がシルクロードをたどる途中、この国にもたらされたらしい。 |
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火の周りを7周回る。5周しか回っていない時点で、「もう7周回った」と言い張るA男。だれも数えておらず。 結局、もう2周、ちゃんと回ってもらったけど。いいのか? こういうことで。 |
それぞれの両親から、甘いミルクの菓子を食べさせられる。式の前、ここでお菓子をたっぷり口に押し込まれるとの情報を得ていたため、まずいお菓子で過剰なカロリーを摂取するのはいやだなあと思っていたのだが、大した量を食べずにすみ、安心した。 |
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祭司「髪の生え際に、染料をぬりなさい」 |
なんか、全然違うところに、なんか塗られたみたいなんですけど。早く拭きとって! |
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ほのかにオレンジ色に染まった額。すでに化粧は剥がれ落ち、全身がベタベタ状態。写真で見る限りだと、あまり暑さが伝わらないのが残念。 これはなんだか、頭をゴツンとさせられている。何が何だかもうわかりません。 |
最後に参加者の皆様からバラの花びらやマリーゴールドの花(宙に浮かんでいる!)を投げつけられて(本当に「投げつける」という感じ)、式が終了。あ〜、やっと終わった! お疲れさまでした! |
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式が終わり、抱き合うA男とわたし。ではなく、抱き合うロメイシュとわたし。お父さんのハグ、強烈。 |
最後に記念撮影。これは式の前に撮影するべき一枚だったな。みんな消耗しきっている。両父もラグバンもターバンは外しているし、わたしのサリーもなんだか着崩れているし。額はそこはかとなくオレンジだし。 |
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ちなみにこれが式当日の自宅の外観。派手な電飾で彩られている。 |
【おまけ】 |
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【おまけ】 |
【おまけ】 中にジャガイモや野菜などの具が入っているものもある。ベジタリアンとはいえ、食べ応えたっぷりにもほどがあるという大きさだ。だいたい、テーブルからはみ出して食べにくいってば。が、非常においしかった。 |
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【おまけ】 |
【おまけ】 |
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【おまけ】 |
【おまけ】 |