THE WEDDING IN INDIA
インドで結婚式

7/19/2001

★下部に写真があります。


■イベントその4:披露宴(レセプション)

この日の昼間は日本勢とマックスとで市内観光。A男は就労ビザ関係の資料を整えるため、一日、役所巡りだった。

ヒンドゥー寺院や、ガンジーの墓地などを巡って、夕方戻る。披露宴は、わたしの家族とマックスが滞在しているホテルのバンケットルームで開かれる。ロメイシュが、この夜はわたしとA男にもホテルの部屋を予約しておいてくれた。

さて、この披露宴が、この一連のイベントの中でも最大規模のものとなる。300名近くの来客があるそうで、わたしが着るサリーも、昨日のものよりはゴージャスだ。オレンジ色と金色の、何とも言えず美しい色合いのサリー。昨日のもそうだが、わたしに似合う色を考えて選んでくれたウマとスジャータに感謝する。

さて、披露宴の開始は7時半と聞いていたが、なんだかんだでわたしとA男が会場に到着したのは8時頃。しかしお客は2割程度しかいない。「何、これだけしか来ないの?」と思っている先から、次々にゲストが登場する。わたしたちは両親も含め、入り口付近でご挨拶。

わたしは見知らぬインドの人々から、握手され、ハグされ、プレゼントや祝い金の入った封筒を渡され、息を付く間もないという感じだ。ふと気づけば、会場は埋め尽くされていた。

なんとまあ、都合よく、だらだらーっと人がやって来ることか。会場に配されている円卓に、皆好き勝手に座ったり、あるいは立ったまま、あちこちで会話に花が咲いている。9時ぐらいになったところで、一画に用意されていた、ゴージャスなビュッフェの蓋が開いた。すると、来賓一同、慌ただしく席を立ち、料理を目指す。列までできている。

わたしも料理が気になるのだが、まだ、だらだらとお客さんがやってくるものだから、入り口付近で満面の笑顔を振りまかねばならない。

皆から、「まあ、すてき」「サリーがよくお似合いだわ」と褒められて、とてもいい気分ではあった。同じインド人でも、肌の色はさまざまで、肌の色が浅い方が美しいとされているらしい。確かにテレビを見ていても、肌の色が濃い女優は少ない。

インド人に比べれば、日本人の肌色は浅いから、たとえ顔の彫りが浅くても、ひとまずは美しいと評価されるようだ。

何百人ものインド人と、握手し、抱擁し合いながら、自分がインド人の家に嫁いだのだと言うことを、なんとか自分に認識させようとするのだが、やはり今ひとつピンと来なくて、他人事のような気さえする。

それしても、この披露宴の在り方は、これでいいのか? 

挨拶して、飲んで、食べて、しゃべるだけなのか?

どうもそうらしい。

皆と一通り挨拶をしたところで、わたしたちも食事をする。今日の料理もまたバラエティ豊かでおいしいこと。特にラムの煮込みはほどよくこってりとしていてやみつきになる味。デザートのマンゴームースも、こりゃたまらん、というおいしさだった。

そしてふと気づけば、いつしか会場はガランとしていて、披露宴終了。

司会もなれければ挨拶もなく、祝電の読み上げも、新郎新婦の友人たちによるカラオケももちろんない。なにしろ、だらだらーっと始まって、だらだらーっと終わった。

しかしながら、色々な人たちと、たとえ浅い内容だとはいえ、会話をし、「お近づきになれた」という意味では、とても意義深い夜だった。

ということにしておこう。


★写真をクリックすると拡大写真が現れます。

 

昼間、ツアー会社のバンに乗せられ、市内をあちこち観光。しかし、どこに行っても、空気がねっとりと重くて、もう、観光はいいよ、という気分。

ここはガンジーの墓地。

暑さにやられたわけではなく、平時も概(おおむ)ねこの調子の父、泰弘。ちなみにこのヤンキースのTシャツは、もと野球選手(ノンプロだったが相当真剣にやっていたようだ)の父へ、ニューヨークに住む娘美穂からの贈り物。

どの観光地にも物売りがたいそういて、日本人はいいターゲット。物売りを交わすのも鬱陶しく、もう、観光はいいよ、という気分。

新郎新婦。スジャータとウマが選んでくれたサリーはとても美しくて、とても気に入った。ちなみに、一般的なインドの結婚式の写真を見ると、頭の上にもペンダントのようなアクセサリーをつけたり、ショールを被ったりと、ひどくごてごて派手派手しているが、わたしの衣装は「ミニマム」と言う感じ。ピアスホールを開けていないから、イヤリングもできないし……。インドの女性はほとんどピアスホールをあけているからな。少々、物足りないでもないが、贅沢を言っては罰が当たると言うものだ。

姫の後ろ姿。ブラウスと下に履くスカート以外は、ひたすらに長い布を身体に巻き付けるだけのシンプルな衣装である。

入り口に立って、ゲストを出迎えなければならない。しかし、なぜ、みんなダラダラと三々五々、やってくるのだろう。
それにしてもA男と母、二人に共通言語はないはずなのに、いかにも談笑して見えるところがミステリー。

こんな風に、花籠を持ってきてくださるゲストも多かった。あと、小さな封筒に入ったご祝儀やカードなど、小物や工芸品などをいただく。最もうれしかったのは、白檀でできたガネーシャ(象の神様)の置物と、銀のティーポットセット。

彼は昔からA男の実家の隣に住んでいる日本人女性とインド人男性夫妻との間に生まれた子供。日本人女性はすでに日本に帰っているが、長いこと、A男の祖母の親しい友達だったという。息子、日本語、少しだけ話せます。

人がどやどやと会場に集まり始めるけれど、何が開始されるわけでもなく、みな立ち話などしている。こんなことでいいのだろうか。

まあ、わたしが心配しても仕方ないので、なすがままになっておこう。

一応、記念撮影も何度か行う。ゲストへの挨拶のため、四六時中笑顔を作っていなければならず、顔がこわばっている姫。せっかくなら、カメラの前でも笑っていてほしかった。

新婦の母幸子と新郎の継母ウマ

着物姿の妹と姉。花嫁を引き立てるよう、地味めの着物を選んでくれたのだろうけれど、どうやら失敗のようだ。派手な衣装の人々に紛れて、誰からも、
「わお! 日本の着物ですね! 美しい!」などと声をかけてもらえなかった様子。

やっぱり、派手派手な振り袖でも着ないことには、サリーの派手な色には太刀打ちできないだろう。

どこにいても目立つマックス2メートル7センチ。一見、寡黙なマックスだけれど、主に女の子とばかり、親しげに話すあたり、イタリア男児、ここにあり! という感じ。

一応円卓なども用意されていて、着座して談笑する人々も。しかし、なにか、「催し」らしきものはないのだろうか。マイクで挨拶するとかさあ。

ここはお年寄り集団。どなたがどういうお方なのか、さっぱりわかりません、

なぜかおばあさんの存在感が強く、おじいさんは地味。服装のせいだけだろうか。

本日のインド料理シェフ。ニューデリー郊外、マリオット・ウェルカムホテルの料理長。だと思う。

右のおにいさん、というかおじさんはA男が子供時代からマルハン家で働いている人。マルハン家のドライバー兼マネージャーで、雑務一切をこなしている。機転がきき、仕事が早く、とてもやさしいおじさん。マルハン家、陰の大黒柱。会場の片隅でギフトの管理をしていた。

こんなゴージャスな花を抱えてきてくれるゲストも。フラワーアレンジメントにもお国柄が出るようで、全般に、このようなデザイン。

さあ、そろそろブッフェの蓋が開くころだ。どんな料理が出てくるか、かなり気になっている様子のK夫。

蓋が開いた! 

料理の写真は自ら撮影せねば! とK夫からカメラを奪い取り、ゲストへの挨拶もせず、料理撮影をする姫。

おっと、前菜が回ってきた。もうお腹ぺこぺこ。食べずにはいられません。と、食べているところへウマがやって来て、
「美穂、食べてる場合じゃなくて、挨拶しなきゃ!」と戒められる。だって、ずーっと入り口で挨拶してばかりで、疲れたんだもん。

サラダや前菜など。

結婚式の何が楽しみってあ〜た。おいしい料理を食べることなんだから。さあさあ、しっかり食べましょう。

色々なカレーがズラリと並んでいる。何がなんやらよくわからないが、ともかく、おいしそう。

そのクリームシチューのようなカレーは何?

これはなんのフライ? チキンかしら。

湯気が立ち上っているこれは、ラムのカレーみたいね。結局、わたしはパーティーの終盤に少ししか食べられなかった。

全種類を試せなかったことが、今になって、本当に悔やまれる。

これはなんだ。ミルク系のデザートだと思う。

この氷に埋もれているのは、ミルクのアイスキャンディー。左下のそうめん状のものと一緒に食べるらしい。

とてもデザートとは思えない、そうめん状のなにか。

こちら、マンゴープリン! これはしっかり食べた。おいしかった!

すでに残り少なかったマンゴープリン。たっぷりと「取りだめ」していたA男からもらう。

お疲れさまでした!

【おまけ】
インドのご祝儀袋。丸く穴が空いたところには1ルピーのコインが貼られていた。縁起がいいとかなんとか。それにしても、この封筒の色柄の派手なこと。

【おまけ】
こちらおなじみ、日本のご祝儀袋。なんというか、シンプルで、重厚感があり、恭しいですね。インド版に比べると。

BACK NEXT