●母親の負担を減らすため、学業の傍らモデルの仕事を始める

姉たちは次々に自立した。末っ子のマリアムは、これ以上母の負担になることに抵抗を覚えつつも、大学に進学した。20歳のとき、学費を稼ぐため、広告モデルの仕事を始めた。

「母はモデルの仕事には反対でした。まずは勉強に専心しろというのです。母の言うことも理解できましたが、甘えてばかりもいられません。結局、ファッション関係など派手な仕事ではなく、オーソドックスな広告の仕事であれば続けていいと、母からも同意を得ることができました」

大学時代には、勉強やモデルの仕事の合間を縫って、NGOのヴォランティア活動にも参加し、孤児院の子供たち、身体障害のある子供たちの世話をした。

「裕福だった子供時代から一転して、父が亡くなってからの苦しい日々を経験したことで、わたしは貧しい子供たちに視線がいくようになりました。ヴォランティア活動では、裕福な家庭の子供と貧しい子供たちとの交流の場を設け、相互理解の場を設けたかったのですが……これはうまくいきませんでした。

貧しい子供たちはある意味、賢明でタフですが、裕福な家庭の子供は温室育ちですから、貧しい子供たちの実態を知ると激しいショックを受けるのです。結局、保護者からの反対を受けてしまいました」

同じ国に住んでいて、これほど貧しく恵まれない子供たちがいるということを、裕福な家庭の子供たちもきちんと知るべきだ、とマリアムは力説する。実態を知らなければ、改善されることもない、と。

さて、大学を出てからは、本格的に広告モデルの仕事を始め、石けんやシャンプー、保険会社などの広告にしばしば起用されるようになった。

「わたしの顔は、国籍が限定されないから、使ってもらいやすいのです。インド人にも見えるし、オリエンタルにも見える。イタリアンにも見えるでしょ?」

撮影は主にムンバイで行われるが、時折シンガポールやタイなど近隣国へ撮影に出かけることもある。

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