4月8日 友人らと会う日。ミュージアム見学など。 朝。ウェイクアップ・コールで目を覚まし、重いカーテンを開く。窓の外に広がるは、灰色の空と、しとしととそぼふる雨。天気予報通り雨が降っている。出発直前にダウンジャケットをスーツケースに押し込んだのは正解だった。レザージャケットだけでは寒い、まるで冬のような気候だ。 到着した直後から歩きすぎて、少々くたびれている我々。傘をさし、無口にカフェへ向かう。 軽い朝食をすませた我々は、冷たい雨の降る中、旅後半のホテルの予約を入れるため、インターネットカフェへ。コッツォルズ地方にほど近いオックスフォードに1泊、コッツォルズに1泊、それから戻ってきてからのロンドン2泊の予約を入れる。それにしても、インターネット。手軽に情報を得られる分には便利だが、その情報量が多すぎて、リサーチし、絞り込むのに時間がかかる。 そうこうしているうちに、友人との待ち合わせの時間が迫ってきた。ロンドンに住むニューヨーク時代の友人と、ランチの約束をしているのだ。本当は夫も一緒に来る予定だったが、時差ボケと寒さでくたびれた様子。「ぼく、ホテルで寝るから、ミホ、ひとりで行っておいで」とのこと。 そもそも友人とは二人で会いたかったので、これ幸いと地下鉄駅へ向かう。約束のHOLBORN駅で彼女と3年ぶりの再会。この3年のうちに、彼女は渡英し、フランス人男性と結婚し、女の子を産んだ。 実は彼女、明日、パリへ引っ越しすることになっている。昨日は家財道具の引っ越し作業をしていて、唯一、今日だけ自由な時間が取れたのだという。いかにも「ぎりぎりな感じの限られた1日」に再会できたのは幸運だった。 昨年他界した小畑澄子さんと彼女は親しかった。その彼女と、小畑さんの命日である4月7日に、3年ぶりに電話で話し、そして翌日の今日、こうして会うことができたのは、偶然とは言え、なんだかとても不思議な気がする。小畑さんがこっそりと、関わってくれているような気がした。 彼女とはダッチ・パンケーキ(オランダ風パンケーキ)の店で食事をする予定だったが、あいにく改装中。近くにある日本料理店MATSURIへ行くことにした。大きな窓ガラス越しに通りが見渡せる、すっきりとした内装の居心地がいい店だ。串揚げの盛り合わせをつまみに白ワインを飲みつつ、ちらし寿司を味わいながらのおしゃべり。料理もおいしく、会話も楽しく、いいランチタイムだった。 3時過ぎにホテルに戻ったら、夫がちょうど昼寝から目覚めたところだった。ちらし寿司を食べた旨を報告したら、 「え〜?! パンケーキじゃなかったの? 自分だけ寿司なんて、ずるい。ぼくなんてさっきバナナ2本食べただけだよ。お腹空いたなあ、もう」 知るかいな、と思いつつも、ワインを飲んで、串揚げまで食べたことは黙っておいた。 それから再び冷たい街へ出て、ホテル近くにあるVICTORIA&ALBERT
MUSEUM(ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)へ。数時間かけてのんびりと、館内を巡った。
LONDON/ APRIL 8,
2005
朝食は地下鉄駅近くのカフェへ。カプチーノとカフェラテの違いが歴然としているのがいい。が、クロワッサンは雨のせいか「しっとり気味」でいまひとつ。 ホテルの斜向かいにあるフランス語学校の建物。この界隈ではフランス語がしばしば耳に飛び込んでくる。
コスチューム・ファッションの変遷をつぶさに眺められる展示。以前訪れたときも、見入ったコーナー。 ISSEY MIAKE、KENZO、REI
KAWAKUBOなど、日本のデザイナーのファッションも展示されている。
アジアのセクションは中国、日本、コリア、南アジア、東南アジアに分かれている。インド関連の展示も充実 英国人に襲いかかる虎の楽器"TIPPOO'S
TIGER"(ティプーの虎)。胴体に鍵盤がついている。
楽器を演奏すると、虎の首が動き、英国兵の腕が上下する仕組みになっているらしい。 体験コーナーで昔のコスチュームを試着するも、コルセットが細すぎて締まらず!
インテリアでおなじみの、コンラン・ショップの系列で、通りの一画に、レストラン、カフェ、食料品店、インテリア雑貨店(コンラン・ショップ)が並んでいる。 夫とトルガ、そして現在もボストンに住み、我々のインド結婚式に来てくれた身長2メートル超のイタリア人マックスの3人は、ボストンのMIT時代、2年間ルームメートだった。彼らは夫の数少ない大切な友人である。 トルガは米国生まれのトルコ人で、両親はイスタンブール在住。去年、やはりトルコ人女性と結婚した。我々もイスタンブールでの挙式に招かれていたのだが、時間的に都合がつかず行けなかったのは残念だった。 知的で快活で羽振りもいいトルガは、同時に屈託のないチャーミングな男性。金融関係の仕事をしていて、以前会ったときは、高いストレスのせいか、精神的に疲れている様子だったけれど、今回はとても元気そうだった。 ピアニストである妻とのなれそめを、うれしそうに話しながら、 「彼女の存在は、ぼくにとっては、舟の錨のようなもの。今までは、仕事でストレスを感じると、気持ちが不安定になったけれど、彼女と出会ってからは、心の拠り所ができた感じで、とてもリラックスしているんだ」 と、しみじみ語る。 最初のうちは、夫と二人でビジネスの話、数字(お金)の話ばかりしていたので、わたしは専ら聞き役だったが、途中から、ふと気付いたように「ごめんなさい。もう、お金の話はしません」と言いながら、共通の話題を持ち出す。 「ぼく、インドと日本には深い共通点があると思うんだ。実はこの間、平家物語を読んだんだけどね……」 出た。出たぞ〜。外国人の方が日本文学部出身のわたしよりも日本文学に詳しいかもしれないぞ攻撃! こないだのインドじゃ、「LADY
MURASAKI(紫式部)」攻撃を受けたからな。フォークを持つ手を止めて、身構える我。 「あの冒頭文。なんだっけ? インドのことがちょっと出てくるでしょ。あれ、僕好きなんだ」 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……ね」 覚えておいてよかったぜ、とばかりに、日本語でさりげなく、しかし得意気に暗唱する。 「そうそう。そのギオンショウジャ。ベルの音がするんだよね。ギオンショウジャって、インドの寺院なんでしょ」 そこから盛者必衰、栄枯盛衰についての話題に移行。祇園精舎の内容を夫にも説明しようとしたとき、彼が好きな詩を思い出した。シェリーの"Ozymandias"だ。"Ozymandias"の主旨は、まさに「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」である。照れる夫をせっついて、暗唱させる。 「そう! その内容の通りなんだ! 平家物語。いいよね〜」 と相づちを打つトルガ。あれだけお金の話に盛り上がっておきながら、栄枯盛衰を口にする彼らのおかしさよ。 わたしは大学が下関だったこともあり、壇ノ浦が源平の戦いの地であり、わたしが住んでいた大学の寮の近くには、未だ源平合戦の際の「落武者の霊」が出るのだ、などという話をする。と、夫が突然、 「ぼく知ってるよ。ヘイケガニ。ヘイケガニって人間が怒ったような顔をしているんだよね」 と平家ガニの由来を話し始める。なんでも先日出かけたジョージタウンの日本人美容院の店長が山口県出身で、夫の髪を切りながら、平家ガニの話を説明してくれたらしい。ロンドンでヘイケガニを語るトルコ人とインド人と日本人。なんだかもう、わけがわからんぞ。 そんなこんなで、おいしいお酒(ライチー・マティーニにワイン)とおいしい料理(ヒラメのグリルとラム肉のグリル)で、楽しく賑やかな夜を過ごしたのだった。
あなたの心に、わたしの心に、幸せの青い鳥。 キングス・ストリートはレストランやブティックが軒を連ねる賑やかな通り。
夜は夫の大学時代の友人トルガと、夕食の約束をしていた。彼が指定した店は、夫が翌日ミーティングを予定している人が指定した店と同じだった。数あるロンドンのレストランのなかで、同じ店に続けて出向くことになるとは、不思議なものである。ちなみにその店はBLUEBIRD。青い鳥。