最新の片隅は下の方に

JULY 1, 2005  新しい場所で、新しい日々のはじまり。

6月27日。2週間に亘っての、大陸横断の旅を終えて終着点についた。
28日。彼の通勤に便利なエリアを巡り、半年契約が可能なアパートメントを探した。
29日。アパートメント確定。レンタル家具ショップで必要な家具を借りる手配をした。
30日。アパートメントの契約成立。電話回線や電気ガスなどの手配。ご近所を散策した。
そして今日金曜日、夫は新しい会社に初出勤。わたしは久しぶりにひとりの時間を満喫中!

明日は新しい部屋への引っ越し。すべてが予定通り、つつがなく運んで、新たな暮らしの幕開け。

新しい拠点は、通称シリコンヴァレーと呼ばれるエリアの中にある、サニーヴェール(SUNNYVALE)という町。ダウンタウン、CAL TRAINの駅前に位置するアパートメント・ビルディング。この界隈はどこもそうだけれど、椰子の木が揺れ、プールがあり、年中リゾートみたいな、のんきでゆる〜い空気に満ちている。

我々の住処は南向きの角部屋の最上階。といっても3階。何よりうれしいのは高い天井。日当たりよいリヴィングルーム、静かなベッドルーム、広々としたキッチン。書斎となる部屋の窓からは、青空と、大きな木が見える。天井でゆっくりと回るファンの風が心地いい。

通りをはさんで向い側には、レストランやショップが立ち並ぶ、木漏れ日が美しいプロムナード。その向こうには、古くからあるらしき、のんびりとした雰囲気の商店街。今時のショッピングモールとは異なる風情の、ローカルな個人商店が軒を連ねていて、生活感に満ちている。

その隣にはデパートメントストアのメイシーズもある。そうそう、毎週土曜日には、アパートメント・ビルディングの真向かいでファーマーズ・マーケットが開かれるという。それがまた、とてもうれしい。

ちょっと車を走らせると、アジア色濃厚な一帯が現れる。コリアンスーパーマーケットにチャイニーズスーパーマーケット、日本のマーケットもある。それからインドのレストランにスナックショップ、タイ、ベトナム、フィリピン、メキシカンと、もう、どこの国なのだかわからない多国籍な状態。

夕暮れ時には、通りを歩くインド人がやたらと目につく。インド国内でもそうだが、インド人はよく、外を歩く。サリーの裾をたなびかせ、サルワールカミーズのスカーフを翻し、歩く。一人で、家族で、親子で歩く。日差しがビシバシ降り注いでいる中を涼し気に歩く。もう、すでにインドに近付いている気がする。

近所にあったフルーツマーケットに立ち寄った。近所の果樹園から採れたばかりだというチェリーを買った。甘く酸っぱく爽やかな、すばらしい味のチェリーだった。
「うちのチェリーパイは、全米で一番との評価をもらったんですよ。今度、ぜひ試してください」
フレンドリーな店主がニューヨークタイムズの記事を示しながらそう言う。引っ越しがすんだら、お祝いにシャンパーンを開けて、それからチェリーパイを食べようと思う。

※わずか半年しかいないけれど、友人各位、どうぞ遊びに来て下さい。VILLA DEL SOL

 

JULY 2, 2005  今日からカリフォルニアン。疲れているけれど、うれしい、たのしい。

朝一番に、ホテルをチェックアウトして、新しい住まいへ向かう。10時にはレンタル家具のお兄さんたちがやってきて、手際よく家具を配置。ソファーセット、ダイニングテーブル、ベッドにチェスト、机2つに本棚2つ……。がらんとしていた空間が、瞬く間に、Homeになっていく。

昼前には搬入も終わり、午後は日用品の買い出しに。その前に、ランチを食べようと外へ出たら、そうだ今日は土曜日で、ファーマーズマーケットが開かれていた。家の斜向かいのブロックの、レストランやカフェの並ぶマーフィー通りに、ずらりと露店が並んでいる。野菜や果物、花やパン、色鮮やかなあれこれが、次々に目に飛び込んできて、うれしい!

瑞々しいチェリーやストロベリー、アプリコットにネクタリン、味見をさせてもらいながら、買う。採れたてのオーガニックな野菜、チンゲンサイやチャイニーズブロッコリなど、アジアの食材も並んでいる。この界隈にはいろいろな店があるのに、ベーカリーがないのが不満だったのだけれど、焼き立てパンのお店も数軒出ていて、よかった!

チャバッタと、夫の好きなハラブレッドを買う。ニンジン、ナス、ジャガイモ、トマト、手作りソーセージにサモサ(!)、ネクタリンにピーチ、プラム、チェリーにストロベリー、そしてバラの花束……。両手に抱えきれないくらいたくさん買って、それでもスーパーマーケットで買うよりは遥かに安くて、それもまたうれしい!

一旦、アパートメントに戻り、荷物をおいて、再び通りへ。正午を過ぎるともう、店は次々に畳まれて、「いい食材を手に入れるなら朝一番に来ることだよ」と、フレンドリーな店主に勧められ、来週は早めに来ようと思う。

人気が引いて、少し静かになった通りを歩き、今日は「中近東&インド」料理のレストランでランチにしようと思う。木漏れ日のテラスのテーブルで、メニューを広げる。ランチは軽く、WRAPメニューから。ラップとは、薄いピタパン、あるいはトルティーヤのようなパンに、たっぷりの具を巻いたもの。

ナスやトマト、キュウリなどが入ったものと、豆と野菜が入ったものの2種類。どれもとてもおいしくて、ワシントンDCでは、平日、家でランチを食べることが多かったけれど、これからは、あちこちの店を食べ歩いてしまいそうだとも思う。

さてさて、ランチを終えたら、お買い物。「必要最低限のものを」と思ってはいたけれど、たとえ半年でも、毎日暮らすとなると、用意すべきものがたっぷりで、買い物リストも長くなる。鍋窯食器の類いに、照明器具やバスルーム用品、キッチン周りの小物、ベッドリネンなどあれこれ。こんなときに便利なのは、全米に店鋪を持つBED BATH & BEYOND。

ためていた「1商品につき20%OFF」のクーポンを手に、いざ、お買い物。店はたまたまクリアランスセール中で、ずいぶんたくさん買い物をしたけれど、思っていたほどの出費でもなく、ご満悦。

それにしても、西海岸の日差しは強すぎて強すぎて、長そでを着ているのに、日焼け止めを塗っているのに、ここ数年、紫外線アレルギーのわたしは、腕や首筋に発疹が出てしまい、困っている。引っ越し準備から長旅、そしてまた引っ越しと、ここしばらく落ち着きのない日々なので、疲れがたまっているのかもしれない。早く身辺を落ち着けたいものだ。

夜は近所でチャイニーズ。このあたりはどの店も、安くてそこそこにおいしい。おしゃれな店は少ないけれど、生活するには悪くない。夜になると、通りはライブハウスやプールバー、パブ、クラブなどの灯がともり、昼間とは別の表情。あるライブハウスの前に、若いインド人ばかりの長蛇の列! 聞けば英国から、インド人に人気のミュージシャンが来ているのだとか。夫は知らなかったけれど。

わたしたちは、アイリッシュパブでビールを飲み、20年前、30年前に流行ったようなロックを歌うバンドに合わせて、飲んで踊って、もうすっかり疲れ切っているのに、だからハイになっているのか、むやみに楽しい夜だった。

 

※ファーマーズマーケットの様子。

 

JULY 3, 2005  少しずつ、我が家。

久しぶりに、ゆっくりと朝寝した。10時過ぎにベッドを出て、キッチンを片付けて、初めての朝食。初めてのパン、初めての食器、初めてのトースター、初めてのコーヒーメーカー。今日はニンジン&キャロットジュースではなくて、友人から教わった「豆乳、ほうれんそう、バナナ、リンゴ」のジュース。想像するより飲みやすい、むしろおいしいヘルシージュース。

まだまだ、部屋は散らかっているし、来週にはワシントンDCから段ボールが30箱ほど届くし、しばらくは片付かないけれど、それでも毎日をきちんきちんと過ごしてゆこう。

朝食を食べて、しばらく片付けて、そうしたらまた眠たくなって、ベッドにごろんと横たわって、この部屋にもまた気持ちのいい風、青空と揺れる緑の木の葉を眺めているうちにまどろんで、ふと目を開けたら、いつのまにか夫も横で寝息を立てていて、そうだわたしたちは疲れているのだから寝たっていいのだ、と思い、再び目を閉じる。

3時ごろになってようやく起き上がり、遅めのランチを食べる。夕方になって、わたしはお買い物に。まずは昨日のBED BATH & BEYOND。買ったテーブルクロスが小さすぎたのでお取り替え。それから、食料品を買いに、我が愛すべきWHOLE FOODS MARKETへ。ワシントンDCのいきつけの店よりも広く、さすがにカリフォルニアだけあってワインの品揃えも豊富。驚くほどに潔いラベルの、ナパ産のピノ・ノワールを買った。

それから今度は、日本のスーパーマーケット、NIJIYAへ。こんなにたやすく、日本の食材を手に入れることができていいのでありましょうか! と言いたくなるほどに、もう、あれこれあってたまらない。サンノゼのジャパンタウンにあるという老舗「サンノゼ豆腐」の木綿豆腐もある! 迷わずカートへ。米みそ醤油の類い一切をまとめて買い、これで日本料理もOKだ。

そうこうしているうちに、日差しが鋭角に降り注いでくる時刻。それにしたって、降り注ぐサンシャインにもほどがある。昨日「日除け対策」の一貫として購入したパーカ付きの木綿のジャケットを着て、ジッパーを首のところまでぴっちり閉めて、それからパーカを被って、サングラスをかける。我ながら炸裂したファッションだ。吉田戦車のマンガに出てくるキャラクターみたいだ。それにしても、世間は日差しもなんのその、平気な顔をして運転している。どうなっているのだいったい。

家に着くころにはもう8時。夫はプールで泳いできたらしく、すがすがしい顔をしている。わたしは早速キッチンに立ち、炊飯器がないので、鍋でご飯を炊く。それから、昨日、ファーマーズマーケットで買ったチンゲンサイと、今日、NIJIYAで買った黒豚の薄切り(薄切りがうれし〜)、椎茸などで中華風炒めもの。それと、木綿豆腐。なんだか品数が少ないけれど、外食続きの果て、この質素さがいいのである。

そして、新居での、初めての夕餉。ワインもおいしい。木綿豆腐もとってもおいしい。チンゲンサイと豚肉の炒め物もおいしい。ご飯はちょっと柔らかすぎたけど、上等だ。食後のチェリーも格別。

新たな門出には、いつだって、不安はつきものだけれど、いや、わたしには、不安などないのだけれど、おいしいものを食べて、元気を出して、楽しく暮らして行こうではないか!

 

JULY 4, 2005  独立記念日。

July 4th。独立記念日。午前中、近所を散歩した。午後には当面の片づけも完了した。すっかり落ち着いた。

夕暮れ時に、プールへ行った。ちょうど日陰になっていて、だから日焼けの心配もない。ほのかに温かいプールで泳いだあと、湯気の立ち篭めるジャクジーに浸かる。その湯加減のすばらしいこと。心身が、みるみるうちにふやけていく。「熱くて気持ちいいね〜。日本の温泉みたいだね〜」と、夫もご満悦。バルコニーでバーベキューの準備をするご近所さんが見える。心休まる情景。

やがてさっぱりとした気分で、夕食。あちこちから聞こえてくる、独立記念日を祝う花火の音。あちこちに見える、無数の火の花。また、眺めのいい場所に住まうことができて、よかった。ニューヨークからも、ワシントンDCからも、遠い場所に来てしまった。そしてまた、もっと遠い場所に行く。あの、カテドラルを望む、屋上からの眺めが、少し懐かしい。

夜はバーに飲みに行こうか、と言っていたけれど、夫は仕事の下調べを始めた。わたしは母に電話をかけた。

 

JULY 5, 2005  そして日常のはじまり。

カリフォルニアンは早起きが多い。3時間早い東海岸と合わせるために、7時や8時から仕事を始めるビジネスマンもいる。幸い夫の会社は9時ごろからのスタートらしい。だから6時起床で十分間に合う。

ヨガをして、シャワーを浴びて、朝食を食べて、8時過ぎに夫を送りだしたらもう、すべてわたしの時間。やるべきことはたくさんあるはずなのに、どれもそんなに急がなくてもいいような気がする。

住所変更の手続きをしたり、友人に連絡をしたり、ドライブ紀行を書いてみたり、そろそろお腹が空いたな、ランチタイムかなと、時計を見たら10時半。まだまだランチには早すぎる。

会計の整理をしなきゃ。車のリースを調べなきゃ。通販でポットを注文しなきゃ。思うばかりで、なぜか手付かず。

午後は、近くのカフェで過ごす。涼しい風が吹き込む席で、しばらく書き物をする。

最低限の家具しかない部屋は、ちょっと殺風景だけれど、いくつもの窓から見える青空と木々の様子と、光が差し込んでくるさまが、何よりのインテリア。ファーマーズマーケットで買ったバラは、短く切りそろえたりしなくても、まだ生き生きと、咲いている。

ソファに腰掛けて、木の枝が風に揺れるのを眺めている。なんという平穏。

 

 

JULY 6, 2005  ご近所を散歩。

カリフォルニア暮らしに車は不可欠。今週末には、わたしの車を探しに行く。今日はそれでも、外に出たくなったので、日焼け完全防備態勢で、町を散歩した。古くからの住宅街のあたりを歩く。バラやカンナやブーゲンビリアや、名の知らぬ花々が揺れている。なにもかもが、ぱっきり、くっきりと、鋭く、鮮やかだ。

近くの大型書店(Barnes & Nobleではなくて、Borders)で休憩。カフェラテを飲みながら、雑誌をめくる。それから家の近所まで戻ってきて、マーフィー通りに寄ったら、露店の開設準備をする人たちがいる。

「今日は、ここでなにかあるの?」

「夏の間は毎週水曜日の夕方、ライブがあるの。それでマーケットも出るのよ。今日がその初日なの」

まだ日の高い5時。バーの前ではおじさんたちが、すでにビールを飲んでいる。

「今夜は、何て言うバンドが来るんですか?」

「Joe Sharinoっていうローカルのバンドだよ。すごく人気があるから早く来て、シートを確保しなきゃ、いっぱいになるよ。6時からだからね」

シートって……? 7時過ぎ、夫が帰宅するのを待たずに一人で出かけた。うわ、大変な人出だ。バンドの前では踊る人たち。なるほど、各自が自分で折り畳み式の椅子やらマットやらを持ってきて、ビール片手に音楽を聴いている。わたしもバーでビールを買い、立ち飲みながら音楽を聞く。20年前、30年前に流行ったような、耳慣れたロックやポップミュージックが次々に流れてくる。

やがて夫もやってきて、二人でひと踊り。それから家に帰って夕飯を作って食べた。外はまだ明るくて、長い一日。

※ご近所の様子。

 

JULY 7, 2005  記念日。

普段は、カリフォルニアやスペインやイタリアのスパークリングワインで十分なのだけれど、
「今日は特別な日」と、区別をつけるために、シャンパーンを開けた。
そのラベルの鮮やかな黄色や、コルクキャップの肖像(ちょっと怖いマダム・クリコ)は、
いつもと変わらぬ夕餉の食卓に、華を添えてくれる。

9年前の今日、出会えたことを、
来年も、10年後も、20年後も、50年後も、「よかったね」と思い返すことができたなら。

 

JULY 8, 2005  本と、地図と、麦の穂と。

一度くらいは電車に乗っておこうと、Cal Trainで、パロ・アルトに行くことにした。午後、太陽が真上にあるころ、ホームの、木陰のベンチで、列車が来るのを待つ。フォレストガンプみたいな気分になる。汽笛と共に、列車がやってくる。2階だてだ。

15分くらいで、パロ・アルトについた。去年の暮れに、夫の出張に伴って来たときに、この町のホテルに泊まった。スタンフォード大学のある町。大きなショッピングモールのある町。

電車を降りて、目抜き通りであるUniversity Avenueを歩いて、ちょっと脇道に逸れたら、かわいらしいカフェを見つけた。オーガニックのサンドイッチやサラダがメニューにある。この次は、ここでランチを食べるのもいいかも……と思いながら通り過ぎて、スタンフォード・ショッピングモールへ。

ブルーミングデールズやメイシーズが併設された、大規模なモール。久しぶりに、洋服などを見て歩き、試着もしたけれど、結局は買わないまま、ブックストアでしばらく立ち読み、座り読み。

シリコンヴァレー周辺地域のガイドブックと、地図と、サンフランシスコのカフェのガイドブックを買った。

この間、立ち寄ったフランスのベーカリー、"La Baguette"で、アイス・カプチーノと、プレーンのブリオシュと、エピ・バケットを買った。テラスのテーブルで、カプチーノを飲み、ブリオシュを食べる。バケットはお持ち帰り。

エピ。麦の穂、という名のバケット。「穂」という言葉には、親しみを感じる。エピ・バケットには、今回ラスヴェガスでいい思い出があって(まだ書いていないけれど)、それが目に入った途端、買わなくちゃ、と思った。

思ったよりもずっと大きいそのバケットは、しかし持ち帰るのが大変だった。大切に、赤ちゃんみたいに抱きかかえているというのに、とんがりが紙袋を破いたりして。やがてくたっと折れたりして。電車でのお買い物には不向き。

明日の朝は、このパンを焼いて、ナイフで少し切り目を入れて、埋め込むみたいにバターをつけて、溶かして、食べよう。おいしいコーヒーを淹れて。それからまた、野菜や果物を買いに、ファーマーズマーケットへ行くのだ。

 

JULY 9, 2005  太平洋を越えて/ PURE LAND

目覚めて一番に、ブラインドの隙間からのぞく朝は、青空と、木の葉の緑と、光を映した白。毎朝が、こんなに爽やかでいいのだろうか、とさえ思う。

今日は、トートバッグを二つ用意して、現金を多めに財布に入れて、ファーマーズマーケットへ出かけた。たっぷりの野菜と果物とパン、そしてチーズケーキを買った。味見をさせてもらったら、とてもおいしかったのだ。

「これ、とてもおいしいですね。何が入っているんですか? 作るのは難しい?」

料理がまったくできないわりに、食べ物に関しては好奇心旺盛な夫が質問する。

「クリームチーズにサワークリーム、卵に砂糖にグラハムクラッカー、それからヴァニラエッセンス。2時間かけてゆっくり焼くの。最初はふわっと膨らんで、それからしぼんで、こんなふうに、きゅっと詰まった感じになるのよ」

「どこかにお店を持っているの?」

「いいえ、これはわたしの趣味なの。平日はエンジニアをやっているのよ。土曜だけ、こうしてここに店を開くの」

彼女の笑顔も加わって、チーズケーキはよりおいしくなる。

夕方になって、サンノゼまで車を飛ばした。「サンノゼ日本町」で、盆踊りが開かれているのだ。毎年7月「旧暦盆」に合わせて行われるというこの盆踊りは、日本町きってのお祭りだという。いつもは閑散としているであろうその通りの周辺は、浴衣や法被を着た大勢の人たちで溢れかえり、焼きイカの、醤油が焦げる香ばしい匂いが漂っている。

この地に最初の日系移民が訪れたのは、明治時代、1890年代のこと。彼らは、果樹園の季節労働者としての仕事を求め、太平洋を渡り、サンタクララ・ヴァレーにやってきたのだった。1900年代に入り、彼らはこの地に下宿や銭湯、ビリヤード場などを作り、小さな「日本町」を形成していった。

やがて、日本から女性たちを呼び、「日系一世」から、「日系二世」と、次の世代をこの地で育みはじめる。今や「三世」「四世」「五世」の世代となり、その容貌からは、日本の血の雫を見い出すのが困難な人も多い。

髪を結い、浴衣を着、団扇を片手に盆踊りを、踊る日系アメリカ人たち。彼らにとって、日本とは、なんだろう。わたしにとって、日本とは、なんだろう。椰子の木が見守るその下で、提灯の灯が揺れている。

浄土真宗の「サンノゼ別院」に入った。副住職の男性が、質疑応答をしていたので、また夫が尋ねる。親鸞聖人の教えについて。浄土について。わたしはすでに、日本町のその混沌の盆踊りの様子に、気持ちが混乱してしまい、呆然とした思いで話もろくに聞かず、ただきらびやかな金の祭壇を眺めていたのだが、彼が口にした一言が、耳に飛び込んできて、はっとした。

浄土とは、"Pure Land"、なのだ。

日本料理店で夕食を食べて、夕暮れのハイウェイで帰路に着く。たちまち視界が開けて、四方の彼方に連なる山並と雲海。澄み渡る空の広さ高さ! 細い細い三日月が、心臓を射抜くように寂寞。車を降りれば風が冷たく肌寒く、百年前の果樹園に思いを馳せる。

 

JULY 10, 2005  静かな夜のために

「しばらく、TV、買うのよそうか」
夫の提案に異存はなかった。
いつもTVを観ていたのは、彼の方だったから。
各々がソファーに腰掛け、新聞を読みながら、お茶を飲みながら、
過ごす夕餉のあとのひととき。
パラ、パラ、と、新聞をめくる音。
満たされた、温かな時間。

 

JULY 11, 2005  

移転のお知らせをしたためようと、
新しい窓辺で、古いアドレスブック開く。
東京時代、ニューヨーク時代、ワシントンDC時代……。
巡り会った人々。蓄積してきた時間と経験。そして今、手元にあるもの。
木の葉のそよぎを眺めていたら、何もかもが幻のように思えた。
生まれてからの20年。二十歳からの20年。そしてここからの20年。
知り得ぬことの多さに、途方に暮れることもあるけれど、
自分の好奇心に応じられるたくましさを、これから先もずっと。


まだ早い夕暮れのキッチンに立ち、夕餉の素材を調える。
その、生命力に満ちあふれた野菜らは、
見ているだけでも、触れているだけでも、栄養になる。
それにしても、見事な黄色。

 

JULY 12, 2005  汽笛

夕暮れの
踏み切りの
鐘の音の
哀愁の
夕映えに現る
列車の
汽笛かん高く
凍てつく大気。

 

JULY 13, 2005  要不要

ワシントンDCから、荷物が届いた。大中小28の段ボール箱。
この1カ月間、なくて済んだものが、これから先のわずか数カ月間、必要なんだろうか。
なくたって、やっていけるんじゃないだろうか。
そう思うと、開封する意欲が激減だ。
などとつべこべ言っている場合ではないのだ。
さっさと片付けねば!

 

JULY 14, 2005  一週間

月曜日は掃除洗濯〜 フェイシャルでお肌の手入れ〜
火曜日は仕事ちらほら〜 でもちっともはかどらなくて〜
水曜日は荷ほどきもせず〜 夕方にはライヴでビール〜
木曜日は髪の毛切って〜 サンタナ・ロウでマッサージ〜

何をやっているのだか、という間に過ぎ行く一週間。それにしても、毎日毎日がいい天気で、いい天気すぎる。話によると、このシリコンヴァレー界隈は全米で最も気候がいい場所らしい。住み着くと、離れられなくなるらしい。なにしろ朝晩涼しいし、湿気はないし、冷房不要。昼間の日差しは強いけれど、だからって暑くてたまらない、なんてことはない。

バルコニーのドアを開けていても、蚊がいないから大丈夫。でもその分、小バエが多いのが難。しばしばワイングラスに飛び込んでくる。フルーツ周辺にも集ってくる。たまに大バエもやってくる。ブイブイと、ちょっとうるさい。

さて、今日は終日クルマで外出。まずは日本のスーパーマーケットMITSUWAを見学。夫の好きなロッテのガーナチョコレートを数枚買う。

それから向かいの紀伊国屋で読みたかった本を購入。村上龍の『半島を出よ』上下巻。うれしい。生まれて初めて「徳島ラーメン」というのを食べた。メニューの冒頭に、店主から「好き嫌いが分かれる味」という断り書きが理由とともに延々と記されていた。不評を買うことがあるのだろうか。わたしは「好き」だった。

それから久しぶりに髪の毛を切りに行った。リサーチの末に発見した日本人のヘアスタイリスト。長さはそのまま、のつもりだったが、気づいたら、これはショート……? その後、サンノゼで「最も洗練された一画」であるサンタナ・ロウ (SANTANA ROW)を探索。明確な都市計画の上に造り上げられたらしき、地中海沿岸の欧州風街並み。

高級ブティックやお洒落なレストラン、カフェなどが立ち並び、行き交う人もどことなく小ぎれい。お気に入りのキッチンウエアの店、SUR LA TABELがある。欲しいものがたくさんあるけれど、物を増やしている場合じゃないと、一瞥して立ち去る。肩凝りがひどかったので、見つけたスパでマッサージをしてもらい、リラックス。

それからフレンチなベーカリー&ペイストリーのカフェ"COCOLA"で、『半島を出よ』を読みながら、コーヒーとともにリーフパイを。おいしい! のでおみやげに、マンゴームースとアップルタルトを1つずつ。

夕食後に食べたデザートは、ことにマンゴームースが格別! そういえば、インドはまだマンゴーの季節かしら。じっくりと、腰を落ち着ける間もなく、また次の旅。やるべきことを、片付けなければ。

 

JULY 15, 2005  紫陽花

紫陽花は、雨の季節の花です。
そんな国に生まれ育ったので、
屈託のない日差しを、
さかんに浴びている、
むらさきやももいろの花々を見ると、
「違う……」
と、思う。

 

JULY 16, 2005  情熱の行方

また土曜日で、また市場へ行く。今日もまた、野菜や果物やパンを。そして「ゴッホみたいな」ひまわりを。しんとした部屋がたちまち、華やぐ。

午後。先月できたばかりの、カリナリースクールのオープンハウスへ。プロのシェフを養成するための学校の説明会だ。レストランシェフと、ベーキング&ペイストリーシェフの2コース。わたしの関心は後者。時間的に、受講は無理だろうとは思いつつも、出かけた。

著明なシェフでもある講師らから、半年間、徹底的に学び、実際のレストランのキッチンで2カ月実践する。いつここを離れるかわからない身の上で、月曜から金曜まで6カ月、プラス2カ月のインターンに、専心することはできない。とわかっていても、新しい何かをはじめたくて、うずうずとした。

「少しでも休んだら、ついてこられません。2マイル先に住んでいるから便利だし、なんて理由で入学するのはやめてください。あくまでも、情熱の問題です。宿題もたくさんあります。ある生徒は、毎朝7時に始まるクラスに参加するため、サンディエゴからロサンゼルスまで来てました。昼に授業を終えたあと、とんぼ返りで子供を学校に迎えに行ってましたよ。大切なのは情熱です。どれだけ真剣に、技術を身につけたいか。熱意が勝負です。やり遂げれば、夢は叶います」

説明会のあとのデモンストレーション。3種類の焼き菓子を作ってみせるシェフ。甘い香りに満ちた部屋で、我が行く先に思いを馳せる。

 

JULY 17, 2005  あからさまに

日曜日。サンノゼでWOMEN'S EXPOが行われているというので、どんなものかと出かけてみた。コンヴェンションセンターには、ジュエリーや、インテリア雑貨、石鹸・ソープ、衣類その他、さまざまなブースが並んでいる。中央にはワイナリーのブースがあり、ワインテイスティングも行われている。

比較的、人出は少なく、スモールビジネスの発表会、という感じではあったけれど、一通りを眺め歩く。スパやマッサージ、カイロプラクティックや鍼灸のブースもいくつかある。

「マッサージはいかがですか?」

あちこちから声がかかる。実は一昨日、「荷ほどきは、荷造りに比べれば楽勝だわ!」と、一気に片づけを済ませたら、翌朝、寝違えて首筋が痛いままだった。気分的には無理をしているつもりでなくても、身体はついてきていないのね。とほ。と思っていた矢先だったので、積極的にお試しマッサージを受ける。わずか5分ほどだけれど、ずいぶんと肩が軽くなった。

別のブースでは「筋肉の様子をスキャンできます」というので、試してもらった。首筋にローラーをちょっとあてるだけ。コンピュータのモニタに自分の首筋の状況が現れる。左は正常モデル。右はわたし。痛めている右側が、顕著に赤くなっている! こりゃすごい。しかしそれを見たあとは、余計に首が痛くなった気がして、やな感じ。

結局2箇所でマッサージをしてもらい、気に入ったクリニックに今度出かけることにした。WOMEN'S EXPO。なにをしに行ったのか、よくわからない。

 

JULY 18, 2005  I am calling you

日毎、淀みない空。乾いた空気。
アパートメントの回廊から見える給水塔。

遠い日、遠い人と観た、"Bagdad Cafe"。
それがドイツ語訛の英語だなんて、
あのときのわたしには、わからなかった。
ブーメランが、風を切りながら飛ぶ音。
けれどわたしは、戻らなかった。

 

JULY 19, 2005  失われたもの。

近所にはいくつかの、鍼のクリニックがあって、せっかく近くにあるのだから行ってみようと、肩こりや首の痛みをほぐすために、出かけた。幸いドクター・リーは、鍼を教えもしているプロフェッサーで、経験も知識も豊かそうだった。丁寧な問診のあと、力ある指先で患部をほぐし、しっかりと鍼を刺してゆく。

治療のあとは、気だるい心地よさ。「ドクターは中国出身ですか?」「中国生まれだけれど、台湾で育ちました」 中国と、台湾の話が始まった。彼は共産主義を憂い、今の中国を憂い、失われた文化を嘆き、「取り返すまでには五世代かかる」と、何度も言う。そもそもはシリコンヴァレーでエンジニアをやっていた彼は、しかし仏教やヒンドゥー教、東洋医学に関心を持ち、十数年前に人生の転換を図った。

簡体字を用いる中国に対する彼の嘆きは深い。「文字を簡略化することは、文化も、精神も、簡略化することです。わたしは中国からの生徒に東洋医学を教えながら、その悲惨な現状を目の当たりにしています」 そう言いながら、漢字を知る日本人であるわたしにいくつもの例を示す。

「東洋医学に‘穀氣’という用語があります。簡体字は繁体字の音を借用する場合が多いから、穀を谷と書きます。‘穀氣’が‘谷氣’となるわけです。簡体字の資料を英訳すると、"GRAIN"であるべきが全く意味の異なる"VALLEY"になってしまう。つまり簡体字では、中国のあらゆる古典が理解できないのです」

「ある女性は、わたしをリーと呼んで下さいと言う。漢字は麗ですか、それとも莉ですか、とわたしが問うのに、どちらでもいいと言うのですよ」

窓の向こうで街路樹が揺れている。網戸越しに、涼しい風が吹き込んでくる。時を持て余したご隠居さんのように、失われた文化について、いつまでも語り合う、夕暮れの診察室。

 

JULY 20, 2005  水蜜桃

夏の間は、水曜日の夕暮れにも、市が立つ。
土曜日に買った果物は、すでにもう、食べてしまった。
また今日も、瑞々しいネクタリンやピーチを。
匂いを嗅ぎ比べて、香りの強いものから食べる。
切りながら、味見をする。
こんなにもたっぷりの果物を、朝な夕なに食するのは、
はじめてのことだ。
こうして身も心も、カリフォルニアンになってゆく。

 

JULY 21, 2005  叫び。

毎日毎日、死んでいく人の記事に満ちあふれた新聞。涙、苦痛、悲劇、地獄。今日、目にとまった、個人の広告。

「婚約者を救うために、どうか力を貸してください」

日曜日に、Shariの肝機能が停止してしまいました。彼女を救う道は、肝臓を提供してくれるドナーを見つけることしかありません。それも2、3日うちに。できれば今日中に。彼女を救うためだったら、何でもします。彼女に必要なのはO型、もしくはA型です。……10月15日に、僕らは結婚式を挙げます。どうか彼女を、その場に、立ち会わせてください。お願いします。Robby

この地球上で、今この瞬間、泣いている人、笑っている人、どちらの方が多いのだろう。

 

JULY 21, 2005  夕涼み

夕餉のあとのひととき。
バルコニーに出て、涼む。
夕涼み、ということばのひびき。
のうつくしさ。

今、世界中の空に満月。
暗闇を、煌々と照らすもの。
のうつくしさ。

 

JULY 22, 2005  新しい運転免許証を。

この国では、別の州に引っ越した際、運転免許証を作り直してもらわなければならない。本当は、「引っ越してから10日以内に」が原則らしいが、気付いたときには10日を過ぎているのが普通だと思う。DMV (Department of Motor Vehicles ) へ行き、車両登録をして、カリフォルニアのライセンスプレートをもらって、それから運転免許証発行の手続き。ニューヨークからDCに移ったときには、資料提出と視力検査だけですんだのに、カリフォルニアはペーパーテストを受けなければならない。夕べ、あらかじめDMVのホームページにある「模試」を何度もやっておいたのに、出てきた問題は大半が模試とは異なっていて、慌てる(どうやら、違う模試をやっていたらしい。わかりにくいウェブサイトなのだ)。32問中、間違いが6つまでなら合格。7つ以上は再試験。ぎりぎり間違い6つで合格。ドキドキした。新しい免許証は郵送されて来るという。さて、いったいどれほどの間、使うことになるのだろうか、新しい免許証。

 

JULY 23, 2005  新しい1週間のために。


※香り付き

食料品の買い出しは、ワシントンDC時代から、週に一度、週末に。たまに平日、調達することもあるけれど。ここに来てからは、土曜日が買い物の日。朝、ファーマーズ・マーケットで買い物をして、午後、WHOLE FOODS やNIJIYAへ行く。

今日、ファーマーズ・マーケットで買った食料を、テーブルに並べてみた。新しく、フランス系のベーカリーが店を出していた。おすすめのサワードウと、エピ・バケットを買った。それからドイツのベーカリーではハラブレッドを。いつものイタリアンは、また今度。

すでに4度目となって、店の人とも顔なじみ。インド人と日本人の組み合わせはそう多くないから、覚えられやすいのかもしれない。レモンキューカンバー(レモン・キュウリ)という野菜を初めて買った。どんな味がするのか楽しみだ。先々週、初めて買ったニガウリは、ゴーヤチャンプルーを作ってみたけれど、灰汁抜きをしてもなお苦すぎて、とてもおいしいとは言えなかった。この野菜は、おいしいことを願って。

それにしても、たっぷりあるようにみえても、1週間分にはまだ足りない。まだ買い足すべき食品がある。人はどれほどたくさんのものを食べて生きているのだろうと、俯瞰して見て、改めて思う。

WHOLE FOODSでは、ファーマーズ・マーケットにはない乳製品や加工食品、バナナやリンゴ、ワインや日用雑貨を。NIJIYAでは、豆腐やコンニャク、生でも食べられるオーガニックの卵、薄切り豚肉&牛肉、地鶏などを。お買い得品でサーモンの刺身、それから土用丑の日ウナギも買った。

ガラス瓶に入ったようすがかわいらしくて買ったオーガニックの牛乳。産み立て卵と、そのガラス瓶。よく似合う組み合わせ。これにバターと小麦粉、砂糖で、おいしいお菓子が焼けそうだ。

近所にはレストランも多いから、週末は外食を、と思っていたけれど、これだけ豊かに食材が揃うと、外食したいと思わなくなる。本当に、この界隈での暮らしは、食生活に恵まれていると思う。

ファーマーズ・マーケットで買った花。ジャスミンのような、甘くまろやかな、しかし強い香りを放っている。店の人に花の名前を尋ねたら、"TUBEROSE" だと教えてくれた。日本では、「月下香」という名前のよう。テーブルの上に飾っていると、窓辺から風が吹き込むたびに、ふんわり、いい香りが漂ってくる。

 

JULY 24, 2005  月の下で香る花

「月下香」の名のとおり、
夜になるとひときわに、
あでやかな香りが高まる。

網戸の向こうに欠け始めた月。
宵の風はひんやりかろく、
部屋いっぱいに、花を満たす。

 

JULY 25, 2005  ささやかな成果

何をするにも、気持ちが乗らない一日。
集中力が続かない月曜日の午後。
甘いお菓子が食べたくなる。
けれど甘いお菓子がないので、
クッキーを焼こうと思う。

バターと砂糖を混ぜて、ふわふわにする。
そこにぽとぽと卵黄を、落としては混ぜ、落としては混ぜる。
週末に買った地鶏の卵は、見事な黄色。

バターと砂糖と、共に混ざり合うその過程の、
そのクリーム色と黄色がうつくしい。

すっかりと色が溶け合ったら、
シートの上に、スプーンで、ぽとぽとと落とす。

オーブンからあふれてくるいい匂い。

焼き上がりを冷ます間に、
ニルギリティーでミルク紅茶を。

一口囓ると、ほろほろと崩れ落ちる、
なぜかサブレみたいなクッキーになった。
それもまた、おいしい。

さて、残された今日一日をまた、
きちんと過ごさなければ。

 

JULY 26, 2005  帰国。

「なんじゃこりゃ〜!!」と、声を上げずにはいられない、そんな東京の地下鉄路線図。急の帰国にばたばた準備。東京へは3年ぶり、福岡へは1年ぶり。航空券手配、東京のホテル予約、友人らへの連絡、帰国前に仕上げる仕事、そして細々とした雑用……。急にあれこれが押し寄せて、クッキー焼いて、呆けてる場合じゃなかろうもん! という気ぜわしさ。それはともかく、東京の移動に不可欠な地下鉄路線図を入手せねばと、インターネットでダウンロード。印刷してみて、呆然とする。かつては毎日見ていた路線図が、「難解な図」にしか見えない。見ているだけで、早くも息苦しくなってくる。折しも日本は蒸し暑い最中。気合いをいれて行かんとな。西海岸の風にふらふら漂っている場合じゃないな。ホテルは銀座に予約を入れた。銀座は比較的静かだし、大人の町だし、好きな場所。あとは表参道には行きたいな。新宿、渋谷は人込みにやられてダメだろうな。でも、久しぶりに行ってみたい気もするな。思えば一人で帰国するのは、8年ぶりのこと。夫の通訳に気を取られることなく、心おきなく日本語で過ごせるのだ。なんだか、わくわくしてきたぞ。

 

JULY 27, 2005  写真館

近所に写真館がある。肖像写真が必要になり、自分のデジタルカメラで撮ることもできるのだが、せっかくだからプロに頼もうと、昨日出かけたのだった。写真好きな老齢の店主を思い浮かべてドアを開ければ、数年前に店を開いたというコリア系アメリカンの男性。写真の使用目的を尋ねられ、パッケージを勧められ、それからスタジオへ。「腕を組んで」「顔はやや右に」「次は椅子に座って」「ちょっと上目遣いで」「笑って〜」「大きく笑って〜」「はい、右手を首にあてて」……言われるがままに十分ほど。「あなたは日本人なのに、こういう言い方は失礼かもしれないけど、あなたは本当に、コリアンみたいですね。知り合いの奥さんと話しをしている気分になります」そう言って、フレンドリーな笑顔を見せる。わたしはよく、コリアンやチャイニーズと間違えられるのだ。コンピュータ上で気に入った4枚を選び、背景のリクエストもしておいた。そして今日、仕上がったデータと写真を受け取りに行った。いかにも「アメリカン」な雰囲気の、芝居じみた雰囲気が我ながらおかしい。首筋に手をあてているのは、「寝違えた首が痛いわ」という感じだけれど、彼が気に入っているようなので選んだ。たまにはこうして、プロに撮ってもらうのも、いいものだと思った。

 

JULY 28, 2005  裏側の世界から

航空券も確保して、友人らとも連絡を取り合い、少しずつ、東京での予定が見えてきた。それにしても、東京は暑いらしいね。というか、日本全体が暑いらしいね。「35度なんてざらよ」「しかも蒸し暑いし」そんな声が聞こえてくる。それじゃまるで、ニューデリーじゃない。いや、インドの夏は、もっと厳しいだろうけれど。

インドといえば、ニューデリーの郊外の、ホンダの工場では労働者の解雇を巡って従業員の騒動が起きている。ムンバイは30年ぶりだかの大雨で、街中が川になっていて、停電やらなんやらで大変だ。思えば当初の予定では、明日、インドへ向けて出発するはずだった。ムンバイにも行く予定だったから、延期になったのは幸いだった。こんな濁流だもの。目的地まで、ひと泳ぎ、って感じだし。

さて、ひと仕事片付けた後、夕食の下準備をして、プールに出かける。毎晩7時半から8時にかけての日課。帰宅した夫が合流することもある。夕暮れから夜にかけての時刻。温かな肌色の空が、涼しげな紫色になり、やがて深い藍色に染まってゆく。そんな空の様子を、ジャクージーに浸かりながら、眺める。

現実なのに、現実の裏側にいるような気がする。こんな場所での、こんな暮らし。

ファーマーズマーケットで買っていた完熟のトマトで、ガスパッチョを作った。トマトと、紫タマネギと、ニンニクと、キュウリと、赤ピーマンと、ベイジルと、オリーブオイルと、塩。それらをブレンダーで混ぜ合わせるだけ。夏の夕暮れにぴったりの、涼しくて、ヘルシーなスープ。

日系のスーパーマーケットで買っておいた「骨付き地鶏肉:鍋物用」で煮付けを作った。熱した油に鷹の爪、生姜を入れて軽く炒めて、半解凍の地鶏を加えて軽く炒めて、それから醤油と酒とみりんを加えて、高温でガーッと煮込むと、なぜかおいしくできあがるのだ。高温で煮込むなんて、掟破りなのかもしれないけれど、ふんわりこってり、味も染み込むから不思議。

とはいえこの方法は、あくまでも「骨付き地鶏肉:鍋物用」に限る。ニューヨーク時代、忙しかったころ、MITSUWAで買った「骨付き地鶏肉:鍋物用」を、短時間で煮込もうと強火で調理して、偶然にもおいしく作ることができたのだ。などと、のんきに料理を語っている場合ではないな。来週は、超現実的な東京へ行くのだから。

 

JULY 29, 2005  タフだから死なない

日本に帰るのに、気の利いた服がない。
Tシャツばっかりだ。
と思って買い物に行ったのに。
またTシャツを買ってしまった。
しかも、こんなの。BOB DYLANのファンでもないのに。
「タフだから死なない」のコピーにひかれて。
意外に好きなのね。こういうの。
しかし、どうするんだ、いったい。

JULY 30, 2005  ガーリック・パラダイス

盛大な祭りだ。との噂を聞いたので、ともかく行ってみることにした。車で30マイルほど南に走って、ギルロイという町へ。ガーリックの産地だというここでは、毎年「ガーリック・フェスティヴァル」が開かれているという。

在シリコンヴァレー31年のドクター・リーによれば、数年前からギルロイは、「ガーリックの産地」を返上して、中国などから輸入することに決めたらしい。もちろん、今でも農家はあるけれど、ともあれ、輸入しているらしい。

それはさておき、ともかくは、ニンニク祭りだ。ハイウェイを降り、"GARLIC FESTIVAL PARKING"のサインを辿って延々と、渋滞の中を走っていく。まだ〜? まだなの〜? というくらいに走った果てにたどりついたのは広大な空き地。砂埃を上げながら、車を停める。車を降りたと途端、灼熱の日差しに降り注がれて、やられる。暑い。けだるい。

「ギルロイはここよりも、華氏10度は、気温が高いですよ」
すでに我が家の主治医と化した鍼のドクター・リーが言うとおり、わずか30分ほど南下しただけなのに、サニーヴェールよりもずっと暑い。日射しも抜群に強い。

テントの張られた会場にたどりつくまでに、サンダルも、ジーンズの裾も、砂埃だらけ。なんとワイルドな祭りだこと。

会場は食べ物の露店がいっぱいで、どれも「ガーリック風味」がお決まりで、そんなに食べるつもりじゃなかったのに、いい香りに誘われて、ガーリックたっぷりのエビのソテー、ガーリックトースト、ガーリックアイスクリームなど、あれこれと試してみる。どれも想像以上においしくて、もっとあれこれ食べたくなったが、それでは夕飯が入らなくなってしまう。

食べ物以外にも、工芸品のブースがあれこれと出ていたし、音楽の演奏や、ロッククライミングや、なんだかいろいろな催しもやっていたけれど、ともかく暑い。日傘や帽子が売れていた。日差しに強いカリフォルニアンも、ミスト(霧)が吹き出すテントに詰めかける。

立ち去る前に、買うべきおみやげは、もちろんガーリック。どれも美しい形をしている。冷暗所に吊しておけば、1年近く持つらしい。ミディアムサイズは1束20個で10ドル。それを2束買った。ガーリックは毎日のように使うから、もう少し買えばよかったかしら。

それにしても、どんなに日焼け止めを塗っても、この地に暮らす限り、この地で外に出る限り、刻一刻と、肌は色づいていく。どうしたもんだ。

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