新しい記録は、下に書き加えていくことにしました。最新の片隅へ

 

DECEMBER 8, 2004  そしてカリフォルニア、シリコンバレーへ。

「今回は1週間も滞在するから、ミホも一緒に行こうよ!」夫に誘われて、またしても出張に同行。昨日は母と妹を送りだし、掃除洗濯に奔走し、急ぎの雑務を処理し、荷造りをし、午後10時には就寝。明朝6時半の便に乗るため、4時起床なのだ。行き先はカリフォルニア州、通称シリコンバレー界隈にあるメンローパークという街。ここには夫の会社の西海岸オフィスがある。飛行機はjet Blueという新しい航空会社。西海岸まで往復300ドル以下と格安だけれど、機内は清潔快適、食事は出ないがドリンクやスナックのサービスもあり、スタッフはフレンドリー。コンセプトが全体的に若々しい。椅子の背もたれに入った注意事項もユニーク。「隣の人と自己紹介をしあいましょう」「席を立つときはExcuse meと言いましょう」「食事は持参しましょう」「ゴミを散らかさないように」などなど。いかにもアメリカンなカジュアルさ。約7時間の旅を経てオークランド空港に到着。レンタカーでホテルまで、約40分ほどのドライブだ。

DECEMBER 9, 2004  心身の、ネジを緩める日

スタンフォード大学にほど近い、スタンフォード・パーク・ホテルにチェックイン。
椰子の木揺れる、南国情緒の漂う、アットホームな空気のホテル。
午前中は、コンピュータに向かっていたけれど、なんだか気分が散漫で。
ランチを食べに、斜向かいにあるスタンフォード・ショッピングセンターへ行く。
それにしても、西海岸の空気は、本当に開放的だなあ。
ここに来ると、しみじみと、東海岸が閉塞的に思えるよ。
空の青さも、風の軽さも、なにか、どこか、違うのだ。悲哀が似合わない。
屈託のない、直線的な感情が似合う風が吹いている。

大きな建物の中に、店鋪がぎっしり詰まっているのではなく、ここはオープンエアの開放的なショッピングモール。冬とはいえジャケットを羽織っていれば寒くはない、そんな気候。だから、外を歩くのは気持ちがいい。立ち並ぶブティックのその品揃えは、微妙に東海岸とは異なる。スポーツウエアやカジュアルウエアの店が目につく。ディスプレイされている衣服の彩りも、きらびやかで派手なものが目立つ。お店のお姉さんたちは、どことなくセクシーでチャーミングで愛嬌のある人たちが多い。それにしても、アジア人の、なんと多いこと! 人種と人種が溶け合って、まさに混血の坩堝だ。ニューヨークも、ワシントンDCも、移民の多い街だけれど、ここは格段に混ざり合っている。自分がどこにいるのか、わからなくなる。

サンフランシスコ名物の一つ、サワードウ・ブレッド。酸味の効いた天然酵母のパンだ。丸いパンの中身をくり抜いて、クラムチャウダーなどのスープを入れたものが定番。それを出すベーカリー&カフェを見つけたので、そこでランチにしようかと思ったけれど、それは食べている途中に飽きてしまいそうなボリュームだった上、そもそもサワードウはあまり好みでなかった。見た目の楽しさに誘惑されがちなのだけれど。では何を食べようか。なんだかラーメンが食べたいな。熱々のさっぱりスープにこしのある麺。と思った矢先、ヌードルショップが現れた。思い描くラーメンはなさそうだけれど、贅沢は言うまい。ダブル・ハピネスという、卵麺にチャーシュー、チンゲンサイが載ったラーメン。おいしいのかそうでないのか、なんだかよくわからない味だったけれど、すっかり平らげてしまった。

食後、モールを歩いていたら、打ち合わせを終えた夫から「一緒にランチを食べよう」と電話。すでに食事を終えていたけれど、付き合うことにした。モールへやってきた夫。「今日はなんだか、チャイニーズのスープヌードルが食べたいな」。毎日同じようなものを食している我々は、食べたいもののサイクルも、驚くほどに酷似している。けれど再びラーメン屋には入りたくなかったので、「あのヌードルショップはおいしくなかったよ」と言い切り、カフェテラスでのサンドイッチを勧めて、わたしはコーヒーを飲む。そんな妻。夫は食事をしながら、ひとしきり仕事の話をして、「じゃあね」と言って去って行った。わたしは再び、モールを歩く。

 

明日、夫の会社でクリスマスパーティーがあるという。「プレゼント交換」のためのギフト(20ドル以下)を買っておいてと頼まれて、サンフランシスコ名物のSee's Candiesへ行く。ここは、先日書いた、おいしいキャンディが売っている店。種類はいろいろあるけれど、ほとんどが甘さがきつすぎて、けれどこのToffee-ettesだけは特別。どこかで見かけたら、ぜひお試しあれ。

ヨーロピアンなベーカリーを併設したお洒落なグローサリーストアで、夜のための赤ワインと、朝のためのパン、それからいくつかのフルーツを買い求めて帰った。

 

DECEMBER 10, 2004  パンが連れてきた出会い

今日もまた、ショッピングセンターへランチを食べに行く。込み合っているフレンチベーカリーで、「パリジェンヌ」という名のサンドイッチ。バケットに軽くバターを塗り、ハムとチーズを挟んだシンプルなもの。ひと口ふた口かじったころ、白人の老婦人とアジア人の若い女性が、やはりバケットを持って店から出てきた。席を探している彼女らに、空いている椅子を勧める。「ちょっと食べづらいわねえ」「これは大きいから食べきれないわねえ」などと言い合いながら、3人して、長いバケットを、たて笛を吹くみたいに両手で持って、もぐもぐと食べる。おしゃべりをする。若い女性は1カ月前にタイから来たばかりで、老婦人は義母だという。老婦人の亡き夫はスタンフォード大学の教授で、彼女自身は音楽家で、かつてはサンフランシスコ大学で教鞭をとっていたという。旅の多い人生だったという。「1963年に、サンフランシスコから船に乗って、ハワイ経由で横浜、それから北海道へ行ったの。以来、日本へは何度も行きました」。それから会話は広がって、彼女らの話、わたしの話。3人とも、いつの間にかバケットを平らげていた。彼女らはコーヒーを、わたしはアップルジュースを飲み干していた。すっかり友人同士のような気安さで、名前と連絡先を交換しあって、別れた。

DECEMBER 11, 2004  海辺ドライブの休日【モントレー/カーメル/ビッグ・サーへ】

週末、半日は仕事をしなきゃならないけれど、あとは自由だから、どこかへドライブへ行こう、と夫。「ナパのワイナリー巡りは?」「サンフランシスコで飲茶は?」あれこれアイデアは出るけれど。カリフォルニアの地図を広げる。北ではなく、南へ行こう。1999年の初夏、雑誌の取材で、シアトルからサンディエゴまでを3週間かけてドライブした。そのときに立ち寄って気に入った「モントレー半島」が、車で2時間圏内にあることがわかったのだ。そこは古くから良港として知られ、スタインベックの小説『キャナリー・ロウ』(缶詰工場通り)の舞台としても有名。カリフォルニア文化の発祥地とも言われている。ここにはまた、USオープンが行われるぺブルピーチ・ゴルフリンクスなどを眺め走る風光明美なドライブルート「17マイル・ドライブ」などもある。ホテルを出て、海岸線へ向かう山間を走る間は雲が重かったけれど、海に近付くにつれて青空が見え始めた。やがて紺碧の太平洋が! 随所にある展望所に車を止めて、思いきり深く、海風を吸う。

ルート1を南へ走る。
ゴツゴツとした大きな岩が海に迫り出す海岸線。
茫洋とした太平洋。
ザッパ〜ン、ザッパ〜ン、と、打ち寄せる波の高さ大きさ。
こんな
ダイナミックな海を見るのは初めてだと、夫は大喜び。
西海岸はきれいだね〜。西海岸は気持ちいいね〜。東海岸は暗いよね〜。
すっかり西の空気の虜になっている。
まずはモントレー半島を通過して、更に南のビッグ・サー(Big Sur)を目指す。

蛇行するルート1。見え隠れする海。
視界が開けるたびに、"Wow!" "Beautiful!" "Incredible !"
ビッグ・サーのインフォメーションで「お勧めの見どころ」を尋ねる。
レンジャーのお兄さんに勧められたジュリア・ポイントまで、更に南へ13マイル。
車を停めて、木立を抜けて、海岸線に出る。
きらめく海! まばゆい海! 
澄んだ空気と心地よい風。
入り江の、その砂浜にこぼれ落つ滝の美しさ。
きらきらと、日差しを弾く水面はまさに、ちりばめられた貴石。

見上げると、呆気にとられるくらいに青い、ひとかけらの淀みもない、
それはもう、笑ってしまいたくなるような屈託のなさで。
こんな場所で、耳鳴りのように聞こえてくる飛行機のエンジン音は、
どうしてこんなに、心地よいのだろう。
日差しは絶えまなく降り注ぎ、
波音は絶えまなく繰り返し、
ベンチに腰掛けて、日が暮れるころまで、海を眺めて過ごすのも、
いいかもしれない。
この海の遠く彼方に日本。

海辺の牧場。
牛の親子の愛らしさ。

「日が暮れるころまで、海を眺めて過ごすのも、いいかもしれない」
なんて閃いてはみたものの、我々はすっかり空腹で、実はそんな余裕などなく。
モントレー半島に戻り、モントレーの街のフィッシャーマンズ・ワーフへ。
海を見渡すレストランで、カニのスチームや魚のグリルなどを注文する。
料理を待つ間、外を眺めていたら、すいすいと、泳ぐアザラシ!
目を凝らすと、向こうの岩場に、まるで大木のような風情で横たわるアザラシ群。
やがて泳いでいたアザラシも岩場に戻り、大木となり、
わたしたちは、いいタイミングで店に入ったねえと、
アザラシの泳ぎを眺められた我々はご満悦。

その土地土地の地ビールを試してみるのは楽しいもの。
もちろん、おいしいものばかりとは限らないけれど、
別の場所で飲むよりも、明らかに、その地で飲むとおいしく感じられる。
から不思議。
これはカーメル産の小麦ビール。
ほのかな酸味と苦味が爽やかで、シーフードにも肉料理にも合いそうな味。
最初は1本をわけて飲むつもりだったけれど、おいしかったのでもう1本追加した。
このビールは多分、別の場所で飲んでも、おいしく感じられると思う。

17マイル・ドライブを走るのもいいけれど、すでに豪快な光景を見てきたのだから、どちらかといえば水族館がお勧め。というわけで、キャナリー・ロウのはずれにあるモントレーベイ水族館へ行く。ここはわたしが今まで訪れた水族館の中で、一番気に入っている場所。仰向けになってすいすい泳ぐ、かわいい仕種のラッコをしばらく眺める。それからクラゲのコーナーへ。それはそれは美しく不思議な形をしたクラゲたちのさまざまを、ゆっくりと見つめ歩く。1ミリほどの、小さなクラゲの赤ちゃんが、身体を閉じたり開いたりしながら泳ぐ様に目を見張る。

巨大な水族館で、イワシの群れが行く。サバの群れが行く。マグロの群れが行く。新鮮な魚介類を目の当たりにして、「おいしそう、かも」と思ってしまう、浅ましき我ら。この水族館は、海洋生物の生態を調査する機関であると同時に、子供の教育機関としての役割も果たしている。あちこちに、「手で触れ合うコーナー」などがあり、ヒトデやヤドカリ、エイなどを手で触れることができる。マグロの泳ぐコーナーでは「マグロの行く末」を教える教材(?)が展示されていた。ツナ缶とツナサンドイッチ。そしてマグロの刺身など。なんともはや。

熱帯魚のコーナーは、見逃せない。
いつ見ても、そのカラフルな色合いには感嘆させられる。
どうしてそんなに? というような、奇抜なファッションの魚たち。
オレンジ色のボディに、ピンクを効かせた魚など。
深い深い海の底で、こんなにも色とりどりの世界。

水族館を出たころは、すっかり日が暮れていた。朝、もう少し早く出発していれば、17マイル・ドライブを通過して、カーメルに行けたのだけれど。取りあえず近道で、カーメルの中心地へ。オーシャン・アベニューに車を停め、お洒落なブティックやアートギャラリーが軒を列ねるあたりを歩く。海辺まで歩き、夜の海を眺め、星を仰いだあと、イタリアンレストランに入る。前菜の盛り合わせとスープ、それにマルガリータ・ピザ。運転しなきゃいけないからと、ワインさえも飲まず、二人してダブルエスプレッソを飲む。わずか1時半ほどのドライブだけれど、狭い山道を抜けるし、標識を見落としたらいけないから、運転しない人も起きていようね、と約束したのに、助手席の夫は車が動きだした直後に寝息をたてはじめた。ふとした拍子に目を覚まし、「次は17号線を北だからね!」と寝ぼけて指示を出し、再び寝入り、ホテルの近くになってようやく目を覚ました。「エスプレッソを飲んだから、よく眠れた〜」とわけのわからないことを言いながら。思いがけず充実した、楽しい土曜日だった。

 

DECEMBER 12, 2004  渋い海辺でランチ。そしてスタンフォード大学へ

海は荒海〜 向こうは佐渡よ〜

と、思わず北原白秋を口ずさむ、渋い日本海。いや、太平洋。天気が悪いというだけで、昨日とはこんなにも異なる海の表情。午前中は二人とも、コンピュータに向かって仕事をしていたが、午後にはドライブにでることにした。ホテルから車で30分ほど走り、Half Moon Bayという、ロマンティックな響きの海辺へ来たけれど、雲は垂れ込め風は冷たい。「天気が悪いと西海岸も台無しだね〜」「気分が塞ぐよね」「昨日とは別世界だね〜」。海を眺めるレストランでランチでも、と思っていたけれど、どこがいいのかわからない。またしても、紛れ込んだ国立公園にて、レンジャーのお姉さんにお勧めのスポット(レストラン)を聞く。彼女のアドバイスに従って、ルート1を北上し、海を望むその店に向かった。

店内は、サンデーブランチを楽しむ、多分地元の人々で賑わっていた。Miramar Beach Restaurant and Bar。空いたばかりの窓辺の席へ通される。ブランチらしく、ミモザと、それからサラダやエッグ・ベネディクトを注文する。料理を待つ間、灰色の濃淡の風景を眺める。ピアノの旋律に耳を傾ける。メニューに目を走らせる。この店の創業時の、女主人の白黒写真。店の歴史を記す文章に目を走らせて驚く。今から約80年前。このミラマー・ビーチは禁酒法時代、酒の密輸業者が跋扈していた港だったという。彼らはカナダで酒を買い求め、闇に紛れて港に荷を降ろした。このレストランの建物は、そもそもOcean Beach Hotelという名の「売春宿」として建設されたのだという。ホテルの入り口に"Johns"というサインが出ていれば、それは「現在、娼婦が待機中」の合図だった。この宿で、男たちは酒を飲み、ギャンブルをし、女を買った。薄暗い部屋。低い声が重なり溶け合う喧騒。グラスを回る氷の音。立ちこめるタバコの煙。重く気だるい酒の匂い……。束の間、遠い日のこの場所に、思いを馳せる。

気ままに積み重ねられた五線譜を携えて、ピアノマン。
顔なじみの客たちと挨拶を交わし、巧みに指先動かす、ピアノマン。
日曜のランチタイム。一週間で最も大切なひととき。
動き続ける音楽があるだけで、ひときわ、心がときめく。
曲名も、技巧も、何も知らない、
自分たちの食事や会話に夢中の聴衆の前で、
微笑みながら鍵盤を叩くのもまた、すてきなこと。
気づかぬうちに人々は、音を、楽しんでいる。

食事を終えた午後。少し雲間が晴れてきた。ホテルに戻る前に、スタンフォード大学に立ち寄る。正門から、椰子の並木が延々と連なる道。その南国的な開放感に目を見張る。広大な芝生の広場。彫像が立つミュージアム。そして美しきモザイクの教会。キャンパスは、まるでスペインのアンダルシア地方。観光名所を歩いているよう。夫はなぜか無口だ。しばらく無口だ。そしていかにも、残念そうに言った。「この大学に、来ればよかった……。冬はものすごく寒くて、GEEK(ガリ勉/オタク)ばっかりのMITじゃなくて」。大学受験に際し、夫は呆れるほどたくさんの、米国の大学を受験した。ニューデリーにいた彼は、あらかじめ大学を見学することができず、人の話や資料を頼りに、どの大学に行くべきか、悩んで悩んで絞り込んだ。そして最終的に残ったのが、スタンフォード大学とマサチューセッツ工科大学だった。今なお二者択一が苦手な夫。そのときの悩み方は度を超えていたらしく、家族は相当に辟易したのだと、以前、義姉のスジャータが話していた。「僕はこの大学で、学生ビザの申請もしたんだよ。でも、ぎりぎりになって、MITにしたんだ。ああ、僕は、愚かだった!」

擦れ違う女の子たちを横目で追いながら「もしもここに来ていれば、ブロンドにブルーネットにオリエンタル、チャーミングなガールフレンドたちに出会えたはず!」と夫。呆れて返す言葉もない。とはいえ、こんなキャンパスで学生時代を過ごせるというのは、なんだかとても楽しそうだ。もしもわたしが彼の立場だったら、いかめしいビルディングが立ち並ぶMITよりも、スタンフォードの方がよかったなあと、確かに思うかも知れない。暑い国から来た者にとって、冬のボストンは寒すぎる。生まれて初めて雪を見た冬、彼はホームシックも重なって、ずいぶんと寂しい思いをしたという。「カフェテリアの食事は、何を食べてもおいしくなくてね。毎晩サラダばかり食べてたんだ。だからすごく痩せたんだよ」。当時の彼の写真を見ると、ほっそりしていて少年のよう。社会人になってマンハッタンへ移り、世界各地のおいしい料理の味を覚え、更にわたしと出会って、食べ歩きが楽しくて、彼はみるみる太っていった。「でも、やっぱり、ここに来てなくてよかったんだよ。ここに来ていたら多分、僕は勉強に集中できなくて、今みたいな仕事にも、就けてなかったかもしれないしね!」そういうときには、「ここに来ていたら多分、ミホと出会えてなかったかもしれないしね!」で締めくくろうよ!

たとえばもし、彼がこの大学を選んでいたら。
わたしと彼は出会っていない。
するとわたしは今ごろ、どこでなにをしているのだろう。
あのままニューヨークにいるだろうか。
それとも、東京に、戻っているだろうか。
別の誰かと、結婚しているだろうか。
意味のない夢想をしてみる。
意味はないけれど、それはまた、
悪くない、短くて、小さな遊び。

 

DECEMBER 13, 2004  一年を振り返るころ

メイシーズのホリデーセールで、夫のシャツや下着を買う。男性の下着売場をひとりで歩いているときはいつも、「ああ、わたしは結婚しているのだな」と、思う。なぜか下着売場に限って。キャッシャーの女の子が、下着を1枚分、レジに打ち損ねて、けれど打ち直すのが面倒なのかそのまま袋に投げ入れて、「メリークリスマス!」と陽気な笑顔。アメリカの、いい加減なサービスの例は枚挙に暇がないけれど、たまにこういういい加減さに遭遇するから、苦笑しながらも得した気分で複雑な心境。

"For here or to go?"と尋ねられて、"For here."と答えると、マグカップにコーヒーを注いでくれる店で。飲む熱いカフェラテがおいしい。ビア・マグみたいに重いカップを片手に、残り少なくなったスケジュール帳を開く。今年の自分の日々を顧みる。今年はほんとに、奇妙な一年だった。

 

DECEMBER 14, 2004  ジャージ礼賛

学生時代、バスケット部だったわたしにとって、「ジャージ」は欠かせない衣類であった。部活の際、中学1年のときは、学校指定のえんじ色のジャージを着用。通称「いもジャージ」と呼ばれたそれは、忌々しいほどやぼったかった。2年になってようやく、鬼塚タイガー(現アシックス)の「水色ジャージ」に限って、先輩らにより着用が許可された。水色に紺色の細いラインが1本入ったジャージだ。3年の先輩らは、黒地に赤ライン、白地に赤ラインなど、「格好いい」色合いのジャージを着用できた。なおアディダスの3本ラインは、当時我々の間では、なぜか「ださい」と認識されていた。ちなみにバスケットシューズも鬼塚タイガー製だった。高校時代はバスケット部全体がお揃いで、試合時に脱ぎ着がしやすい裾広がりの、赤いジャージを着用していた。大学時代も、いや社会人になってからも、「自宅でジャージ」は長らくわたしの定番だった。なにしろ動きやすい。洗濯しやすい。そして丈夫。

そんなジャージとの交流が途絶えて久しかった昨今。カリフォルニアのショッピングモールで何気なく入ったLucyというスポーツウエアショップで、いい感じのジャージを発見! 履き心地抜群。ジャージらしからぬブーツカットでスリット入りの裾が小粋(!)。裾にロゴマークが入っているのがいかにもスポーツウエアだが、黒い刺繍の地味なロゴ入りもあった。SML各サイズそれぞれに、丈の長さが3種類用意されているのもいい。カリフォルニア滞在中、1着購入して気に入ったので、改めてもう1着買った。12月11日に着用しているのがそれだ。これはまた、飛行機に乗るときにも最適。但し圧迫感がない故、食べ過ぎてしまう危険性はある。要注意だ。

 

DECEMBER 15, 2004  窓辺

ジョージタウンの散歩道。
クリスマス色のショーウインドー。
アンティークショップの中の、
小さな小さな街並みのかわいらしさ。
窓に貼り付いて、ひととき眺め入る。

 

DECEMBER 16, 2004  色合わせ

ジョージタウンに新しくできた、紙の専門店、PAPER SOURCE
色とりどりの封筒から、何となく選んだ萌木色。
カードを書き、宛名を書き、封をして、
その絵を気に入り、たくさん買っていた切手を貼る。
Martin Johnson Headeの、"
Giant Magnolias on a Blue Velvet Cloth"

思いがけずの、美しい色合い。

 

DECEMBER 17, 2004  バター礼賛

子供のころからバターが大好きだった。近所のニコニコ堂パン屋さんで買うフランスパン(といっても、バケットではなくて、丸みを帯びたフワフワに柔らかい、ハイジの白パンみたいなパン)にたっぷりとバターを付けて食べるのが好きだった。ひんやりと、バターの舌触りがわかるくらいに。バターを付けすぎるのはいけないとわかっていたけれど。焼き立てのトーストにバターを塗って、明治屋のイチゴジャムを塗る、というのも大好きだった。20代の後半、しばしば欧州を訪れた。旅の基点はパリで、何度か友人の家に泊まらせてもらった。彼女の家の、雑然とした冷蔵庫の中に無造作に転がっていたバター。ある朝、彼女はオムレツを焼いた。フライパンにバターを敷き、塩と胡椒で味付けしただけなのに、驚くほど美味しかった。褒めるわたしに彼女は言った。「バターがいいのよ」。バターをバケットに塗って口にした。本当だ。クリーミーで風味の強い、なんておいしいバターだろう。米国でも「ヨーロピアンスタイル」の発酵バターが作られている。普段は無塩のスイートバター(無発酵バター)を使っているけれど、先日何気なく、輸入乳製品のコーナーで、フランスと、それからデンマーク産のバターを買った。値段は米国産と同じくらいだから、これらはきっと庶民の味。どんな味がするのだろう。楽しみだ。

 

DECEMBER 18, 2004  アウトドアないただきもの

お中元やお歳暮の習慣は、もちろんこの国にはないけれど、例えばクリスマスシーズンは、プライベートに付き合いのある人たちばかりではなく、ビジネスでの関係者にギフトを贈る習慣がある。主には会社のロゴが入った商品。筆記具やマウスパットなどのステイショナリーをはじめ、マグカップにTシャツ、キャップ、ポロシャツにトートバッグと、品質の善し悪しはさておき、バラエティ豊かだ。中でもこの国らしいのは、アウトドアグッズが多いこと。たとえばL.L.Bean やLands Endなどのカタログを開くと、ビジネスギフト向け商品の案内があり、会社のロゴを入れるサービスもある。今年の我が家には、小さなバックパックが二つに車輪が付いた大きめのバックパックが一つ。それにアウトドア用のブランケット、コーヒーマグ、ビール入りの保冷バッグ、屋外の試合観戦用クッションなどが届いた。ペンを捨てよ、外に出よ、と言わんばかりの品々。我が家にはすでに無用のバックパックやキャップが溜まりはじめている。

 

 

DECEMBER 19, 2004  凍える夜

午後4時。映画館に入ったときは、それほどでもなかった。

なのに午後6時半。映画館を出たときには異なる世界。

粉雪が舞い、舗道は凍て付き、ポトマック川から吹き上げる寒風に包まれた。込み上げてくる寒さに肩をすくめ、近くのチャイニーズレストランに駆け込んで、早めのディナー。食事をすませて、店を出て、人気のない大通りでまた、身体を震わせながら、大手を振って、タクシーを拾う。暖かい我が家にたどり着いて、熱いお茶を煎れて、ホッとする。

華氏22度。摂氏マイナス6度。いよいよ本気の冬が来た。

 

 

DECEMBER 20, 2004  冷たい朝には

パンを焼くかわりに、今日はミルク粥を作った。
ヨガをはじめる前に、鍋を火にかける。
ミルクと、それからオート麦(Steel Cut Oats)をさらさらと入れて。
オート麦を柔らかく煮込むには、30分かかる。
ときどき、鍋をかき混ぜるためにキッチンへ行く。

ふわふわとした味がするミルク粥は、冬の朝によく似合う。
身も心も暖めて、お腹に力を蓄えて、今日という一日に向かって行く。

 

 

DECEMBER 21, 2004  楽しい知らせが届く

郵便受けに届いていた。クリスマス・イヴの日から出かけるリゾート、グリーンブライアーの案内と、ニューイヤーズ・イヴのコンサートチケット。パラパラと眺めるうちにも、心が沸き立ってくる!

それにしてもグリーンブライアーの、ドレスコードの細かいこと。場所、時間ごとに、然るべき服装の詳細が記されている。「まるで校則みたいだね。間違った格好をしてたら、見張り番にピシッと叩かれたりして!」と夫が笑う。数少ないワードローブの中から、厳選して荷造りせねば。優雅な雰囲気を楽しみたくて、ここを選んだのだから。

わずか250マイル先に3泊でかけるだけなのに、ずいぶんと大荷物になりそうだ。

 

 

DECEMBER 22, 2004  どうしよう。

インド映画を大音量で観る夫が迷惑。「音量を下げて!」と、何度も叫ばねばならない。

今日、彼がまたしても、同じ映画を観ているのを、何となく一緒に見始めて、いつしか引き込まれていた。自分が観ているときは、大音量が気にならない。夫からあらすじを聞いたときには、その「あり得ない」「はちゃめちゃな」筋書きに、なんてくっだらないストーリーなんだ! と呆れたはずなのに、違和感なく楽しめるから不思議。主人公は、今最もインドで人気のある俳優、シャー・ルク・カーン。インドに行ったとき、CMなどでもよく見かけた。好みのタイプではないと思っていたのに、この『MAIN HOON NA(I am here)』に出ている彼のチャーミングなこと! いきなり好みのタイプに変身。検索サイトでプロフィールを調べる始末。わたしと同じ歳だとわかって、親近感倍増! だからって「シャー様」とは呼ばないけどね。何をやっているのだ我よ。年の瀬に。

 

 

DECEMBER 23, 2004  傘

突然、猛烈な勢いで降り出した雨。

窓に打ち付ける大粒の雨。

風を伴い、木々を揺らし、まるでスコールのよう。

バスを待つ、頼りなげな傘を、見守る。

 

DECEMBER 28, 2004  千年の海。最後の漁師。

昨日、グリーンブライアーから戻ってきた。3泊4日、本当に、たくさんのことを楽しんだクリスマスホリデーだった。けれど今、わたしの心を占めているのは、南アジアの惨事だ。ニュースを読むたび、いたたまれない気持ちに襲われる。4月、インドへ行ったとき、わたしたちは、チェンナイの南にあるフィッシャーマンズ・コーブというリゾートに2泊した。本当に、平和で長閑な海だった。あの海辺が、あの漁師たちが、大きな波にさらわれてしまったかと思うと……。

SCENE: 28 ベンガル湾から日出づる朝。
SCENE: 29 贈り物のような一日。
SCENE: 30 千年の海。最後の漁師。

DECEMBER 29, 2004  ブックストアで過ごす夜

早めに夕食をすませてしまったので、映画の上映時間まで1時間以上あった。
バーンズ&ノーブルに行くことにした。
いくつもの本を抱えて、カフェのテーブルにつく。
カフェラテを飲みながら、パラパラと、ページをめくる。
オスカーの写真集、ワインの専門誌、クッキングブック、ファッション雑誌……。
なんだか、誰かの、視線を感じる。
振り返ると、だらしなくねそべった犬が、こちらをじっと見ていた。
インドの路上の犬の、生まれ変わりかと思った。

いくつかのクッキングブックを眺めた。お菓子を作るとき以外は、レシピを見ながら料理することはほとんどない。レシピ通りに材料を揃えるのは面倒だし、忠実に計量するのも面倒だ。だけれど、クッキングブックを読むのは楽しい。そこにはいくつものヒントやアイデアがあって、レシピ通りにしなくても、日常の料理に反映させることができる。料理は日々の命の源だから、健康的であることが大切。素材の持ち味を生かしながら、手早く効率的に、そしておいしく作りたい。そんな視点で眺めていくと、参考にしたいレシピが並んでいるのは、ジェイミー・オリバーとマーサ・スチュワートの本。二人の個性はかけ離れているようだけれど、どこかに共通点がある。うまく説明できないけれど。二人の新刊書を見比べる。ジェイミーはいつのまにか二児の父になっていて、新しい本のコンセプトは「ファミリー」だ。一方のマーサは「2005年の年間レシピ」で、春夏秋冬のおすすめレシピがたっぷりと紹介されている。

マーサは事件以来、すっかり「顔」を出せなくなってしまい、だからこの本も、顔写真はおろか、彼女の名前すら小さく小さく印刷されている。何はともあれ、わたしは彼女のキャリアを尊敬しているので、そんな贔屓目も手伝っているのかもしれないけれど、このレシピブックをとても気に入り、買うことにした。

米国の伝統的な料理や菓子に加え、ヨーロッパやアジアのレシピがバランスよく紹介されている。極めてシンプルに、だけれど手を抜いているようには見えないプレゼンテーション。日常にも、パーティーにも応用が利きそうなメニュー。レシピの文章そのものも、簡潔で要点を押さえているから、頭に入りやすい。

ガーリック&ローストチキン、バターミルク・ビスケット、ニューオリンズ風シュリンプ&ライス、ポップオーバーのワイルドマッシュルーム添え、アプリコットタルト、キャラメライズド・オニオンディップ、クラウン・ローストポーク、マカロニ&チーズグラタン、ブレッドプティング……。

2005年。この国にいるうちに、この国の料理をもっと楽しもう。

 

DECEMBER 30, 2004  ベルギーの食卓

年の瀬の夕暮れ時。一人でスーパーマーケットに出かける。米国の新年はシンプルで、だから日本の正月のように手の込んだ料理を作ることもないのだけれど、いつもとは違う、どこかおせち料理的な存在感の食材を、今日は買ってみようと思う。3週間寝かせて熟成させたという、エイジド・ビーフ。これは、グリーンブライアで買ってきた胡椒をまぶしてステーキに。それからレバーのパテ。これは試食をしておいしかったので。チーズは、イタリア産アシアゴとパルミジャーノのほかに、初めて買う、ウォッシュタイプのベルギー産ペレ・ジョセフ(Pere Joseph)。それから数種類のオリーブ。それにしても、チーズを買うときには、かなり勇気がいる。他の食材に比べると、とても高い気がするのだ。チーズ売場ではいつも、フランス語が聞こえてくる。この店のチーズ売場の売上げは、欧州系の住民らによって、きっと支えられている。彼らは、青かび、白かび、ややこしい感じのチーズを、とても親しみのある雰囲気で吟味しながら、選んでいく。生まれたときから慣れ親しんだ、不可欠な食品、という感じで。そんな彼らの様子を見ながら、不慣れなわたしは、一番小さな塊を選ぶ。

それから、アルコールもいくつか。ビールはアサヒ・スーパードライを半ダース。それからベルギーのフランボワーズ(ラズベリー)風味のビール(写真)。これは初めてベルギーを訪れたときからの、お気に入りのビール。ワインボトルに入っている、甘酸っぱいビール。コルクで栓がしてあるから、新鮮な風味が保たれている。それから、赤ワインを2本とスパークリングワインを1本。どれも、いつもと同じ10ドルちょっとの、リーズナブルなワイン。けれど、いつもとは違うものを選ぶ。カリフォルニア・モントレー産のピノ・ノワール、それから、ラベルの美しさにひかれて買ってしまったポルトガル産。どんな味がするのだろう。

今日の夕食は、久しぶりにムール貝。ベルギービールもあることだし、今夜はベルギー風の食卓にしようと思う。本当ならばポム・フリト(フライドポテト)を添えるところだけれど、軽めにしたいのでポテトはゆでることにした。ムール貝は、フライパンにバターを落とし、ガーリックやセロリ、パセリを入れて、白ワインで蒸し煮……、といきたいところだったけれど、あいにく白ワインを切らしていた。ので、急遽、和風テイストに変更。フライパンにバターとガーリックを落とすところまでは同じだけれど、スカリオン(葱)のみじん切りと鷹の爪を加え、日本酒とめんつゆ(!)少々で味を付ける。これもまた、意外におつな味なのだ。ポテトは、マヨネーズと粒マスタードで作ったディップを添えて。あとはサラダにコーンスープ、そして軽くトーストしたトスカン・ブレッド。ベルギービールで乾杯をして、なんとなくは、ベルギーの食卓。

 

DECEMBER 31, 2004  2004年最後の一日

グリーンブライアでの、おいしかった朝食のオムレツを思い出して、今朝は珍しくオムレツ。夫はコレステロール値が高いので、普段はあまり卵料理を作らないのだ。日本の卵焼き用フライパン(長方形)を使って焼いてみた。チェリートマトとモッツァレラチーズを入れたオムレツ。表面にトマトを覗かせようとしたせいか、ちょっと形が崩れたけれど、ふんわりと、おいしく仕上がった。ところで、小脇に添えられている粒マスタード。これは最近のお気に入り、カナダ産の粒マスタード(ANTON KOZLI'KS CANADIAN MUSTARD/ TRIPLE CRUNCH)だ。今までは、マスタードと言えばディジョン、と思っていたけれど、このマスタードの味わいは相当にいい。何しろ、本当につぶつぶしていて、歯ごたえも一緒に楽しめるのだ。「畑のキャビア」という感じ。ラベルに"Your life may change..."なんて大袈裟な一文が記されていたけれど、マスタードを多用する人には、過言ではないかも。

大晦日の今夜は、ケネディーセンターへコンサートに出かける。だから夕方早めに、夕食をとることにした。昨日買ってきておいたビーフを冷蔵庫から取り出す。グリーンブライアのクッキング・クラスで習った通りに焼くことにした。ビーフの表面をきれいにふきとり、粗く挽いた粒胡椒を表面に付ける。それを、煙があがる直前くらいによく熱したフライパンで、片面を2分ずつ焼く。焼き上がったら耐熱容器に移し替え、華氏400度に熱したオーブンに入れて、レアなら5分、ウェルダンなら15分ほど加熱。焼き上がりをまな板に載せて、食べやすいようにスライスする。今日はタマネギ、ニンニク、それに生クリームと赤ワイン、スープストック少々で、まろやかなソースを作った。ポテトやブロッコリーの炒め物、サラダとともにテーブルに。米国のビーフは呆れるほど厚切りだから、あまり食卓に上ることはなかったけれど、こうしてローストビーフ風にスライスすると、ずいぶんおいしく食べられる。ポン酢や大根下ろしなどで和風に食すのもおいしそう。

そして夜。「すてきなサリーですね」と、グリーンブライアで人々に褒められたので、すっかり気をよくしたわたしは、今夜もまた、サリーで出かける。今年後半のわたしは、本当にサリーブームだ。かつて夫は、わたしがインド服を着るのを好まず「ミホがサリーやサルワールカミーズを着るのは、僕が着物を着て歩くのと同じ。へん」なんて、謎めいた理屈を言っていたのに、最近は愛国心に芽生えたのか、わたしがサリーを褒められるのに気をよくしたのか、最近では「サリーを着た方がいいよ」と、しばしば勧める始末だ。

さて。静まり返った夜の街を車ですり抜け、ケネディセンターへ。まるでコメディアンのように饒舌な指揮者が登場し、およそ一般的なクラシックコンサートとは異なる軽やかなムード。アンコールを何曲も演奏するのは大変なので、あらかじめ最初にアンコール用の曲を演奏しておきます、なんていいながら、第一曲。計8曲を「さわり」だけ演奏して、その中からどの曲を演奏するかを、観客の拍手によって決める、なんてことも。わたしの好きなブラームスの「ハンガリアンダンスNo.5」が選ばれたので、とてもうれしかった。それからオペラ歌手、バリトンとソプラノがそれぞれに独唱。プッチーニの「オ・ミオ・バンビーノ・カロ(O mio Bambino Caro)」を歌うソプラノの黒人女性の美声にひきこまれた。バーンスタインのミュージカル曲「オン・ザ・タウン」やヨハン・シュトラウスの「エンペラー・ワルツ」、行進曲のメドレーなど、ゲストを飽きさせないバラエティに富んだ音楽が次々に奏でられる。そして最後はみなで "Auld Lang Syne (Old Long Scene)"を合唱。日本では「蛍の光」で親しまれているスコットランド民謡だ。ちなみに日本の歌詞と、内容は全く異なる。

11時ごろにコンサートが終了。ホールでそのまま年越しのパーティーに参加し、バンドの演奏に合わせて踊りながら、シャンパーンで乾杯! の予定だったけれど、あまりの人の多さにたじろく。しかも、バーの前には長蛇の列で、カウントダウンまでにグラスを手にできるのか定かではない有様。「帰ろうか?」ということになり、会場でもらった「被りもの」やラッパを携えてパーキングへ。自宅には11時45分に到着。お腹が空いたという夫に、ステーキとポテトの残りでホットサンドイッチを作り、自分のためのチーズを切り、オリーブを盛り、テレビをつけて、タイムズスクエアのカウントダウンに合わせてスパークリングワインの栓を開けて、乾杯!

窓の外では、遠くで花火が打ち上がっているのが見える。テレビを消し、電灯を消し、静かに2005年の幕開けを祝った。

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