MAY 1, 2005 ツツジ |
5月1日、日曜日。青空。 「今日、どうする?」 今日はサンドイッチというよりは、やっぱりおむすび。 やっぱり、晴れてると、違うね〜。足取りが軽やかになるね〜。 まるで炎のようなオレンジ色のツツジ。 ツツジの丘を眺める草原のベンチで、お弁当を広げる。 |
MAY 2, 2005 世界には音楽が満ちあふれ、溺れる。 |
You've got to get
yourself together 音楽に満たされている車の中。すでにたどりついたのに。もう一度、もう一度と、聴きながら、ぐるぐると走りながら、いつまでも帰れない。こんなふうだからもう、音楽からは、逃げてばかりいた。 |
MAY 3, 2005 マーケットの片隅の保冷室で、 |
音もなく、 薔薇の花が燃えていた。 |
MAY 4, 2005 A small, good thing |
日本から米国に移ったとき、送った荷物の大半は、本だった。ニューヨークからDCに移ったとき、その多くを処分した。そして来月になるであろう引っ越しを前にして、更なる書物の整理を始めようと思う。持っていく本と、人に譲る本と、捨てる本。もう、このたびばかりは、ひたすらの身軽を目指していて、だから小説の類はほとんどを、人に譲るつもりでいて、半ば目をつぶるような思いで、それらを書棚から引っぱり出しては、スーパーマーケットの大きな紙袋に詰めてゆく。かつて読んだはずの、しかしストーリーはもう忘れ去ってしまった本ですら、最早、いいのだ。夕食を終えて、まだ日が高く。部屋の隅に並べられた、いくつかの袋のうちの、入りきれなくて一番上に重ねられた、その本を、手に取る。窓辺のソファーに腰掛けて、灯りもつけず、薄暮の光を頼りにページをめくる。レイモンド・カーヴァーの短編集。パラパラとめくって、何気なく、目に止まった最初の一行から、読み始める。 "土曜の午後に彼女は車で、ショッピング・センターの中にあるパン屋にでかけた。" それは余りにも悲しい夫婦と、パン屋の主人の話だった。"こんなときには、物を食べることです。それはささやかなことですが、助けになります" ……深い悲しみの中で、焼き立てのパンをひたすらに食べる夫婦。最愛の人を喪失し、どんなに悲しいときにも、どんなに苦しいときにも、生き残る者は食べなければ。いつまでも癒えることのない傷みに崩れ落ちてしまわないように、生き残る者は食べなければ。"オーヴンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・ロール" を。"糖蜜とあら挽き麦の味がします" ……というダーク・ローフを。パンの匂いを嗅ぎ、飲み込むようにしてでも。食べられる限りパンを。 |
MAY 5, 2005 Cinco de Mayo! |
シンコ・デ・マヨ。メキシコの祝日。スペイン語で5月5日を意味する言葉。1862年、プエブラの戦いでメキシコがフランスに勝利したことを記念する日。 アパートメントのソサエティによるパーティーが催されたので、出かけた。メキシコの音楽、メキシコのビール、メキシコの酒、メキシコの料理が用意され、わたしたちが訪れたときはもう、すでに賑やかな宴の最中。 トルティーヤをかじりながら、マルガリータを飲みながら、顔見知りのご近所さんとおしゃべり。のりのいい音楽のせいか、なぜかみんな陽気で元気。2本、3本とビールを空けて、みな競い合うようにしゃべりあい、挙げ句の果ては飾り付けの帽子を被って記念撮影。農夫風情の夫の左手がセクハラ! 会がお開きになった後も、よそのお宅に招かれて、遅くまでワインを飲みつつおしゃべりで、久しぶりに「ふらり」とするくらい酔っぱらった。メキシコに縁のない我々も、祝日に感謝! お祭り気分の夜だった。 |
MAY 6, 2005 マーサ礼賛 |
その雑誌の存在を知ってはいたけれど、買ったことはなかった。「ちょっと洗練された主婦向けの雑誌」くらいにしか思っていなかったのだ。自分が主婦だという自覚もなかったこともあり、積極的に手にとって読むことはなかった。彼女のクッキングブックに目を通すことはたびたびあり、一冊は手元にあるけれど。 彼女が「釈放」されて初めての号に、久しぶりに彼女の「笑顔の」写真が、無数のマガジンの群れのなかにあったのを見つけた。手にとって、パラパラとめくって、驚いた。この雑誌には、主婦というカテゴリーを超えて、誰もの、<< Living>> 生活することを輝かせる、数々のメッセージが詰まっているのだ。 美しく的確に捉えられた写真、視覚の傾向を配慮したレイアウト、簡潔で端的な文章……。季節ごとのテーマをうまくとりいれながら、衣食住を彩ることがらを、知的に表現している。「読者」の立場からも、「編集者」の立場からも、共に楽しめる構成。 もちろん、彼女ひとりの力ではなく、編集者やクリエイターたちの力があってこそ、だろうけれど、始まりは彼女のコンセプトに違いない。今更ながら、彼女のこの雑誌をじっくりとみて、彼女の「すごさ」を実感した。今までじっくりと読まなかったのは、迂闊だった。 去年まではあれほどまでに、彼女を叩いていたメディアも、まるで手のひらを返したように、彼女を歓迎している昨今。何と言われようと、どんな状況でも踏み越えて、蘇る彼女のたくましさ。どんな事情があるにせよ、敬服する。すごい。 あとどれほど、この国に暮らし続けるかわからないけれど、それまではこの雑誌に見るような、米国生活のよい部分を引き出しながら、生活をしていきたいと思う。 |
MAY 7, 2005 シカゴでインド |
昨日の午後、シカゴに着いた。ワシントンDCからは飛行機で1時間半ほど。時差があるので、1時間、得をする。空港から摩天楼の市街へと向かう。見慣れたマンハッタンとフィラデルフィアを混ぜ合わせたようなビル群の様子。ホテルにチェックインした後、しばし街を散策。そして、友人夫妻との夕食のために、約束のレストラン、BRASSERIE JO へ。 メリーランド州のベセスダに住んでいた日印カップルの彼らと、1年半ぶりの対面。最初は4人で話していたけれど、やがては日本組、インド組にわかれて、それぞれに近況などを語り合う。おいしいワイン。おいしい料理。瞬く間に時間が過ぎてゆき、3時間あまりの晩餐。 さて、今日は早起きしてシカゴ大学のGLEACHER CENTERへ。シカゴ大学のビジネススクール(MBA)が主催するインドビジネスのカンファレンスに参加するのが、今回シカゴへ来た目的なのだ。いや、わたしの目的は、パネリストの一人として参加する夫に伴って来ただけなのだけれど。わたしも様子を見たかったので、ゲストとして入場させてもらい、ブレックファストもいただき、8時半から始まったパネルを聴講。 途中で眠たくなりつつも、夫が登場する11時からのパネルは見届けなければと思う。テーマは「新しい起業家たちとヴェンチャーキャピタルの役割」。質問事項に答えながらの形で応答してゆく。夫は少々緊張気味の様子だけれど、でも、堂々と語る姿を見て、誇らしく思う。 彼の緊張をほぐそうと、後方座席から満面笑顔を送ってみるが、見えていただろうか。……ということを、あとで聞いたら、 「ミホがいるのはすぐわかったよ! だって、インド人がたくさんいる中で、ミホの顔は目立つしね。第一、ミホの顔はまんまるで、インド人の2倍くらい大きいしさ!」 こ、この男は……。 カンファレンスは終日続いていたけれど、わたしは午前中で退散し、町歩き。シカゴの目抜き通り「ミシガン・アヴェニュー」を散策する。ここはなんだか、マンハッタンにとてもよく似ている。パーク・アヴェニューに五番街の店を並べた、という感じの通りなのだ。だから初めて来たのに、初めて来た気がしない。ウインドーショッピングをしながら、チューリップの花でいっぱいの通りをそぞろ歩く。 夜はカンファレンスを終えた夫と合流して夕食へ。シカゴ名物と言えば、ピザ。それも、イタリアンのパリパリ薄いピザと対極に位置するかのごとき、分厚い、それは最早「ピザ」というよりは具だくさんのキッシュのような風情のスタッフド・ピザである。ホテルの人に勧められた店、GIORDANO'S に出かけたけれど、金曜の夜とあって1時間以上待たねばならない。ので諦める。 それにしても、人々が食べているそのピザのボリュームのたいそうなこと! 二人では食べ切れそうにない、食べられても食べ過ぎだ、という感じだ。視覚的満腹感に陥り、店を出る。そうして、ホテル近くで見つけた、明らかにコリアン経営の、モダンな日本料理店で夕食。斬新なロール(巻きずし)関係が充実していて、前菜もユニーク、リーズナブルでそれなりにいい感じの店だった。ひたすら、インドビジネス関連の話題で終始した夜だった。 |
MAY 8, 2005 春の速度 |
朝、出発した飛行機は、正午あたり、ワシントンDC上空へ。「快晴だけれど風が強い」との案内どおり、窓から見下ろす風景は緑がまばゆく、しかし飛行機はフラフラと揺れ続ける。揺れる飛行機に酔いやすいたちだけれど、眼下の新緑の鮮やかさに目を奪われていて、気持ち悪さが緩和されたのは幸いだった。 ハイウェイを滑るように走るタクシーの窓を少し開けて、初夏の匂い。地上の風は心地よい。家へ帰り着き、顔を洗い、着替えて、荷をほどき、植物に水をやり、洗濯物を洗濯機に入れて回し、雑誌や新聞やブランケットを携えて、ビショップス・ガーデンへ行く。こんな日は、芝生の上で過ごすのがいい。 カテドラルの隣の森を通り抜けて行く。ぐんぐんと新緑が芽生えるころは、緑の濃淡がそれはもう見事な豊かさで、午後の木漏れ日がたとえようもなく気持ちよく、小鳥たちのさえずりもひときわ艶やかに。 あれ、あの白いボンボンみたいな花を付けた大きな木は、何だろう……? 近寄ってみれば、白いアジサイ! アジサイって、こんなに大きくなるものなの? 本当にアジサイ? この街に住んでからというもの、本当に、栄養の行き渡った植物に出合っては、驚かされるばかりだ。 薄桃色のボタンはもう枯れていたけれど、赤いシャクヤクのつぼみがほころびはじめていた。その、瑞々しい姿といったら! 本当に、つぼみから、蜜のような露のような雫が、滴っているのだ。 名前はわからないけれど、アヤメやショウブの仲間らしき花々も開花していて、黄色や紫や、色とりどりで、夫は黄色い花の匂いを嗅ぎながら、 「ミホ! これはレモン・チーズケーキの匂いがするよ!」 どれどれと半信半疑で顔を寄せれば、ほんとだ、レモン・チーズケーキっぽい香りだ! レモン・チーズケーキが食べたい! ビショップス・ガーデンの芝生の庭は、今日は家族連れで賑やかで、母の日のやさしさがほのかに漂っている。ピクニックランチを広げる人、横たわりまどろむ人、ベンチで静かに語らう人、ボール遊びをする子供たち……。 わたしたちもまた、ブランケットを広げ、横たわり、空を眺めたり、新聞を読んだり……。 1時間あまりののち、起きあがって、もう一度、庭を歩いていたら……。あらまあ! さっきの赤いシャクヤクのつぼみがもう、開きかけているじゃない! この時節は、1週間、いや日毎に花々が咲いては散りを繰り返し、1日の不在ですら全てを見尽くせず、だから4度目の春にも関わらず、まだまだ初めて見る光景の多さで、その目まぐるしい春の速度を目の当たりにして、我はもう感嘆するばかりだ。 夕方、スーパーマーケットへ行ったら、初物のチェリーが出ていた。猛スピードで夏が来る。 |
MAY 9, 2005 月曜日でも、夕暮れは週末の気分で |
月曜日の朝はいつも。窓を開け放ち、掃除はバスルームも念入りに、洗濯はブランケットやシーツも。だから午前中は家事で過ぎてゆく。ぴかぴかになった部屋に流れ込む風は、いつもに増して爽やかで、そのすがすがしさの中でランチを食べる。それから午後は、主にはコンピュータに向かい、時にソファーに腰掛けて新聞や本を開き、時に夫の話を聞き、そうして夕暮れ時。 「自宅で仕事をするときには、いかにうまく気分転換をするかが決め手よ! メリハリが肝心なの」 などと言いながら、夫を誘って散歩に出かける午後6時。夫が新しいジャーナルを買いたいというので、またジョージタウンまで歩いていく。夕暮れどきの街路は平和。犬の散歩をする人や、ジョギングをする人や、さえずる小鳥たち。 PAPER SOURCE という店でしばらく、美しい紙で作られたさまざまな物らを眺め、バーンズ&ノーブルでしばらく立ち読みをして、だんだんお腹が空いてきた。 平日の夕食の材料は、たっぷり買っているのだから、夕飯は家で作って食べようと思っていたのだけれど、日の高さに油断していて、もうすでに時計は8時をさしている。 「ドサを食べに行こうよ」という夫に従い、インド料理の食堂へ。インドのビールにマンゴーラッシー、それからサモサに豆の煮込み、ドサを食べて満腹。店を出たらもう、とっぷりと日が暮れていて、バスに乗って帰った。 |
MAY 10, 2005 髪を切った日 |
久しぶりに、髪を切りに行った。 外へ出た瞬間、日差しのまばゆさに目がくらむ。 カテドラル・アヴェニューを歩いていく。 よそのお宅の、ツツジの植え込みの影で、 森の木漏れ日の下を通り抜け、新緑の鮮やかさ。 髪を切ってもらい、きれいにブローをしてもらった。 |
MAY 11, 2005 マイペースで |
昼ごろのこと。メールマガジンを書いていたら、外から大変な轟音が響いてきた。戦闘機みたいな音だ。窓辺に駆け寄り、空を仰ぐ。ダウンタウンの上空に、セスナ機がのんびりと横切っているのが見える。それを威嚇するみたいに、映画「トップガン」に出てくるみたいな、まさに戦闘機が、ゴーゴーと猛スピードで旋回している。時々機体をフラフラと揺らして、なにかサインを送っているようにも見える。ただならぬ雰囲気である。 カメラを持って屋上に出る。空に向かってシャッターを切るが、このカメラじゃ戦闘機もハエみたいだ。しばらくして、あのセスナ機は領空を侵犯していて、ホワイトハウスやら連邦議会議事堂、最高裁あたりでは避難騒ぎになっていたということがわかった。セスナ機は、航空ショウに向かう途中、うっかりDC上空に紛れ込んだということで、テロとは関係なかったらしいが、もしもあの飛行機が爆弾などを積んでいたとしたらと思うと怖ろしい。すでにDCの上空に侵犯できたことこと自体に、問題があるのでは? トップガンな戦闘機が撃墜したとしても、撃墜された飛行機は、街のまん中に落ちてしまうだろうし……。 それにしても、当時ホワイトハウスには、チェイニー副大統領はいたけれど、ブッシュ大統領はお隣メリーランド州で「サイクリング」をしていたというから、やはり彼そのものは、どこまでも喜劇だ。前夜、5日間のロシア出張から戻ってきた彼は、「日中のエクササイズ」のために、自転車に乗っていたらしい。平和なことである。 我々も、彼のマイペースを見習って、夕方からは平和に散歩。ビショップスガーデンの赤いシャクヤクが、もう全部満開。バラのつぼみもどんどん膨らんで、いよいよ花の季節もピークのころがやってくる。 |
MAY 12, 2005 目的地 |
行きたい場所があるときには、 引き返すのも、行き先を変えるのも、突き進むのも、自由。 風に吹かれ、雨に打たれ、日差しを受け、花を摘み、歌を歌い、歩いていく。 |
MAY 13, 2005 5年ぶりの人々に会いに |
ワシントンDCから車で3時間あまり。フィラデルフィアへ。 5年前の雨の日、彼の家族とともに、卒業式に参加した。 夫の就職先がワシントンDCに決まって、わたしはニューヨークで仕事をしていて、 あれから5年。 |
MAY 14, 2005 山こえて、谷こえて |
久しぶりの彼らは、知っている人も、知らない人も、笑顔で、言葉を交わして、 インド人、中国人、ロシア人、ウクライナ人、日本人、イギリス人、ドイツ人、 ニューヨークに住む人、カリフォルニアに住む人、テキサスに住む人、ロンドンに住む人……。 5年のうちに、結婚したり、離婚したり、再婚したり、子供が産まれていたり、 職を転々としていたり、同じ会社に勤めていたり、新規ビジネスをはじめていたり……。 自分たちの「山あり谷あり」は、切実で、長く重く、 けれど人の「山あり谷あり」は、数分で語られ、短く軽く……。 旅立ちを控えていた5年前よりも彼らは、 柔らかな笑顔と自信を漂わせている。 レクチャーに参加して、ガーデン・ランチを楽しんで、夜は、カクテル&ディナーパーティー。 わたしも同窓生の波に紛れて、 5年の歳月を語りながら、辿る道筋を確認する。 |
MAY 15, 2005 再びの、ロングウッドガーデンズへ |
2泊3日の同窓会イベントを終えて、フィラデルフィアを出る。 家に帰る前に、ちょっと寄り道。 ブランデーワインヴァレーの、ロングウッドガーデンズ。 「寄り道」と言うにはあまりにも贅沢な、 「目的地」みたいな充足感を与えられて、 麗しき小旅行のピリオド。 |
MAY 16, 2005 歯医者と、鍼と、ピクニックランチ |
月曜の朝。ヨガをして、水を飲み、ジンジャーティーを飲み、キャロット&アップルジュースを飲む。右の奥歯が、少ししみる。トーストしたホールグレインのパンを噛みしめる。痛い! 親知らずが虫歯になってしまったみたいだ。やれやれ。早速、歯医者に予約をいれる。そうして車を飛ばす。最新鋭の「パノラマカメラ」は、15秒で口内を撮影完了。便利なものね、と感心する。「親知らずには、問題ありませんよ」と、X線写真を見ながらドクター。でも、痛かったのだ。どんな風に痛かったか、どのあたりが痛かったか、聞かれれば聞かれるほど、痛みの源がぼやけて、よくわからなくなる。 「最近、疲れてませんか? 肩が凝ったり、首筋が痛いとか」 そう言われて気付いた。右肩が、ものすごく凝っている。首筋も凝っている。多分それが原因でしょう。しばらく様子を見て、どうしても歯が痛いということであれば、また来てください。そう言われて、診察室を出る。来る場所を間違ったみたいだ。早速、鍼のクリニックに電話を入れる。そしてそのまま、直行。 治療が終わって気だるい。けれどお腹が空いている。帰り道、住宅街の一画にある、サンドイッチバーに寄る。好きなパンと、好きな具を選んで作ってもらう。マンハッタンのデリみたいに。芝生のテラスのテーブルで、ピクニックみたいなランチ。野菜がたっぷり挟まれた、ホールグレインのパン。おいしい。あれ? 痛くない。歯が、痛くない。ホールグレインの、粒々とした穀物を噛みしめても、痛くない。原因は、親知らずじゃなくて、遊び疲れのようだった。 |
MAY 17, 2005 季節 |
初夏の果物が、店先を彩るころ。 「本日のお買い得」はラズベリー。 朝の光が似合うそれらの、瑞々しさをそのまま、食べる。 |
POM。Pomegranat。ザクロのジュース。 最近、よく見かける。フルボディの赤ワインのような色。キューッと甘酸っぱい。 美容と健康に、とてもよいらしい。1日に、コップ1杯、飲むとよいらしい。 |
今日もまた、夕暮れのビショップス・ガーデン。 桃色の野バラが開いていた。 駆け足で、ゆきすぎる季節。 |
MAY 18, 2005 色の海 |
引っ越しの荷造りは、一番手強い書斎から。3年前にニューヨークから移ったときとは違って、今回は、出来る限りの物を処分するつもりでいて、にもかかわらず、本棚での取捨選択、机の中での取捨選択、懐かしんだり、眺め入ったり。まだ少し、時間に余裕があるせいか、寄り道ばかりしてしまう。デザインや印刷のときに使うこの色見本。久しぶりに手に取ったそれは「実用的な仕事道具」という存在を超えて、芸術品のように思えた。これはもちろん取っておく。いつの日か、インドでも印刷の仕事をするかもしれないから。色、といえば、インドのサリーの色彩は、この色見本を軽く凌駕する豊かさだ。布を選ぶときにもこの色見本は役立つだろう。そう思ううちにも、やがて暮らすかも知れぬ国への、一筋縄ではいかぬ憧憬に似た思いが、沸き上がってくる。 |
引き出しの奧から出てきた。遠い昔に買った色鉛筆。取材先のスイスで買った18色のCARAN D'ACHE。描いたあとに水を含ませた絵筆でなぞると、水彩画のような仕上がりになる。バラバラの色鉛筆は、大きなペンケースに入れて、小さなスケッチブックと一緒に、色々な国へ連れていった。主には食べ物ばかり、描いていた。まだDTP(デスクトップ・パブリッシング)が普及していなかったころ、デザイナーの指示した色合いを再現したくて、銀座の伊東屋で買ったSTABILOの色鉛筆。二段重ねの60色。プレゼンテーションのときにも活躍した。わずか十数年前のことなのに、果てしなくアナログに思える。何もかもがコンピュータの上で済まされてしまう今は、とても便利だけれど、カサカサと紙の面を塗りながら、鉛筆を削りながら、忙中閑ありの様相で、黙々と作業をした時間も愛おしい。今度はもう、引き出しの奧にしまわないでおこう。写真もいいけれど、ときどき、絵を描いてみよう。 |
「桜襲を、例のさまのおなじいろにはあらで、樺桜の、裏ひとへいと濃きよろしき、いと薄き青きが、又こくうすく水色なるを下にかさねて、中に花桜の、こく、よきほどと、いとうすきと、みな三重にて……(『夜の寝覚』)」「みなみひんがしは、……春の花の木、数をつくして植ゑ、御前ちかき前栽、五葉・紅梅・桜・藤・山吹・岩躑躅などやうの春のもてあそびを、わざとは植ゑて、秋の前栽をば、むらむら、ほのかにまぜたり。中宮の御町をば、もとの山に、紅葉、色濃かるべきうゑ木どもを植ゑ、……秋の野をはるかに作りたる、そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。北のひんがしは、……夏の木かげによれり。……卯の花咲くべき垣根、ことさらにし渡して、昔思ゆる花たちばな・撫子・薔薇・くたになどやうの花、くさぐさうゑて、春秋の木草、その雲霞にうちまぜたり。ひんがしの面は、……水のほとりに、菖蒲植ゑしげらせて、……西の町は、隔ての垣に、から竹植ゑて、松の木しげく……(『源氏物語』) 大学時代の講義中は、ほとんど関心を寄せていなかったのに。20年ののち、心を奪われている。 |
MAY 19, 2005 PLANNER |
もうずっとまえから、常にそばにあるもの。 自分を整理するために、なくてはならないもの。 必要、というよりは、好きなもの。 眺めるのも、書き込むのも。 ごくまれに、遠い月日をのぞくのも。 |
MAY 20, 2005 1パーセント未満のセンチメンタル |
ミューズ・パブリッシングを起動させたのは、渡米して1年半の1998年1月のことだ。 ほんとうに、なんのあてもなかったので、仕事を得るためには、営業をするしかなかった。何百通も、何百通も、指紋がなくなるほどに、黙々と、営業の資料を作っては送った。手紙を付けた無数の風船を、空に放つみたいに。手紙を入れた無数の小瓶を、海に放つみたいに。 「こね」のない世界で、仕事を得ることがどれほど難しいことか、わかっていたからこそ、最初はもう「数」や「勢い」で勝負するしかないと思っていた。 どこかで誰かが拾ってくれて、「仕事をお願いしてみようかな」、と連絡をくれるのを待つ間は、鞄に資料を詰め込んで、マンハッタンを歩いた。 営業の成果は、1パーセントに満たなかった。でも、0ではなかった。少しずつ、少しずつ、仕事は入ってきた。 そんな初期のころの仕事のひとつが、この雑誌の取材だった。約50ページのニューヨーク特集の、コーディネーションと執筆。「坂田美穂」としてではなく、「ミューズ・パブリッシング」として受けた初めての、日本の雑誌の仕事。むろんこれは、日本時代の友人を介して、入ってきた仕事だけれど。 マンハッタンの、レストランやショップやみどころの紹介や、ニューヨーカーのインタヴュー。忘れ得ぬ人々との出会い。 7月の、照りつける太陽の下。木漏れ日。乾いた熱い風。夏の匂い。フォトグラファーと、日本から来た編集者と、歩いて、歩いて、マンハッタンが、もっともっと、自分に近寄ってくるのがわかった。 摩天楼の写真の上に入ったクレジット。取材・文/坂田美穂 (Muse Publishing, Inc.)。 その控えめな、"Muse Publishing, Inc."の文字が、とても愛おしく思えた。 あれから7年。今、Muse Publishing,
Inc.は、このうえなく静かに、幕を閉じようとしている。
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MAY 21, 2005 晴れた土曜日。 |
久しぶりに、家で過ごす週末。冷凍庫に残っている、パンの端っこあたりをかきあつめて、ミルクと卵にゆっくりと浸して、フレンチトーストを焼く。それからたっぷりの葉野菜に、マッシュルームとチェリートマトを散らしたサラダを食べる。 何種類もの鳴き声を持つ、名も知らぬ小鳥の独唱を聴きながら、ゆらゆらと新緑のざわめきを眺めながら、コーヒーの香りに満ちた部屋で、静かに食べる。 引っ越しの準備で、段ボール箱があちこちで、実に散らかっている。そんななかで、現実逃避するみたいに、文章を綴る。たまに我に返るようにして、段ボールを組み立てて、本を詰め込んだりする。でも、まだまだ本気じゃない。 3時ごろになって、夫も仕事の手を休め、二人で外に出る。今日もまた、ジョージタウンまで、坂を下って行く。風がさらりと気持ちよくほんのり冷たく、もう、何度となく歩いたこの道を、あと何回歩くだろう。 丘の上に立つ緑の墓地は、そこだけが別世界で、階段を上ってみれば、不思議な静寂に包まれていて、こんなところで何百年も眠る人は、少なくともこんな時節は、さぞ気持ちのよいことだろう。 遅いランチを、と、途中でCAFE DIVANへ寄る。トルコ風のピザやサンドイッチが食べられる店。わたしたちは、ケバブのサンドイッチを注文。焼き立てのパンに挟まれた、ラム肉のマリネ。大きいので一つで十分。それからAYRANを一つずつ。甘みのない、ヨーグルトドリンク。おいしいね、と、黙々と食べる。 それから今日は、少し、服を買うことにする。夏物以外を箱に詰め込んだら、あまりの服のなさに気が付いて、呆然とした先週。Tシャツとかジーンズならたくさんあるんだけど。あまりにもアメリカンだ。 「わたし、今日、新しい服を少し買うよ。このスカートも、10年以上前に、お母さんに表参道で買ってもらったものだからね」「知ってるよ。それ、ぼくたちが出会ったときから履いてたもんね」 あちこちの店に立ち寄って、新しいスカートとシャツを1枚ずつ、夫もシャツを1枚、本屋に寄って、それから、運河沿いを散歩して、そうしたらもう8時近く。映画が始まる9時までに、あまりお腹は空いていないけれど、軽く夕食を食べておこうと、おいしいピザの店に行ってみるけれど、1時間ほども待たねばならないほど込み合っていた。 仕方がないので、DEAN & DELUCAへ行く。ここでいなり寿司と、サーモンのスパイシーロールと、スパークリングウォーターを買って、運河を見下ろすテラスのテーブルに座って、箸を割る。思ったよりもおいしい。夏の日は、こんな気楽な夕餉も悪くない。それから、人々が群がるハーゲン・ダッツの前を通過できぬ夫が、アイスクリームを1スクープ。 滑らかなアイスクリームを、大事そうにスプーンですくいながら、食べながら、映画館まで。夫が見たがったスター・ウォーズに、わたしもしぶしぶ付き合っての鑑賞。現実世界でも戦いのニュースばかりなのに、映画の中までも、戦いの、しかもコンピュータ的な濃密さの、画面のどこに視点をおけばいいのかわからない感じの、その映画がわからない。ただ、主人公の青年の「いい男」ぶりにのみ、関心は寄せられた。途中で寝た。概ね、いい一日だった。 |
MAY 22, 2005 風と庭と花とピザ。 |
もはや「片隅の風景」というよりは、「あちこちの風景」な昨今。 1日に、1枚の写真と1つのテーマ、と決めていたのだけれど、ここを離れると思えばこそ、雨あられとあれこれが、押し寄せてきて絞り込めない。 写真は多ければいいというものではなく、文章は長ければいいというものではなく、これでは編集者失格である。などと一人ごちながら、しかしインターネットの、紙面に比べれば遥かに「限りない」許容量についつい甘えて、あちこちの風景。 さて、今日もまた、積み重なるは、段ボール箱。午後には友人夫婦が、引き取ってくれる家具の下見に訪れた。窓から流れ込む涼風が、ほんのりと緊張を帯びた「いよいよ」という気持ちに、じかに触れてゆき、しみる。 夕暮れどき。「今日は昨日より、少し風が冷たいね」と、近所を歩く。 勝手にそう呼んでいた、「シークレット・ガーデン」の家や、「白雪姫と七人のこびと」の家を、眺めゆき、森の入り口の広場を横切り、お気に入りのピッツェリア、2AMYSへゆく。 まだ早い時間なのに、店の前はたくさんの人々。やけに子供が多くて、プレイグラウンドのようなにぎやかさ(うるささ)。日曜日の夕暮れによく似合う情景。 15分ほど待って、テーブルに。白ワインに、まずはアンチョビーのマリネを。松の実と、ゴールデン・レーズンと、レモンの皮と、多分ラディッシュで作られた、爽やかな風味のソース。冷えた白ワインによく合う。 それから、いつものラピーニ(ブロッコリー・ラブ)、コッドフィッシュ(鱈)のコロッケ、そしてピザは、水牛のモッツァレラチーズが載ったマルガリータ・エキストラ。 「この店に来るのも、これが最後だね」 といいながら、いつもより、ゆっくりと食べる。 食べ終わってなお、外は明るく、少し酔ったわたしたちは、どこかへらへらとした感じで、ふらふらと家路を辿る。小鳥がピャラピャラ鳴いている。リスがかさこそ、駆け抜ける。舗道にこぼれ落ち咲くバラの花。 Ding-dong, Ding-dong, Ding-dong, Ding-dong ……ピザ食えば、鐘が鳴るなりカテドラル。 この小さな平穏でさえ、降り注いでくるわけではなく、二人の、懸命の、たまものなのだ、と、思えばこそ。 |
MAY 23, 2005 REMEDY |
身体の調子が悪いときには身体の、 心の調子が悪いときには心の、 絆の調子が悪いときには絆の、 専門家に診てもらうのがいいでしょう。 悪化する前に、なるたけ早いうちに、診てもらうのがいいでしょう。 |
MAY 28, 2005 サヨナラ・マンハッタン |
これでもう、しばらくはこの島を訪れることはないだろう。とめどなく感傷が去来するに任せて、ひたすらに歩いた。こんなにも、深く思い入れられる場所に巡り会えただけでも、人生の大いなる煌めき。昼間は晴れていたのに、夕暮れ時には空はかき曇り、雨がポツポツ降り出した。荷物を車に詰め込んで、さあいよいよ、さよならマンハッタン。リンカーントンネルから、ハドソン川をくぐり、ニュージャージーに出る。迂回する一瞬、一望できる摩天楼を、見逃さない、目に焼き付けて、しっかりと。やがて雨は、大粒となり、バチバチと叩きつけるように降り注ぐ。大急ぎのワイパーで窓を拭いながら、ぎゅうぎゅう詰めの思い出を握りしめながら。ああ、もう本当にありがとう! やがて雨は止み、雲は晴れ、西日は降り注ぎ、すでに感傷をあとにして、新天地を目指して、どこまでもどこまでも、走ってゆく。 |
MAY 29, 2005 11万136円だった。 |
荷造りをしていると、出てくる過去のさまざま。無闇にファンシーな預金通帳に、日本時代がしのばれる。米国では「通帳」は存在しないし、ましてやこんな子供っぽいキャラクターを、銀行の書類に印刷することはないだろう。通帳といっしょに収められていたのは、給与明細。大学を卒業して、上京して、初めて勤めた編集プロダクション。世はバブル経済のただ中で、しかしわたしのそれは、新卒の平均給与のおよそ半額。残業、休日出勤、出張手当などあるはずもなく、「道場通い」をしているみたいな日々だった。それでも、茶色い封筒に入った現金を手にする月末は、「報われている」気がして、うれしかった。わずか2年半だったけれど、とても長かった。不安だらけの日々だった。何につけても闇雲で。あの場所から、こつこつと、よくこんな遠くまで来たものだ。 |
MAY 30, 2005 旬の味 |
スーパーマーケットの果物売場が賑やかになり始めた。 |
荷造りの合間。休憩時間。冷たい水でイチゴを洗う。 |
MAY 31, 2005 楽園だった。 |
大きなゴミ袋と、段ボールとで埋もれた部屋で、ときおり窓の向こうの青空を、やるせない思いで眺めながら、早めに片付けてしまえば、来週は少し、自由な時間ができるかもしれないと、ひたすらに荷造り。 それでも夕暮れ時には、作業の手を休めて、「僕は仕事があるから」と、予想通り、なかなか引っ越し準備には着手しない夫を、そのくせ、夜はテレビで何時間も、NBA(バスケットボール)の試合を観ている夫を、誘って散歩に出かける。 10日あまり訪れなかっただけで、ビショップス・ガーデンは、バラの園になっていた。色とりどりのバラが、それはもう自由気ままな様子で、しかも驚くような大きさで、甘く爽やかな香りを放ちながら、咲いている。 この場の、この清らかな麗しさを、どう言葉にすればいいだろう。 この小さな庭園は、このすでに何度となく歩いた庭園は、今、まるで楽園となりて、訪れる人に、純粋な、透き通った幸せを与えてくれる。くすみや濁りを、きれいに洗い流してくれるように。 キャンバスに向かい、絵筆をとるひと。ベンチに腰掛けて、本を読むひと。バラの花を撮影するひと。芝生にごろりと寝転ぶひと。サンドイッチを頬張るひと。 東西南北の風見鶏に、七色の鳴き声を持つ小鳥がとまっている。次々に、さまざまな鳴き声を披露してくれる鳥。いつも高い場所にとまって、気持ちよさそうに歌う鳥。 翼なき我らは、彼を仰ぎ見ながら歌声を聞き、彼が舞い飛ぶさまを見る。羽の白い模様が、ひらひらとしている。 「もう、これが最後」と思えばこそ、取り巻くひとつひとつが、今までよりもずっと深く、心に染み入ってくる。ほんとうに、わたしたちは、いい場所で3年半を暮らしたのだ。こんな時節に、名残惜しむように、別れられることの幸運。 得られなかったことを思うより、得たことを思う。失ったことを思うより、手にしたことを思う。 さて、我らは、翼がなくても二本の脚で、大地を踏みしめながら、歩いていこう。 |