SCENE07: 一筋縄ではいかないことこそが常識
MUMBAI (BOMBAY) SEPTEMBER 2, 2005/ DAY 4

魚のいない水族館。
宮殿みたいに華美な病院。
スラムみたいな高級住宅地。
宇宙が見えるヒンドゥー寺院。
屍ついばむ、ハゲワシはいずこ。


【9月2日(金)】

クロフォードマーケットを巡ったあとは、バックベイを包む込むように走るマリーンドライヴを経て、高級住宅街であるマラバーヒル(MALABAR HILL)に向かう。弧を描いて走るマリーンドライヴ沿いには、夜になると黄金色の街灯が点り、その連なる様子をして「女王のネックレス」と呼ばれている。

「マダム、あの右手の宮殿のような建物は、新しくできた病院です」

「マダム、あの古い建物は水族館です。でも、ほとんどの水槽は空です。なぜなら管理がうまくできず、ほとんどの魚たちが死んだからです」

「マダム、左手の公園は、老人たちのための公園です。若者たちの公園はほかにあるので、町が老人のために作ったのです」

「マダム、このフラット(アパートメント)の住民はギネスブックに載っているんですよ。ヴィンテージカーの所有台数が世界一なんです」

ドライヴァーの案内を聞きながら、マラバーヒルに近付いて行く。

高級住宅街とはいえ、一戸建てが立ち並ぶわけではなく、主には高層ビルディングで、しかも外観はどれもボロボロに汚れているものばかり。町を歩く人々も、小奇麗な人、小汚い人、大いに汚い人が入り乱れ、「高級感」からは程遠い。むしろスラムと呼ぶにふさわしいくらいだ。

「外観はともかく、内装はすばらしいのですよ。政府の高官や富裕層は、ここに住んでいるんです」

ドライヴァーはいう。室内はきれいなのだ、ということはすでに知ってはいたけれど、しかしやっぱり、古びて汚い外観を見ると、たとえ高級住宅地とはいえ、「こんなところには住みたくないな」と思う。

今、ムンバイは、住宅を開発する土地が限られている南部のオールドシティではなく、空港より北部に町が拡大しつつあるという。かつては森、いやジャングルだった土地が、次々に宅地造成されている。その新興住宅地に暮らす夫の知人曰く、「この間、近所にレパード(ヒョウ)が出たんですよ」とのこと。

さて、マラバーヒルのヒンドゥー寺院(JAIN TEMPLE)を訪れたあと、ドライヴァーが見晴しのいい緑の丘のたもとに車をとめて言う。

「あの上のほう、木立の中に、建物があるのですが、見えますか? あれは『沈黙の塔』と呼ばれるものです。あそこでは、今でも鳥葬が行われているのです」

ムンバイには、8世紀にペルシャを追われてインドに住み着いたゾロアスター教(拝火教)の共同体がある。「パルーシー(PARSI)」と呼ばれる彼らは、現在でも『沈黙の塔』で鳥葬を行っているのだという。パルーシーは、インド経済に大きな影響力を与える人物を輩出している。インド最大の財閥タタ(TATA)一族も、パルーシーだ。

パールシーにとって、「火」は光と生命を与える神聖なもので、死体を焼くのはもってのほかとされている。彼らによれば、土葬、火葬、水葬は、死体が大地や火、水を穢すことになるというのだ。鳥葬によって遺体を自然に分解させるのは、自然環境にとってもいいことだとみなされている。

とはいえ、ムンバイの都市化に伴い、近年は遺体を啄むハゲワシが激減している。一方、死体の数が減るわけではなく、近年、太陽光反射器を利用して死体を乾燥させるという、新たな埋葬の手段が取られはじめているとのことだ。パルーシーにしてみれば、死ぬに死ねない、由々しき事態であるに違いない。

 

「この高架はムンバイで初めて造られたんですよ」と言いながら、カーブの頂点で車を停めるドライヴァー。「ここで停まったら危ないでしょ。どうぞ、発車して下さい」「ノープロブレム。車を降りて、写真を撮って下さい」

それならば、と車を降りる。せっかくだから、ドライヴァーのお兄さんも記念撮影。どう考えても、車を停めちゃまずい場所で微笑む彼。インドだもの。

 

 

動物の形をしたトピアリーがあちこちに。マラバーヒルにある市民憩いの場、ハンギング・ガーデン(HANGING GARDEN)

「あれは木を剪定しているのではなくて、動物の形をした金網に、植物を這わせているだけなんてすよ」とドライヴァー。

BACK NEXT