JUNE 21, 2005/ DAY 9
CANYON DE CHELLY NATIONAL MONUMENT (ARIZONA)- SECOND MESA (ARIZONA)
無辺の大地に住まう人々。荒涼のホピ・インディアン居住区をひた走る。ペンダントを買う

キャニオン・デ・シェイを出たわたしたちは、まずルート64を南下する。途端、大粒の雨が降り始めた。米国では、日本では考えられないくらいの「大粒の雨」が叩き付けるように降ることがある。一度、母と妹と三人でワシントンDCからニューヨークまでドライブしたことがあったが、そのときもフィラデルフィアあたりで大雨に見舞われた。

ワイパーをびゅんびゅんフルに回転させても、ほとんど視界ゼロの状態になるほど、降るのである。妹曰く「フロントグラスが割れるかと思った」というくらいの雨で、わたしたちは路肩に車を寄せて、小降りになるまで待機したものだ。

あのときの雨よりも、さらに激しく大粒の雨が降ってきた。幸い交通量が少ないから、それでもじわじわと進んでいけるけれど、対向車とすれ違う時には、たいそうな飛沫に見舞われ、本当になにも見えなくなる。もしも外に出たら、雨に打ちつけられて、かなり痛いだろうな、と思う。試したことはないけれど。

さて、そんな激しい雨もほどなくして止み、やがてルート264にぶつかったところで進路を西に移す。すでに夕方だ。今日はここから120マイルほど走った先にあるTuba City(チュバ・シティ)のモーテルにでも泊まろうと思う。チュバ・シティに行く途中、ホピ・インディアン居住区を通過するが、もうこの時間だと土産物店なども空いていないだろう。半ば諦めて、走る。

途中、ぽつぽつと、ジュエリー店や工芸店のサインが見える。減速して店の様子を眺めるが、やはりどこも閉まっている。アートミュージアムもあるが、当然閉館している。行ってみたかったね、とはいうものの、そう思い通りに事が運ばないのが旅である。限られた時間のなかで、取捨選択しながら訪れる場所を決めて行くのは、簡単そうでなかなか難しいものだ。それをこなしていくのもまた、旅の醍醐味ではあるのだけれど。

さて、何軒目かのショップを走り過ぎたところで、OPENのサインを掲げた店があった。店の前で、店主らしきおばさんが掃除をしている。これは幸運とばかりに車を停め、挨拶をする。営業時間はとうに過ぎているようだが、店内の電灯をつけ、店へ入れてくれた。そこには、主にシルヴァーのジュエリーと、それから"HOPI KATSINA"と呼ばれる木彫りの人形、小物などがディスプレイされていた。

なにか一つ、記念に買いたいと思っていたわたしは、すばやくシルヴァーのジュエリーに目を走らせる。はっと目を引く一つを見つけて、「これだ!」と思った。それは手のひらの形をしたペンダントだった。隣にあった笛を吹く精霊、KOKOPELLI(ココペリ)のペンダントにも引かれたが、やはり、手のひらのペンダントに決めた。

店主曰く、

「日本人のお客さんはよく来ますよ。日本で販売するらしく、たくさん買ってくれるんです」

ちなみにこのペンダントは"HEALING HAND"(癒しの手)と呼ばれるもので、

「上の十字は東西南北を示します。その下は水とか波。その下の二つの点は、なんだかわからないわ」

とのこと。いずれにしても、手のひらに東西南北があるなんて、わたしのテーマにぴったりである。とてもうれしくなった。夫は木彫りの人形に関心を示し、ホピの文化についてあれこれと質問している。「ベッドルームに飾るのだ」と言って、大きめのドリームキャッチャーを買っていた。

思いがけず、この店にも長居をしてしまった。さあ、早くチュバ・シティに行かなければ!


ルート264を西に向かって走る。

 

窓の洗浄液がなくなったので補給。

荒涼たるホピ・インディアン居住区

ごくまれに、家が見える。

集落が見える。

ぽつん、ぽつんと、店の看板。

ココペリもかわいい。でも、手のひらに決めた。

あとで値札を剥がしたら、MSの文字が。わたしのイニシャルと同じ。

わたしの手にも似ている。(誰の手も、同じようなものだろうけれど)

イーグルの木彫り人形が印象的だった。

開いててよかった! さあ、もう8時近くだ。早くTUBA CITYへ行こう。

けれど見晴しのいい場所で、車を停めてしまう。

集落のそばに、畑のようなものが。

昆虫はナヴァホの人たちの間で「空気の精の人々(昆虫人間)と呼ばれてきた。

走る車はほとんどない。

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