JUNE 20, 2005/ DAY
8
CUBA (NEW MEXICO)-
SHIPROCK (NEW
MEXICO)
ネイティヴ・アメリカンと商取り引きをする青年に聞く、ナヴァホ・インディアンの暮らし
キューバでランチをすませたあと、再びルート550で北西西に向けて走る。ここからモニュメント・ヴァレーに至る途中、先ほどのレストランの壁画にあったチャコ遺跡
(CHACO
CULTURE)がある。数千年前から文明が発達していたというチャコは、800年からおよそ300年間に亘り、栄華を極めていた。
チャコ遺跡には、膨大な数の石で建造された、当時の複合住宅地の跡が今でも残っている。時間に余裕があれば訪れたい場所なのだが、遺跡まではルート550をはずれ、山道をさらに走らなければならない。モニュメント・ヴァレー界隈の夕景を見のがしたくない我々は、残念だが通過することにした。
それにしても、ランチを終えたばかりの、午後早い時間帯の運転は辛い。日差しは鋭いし、風景は単調だしで、睡魔が襲ってくる。そういう状況には夫よりわたしの方が強いこともあり、これまでは7割方、わたしが運転してきたのだが、今日はランチのあと、夫がハンドルを握っていた。そしてわたしはうとうとと眠っていた。
わたしが眠っていたら、夫もまた眠たくなったようで、ランチ後、まだ1時間もたたないうちに、荒野のただ中にぽつんとあった店
"BLANCO TRADING
POST"の前で、ズササササーッと、砂利から埃を舞い上がらせながら、夫は車をとめた。店の横には牧草地が広がり、一画の柵には羊たちがいる。ガソリンスタンドもある。
店の入り口には"FAT SHEEP
$100"と貼り紙がある。太った羊、1頭100ドル。高いのかリーズナブルなのか、よくわからない。
店内は最小限の食料品をそろえたグローサリーストアと、奥にナヴァホ・インディアンの毛織物やジュエリー、工芸品を売る土産物店がある。わたしがコーヒーを買っている間、夫は店主である青年と話をしていた。
彼、ジャスティンは、ナヴァホ・インディアンと商取り引きをする白人家系の四代目として生まれ、この地に育ったという。ナヴァホの子供たちが7割を占める学校で教育を受けた。彼は白人でありながら、この地の生活が肌に合っているらしく、一時は都会に住んだものの、ここに戻ってきたのだという。
グロッサリーのレジを打っていた女性が妻で、傍らにはまだ小さな娘がいる。
ナヴァホの人たちは、白人らに対する猜疑心も強いから、誰とでも容易く商取り引きをするわけではない。信頼関係が大切なのだと彼は言う。ジャスティンの家系は代々、ナヴァホの人たちとの関わりが強かったようだ。羊や織物、ジュエリーなどを彼らから買い取り、旅行者などに販売し続けているとのこと。
夫は数日前から、ネイティヴ・アメリカンの文化や生活に関心を示しており、彼らの話を聞きたいようだ。夫の実母は慢性白血病を煩って他界したが、彼女は病を知った当初、この界隈(アリゾナ州のセドナやフラッグスタッフなど)を訪れ、ネイティヴ・アメリカンによるヒーリングやメディケーションを受けたことがあった。ボストンに住む親戚が教えてくれたのだという。
20年前と言えば、観光客も少なく、ましてやヒーリングを受ける外部者はごく稀だったと思われる。
スウェット・ロッジと呼ばれる猛烈に暑いスチームサウナのような療法も受けたのだと、以前、義父ロメイシュが話していた。無論、あまりの熱さに、彼はむしろ、具合が悪くなってしまったとのことだった。
そんな経緯もあり、夫は、ネイティヴ・アメリカンのハーブによる療法や生活の智恵のようなものについても興味があるようだ。ジャスティン曰く、現在でもネイティヴ・アメリカンは昔ながらの方法で病を治癒する場合が多く、今は数が少なくなってしまったものの、「メディスン・マン」と呼ばれる人物の提言に基づいた暮らしをしている人も多いという。
メディスン・マンとは、心身の病を治癒させる薬術師で、子供のころから修行を積み、人を救うための技を身に付けている人のこと。一説では、サイキックな力を持つ聖なる人物とも捉えられているようだが、ジャスティンの話によると、薬草を調合したり、日常生活の在り方を提言したりと、より実質的な「ドクター」としての智恵を備えている人のように思える。
スウェット・ロッジもまた、メディスンマンの指示のもとに利用するのが本来だという。
ところで、昨今のネイティヴ・アメリカンの趨勢だが、ジャスティン曰く、この地を離れ、他の町に移り住む若者が多いようだ。ちなみにネイティヴ・アメリカンの子供たちは、働きに出る両親ではなく「祖父母」によって育てられるのが一般的だという。
現在、彼らの70%〜75%が無職で、「第三世界並み」の貧しい生活を強いられていると言う。政府の保護下にあり、給付金が出されるものの、古い世代は「お金の使い方」を知らず、だから、手元にお金が入ったら、このグロッサリーストアで100ドル分ものお菓子を買い、子供に与えたりするような人もいるのだという。
「古い世代の人たちは、お金が不要な暮らしをしてきたから、使い方がわからないんです。そのことは、今の社会で生きる上で大きな障害になっています」
痛ましい思いをたたえた表情で、ジャスティンは言う。
昔ながらの伝統的な生活習慣を重んじる一方で、現代のアメリカ合衆国に身を置いているネイティヴ・アメリカンの社会には、さまざまな問題が横たわっているようだ。いずれにせよ、同じ大陸に暮らしていながら、資本主義社会で生きている大多数の米国人とは、世界観、価値観のまったく異なる世界で、彼らは生きている。
コーヒーを片手に、ずいぶん長いこと話し込んだわたしたちは、彼と握手を交わして店を出る。
外の空気は、相変わらず熱く乾いている。さあ、まだまだこれから200マイルは走るのだ。しっかりと目を覚まして行かなければ。
CHACO
CULTURE
(チャコ遺跡)
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