JUNE 15, 2005/ DAY
3
SPRINGFIELD
(MISSOURI)- CLAREMORE
(OKLAHOMA)
インディアナ州、イリノイ州、ミズーリ州を経て、今夜はオクラホマ州のクレアモアに宿をとる
ランチを終えた午後2時から5時あたりまでが、日差しがまばゆく、空気がけだるく、運転が退屈に思える時間帯だ。なにしろ風景は単調だし、おしゃべりも飽きてくる。わたしが運転している間、夫は携帯電話で、疎遠にしていた友人や親戚に電話をかけたり、ガイドブックでサンタフェ情報をリサーチしたり、居眠りしたりしている。
オクラホマに入ったあたりで、ボストン在住、大学時代の友人マックス(イタリア人)に電話をかける。インドの結婚式に来てくれた、あの身長2mを超のマックスである。数年前、結婚した時、結婚式を挙げたガーデンから披露宴会場まで「特製自転車」で夫婦で走った、あのマックスである。
「今ね。ワシントンDCからカリフォルニアまで走っている最中なんだよ」
夫はうれしそうに話している。
何でもマックスと妻のカラは、先日アラスカへ旅行へ行ったらしい。彼らのアウトドアぶりは徹底していて、やはりサイクリングで森深く分け入り、彼ら二人しかいない森の中で何日か過ごしたと言う。
「人生観が変わる経験だったって言ってたよ。ぼくたちにはできないね。マックスたち、何食べたんだろうね〜」と夫。彼らの旅のスタイルを聞いていると、我々のドライヴなど「生温い」感じがしてくる。
ところで荷造りの際、CDを2つの大きなファイルにまとめていたのだが、荷物が増えすぎたこともあり、大きい方のファイルをUPSで送ってしまっていた。従って分類がめちゃくちゃな小さいファイルしかない。何を聴こうかと、パタン、パタンとファイルをめくる。
ビリー・ジョエル、ベートーベンのピアノソナタ、佐野元春、U2、マリア・カラス、スティング、ラフマニホフ、ドリカム、RIVER
DANCE、モーツァルトのバロック……と、脈絡なく聴いてみるが、どれも気分にピンと来ない。
そのうち、日差しが傾いてきて、今度は車内に鋭い夕日が差し込んでくる。この日差しを避けるのに苦心する。麦わら帽子を被ったり、タオルを巻いてみたり、いろいろと角度を変えながら紫外線から身を守る。
途中、こまめに休憩をし、水を飲み、身体を伸ばし、給油し、を繰り返しながら、やがて8時近く。今夜はオクラホマ州のTULSAという町の手前にある、小さな町、CLAREMOREで宿を取ることにした。
ハイウェイをおりると、裏寂れた通りを経てルート66に出る。BEST
WESTERN
系のホテル、モーテルならまともだろうと目指したが、同じBEST
WESTERNにもピンからキリまであり、ここは最下位なクオリティと思われるモーテルだった。BEST
WESTERNはフランチャイズ経営なので、オーナーによって管理が異なるのだ。
まあ、それでも最低限の設備はあるし、ハイスピードインターネットもあるし、文句は言うまい。部屋に荷物を運び込み、さて、夕食に出かけようと思うが、近所にはろくな店がない。わびし〜い感じのダイナーが隣にあったので入ってみたが、店内は米国とは思えない「喫煙可」のダイニングで、煙たく、うすぎたない。疲労感急上昇。即、出る。
少し歩いた先にあるチャイニーズに入ってみた。「ブッフェレストラン」とあるが、お客は一人もいない。お客が一人もいないブッフェレストランで食事をするのは、とてもデインジャラスである。引き返す。
残る選択肢はバーガーキング。夕食に、バーガーキング。なんてこったいバーガーキング。でも、怪し気なダイナーやチャイニーズよりは「気心が知れている」雰囲気が漂っている。遠出したところで五十歩百歩だろう。最早、ここしかない。店内では、トラックのドライバーと思しきおじさんが、一人で黙々とハンバーガーを食べている。
隅のテーブルで、従業員がうつぶせになって寝ている。ここもまた、けだるいムード全開。カウンターで「ウォッパーズ・ジュニア」(結構好きなのだ)とサラダを注文するも、なかなか出てこない。次の客が先にお会計。その次の客も先にお会計。いったい何なのだ。
テーブルで待っていたわたしは業を煮やして、つかつかとカウンターへ行き、夫に事情を聞けば、オーダーミスでいちから作りなおしているとのこと。
いちから作り直したってファストフード。15分も待たされる意味がわからない。空腹と疲労とで、またしても、妻は声を荒げて「マネージャーを呼んで」状態になる。恐縮したマネージャーが、
「サービスでフレンチフライとオニオンリングをお付けします」と言ってくれたのだが、そんなものを夜遅くに食べた日には美容の敵である。「いりません!」と断る荒れた女。我ながら気が短い。ヨガをやっても、治らない。
ところで、昨日今日とドライヴして思った。バーガーキングはともかく、マクドナルドは永遠に不滅だな、と。ドキュメンタリー映画
"SUPERSIZE
ME"をはじめ、あらゆるところで「不健康」と叩かれているマクドナルドだけれど、この国にマクドナルド及び類似のファストフードは不可欠である。
都市部を除く、その他の広大なエリアにおいては、マクドナルドの"M"
のマークが、神々しく輝いて見える。だいたい、ろくな店が見つからないのだから困ったものである。
ちなみにバーガーキングの隣には、銃器の店があった。この一帯は「古き良きアメリカ」というより、「古き悪しきアメリカ」としか思えない。
そのうち、列車の汽笛が聞こえ、道路の真横に鉄道が走っていることに気づく。SANTA
FE
鉄道の貨物列車が、ゴトンゴトン、ゴトンゴトンといいながら、果てしなく、果てしなく、続いて行く。
ゆったりと走る列車の音や汽笛の音は、記憶の底に眠る郷愁をかきたてる。祖父母の住んでいた筑豊の炭坑街を走っていた蒸気機関車を思い出すのだ。炭坑の閉山が続いていた昭和40年初期、わたしが2、3歳のころのこと。筑豊から愛知県の豊田市に引っ越す叔父、叔母を見送りに、祖父母たちと小さな鉄道駅へ行った。
暗闇に溶ける大きな蒸気機関車が、白い煙りを吹き出している。時折、轟く汽笛。わたしは従兄弟たちとチョコボールを食べながら、その列車を見守っている。やがてゆっくりと、列車は動き始める。窓から手を降る叔父と叔母。彼らを追いかけるようにホームをよたよたと駆ける祖父の悲し気な顔……。
暗闇に舞う火の粉が、夢のようだった。
サンタフェ鉄道の音は、あのときの音と、本当によく似ている。世界のどこにいても、郷愁はつながっている。
[DAY 3/
Miles Driven: 610 (1205)]
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