SCENE 55: 花火三昧! ディワリの夜
BANGALORE, NOVEMBER 12, 2004

一年に一度、家族や親戚が集まって、祝う光の祭り。
街中の至るところで花火が燃え、爆竹が轟く。
わたしたちもまた、硝煙に包まれながら、
火と光とに、戯れる夜。


■花火に爆竹雨霰! 大賑わいのディワリの夜

「今日はおめかしして、サリーを着ていくからね」

「だめだめ。花火をするんだから、サリーはだめだよ。燃え移ったら危ないでしょ」

「そんな燃え移るほど、花火なんてやらないよ。見てるだけでいいでしょ」

「何言ってるの? 花火はすごく楽しいんだから、やらなきゃだめだよ! やらなきゃ、意味がないの! ともかく、サリーはだめ。それから燃えやすい化繊もだめだからね。コットンの服を着ていくんだよ!」

ディワリのパーティーは、おめかしをして参加すべきじゃないんだろうか。サリーだって、この日の為に新調する人がいるはずなのに。でも、夫があまりにしつこくサリー着用を禁止するので、やむなく洋装にて出かけることにする。

義姉スジャータと義兄ラグバンの住むインド科学大学(IIS:Indian Institute of Science)のキャンパス内に入った途端、あちこちからけたたましい爆竹の音が聞こえてくる。学生らが花火をやっているようだ。

時折、大地を揺るがすような「ドーン!」という爆音すら聞こえ、それはもう、花火やクラッカーの域を超えた、まるで戦場の音である。

社宅の前でタクシーを降り、彼らの住むアパートメントに向かう。家々の軒先に、蝋燭やオイルランプの炎が揺れている。子供たちが歓声を上げながら、花火に興じている。

「僕、花火やるの、19年ぶりなんだよ! あ〜楽しみ〜!!」

ここ数日の間、何度も同じ発言を繰り返す夫。思えばわたしも渡米して以来、花火はやっていない。なにしろ米国では、気軽に花火ができない。独立記念日の7月4日だけ、花火の露店が出て花火を購入することが出来、その日に限り花火をすることができる。それ以外の日に、一般の家庭で花火をすることは禁止されているのだ。

スジャータたちのアパートメントに入ると、ロメイシュやラグバン、そしてラグバンの両親が出迎えてくれた。そして2階から、スジャータが登場。美しいサリーを着用している!

「ほら〜、やっぱり〜! スジャータはきれいなサリー着てるじゃない! どうしてわたしはダメなわけ? やっぱり今日は、おめかしする日なんじゃないのよ〜!」

数少ないサリー着用の好機を逃してしまったわたしは、夫にこっそりと不平を漏らすも、彼は聞こえぬふりで人々と談笑。憎らしき男だ。

一日かけてごちそうの準備をしたスジャータのキッチンは、鍋やら食器やらで埋め尽くされていて、けれどいい香りに包まれている。わたしたちは前菜などをテーブルに運び、ビールやワインなどをグラスに注ぐ。

ラグバンの同僚である大学の教授やその家族、ドイツや韓国からの研究生らなど、次々とゲストがやってくる。みなそれぞれに挨拶を交わし、自己紹介をする。

わたしたちが持参したワインを飲みながら、「わたし、このサンテミリオンが大好きなのよ!」と頬を緩めたサリー姿の老婦人を、わたしはてっきりインド人女性だと思っていたのだが、実はインド人男性と結婚したフランス人女性だった。英語もすっかりインド訛で、もはやボーダレスの存在感だ。

彼女は日本の女流文学に精通していて、紫式部の源氏物語についてを滔々と語りはじめた。語るだけならまだしも、わたしにも数々の意見を求め、気が休まらないことこの上ない。更に彼女の夫もまた、科学者らしいのだが文学にも精通していて、川端康成の『美しい日本の私』を絶賛する。

『美しい日本の私』は、"Japan, the Beautiful and Myself"というタイトルで、英語訳が出版されていて、彼はその本を愛読しているらしい。川端の文学論に始まり、彼の日本観を滔々と聞かされ、またしても意見を求められ、相当に気が休まらない。

わたしとの会話を終えた老教授は、今度はドイツ青年をつかまえて、

「僕は、バッハもいいが、ヘンデルが大好きなんだよ。ヘンデルの……」

と、今度はドイツの作曲家についての講釈がはじまった。

外国人に対して、その国の文化や歴史に興味を示し、それについて語るのは悪いことではないけれど、あまりにも突っ込んだ内容で専門的な知識を要することを尋ねるのは、むしろ考えものだ。

さて、そろそろお腹が空いてきたな……、と思ったころ、ラグバンが両手に花火がたっぷり入ったビニル袋を掲げて叫んだ。

「みんな外に出て! 花火をするよ!!」

みなぞろぞろと外に出る。みな、花火をするらしい。それにしても、花火の数の多いこと。まさかこれ、全部やるわけじゃないわよね。

花火になるとラグバンを筆頭に、男性陣は急に積極的になり、手で持つ花火を次々につけ、女性らに手わたす。夫もわたしに、「ほら、持って! 楽しいんだから!」と持たせ、「ぐるぐると回すともっと楽しいよ!」と伝授してくれる。

並行して、爆竹を鳴らし始める。もう、間断なくクラッカーが鳴り、ネズミ花火がぐるぐる回り、うるさいの、煙たいの、この上ない。火花と共に、黒い粒のようなものが飛び散る「ザクロ花火」というのもあった。少々気味が悪い。

気味が悪いと言えば、むにゅむにゅ・もこもこと蛇のような灰が出てくる「蛇花火」もある。これは気味が悪いが妙に楽しい花火である。

急に遠い記憶が鮮明に蘇ってきて、懐かしさに包まれる。

今から30年ほど前、祖母が住んでいた、かつて炭鉱のあった田舎町で、夏休みに親戚一同が集まった。

あの夏、大勢のいとこたちと花火をした。

あのときも、爆竹こそしなかったものの、これと同じような花火をしたものだ。ロケット花火にネズミ花火、蛇花火……。落下傘が落ちてくる花火はまた、一段と楽しかった。いとこたちと競り合うようにして、ふわふわと落ちてくる白い落下傘を受け止めた。

そうして最後は、静かに小さな線香花火……。

硝煙に包まれながら、遠い夏の日を思い出す。

それにしても、いつまで続くのかこの花火。いつまでたっても終わらない。すでに1時間以上はやっている。お腹が空いたし、火薬臭いし、もう、そろそろ引き揚げたい。こっそりアパートに戻ろうとしたとき、ラグバンが叫ぶ。

「さあ、場所を移動するよ! これからロケット花火をやるからね!」

と掛け声をかける。「ミホも早くおいで!」と夫が呼ぶ。

一堂、ぞろぞろと社宅の外の広場に出る。空いたワインボトルを2本並べ、そこにロケット花火を差し込み火を付ける。ロケット花火はシュウーッと音を立てながら、空に向かって飛び立っていく。

夫は本当にうれしそうに、次から次へと、導火線に火を灯しては、舞い上がる花火を仰ぎ見ている。夫だけじゃない。みな、本当に楽しそうだ。

そして最後を締めくくるのは、線香花火ではなくて爆竹300連発。ラグバンが、簾のように連なる赤い爆竹をフェンスにぶら下げ、火を付ける。

パンパン! パンパン! とけたたましい音を轟かせる爆竹。

最後の「パン!」が終わってようやく、花火大会はお開きとなった。すでに1時間半、いやそれ以上が過ぎていた。

両手に花火を持ってご満悦の夫

皆、手に手に花火を持って……

 

しゅーっと音を立てながら、ぼとぼとと黒い粒を飛び散らすザクロ花火。

モコモコと、花火とは言い難い不気味さのある蛇花火。

義父ロメイシュも花火に夢中

いったい何本打ち上げただろうロケット花火

締めくくりは爆竹300連発!


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