SCENE 35: 綴ることを、とても楽しいと思う瞬間
DELHI, NOVEMBER 4, 2004

色々な言葉を、色々な場所で、色々な思いとともに、書き連ねてきた。
仕事で、私事で、あるいはあてどもなく。

書くことが億劫で、面倒で、仕方がないこともたびたびで、
けれどやっぱり、書くことが楽しみなときも多いからこその。

この瞬間の、この場所でのわたしは、
おいしいコーヒーを飲みながら、心地のよい椅子に腰掛けて、
自分の見聞きしてきたことを、誰かに伝えようと、
強いられることなく、ただ思うがままに、
書きたいと思うことを書き綴り、その時間を、楽しんでいる。


■ラウンジにて、ジャーナルを綴る。

食後はクラブ・ラウンジにiBookを持参して、コーヒーを飲みながら、旅のジャーナルを書く。たとえ規模の大きいホテルでも、ムンバイのタージ・マハル・ホテルのラウンジ同様、こんなふうに落ち着ける場所があるのは、とてもいい。

部屋は快適だけれど、ずっと籠っているのはつまらないし、適度に「動きのある場所」の方が、脳内も適度に「動く」のだ。でも、インドの場合、「適度」を見つけるのは難しい。このラウンジを訪れるゲストは比較的マナーがよいけれど、やはり中には、大音量の着信音にて携帯電話を使用し、しかも大声で話す人がいる。

あるゲストはわざわざ携帯電話を「スピーカー音」にして、書類を広げつつ、先方の声さえも周囲に轟かせながら会話をしていた。ビジネスの内容がまるごとわかる、あけっぴろげな態度だ。実に、過剰なほどに、あけっぴろげだ。

会話の中に、日本の大手企業名も出てくる。そこの社員の名前も出てくる。ミスター・ウノらしい。ミスター・ウノは「ナイスガイ」らしい。ミスター・ウノのインドにおける働きっぷりは、なかなかにいいらしい。「その件」は、また来週、デリーに来るミスター・ウノに任せればいいらしい。

何もかもが筒抜けだ。節操がないにもほどがある。

どこでもここでも、取引先の話や金額の話、詳細を、誰もが大声で話している。「周囲を憚る」という概念がない。ある種、それは「誇示」なのか、とすら思える。仕事をしている人々が、なにか「ゲーム」を楽しんでいる、というふうに、見えなくもない。

どうでもいいけど、もうちょっと、静かにしてほしい。

 

■そしてスパで過ごす、有閑マダムな午後。時間の感覚が……

夕方は、スパでマッサージ及びネイルケアの予約を入れていた。ケララのアーユルヴェーダは「診療所的」だったが、ここはラグジュリアスなスパである。「主には遊び」とはいえ、飛行機での移動なども多いうえ、慣れないベッドで眠る日々だからおのずと身体が凝る。それをほぐしてもらおうと思う。

スパとフィトネスセンターが一体化した設備で、宿泊客はジムはもちろん、ジャクージーやスチームサウナも利用できる。白いポロシャツ、赤いスポーツウエアを履いたインストラクターも控えている。

あらかじめ前日、予約した際、時間を確認したところ「マッサージは45分から1時間、ネイルケアは手と足、同時に行うので30分、合計1時間半で終わります」とのことだった。予約は3時からだったが、わたしはあらかじめスチームサウナを利用したかったので30分早く訪れた。

シャワーを浴び、スチームサウナで身体をほぐしたあと、エステティシャンに誘われ、キャンドルの灯がともるマッサージルームへ。オイルを使用してのスウェーディッシュ・マッサージだ。彼女は指圧の心得もあるらしく、適度な刺激で非常に気持ちがいい。

途中、寝入ってしまい、もうそろそろ終わるころか、というときに目が覚めたのだが、彼女はまだ、丁寧に頭、そして顔のマッサージをしている。顔が終わってから終了か、と思いきや、また足先から全身をほぐしてくれる。長い分にはうれしいけれど、明らかに1時間は過ぎている気がする。

ふにゃふにゃとリラックスした身体でサロンに通され、ネイルケア用のソファーに腰掛け時計を見る。時刻は4時半。彼女は気前よく、1時間半もマッサージしてくれていたのだ。時間にルーズなインド人だが、こういうルーズさは、急ぎの用事でもない限り、大歓迎である。

さて、ネイルケアである。手のケアはマレー系と思しき年輩の女性が担当で、ポケットから老眼鏡を取り出して爪のチェックをはじめた。と、白いポロシャツに赤いパンツのジムのインストラクターのおじさんがサロンに入ってきた。

彼はおもむろにわたしの足元の椅子に腰掛け、ネイルケアキットが入った引き出しから眼鏡ケースを取り出し、かぱっとふたをあけて金縁の眼鏡を取り出してかけ、再びケースを丁寧にしまい、そしてフットバスに湯を轟々とくべはじめた。

インストラクターのおじさんは、どうやらネイルケアもするらしい。意外な展開である。

おじさんはわたしの両足を手際よく台に載せ、双方の足を交互に見比べ、状況を確認する。その風情はまるで「木彫り職人」とでも呼びたい性質のものだ。

職人おじさんは、足を湯に浸したあと、片足ずつの爪にやすりをかけ始めた。その慣れた手付きはやはりいかにも、職人である。彼の動作は、丁寧なことには違いないのだが、「人間の足を扱っている」というよりも、やはり「木材」でも扱っているような具合である。

まずは、やすりの角度を巧みに変えながら、爪の形を整える。そして次は足の角質を擦り落とすべく、ブラシ状の角質落としで、ごしごしと猛烈なスピードでこすりはじめた。それは、驚くべき速度かつ熟練の手付きで、まさに、木にやすりをかけている職人そのものである。

つい、笑いが込み上げてくる。

彼の真剣な姿勢がおかしいのに加え、足の裏もおかまいなしにごしごしと擦られるのでくすぐったくて仕方がない。が、彼には客に有無を言わせぬ気迫があり、客はただ、こそばゆさを耐えるしかないのである。

ときおり、自らの指先で、肌の感触を確認しながら、足全体をくまなく磨きあげていく彼。足を磨き上げたら今度は、足のマッサージである。膝から下にかけて、たっぷりとクリームを塗り、上へ下へと何十往復。これがまた、気合いと情熱とリズムの三拍子。職人おじさんの額には汗が光る。

「力加減はいかがですかマダム」

「ちょっと、強すぎるかも……」

渾身のマッサージにより、わたしの身体全体が揺れるため、手のマニキュアを塗れない事態に。マレー系のおばさんは一時休憩である。

そんなこんなで、ネイルケアに丸1時間かかった。合計2時間半のトリートメントであった。

わたしのネイルケアが終わったころ、ちょうど別のゲストがやってきた。彼女はヘッドマッサージをしに来たらしい。スタッフにいざなわれ、鏡の前のヘアカット用の椅子に座らせられた彼女のもとに、職人おじさんは直行する。彼はマッサージもするのである。

彼女の座っていた椅子をぐいっと引っ張って、自分の好みの位置に固定し、彼は軽く膝を曲げ、腰から下をふんばるようにしながら、またしても「渾身の姿勢」で頭部マッサージ開始である。

それは非常に「効いている」風で、彼女は「あ〜気持ちいい! あなたをニューヨークに連れて帰りたいわ!」と言っていた。彼女はニューヨークから来ているらしい。

さて、そこまで気合いの入っていた職人おじさんであるがしかし、「塗り」に関しては未熟のようである。

あとで部屋に戻って確認したら、ペディキュアのあちこちがむらになっていた。画竜点睛を欠くとはこのことか。しかし、足裏は「姫」のように滑らかですべすべになっており、それは見事な仕上がりだった。

おかしなサロンだった。

 

■フレンドリーなシェフ再び。3年前を懐かしむディナータイム

夕食は、カンファレンスを終えた夫とともに再びコンチネンタルのダイニングで。彼の今日一日の話を興味深く聞きながら、料理を選ぶ。軽めの料理をシェアしようと、まずは前菜にチキンのサテー(串焼き)をオーダー。それから、「キリマンジェロ・ベントーボックス」という、謎めいた主菜も。

ベントーボックスとは、もちろん日本語の「弁当箱」から来ている言葉だ。日本料理の定食などに用いられる仕切りのついた箱型の器をして、ベントーボックスと呼んでいる。インドに限らず、米国でも「ベントーボックス」は市民権を獲得しつつある日本語である。

食事をしていると、またしてもシェフが登場。

「こんばんは。マダム。料理のお味はいかがですか? サー。今朝はお見かけしませんでしたが、朝食はおとり荷ならなかったんですか?」

「8階のクラブ・ラウンジで食べたんですよ」

「明日はぜひ、こちらに降りてきて下さい」

シェフは実に、ゲストをよく観察しているのである。やがて女性シンガーがライブで歌いはじめた。

「彼女はムンバイ出身の、インドで最も歌唱力のあるシンガーの一人です。ステラといいます。リクエストがあれば、ぜひどうぞ」

そう言いながら、リクエストカードと鉛筆を持ってくる。

シェフがわたしたちのそばで世間話を続けるので、夫も語りはじめる。

「ぼくが子供のころ、家族でときどきこのレストランに来たんですよ。当時は内装も違っていたけれど。3年前、ぼくたちが結婚をしたときは、妻の家族と一緒に、ここへ来たんです。みな、おいしいと言って食べていました」

彼がそう説明するうちにも、酔いと音楽が手伝って、目頭が熱くなった。

時は過ぎて行く先から過去になり、過去はいつでも「懐かしさ」という哀愁の情を運んでくる。


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