SCENE 06: ノアの方舟
MUMBAI (BOMBAY), OCTOBER 26, 2004

世界で一番、ぎゅうぎゅう詰めの街。
世界で一番、大金持ちと大貧乏が混在する街。
世界で一番、汚らしさと輝かしさが同居する街。

多分、世界で一番、空気が汚くてむさ苦しい街。
多分、世界で一番、交通事故で死ぬ人が多い街。
多分、世界で一番、残飯とカラスが多い街。

時間も距離もなにもかも、測る尺度が存在しない。

たとえ世界が滅びに直面したとしても、この街は最後まで、生き延びるだろう。

強烈な生命力を、あふれんばかりに抱きかかえ。
まるでノアの方舟みたいに。


■ようやく、駅に到着。そして二、三の死。

わたしは、何本もの列車が乗り入れる「ターミナル駅」の存在感がとても好きだ。特に、ヨーロッパの駅に見られる、アーチ型の高い天井の、薄暗く冷たい感じの駅。大きな時計があって、汽笛の叫びが似合う駅。

広々した構内に響き渡る、さまざまな地名を告げる、その国の言葉。

急ぎ足で行き交う人々。手持ち無沙汰にベンチで待つ人。来る列車、行く列車……。

そんな場所に、旅人として立った時、たとえようのない心の高まりを感じる。いつまでも、東西南北の人でありたいと願う気持ちが込み上げる。

さて、ヴィクトリア・ターミナス駅である。

ここもまた、そんな駅が持つ特有の哀愁が散らばっていそうな一見雰囲気であるものの、何かが違う。建物も、古びた列車も、なにもかもが「味わい深い」のに、感傷を受け付けない現実的な空気が満ちている。

人々は、動き始めた列車に飛び乗る。まだ止まらぬ列車から飛び下りる。

乗るあてはないのだけれど、わたしはしばらくの間、駅の中を彷徨した。そのうちお腹が空いてきた。時計はもう1時を回っている。そろそろホテルに戻ろうと思う。

タクシー乗り場に行くと、何人かのドライバーが近寄ってくる。わたしはメーターと料金の換算表を持っているので(シティガイドに載っていた一覧をちぎってジャーナルに貼っておいたのだ)、普通のメータータクシーに乗ろうと思っていた。

念のため、料金の相場を尋ねると、ある兄さんがもっともらしい顔で言う。

「タージ・プレジデント・ホテルまではここから7キロだから200ルピー程度ですよ」

「なに言ってんの? わたしはさっき歩いて来たから知ってるけど、せいぜい遠くて4キロよ。7キロはありえない」

「4キロは、タージ・マハル・ホテルでしょ? タージ・プレジデントは遠いから、絶対に7キロはある!」

「ないってば!」

「あるある。タージ・プレジデントは遠いんだよ!」

「もういい。他を当たる!」

すると横からじいさんが割り込んできて言う。

「この男はいいやつだ。信頼できる男だよ」

ん? どこかで聞いたことのある台詞。それはともかく、見知らぬじいさんに「信頼できる男だ」と太鼓判をおされたところで、何の信頼になろうか。ならん。

と、向こうから本当にメータータクシーの運転手らしき青年がやってきた。わたしの前でメーターを倒してくれたので先ほどのいかさまな輩を無視してタクシーに乗り込む。するといかさまな兄さんは

「半額、半額にするから、乗って行ってくれ〜」と叫んでいる。

「彼らは本当に、いつもあんな調子なんだよ」。好青年ドライバーは笑いながら言う。

それにしても、道路は大渋滞。しかもタクシーにはエアコンが利いていない。窓をあければ排気ガスが流れ込むし、交差点では物乞いの子供らがこちらに向かって突撃してくる。窓を開けてはいられないのだ。

と、前方に人だかりが見える。また事故のようだ。

事故の直後らしく、白い布がかぶせられた男性の遺体が道路に横たわっている。ビニールサンダルを履いた脚が布からはみだして、血痕が飛び散っている。

「いつもこんなに事故があるの?」

「うん。毎日ってわけじゃないけど、多いよ」

彼は英語の勉強中らしく、たどたどしくも懸命に話をする。

と、3分もたたないうちに、またしても事故の現場に遭遇。遺体はないものの、その人が抱えていたらしき箱のような荷物が転がり、やはりどす黒い血痕が道路に広がっていた。好青年ドライバーが窓を開けて他のドライバーに尋ねたところによると、やはりこの人物も死んでしまったらしい。

一日のうちに、いや、数時間のうちに、数百メートル圏内で3件の事故があり、少なくとも2人、死んでいる。

ムンバイのドライバーは止まらない。かなり恐ろしいぞ。街歩きが俄然、ストレスの高い行為に思えて来た。気を付けて歩かねばと思う。

ちなみにタクシーの料金は、一覧表に照らしてみると60ルピーだったが、チップを多めにして80ルピー(2ドル弱)を払った。

Thank you very much!!

さわやかな笑顔で好青年ドライバーは言い、去っていった。

 

■そして夫は優雅なランチ。エビはエビでも……。

ホテルに戻り、シャワーを浴び、ホテル内のカフェで遅いランチを取る。食後、眠くなったけれど、ここで寝ては時差ぼけになってしまうので、我慢して写真のデータをコンピュータに取り込んだり、このホームページを作ったりしてのんびりと過ごす。

夕刻になり、夫が戻って来た。今日はミーティングが4つあったはずで、かなり忙しかったはずだ。

「おかえり。今日はどうだった?」

「もうねえ。ランチがおいしかった〜。エビがね〜。もう最高」

「ランチの話じゃなくて、仕事のことを聞いてるんだけど」

「タージ・マハル・ホテルでランチ・ミーティングの待ち合わせをしてたんだよ。そしたら彼がいきつけの店があるからって、ワサビに連れて行ってくれたんだ。ワサビ。

前菜のエビがもう、すごくおいしくてさあ! あ、彼とシェアしたんだけどね。それから銀ダラみたいな白身魚のグリルとね。あと、ツナのスパイシーロールとスパイダーロール(ソフトシェルクラブのフライの巻寿司)も食べたよ。どれもおいしかった〜。やっぱりあそこ、アイアンシェフのモリモトの店っだってよ!」

どうやら今日のハイライトはランチだったらしい。

わたしが干しエビに目を丸くしているころ、公衆トイレで血圧を低くしているころ、死体を見ているころ、彼は3ベッドルームに月6000ドルの家賃を払っているビジネスマンと、高級日本食レストランで優雅な昼餐を過ごしていたのだ。

一通りランチの話をすませてから、ようやく仕事の話に移る。全体に、収穫のあるいい打ち合わせだったようだ。

わたしも彼もあまりお腹が空いておらず、従ってホテルのライブラリーバーでしばらくビールを飲みながらくつろぐ。

1時間ほどもすると、やはりお腹がすいてきたので、ホテル内のイタリアンへ行く。ここでピザとトマトスープをシェア。窯焼きのピザが予想以上においしく、またスープに添えられたガーリックトーストもおいしくて、

「やっぱり、小麦粉が違う!」

と、結婚式のため渡印した際、インドのナンをしてそう繰り返し力説していた亡き父の言葉を思い出すのだった。


ムンバイ大学の時計台。

ホテルのライブラリー・バーで、ビールなどを飲みながら夕食前のひとときを過ごす。

壁の書棚にちらほらと本が並ぶ、一応はライブラリー的バーではあるが、バンドの生演奏が

 


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