SCENE 04: 路上で何を掃く人ぞ
MUMBAI (BOMBAY), OCTOBER 26, 2004

大通りの路肩に石が並べられ、その内側に、ピンク色の何かが敷き詰められている。
そのピンク色の何かを、掃いている女性がいる。
彼女は、何を掃いているのだろう……。

近寄ってみてびっくり
小エビを、小エビを、干している!!
あまりのことに、笑いが込み上げてきて、止まらず。

ムンバイで、干した小エビは、食べるまい。


地図を見て、海辺の遊歩道があるのではなかろうか、と予測していたルートには、貧しい人々が住むバラックと、オンボロの船が停泊する漁村があった。呼吸困難。

中心街のあちこちで、廃虚や廃屋を見る。地価が高いのだから、土地を寝かせていたのでは勿体ないと思うのだが、一筋縄ではいかないのだろう。

路傍の本屋さん。インドでは書店でも、こんな風に本を横に並べて売っている。タイトルを読むのに首を傾けなくていいのがいい。


10月26日(火)

■プールで泳ぐ朝。体調ばっちり食欲旺盛。

朝、ヨガの代わりにプールで泳ごうと夫が誘う。わたしは行きたくないのだが、夫がしつこい。

彼が子供のころ、父親ロメイシュが転勤の多い仕事をしていたため、彼らの学業に差し支えないよう、ニューデリーの祖父宅に姉のスジャータともども預けられていたことは、「インド彷徨(1)」にて記したかと思う。そのころの一時期、彼の両親はムンバイのこの近所にあるアパートメントに住んでいた。

ある年の夏休みの1カ月余りを、夫はこの界隈で過ごしたらしい。

夫の亡母アンジナは、このホテルのプールを利用できるよう手はずを整え、その夏、夫とスジャータは毎日、ここで泳いでいたらしい。

「毎日、このプールに泳ぎに来たんだよ。楽しかった〜。泳いだ後は、ママがホテルのペイストリーショップでパンとかお菓子を買ってくれたんだ。おいしかった〜」

なぜかしら、小憎らしい。

そのノスタルジックなプールに、わたしをどうしても連れていきたいらしい。朝っぱらから。

しぶしぶ水着に着替え、プールへ行く。しかしプールサイドにはハトがたむろしていて、数羽ずつが交互にプールの手すり付近にとまっては、水を飲んでいる。

ホテルのスタッフがしきりにハトを追い払うのだが、目を離すとすぐにやってくる。ハトだけでなくカラスも来る。やだ。こんなプールで泳ぐの。しかも気温が高いとはいえ、水は冷たい。

しかし夫はしつこい。「泳ごうよ! 時差ボケにいいよ! 健康にもいいよ!」

やれやれ。わたしは泳がず、浅いところをうろうろと歩く。が、ハトもしつこい。プールの水はハトの糞がブレンドされているとみた。わたしは業を煮やして引き上げる。夫は黙々と泳いでいる。一人でノスタルジーに浸れというものだ。

朝食は毎度おなじみ、インド料理ももりだくさんのブッフェスタイル。食べ過ぎないよう、主にフルーツを中心にヨーグルトなどを食す。

 

■そして、ヴィクトリア・ターミナス駅に向けて、街歩きに出発。

ムンバイの滞在は5泊6日。フルに使えるのは今日を含め実質3日間だ。初日の今日は体調もいいことだし、街歩きをしようと思う。

前回は猛烈に蒸し暑くて歩くのが辛かったけれど、今回は暑いとはいえ前回よりましだ。予想通り、このホテルのフロントにも気の利いたシティマップは用意されていなかったので、日本のガイドブックの地図を参考にする。

歩いて行ける範囲での見どころと言えば、ヴィクトリア・ターミナス駅がよさそうだ。前回、カメラのバッテリーを入手した店あたりからさらに北上したところにある。ホテルからは約3キロから4キロ程度。ウォーキングにもちょうどいい距離ではなかろうか。

日焼け止めを塗り、帽子をかぶり、ホテルのバンケットルームに寄り道した後、外へ出る。ちなみにインドでは帽子をかぶっている人はほとんどいない。冬のニューデリーでは、防寒用の「正ちゃん帽」みたいな毛糸の帽子をかぶっている殿方をしばしば見かけたが、暑い場所での帽子着用者は警察やホテルのドアマンくらいなものか。

女性はサリーやショールを頭に覆えば日よけになるしね。

歩き始めて5分くらいたって、方角を確認する意味で街の人に駅の場所を聞く。

「ヴィクトリア駅? とても歩いては行けないよ。タクシーで行きなさい」

歩き始めて10分くらいたって、再び方角を確認する意味で街の人に駅の場所を聞く。
「ヴィクトリア駅? とても歩いては行けないよ。タクシーで行きなさい」

薄々、気づいてはいた。というか、前回で懲りていたはずなのだ。なのに喉元過ぎれば熱さ忘れてばかりだわたしは。

この街は、歩くのに、まったくもって相応しくない街なのである。交通量は多い。歩道から人がはみだしている。はみだせば車にひかれそうになる。歩道に戻ればのろのろと、先に進まない。汚い。蒸し暑い。臭い。

途中で、エビを干したりしてるし。

「ハーバー沿いの見晴しのいい道」と見込んでいた通りは、貧民街だし。

そのあたりをうろついている犬のものか、ヤギのものか、あるいは人間のものか、見当のつかない糞をよけながら歩かなきゃならないし。

しかも漁村の周辺は、残飯の匂いと干しエビや干し魚の匂いと、魚介類全般の腐敗した匂いとが渾然一体となって一体にたちこめており、マスクを持ってこなかった自分を大いに責めた。

ハンカチで鼻を押さえて歩きつつ、(臭気によるバクテリアの感染はあり得るのだろうか)などと思う。どうなんだろう実際。免疫力が弱い人は、やられるだろうな。

ようやく悪臭地帯から脱したかと思えば、今度はちょうどランチタイムにかかったせいか、路上の屋台が一斉に店を開き、路傍で立ち食いをする人が大勢で、よりいっそうの人込みだ。

店頭で天婦羅のような揚げ物を作る人、たまねぎを刻み、スナックを作る人、カレーのような煮込み料理を作る人……。至る所でスパイシーかつ油っこい匂いが立ち込めている。排気ガスの匂いと入り交じり、これはこれでまた、暑い夏には鬱陶しい匂いである。血圧がうっすらと下がっていく思いだ。

額の汗をぬぐいつつ、やがて商業ビルが立ち並ぶフォート地区に至る。ムンバイ大学の時計台が見えて来た。そろそろ「フローラの噴水」が見えてくるころだ。しかしここからが勝負だ。なにしろ、このフローラの噴水一帯は大通りが交差していて、猛烈な人込みだから。

と、思っているうちにも、なんだかトイレに行きたくなる。朝から水やら紅茶やらコーヒーを飲み過ぎたのがたたったのか、だんだん、切羽詰まってくる。

ホテルかマクドナルドかバリスタカフェはないかと、街並を目で追いながら歩くうち、事故現場に遭遇。道路の中央に水たまりのようなどす黒い血痕と転がるビニールサンダル。誰かが車にひかれたらしい。

この街の人々はマンハッタン同様、信号を無視して道路を横切るし、信号のないところでは、車の途切れたすきを狙って急ぎ横切らねばならないしで、危険きわまりない。けれど、マンハッタンに住んでいた5年間、このような事故現場を見たことはなかった。

大量の血を見て、更に血圧が下がったような感覚。と、同時に、より一段とトイレに行きたくなる。

と、目前に公衆トイレが現れた。公衆トイレ。なんて危険な響き。

しかし、どんなに目をこらして周辺一帯を見渡しても、トイレがありそうな建物は見当たらない。トイレットペーパーなら持っている。意を決して、入り口で20ルピーを払い、ズボンの裾をまくり、中へ入る。

結論から言うと、公衆トイレは水洗だし、床は大理石的滑らかな石で、水浸しであるものの、そうじのおばさんが手入れをしていて汚いわけではない。悪臭もない。嗅覚が鈍感になっていたわけでは、多分ない。日本の駅などのトイレのほうが、よほど汚いと思う。

が、そんなことより驚いたのは、貧民の女の子がトイレで洗濯していたことだ。パンツ一丁に汚れたシャツを着て、トイレの個室の蛇口から(インドのトイレは、トイレットペーパーのかわりに水を使う人のために必ず水道の蛇口と手桶がついている)水をもらい、地べたに洗濯物を広げて洗っているのだ。地べたに。

またしても、若干、血圧が下がる。

が、ともかくは、用をすませて外に出る。

3キロ程度しか歩いていないのに、何時間も歩き続けてきたような疲労感だ。

※教訓
ワシントンDCでのウォーキング3キロ。それはとても健康的。
ムンバイでのウォーキング3キロ。それはとても不健康的。


街角で見つけた「八百万(やおろず)の神」コーナー。タイル貼りでお風呂的。このあたりはヒンドゥー教徒はもちろん、ムスリムやクリスチャンが混在している。

文字を読めるのが楽しい。まるで3歳児のような好奇心が蘇り、いちいち声に出して読む。が、意味はわからない。が、読むだけ読む。なにか役に立つのか? 立たないと思う。

前方に見えるのはフローラの噴水。噴水とは名ばかりで、水は出ていない。この地区のランドマークでもある。


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