サーカスの夜

 ザハからの帰り道、ソドノムさんが、「今夜、よければサーカスに連れて行ってあげますよ」という。今日は日曜日。町の中心にある大きな国立サーカス場で、週に一度のサーカスが開催されるのだ。わたしはまたもやありがたく、連れていっていただくことにした。わたしたちは夕方会うことを約束し、一旦、別れた。

 ソドノムさんは、ご主人のタイワン氏と3歳の息子と共に現れた。二人ともスーツ姿でドレスアップしている。わたしは相変わらず薄汚れたトレーナーにジャージ姿。まさかこんなことになるとは思わず、荷物を最小限にまとめてきたのだが、今後はどこに旅するにしても、きれいな服を必ず一着は用意していこうと反省した。

 サーカスはラクダやヤク、ヤギやウマ、ウシなど、モンゴルらしい動物がつぎつぎに登場する。ラクダやヤクに至っては、特に芸をするでもなく、ただ走っているだけなのだが、その姿がなんとも愛らしい。騎馬の芸は、人とウマが一体となって颯爽と走り、本当にすばらしかった。

 サーカスの入場料は、ソドノムさんが出してくれた。みんなによくしてもらい、改めて感謝せずにはいられない。

 

星空に抱かれて

 ウランバートル最後の夜。明日の朝、北京行きの飛行機に乗らなければならない。北京で3泊4日を過ごしたあと、日本へ帰る。

 ホテルは今、闇に包まれている。また、停電なのだ。バルコニーに出てみる。暗闇に、甲高い汽笛が切なく鳴り響く。走り去る列車の影が、月明かりにぼんやりと照らし出される。見上げれば、満天の星空。小さな小さな星までもが、くっきりと見える。

 ウランバートルに着いてまもないころは、この暗闇がとても怖かった。それがわずか数日の間に、とりたてて怖いとは感じなくなっていた。むしろ、この静けさが心地いい。月が、星が、風が美しい。本来、夜とは「闇」なのだということが、モンゴルに来てよくわかった。

 短い間にあまりにもたくさんの出来事があって、頭の中が上手く整理できない。確かに無謀ではあったけれど、一人でここまで来たことで、こんなにもたくさんの人たちに出会い、思いもよらなかったことを経験できたことを、心からうれしく思う。

 ウランバートルは、これから先、どんな風に発展していくのだろう。束の間の旅人の、身勝手な言葉を聞いてもらえるならば、いつまでも暗闇が美しい、世界で最後の首都であってほしいと思う。

-------------------------------------------

おわりに

 ゴビ砂漠に行ったとき、わたしはひとり、ツーリストキャンプを離れ、荒野の真ん中に立ちました。そしてひとり、大地に寝ころびました。頭の向こうも、つま先の向こうも、右手の向こうも、左手の向こうも、すべてが地平線でした。そして、見上げれば、すべてが青い空でした。

 わたしは、そのとき、自分が地球に張り付いた、小さな豆粒でしかないことに、初めて気が付きました。それは、本当に本当に小さくて、そのあたりを這っているトカゲやバッタと同じようなものでした。「ぐわわ〜ん」という音なき音が、小さな豆粒を満たしていました。

 あまりにも私的な旅日記を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。学生を卒業し、旅の本を作る仕事に携わるようになり、早くも5年の歳月が流れました。はからずも、たくさんの国々を訪れる機会に恵まれ、これまでにも貴重な経験をしてきました。『ローマの休日』のアン王女のことばではありませんが、いずれの地も印象深く、忘れがたく、それぞれが心に鮮やかに残っています。

 しかし、今回旅したモンゴルほど、強く心に迫った国はありませんでした。すれは、好きとか嫌いだとかいう感情とはまた別の、ことばに託しがたい、かけがえのない情念です。モンゴルの大地が、人々との出会いが、そのような思いを紡いでくれたのかもしれません。

 最後に、この本を作るきっかけとなることばをくれた、アルガランタ村のおじいさん、青年実業家のバッドさん、そしてたくさんの場面で助けてくれたタイワンバヤル、本当にありがとう。

 それから、わたしを荒野に導いてくれた安部公房著の『けものたちは故郷をめざす』に出合えたことを感謝します。

1993年1月10日 坂田美穂


Back