飛ばなかった飛行機

 9月16日(水曜日)、午後11時。なぜか、まだゴビ砂漠にいる。本当は1泊2日のはずだったにもかかわらず飛行機が飛ばなかったのは、ガソリンの節約と天候不順のためだ。2日は泊まりたいと思っていたわたしにはうれしいハプニングだが、明日の朝、会議を控えているロレンソは、やれやれという表情で、しかし、真剣に悩む様子もなく、ことの流れに苦笑している。今日という一日、帰る、帰れないの情報に翻弄されていたのだ。

 昨日、飛行機に乗れなかったアメリカ人ツアーと、もう一つ別のアメリカツアーの団体が、50人乗りの飛行機でゴビ砂漠に到着したのは、予定の時間を6時間も過ぎた、夕方のことだった。

 わたしたちは、その飛行機で折り返し帰る予定だったが、50人乗りの飛行機を4人とために飛ばすのはもったいないということと、ウランバートルが悪天候だとういう理由で、翌朝の出発になったとういう次第。それはそれでいいのだが、ゲルの数が足りない。満杯になってしまったのだ。従って、タイワンと私と、アメリカツアーを率いるモンゴル人女性ガイドとロレンソの計4人が、同じゲルに泊まることになった。

 ロレンソは、はじめのうち、「僕は宿泊費を払っているのに、どういうことなんだ。部屋を用意しろ」ってなことをいって怒っていたが、「女性3人に囲まれて眠れるなんて、まるでハーレムみたいじゃない!」というわたしのことばに、考えが変わったのか、開き直ったのか知らないが、ごきげんになった。

 

さらさら砂の丘へ

 今日の午前中は、砂丘へ行った。昨日と同じように、おんぼろバスに乗り込んで、相変わらず広々とした荒野を走る。1時間ほどたっただろうか。わたしたちの行く手に、忽然と砂のかたまりが現れた。どこかの海岸から運んできたかのような、唐突な砂の丘。この砂丘は風によって、少しずつ移動しているのだとタイワンがいう。ゴビの砂漠化を防いでいるのは、背丈の低い、まばらに生えた草たち。わたしたちはこの砂丘に登ってみることにした。

 さらさらの砂の上は歩きにくく、靴の中に砂がどんどん入ってくる。アスナはサンダルを脱ぎ捨て、タイワンに支えられながら靴下で登っている。ロレンソは相変わらず写真撮影に余念がない。風が砂上に、波のような風紋を描く。砂を握るとほのかに温かく、握った先からはらはらと流れ落ちていく。砂粒が、とてもとても小さい。真っ青な空を背に浮かび上がる黄金色の砂丘は、なんとも神秘的だ。

 

久しぶりに見る自分の顔

 砂丘から戻り、昼食を済ませたあと、わたしは耐え切れず、髪を洗うことに決めた。実に5日ぶり。空気が乾燥しているので「臭う」といった弊害はないのだが、ごわごわしてやりきれなかったのだ。小さな洗面台に頭を突っ込み、冷水に頭をさらす。冷たくて冷たくて、脳みそまで凍ってしまいそうだ。

 シャンプーを懸命に泡立てて、なんとか洗う。そして、久しぶりにしげしげと、鏡の中の自分の顔を見つめる。肌はバサバサ。唇は乾いてバリバリで、しかもむくんでいる。かなりのオバQ状態。人間、汚くなるのは簡単だ。

 外へ出て、洗った髪を風にさらす。今日はとてもいい天気。太陽の暖かな光が、地上へまんべんなく降り注ぐ。乾いた風があっというまに髪を乾かしてくれる。この上なく心地よい。大地をわたる、汚れなき風に包まれて、身も心もゆったりとくつろいでゆく。

 

ヒツジの解体を見学

 食堂の裏に気配を感じて、様子を見に行った。ちょうど、ヒツジが解体されているところだった。あやめたヒツジを仰向けにして、喉のあたりからおなかにかけて、ツーッとナイフを入れ、皮を剥いでいる。目を背けつつも、ついつい見てしまう。

 血を一滴も流さないことで有名な、ヒツジの解体シーン。まさか見られるとは思っていなかった。光を失っているはずのヒツジの目が、太陽の光を反射してキラリと光る。脚の関節をバキバキ折っている光景は、叫び声を上げたくなるほど痛々しいものだったが、ぐっとこらえた。

 ひとつひとつの作業に「ヒェーッ」と思いつつも、懸命にシャッターを切っているわたしに、先程から熱心に解体していた二人のおじさんのうちの一人が、一緒に記念写真を撮ってやろうと、わたしのカメラを引き受ける。もう一人のおじさんが、「これを持って写りなさい」と、最早、だらりとなってしまったヒツジの脚を、わたしの手に託してくれる。

 おじさんたちの好意を無駄にすまいと、ヒツジの脚を持って、レンズに向かい、にっこりと笑った。辛かった。

 タライいっぱいに取り出した内臓は、おばあさんがていねいに、洗浄、選別をしている。長い腸に詰まった便を、ちゅるちゅるという感じで出し、水を入れてはすすぐことを繰り返す。

 食い入るように見つめているわたしに、おばあさんは内臓の各部位を取り出しては、「これはここ、これはここ」と、自分の身体を指し示しながら、細かに説明してくれる。生きた「生物」の授業だ。何もかもがヘビーな光景だったけれど、見られてよかった。

 そんなわけで、夕食の席では、ヒツジの肉を口にするとき、何か胸につかえるものがあって、かなり苦しい思いをした。

 


● モンゴル人の視力

モンゴルの遊牧民たちは、恐ろしく目がいい。4.0とか5.0のレベルのよさだという。わたしたちには影さえ見えない、地平の彼方の動物の種類や、人間の性別を判別できるという。ものすごい視力だ。


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