7/23, 24, 25, 26, 27, 28/2001
★下部に写真があります。
日本家族を見送った日から、わたしは胃痛・腹痛・下痢に見舞われる。精神的な食欲はあるのだが、お腹が痛いから何も食べられず、それからの1週間、地味な食生活だった。 翌日から3泊4日、新婚旅行と称して、わたしたちはウダイプールという都市に出かけた。ニューデリーから飛行機で1時間ほど北へ向かったところにある町だ。 ここには人工湖があり、その中心に、かつてマハラジャの夏の離宮だったゴージャスなホテルがある。たまたま披露宴に来ていた人が、このホテルのマネージャーだったらしく、スタンダードルームを予約していたのに、スイートルームに変えてくれた。 まさに「姫」気分で過ごした3泊4日だった。 といいたいところだが、お腹の調子が治らず、地元の病院に行って薬をもらったりして、今ひとつ冴えない新婚旅行だった。 3泊もした割に記憶が浅く、万全の体調で望みたかったと、2年後の今になって、返す返すも悔やまれる。
ニューヨークに戻ってきて、心底ほっとした。
朝、目が覚めれば、召使いがお茶を部屋に運んできてくれる。脱ぎ散らかした服は召使いが洗濯し、夕方にはきれいにアイロンをかけて部屋に届けてくれる。ベッドも部屋も、毎日きれいに掃除してくれるから、自分で家事をする必要は一切ない。 外出から買って来れば、「お水になさいますか? お茶になさいますか?」と尋ねられ、夕食の献立も、リクエストに応じて作ってくれる。 何もかもお膳立てされることは、とても楽だけれど、それはイコール豊かではない、ということも実感した。 披露宴に来ていた女性たちにも見受けられたが、裕福な人たちの肥満ぶりも印象に残った。アメリカの肥満とは違う意味で、考えものである。街に溢れかえる貧しい人々との落差が激しすぎて、なんだかよくわからなくなる。 ちなみにウマやスジャータはとてもスリムだ。彼女らは、あえて自分たちで家事をしている。インドに到着した日、ウマが自分の部屋をわたしに案内しながら「わたしは自分の部屋の掃除や洗濯は自分でするのよ」とむしろ誇らしげに言っていたその理由が、今になってよくわかる。 同じ環境に育っていながら、スジャータは非常にシンプルな生活を好む一方、A男はどちらかといえば、贅沢で楽な生活が大好きだから、インドでの2週間が本当に心地よかったようだ。 ある意味、スポイルされて(甘やかされて)育った彼が、18歳にして初めてアメリカを訪れ、一人で生活を始めたというのは、たいしたものだとも思う。 ともかく、わたしたちの旅は、こうして無事に終わった。
ともかく、何もかもが行き当たりばったりの事態が受け入れられず、気候の悪さも手伝って、ストレスも最大級だった。しかし、それもまた、試練であった。 無論、自分たちで式の準備することはほとんどなく、2週間だけの混沌だったから、むしろ一般の人たちよりは総合的に考えると、ある意味では「楽」な結婚式だったかもしれない。 何もかもを準備してくれたインドの家族には感謝する限りだ。聞くところによると、一般に、インドの結婚式は、嫁の方が莫大な「貢ぎ金」や「貢ぎの品」を婿の家族に贈呈しなければならないなど、非常に封建的な側面があるようだ。 そもそも、外国人との婚姻などは許さないという家庭も多く、更には、「年上の女性など御法度」という場合もあるなど、ともかくいろいろ大変らしい。 しかし、A男の家族はまったく囚われがなく、親戚の人たちも非常にインターナショナルで自由な気風が漂っていたのは幸いだった。 大勢のインドの親戚らに歓迎され、異国に自分の家族を持ったということは、なかなか味わい深いものである。 インドでの結婚式。いい経験だった。
■インド滞在の終盤。ボロボロ新婚旅行。
ニューデリーへ戻り、A男の家族と最後の夜を過ごし、長く濃密だった2週間のインド滞在を終え、ニューヨークへ戻った。
初めてインドを訪れ、インドという国の断片を垣間見て、A男の「人となり」も、少し理解できる気がした。出会った当初は、一人で服も畳めず、家具を組み立てることもできず、料理も何一つできない彼を見て、唖然とするばかりだったが、この環境では、それも仕方なかったかもしれないと、ちょっとだけ、寛大になった。
あの結婚式から2年たった今。記録を読み返し、写真を見直し、ここには書き尽くせなかった、さまざまな出来事も同時に思い出し、なんと大変な結婚式だったろうかと思う。2週間の間に交わした「A男との戦い」は、史上最高のすさまじさだった。
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ウダイプールの人造湖、ピチョーラー湖に浮かぶレイク・パレス・ホテル。マハラジャの夏の離宮をホテルに改装したらしい、007の舞台にもなったことのあるホテルで、映画では湖にワニが登場していた。 |
湖畔からホテルまでは専用のボートに揺られて行き来する。ボートにはいつも同じ音楽が流れていて、今でも思い出せる妙なメロディー。 |
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ホテルからは湖畔の宮殿が見える。ラジャスターン州最大の宮殿らしい。今思えば見学しておくべきだったと後悔の念が立つが、当時のわたしはともかく体調が悪く、目前にしながら行かなかった。ちなみに湖では、少年たちが泳いでいた。 |
ホテルのロビーでオイルランプを灯す女性。 |
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ホテルの中庭。 |
ここが我々の部屋。ジュニア・スイートなのでさほど広くないが、ロイヤル・スイート、グランドロイヤル・スイートなどは、とても広い上にインテリアも豪奢できらびやか。室内中央にブランコがある部屋もある。 |
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部屋にはサンルームのような一画があり、湖を眺められる。色とりどりのガラスが美しい光をこぼしている。 |
ホテルはかなり広く、あちこちに庭がある。庭を望むバーなどでのんびりするのが気分いい。体調さえよければ、幸せな空間に違いないのだが……。 |
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夜になるとネオンに彩られる。 |
湖を見下ろすカフェで朝食。A男はすこぶる体調がよく、食欲も旺盛。 出される料理、何もかもおいしいらしく、非常に幸せそうである。 悔しい。 |
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ホテルと湖畔を結ぶボートが見える。 |
弱っているが、記念撮影。 |
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ウダイプールの町へ出る。 |
この町でも牛が主役。ニューデリーにも牛がいっぱいいたのよ〜。写真は載せなかったけれど。道路の中央分離帯とかにも牛がいて、牛が突然動き出すと、車が急ブレーキかけたりして、危ないのなんの。 |
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牛の話の続き。わたしとA男が「病院に行くべきか否か」と、立ち話をしていたら、二人の間を引き裂くように1頭の牛が通過し、その直後、いきなり放尿! |
オート・リクショーに揺られて、町で一番大きい病院に連れていってもらう。 |
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案の定、病院は長蛇の列で、いつになったら診てもらえるのかわからない。しかし、A男が受付でうまく交渉してくれて、数十分待っただけでドクターに会えた。 なんだかよくわからないが、いくつかの薬を処方してもらう。 これで、なんとなく、一安心。 |
上の写真は、夜の客室。 下は、ホテルのテラスからライトアップされた宮殿を眺めた様子。 |
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一度ここを訪れたことがあるA男が、どうしても美穂に見せたい寺院があるから行こうと誘う。タージ・マハルの件もあり、もうどこにも遠出したくないというのに、強引にタクシーをチャーターする。100キロの道のりをひたすら走る。 |
ほとんどがボロボロの舗装路か、未舗装路のため、案の定、車は激しく上下して、具合が悪くなることこの上ない。瞬間的に舗装したての道路が現れ、正気を取り戻す。窓の外には家畜の群。 |
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2時間以上のドライブを経て、ようやくたどりついたラナクプール寺院。15世紀に建立された建築物で、全てが大理石でできている。 |
寺院内には29の空間がある。 |
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柱は全部で1444本。 |
すべてが大理石の彫刻。 |
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瞑想にぴったり。な空間を見つけたので、瞑想をする。 |
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ランチは寺院に併設の食堂で。 |
簡素ながらも清潔で、お腹にやさしいベジタリアン料理が供された。 |