■のんびりの朝。洗濯などして一人の時間を過ごす
目ざめるなり、「胃が痛い」とA男。だから夕べ、食べ過ぎないようにって言ったのに……。
「スジャータにヨガを習ってくる」と言って、そそくさと着替えて出ていった。ヨガをすれば、胃痛も治るのか?
今日ばかりは、午前中、ひとりでゆっくりさせてもらうことにした。そもそも「一人の時間」が大切なわたしが、ここしばらく、A男を含めずっと誰かと一緒だったから、ともかく精神がくたびれきっているのだ。
ゆっくり、と言っても、ロッジにランドリーがあるので、主に洗濯をするのが目的。空いた時間に、コンピュータに向かって、撮りためた写真の整理など。
この約3時間ほどの自由時間は、とてつもなく、貴重だった。部屋の窓から外の風景を眺めつつ、コンピュータに飽きたら日記を書いたり(ウェブ用ではなく、本来のプライベートな日記)、ぼんやりしたり。
ところで数日前からデジタルカメラの調子が悪くなり、いろいろな機能が効かなくなった。まだ買ったばかりなのに、また故障である。本当に、電気製品とは相性が悪いことこの上ない。
電気製品といえば、A男の携帯電話。あれから乾燥させた後、驚いたことにしばらくの間、復活していたのだ。しかし、ほどなくして、画面が凍結。以来、動かなくなった。やっぱりね。いくらなんでも電気製品を水浸しにしたんじゃ、救いようがなかろうというものだ。
ヨガをすませたインド人一同は、朝から車で出かけていった。スジャータとラグバン、ロメイシュは、昨夜、夕食のあともドライブに出かけたというから、本当に、タフである。わたしゃ、ついていけないね。
根本的には、わたしは「体育会系」でアクティブな方だと思っていたのだが、腰を痛めたりなどしたこともあり、あと、年齢を重ねるごとに性格が「怠慢」になりつつあり、どうもアウトドアに熱血できない昨今なのだ。
「ぼくたちが12時半までに戻ってこなかったら、一人でランチを食べててね」とA男が言っていた。どうせインド時間だから、1時過ぎまで戻らないだろう、のんびりしてよう。と、メイクもせずだらだらしていたら、なんと12時25分に戻って来たじゃないのよ!
「美穂が一人で退屈してるといけないから、ぼく、みんなを急かせて時間通りに帰ってきたんだよ!」と得意気なA男。
ゆっくりしてくれてて、いいのに〜。
というわけで、わたしも急かされて顔の準備をし、みなでランチに出かける。
胃の痛いA男だが、胃に優しいスープなどもなく、結局はサラダを食べることに。「退屈な味!」とふてくされながら食べている。
その横で、スジャータ&ラグバンは肉入りのタコスやタマレスなど。やはり胃も鍛えられているとしか思えない食欲だ。ちなみにA男によれば、ラグバンの「ヨガ力」は、かなり高度らしい。
ものすごくややこしい体型も、フレキシブルにすいすいとやりこなし、教え方もうまいとか。知的で、半端じゃなく優秀で、気も優しくて、穏やかで、スポーツもできて、身軽で、長所たっぷりのラグバンである。
だから無精ひげが生え放題だったり、靴下の上からサンダルを履いたり、たまに裸足で歩いたり、Tシャツの上に毛糸のチョッキを着たり、髪の毛乱れ放題だったり、耳から長い毛が伸びていたりしたとしても、それはあくまでも、表面的なことで、きっと、取るに足らないことなのだ。
何というか、わたし(たち)とは明らかに、違う世界に、彼らは住んでいるのだということを、今回はひしと痛感した。
人種とか家族とか、そういう一切を超越した、価値観の異なる世界。
彼らを見ていると、怒りという感情に、一切、関わりを持っていないようにさえ見える。
そして、どうしてわたしは常日頃から、こうも「過敏」なのだろうと思う。余り自己否定をしたくはないから、あえて「過敏」と呼ぶが、ひらたく言えば感情的、というところか。
A男とスジャータは兄弟にも関わらず、スジャータがとても冷静で大人なのは、ラグバンの影響だろうか。それとも、そもそもから穏やかなのだろうか。
だとすれば、A男が感情的なのも、わたしの影響か。とまた内省状態に入り、雄大な自然を前にして、自己嫌悪少々。
■午後はいくつかのトレイルを歩く。
食後、車で、国立公園内のトレイルをいくつか歩く。ザイオン国立公園に比べると、単調でクライマックスに欠ける風景だが、それでも、のんびりと歩くにはいいルートだ。
このあたりは、6500万年ほど前に(詳しいことは不明)、大地にものすごい圧力がかかり、砂が圧縮されてできあがった「砂山」で構成されている。らしい。
砂でできあがった山が、今度は気が遠くなるような歳月を経て、また砂に還ろうとしている過程の途中らしい。
高みを見つけるたび、登るラグバン、それを追うA男。普段やりなれないことをするA男に、見ている方がハラハラする。ったくもう。
このあたりは、本当に、モンゴルのゴビ砂漠に行った時を思い出させる。ゴビ砂漠にも、ヨーリンアム渓谷という場所があった。鷲の谷、という意味らしい。
あの渓谷の、空の色と、ここの空の色は、本当によく似ている。空気の乾き具合もまた。
あちこちの「展望スポット」を車で巡り、ちょこちょこと歩き、しかしなんだかんだで時間は流れ、瞬く間に夕方。ホテルに戻り、休憩して、夕食。
相変わらず胃が痛いA男は、スチーム・ベジタブル(野菜を蒸したもの)をオーダーするが、「味がない!」「おいしくない!」「ああ、がっかりだ!」とぶつくさ文句をいい、場の空気を壊す困った野郎だ。
一方、相変わらずマイペースなスジャータとラグバン、クリーミーなパスタにやはり肉料理をオーダー。つくづく、タフなのね。ちなみにロメイシュも、しっかり食べてるのよねえ。年輩なのに、こちらも胃が丈夫らしい。
夕食を終えて、体調の芳しくないA男とわたしは9時頃、ホテルに戻ったが「夕暮れのトレイルを歩く」と行って、スジャータとラグバンは再び出ていった。
喜怒哀楽でエネルギーを「浪費」しない分、有効なエネルギーが体内に蓄積されているのね。という感じ。かないません。