BOSTON
●ボストン●

6/20/2003

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■マックスの結婚式に参加するため、早朝の便でDCからボストンへ

前夜、「荷造りしなくていいの?!」というわたしの声に少しも耳を貸さず、深夜まで父ロメイシュとインターナショナルチャンネルの「インド映画特集」をご陽気に見ていたA男は、案の定、朝からドタバタと慌てて荷造り。

ま、それはさておき、レーガン空港からボストンへ。A男が大学時代を過ごしたこの街へ来るのはこれで4度目だろうか。2000年は彼のMBA(ビジネススクール)卒業式と、MIT(マサチューセッツ工科大学)の5年に一度の同窓会が重なったため、このときもインドから父親が来ていた。さらに姉スジャータの夫ラグバンがたまたまMITへ研究に来ていたこともあり、姉夫婦とも合流し、卒業式や同窓会を終えた後、イエローストーン国立公園などに旅したのだった。

さて、今回のボストン旅行の目的は、A男の大学時代からの友人であるマックスの結婚式に参加するため。身長2メートル7センチ、エンジニアのマックスは、インドはニューデリーまでわたしたちの結婚式にも来てくれ、A男一家とも面識があるため招待してくれたのだ。

 

■B&Bにチェックインしたあと、ハーバード・スクエアを散策

2泊予定の宿は、以前からラグバンが定宿としていたところ。学者肌のオーナーが経営している宿だとのことだが、ともかく入って愕然、古くて小汚い。特にわたしたちの与えられた部屋は、プライベートのバスルームがあるものの、部屋全体のソファーやクッションやカーペットに埃が沈殿している感じが見て取れ、しばし呆然とする。

家具や書棚の上には、色あせたアジサイのドライフラワー(推定10年もの)や、やはり色あせた正体不明の造花(推定20年もの)が飾られており、思わず大きなゴミ袋を持ってきて、捨ててしまいたい衝動に駆られる。

金銭的に不自由してはないはずなのだが、根本的に物事の価値観が異なる(住まいや服装には頓着せず物欲が弱い)学者気質な義姉夫婦に宿の選択を任せたのは間違っていたことに、このとき気付くが時すでに遅し。A男もわたしも「こんなところに2泊もできぬ」と頭を抱え、新しいホテルを探そうと試みるが、どこも金曜の夜で予約がいっぱいである。

ロメイシュは「まあまあ、ここはひとつ街に出て、ビールでも飲んで気分転換しようよ」と朗らかに言うが、気分転換して宿が転換するわけでもなし。

わたしは20代のころしばしば「貧乏旅行」をした時代があり、従って相当にひどい宿にも泊まり慣れているが、だからといって、この年齢になり、限られた日数の貴重なホリデーで、わざわざ小汚いところに泊まる気にはならない。

でも、あれこれと面倒を起こすのも面倒だ。「諦めようよ」というわたしに、A男は「埃っぽいと僕の鼻炎のアレルギーが出る」などとデリケートなことを言い始め、まったく埒のあかない口論をしばし続けて消耗す。

最終的に諦めるしかないと悟ったわたしたちは、ハーバードスクエアに出て、軽くランチ。食後、わたしはA男&ロメイシュと別れ、ネイルサロンでマニキュア&ペディキュアをしてもらったり、街を散歩したりと「貴重な一人の時間」をのんびり過ごす。

途中でビーズショップを発見。以前、友人がつけていたブレスレットで、とてもきれいだからほしいなと思っていたスワロフスキーのビーズを見つけたので、即購入、店の一画で作る。アクセサリーの金具なども売っていて、作り方も簡単に教えてくれるため、その場で作ることにしたのだ。

日本ではビーズ作りは久しく流行っているようだが、一度始めるとはまってしまいそうで、それでもって肩も凝りそうだしとあえて避けていたのだが、作ってみると案の定、とても楽しい。きれいなブレスレットが出来上がってうれしい。

DCにはわたしが知っているだけで2軒のビーズショップがあり、以前から時々、店に入っては作ろうかどうしようかと迷いつつ、何も買わずに出てきていたのだが、もう少し、なにか作ってみようかな、という気になってきた。

 

■イタリア人大家族とともに、シーフード・ディナー

夕食は、イタリアからやって来たマックスの家族とともに、MIT近くにあるリーガル・シーフードでとることになっていた。単独行動をしていたわたしは、約束の時間より少し早めに到着したため、隣接するマリオット・ホテルのロビーで一息つこうと足を向けると、ホテルの入り口に、正装の、しかしなにやら騒がしい一群がかたまっている。

抑揚の激しい大きな声。ふむ? イタリア語? ひょっとして……と目を走らせるとそこには2メートル7センチのマックスが! 騒がしい集団はマックス一族だった。

彼らとともに、リーガル・シーフードの一画を借り切って、賑やかにディナー。主にイタリア語しか話せない親戚一同に囲まれ、マックス、通訳だのなんだので、疲労困憊状態ながらも楽しそう。

「マックス、イタリア語うまいじゃん!」と言うと、
「長いこと、勉強したからね!」とお茶目なお返事。

ちなみにマックスの正式名称は「マッシミリアーノ・アントニオ・ポレート」。もんのすごくイタリアっぽい。イタリア人だから当たり前だけど。

わたしとA男はマックスのお父さんと再婚者の向かいに座る(ちなみにマックス父は離婚して実母は来ておらず。マックス実母とは、以前、ニューヨークで会ったことがある)。

言葉の通じない相手とコミュニケーションを取るのは慣れているので(身振り・手振り・簡単な単語使用)、浅い会話なりにも楽しいひとときだった。


ハーバード大学そばのハーバード・スクエア。学生たちで賑わう街だ。


ハーバード・スクエアのカフェ"Au Bon Pain"テラス。


ボストンにはレンガ造りの古い建物が多く、街並みに情趣がある。


リーガル・シーフードにてイタリア人親戚一同とディナー。左は奧からA男、父のロメイシュ、姉のスジャータ、そしてその夫のラグバン


長身のマックスと太っちょのマックス・パパに挟まれて写ると、自分が小さく見えるからうれしい!


衣服などに頓着しない「ミニマム(最小限)」なスジャータと、イタリアでホテルを経営、派手な服装、宝石に身を包んだ「マキシマム(最大限)」なマックスの伯母が向かい合って話をしている。

「彼らの会話に共通点はあるのだろうか」とは、マックスの弁。ちなみにマキシマムな伯母の腕には、わたしが作ったのと同じデザインの、スワロフスキーのブレスレットが!

それにしても、女性たちの腕を飾る腕時計にせよアクセサリーにせよ、みな全体に大振り。大振り好きなわたしは非常に共感を覚える。

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