●インドにおける「お茶」の歴史●

午後3時過ぎから夕方にかけてのインド。社交の家庭で、ITのオフィスで、ローカルの商店で、喧噪の路上で、有閑マダムが、ITビジネスマンが、店舗従業員が、ドライヴァーが、肉体労働者が、ボーンチャイナのカップに、あるいは小さなグラスやステンレスのカップに入ったチャイ(ミルクティー)を飲み、一日の流れに小休止を入れる。その風景は、あたかも何百年も続けられて来た、インドならではの伝統的な光景にさえ思える。しかし、実のところ、インドにおけるお茶の歴史は、非常に新しい。

茶の歴史を遡るとき、その源が中国にあることはよく知られている。中国から欧州に茶がもたらされたのは1610年以降のこと。当時のインドでは、喫茶の習慣はおろか、茶葉すら栽培されてはいなかった。

インドが英国統治下にあった1834年、インドで茶の生産を試みようと考えた英国政府は、北インドのアッサム地方に調査団を派遣。そもそもは中国原産の茶樹を植樹するつもりだったが、アッサムにて原生の茶樹を発見する。アッサムの茶樹をもとに茶園(エステート)化実現のための研究を開始する。その後、数十年の歳月をかけて、やはり北インドのダージリンや南インドのニルギリ高原などで、中国産茶樹による茶栽培の研究、開発が進められる。

その成果は徐々に実り、いくつもの茶園が作られ、インド産紅茶(ブラックティー)が、大量に生産されるようになった。また、セイロン(現在のスリランカ)も英国の手により、一大産地に成長。19世紀末までに、英国は植民地における「茶の自給体制」をほぼ完成させた。

英国による茶産業の繁栄の陰には、「インド人」の苦悩が横たわる。インドの茶園では、半奴隷的農民による茶の単一栽培が強制されたため、食料不足が深刻化し、わずかの天候不順や不作が原因となって、大飢饉が招かれる事態が頻発した。

さて、インドで生産された紅茶の100%は、LiptonやBrooke Bondといった大手茶メーカーを通して、英国を中心とした欧州各地へ輸出された。従っては、インドの国民がその茶を味わうことはなかった。20世紀に入ったばかりの1901年、ITA (Indian Tea Association:インド茶協会)が設立され、英国政府はインド国内への茶の普及を目指し、大々的なキャンペーンを開始する。無論、インド国内へ流通させる商品は、良質の茶を製造する際に生まれる「屑」、つまり「ダストティー」と呼ばれるものであった。

そもそもインドでは、茶は「ハーブ(薬草)」として飲まれるもので、嗜好品という認識はなかった。砂糖やスパイスをたっぷりといれたミルクやバターミルク、アーモンドミルクといった濃厚な飲料を愛飲してきたインド人に、紅茶の味は口に合いにくくまた、紅茶には、コーヒーと同様、「中毒になる」というイメージが浸透していたため、なかなか消費は増えなかった。

その後、大手茶メーカーのさまざまな「広告戦略」によって、徐々にインド庶民にも喫茶が浸透し始める。甘いもの、乳製品が好きなインド人の嗜好を考慮した「飲み方」をも提案。小さなカップに砂糖をどっさりと入れ、ミルクたっぷりの紅茶を注ぐ。砂糖にスプーンが突き刺さって立つほどに、それは甘い「菓子」のような飲み物「チャイ」である。ミルクだけでなく、スパイスを入れた「マサラティー」も、やがてインド国民の味覚に定着していく。ダストティーは、低品質とはいえ、少量の湯とたっぷりのミルクで煮だして作る「チャイ」に好適で、高級茶ではおいしい「チャイ」を作ることはできない。

つまり、インドにおいて、現在のようなお茶の飲み方が定着したのは、ここ50年から100年のことである。無論、紅茶を飲用するのは主に北インドの人々で、南インドはその産地が近いことから、紅茶よりもコーヒーを飲用する人の方が多い。ちなみにコーヒーも、紅茶同様、たっぷりのミルクと砂糖を入れて飲むのが好まれている。

インドは1947年8月15日に、英国より独立して以来、「世界最大の民主主義国家」として発展してきたと言われるが、実際には、諸外国との政治的、社会的交流は少なく、唯一、旧ソ連と国交があった程度。国営企業が多い「社会主義的」な国家であった。1990年代に入り、政策の転換により、先進諸国との交流が急増、多様な「資本主義的文化」が流れ込んできた。

ことに、ここ数年は、インド好景気に伴う外国人の流入、海外居住経験のあるインド人の帰国、富裕層の増加、中流層の拡大により、消費全般に亘って著しい成長が見られており、紅茶マーケットもまたその一環として、新たな進化を遂げつつある。これまでは、インド富裕層が「良質のダージリンティーが欲しい」と思っても、国内ではなかなか入手しづらく、欧米で買ってくる、つまり「個人逆輸入」をしている状況であった。

ダージリンに近いコルカタ(カルカッタ)が、インドにおける茶のメッカで、毎年ティーオークションが行われている。しかし、高級紅茶店が数多く存在している訳ではないようだ。首都ニューデリーでさえ数軒あるばかりで、高級ホテルや高級土産物店などに、旅行者へのギフト用が置かれている程度である。

そんな最中、茶園経営者、茶の販売業者も、徐々に国内市場に目を向け始め、「砂糖とミルクを入れない、真の紅茶をインド国内に」浸透させようと、今、動きを見せ始めているところだ。富裕層の健康志向を意識して、ハーブティーやオーガニックティーの台頭、またパッケージを工夫した新商品が開発されるなど、先進諸国に倣い、そのバラエティを徐々に増やしている。100%、輸出用だった茶葉が今、「0.0数パーセント」のスタートラインから、人口十億人のインド国内市場に向けて、再出発しているところである。

BACK→


| HOME | Muse India | Muse U.S.A. | Muse World |