坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 99 7/29/2003

 


みなさま。

暑中お見舞い申し上げます。

またしてもご無沙汰しておりました。

インド人一家の襲来、いや到来以来、瞬く間に月日が流れ、すでに季節は夏真っ盛り。日本の夏にも似た蒸し暑いワシントンDCの夏に、げんなりうんざりしている昨今です。

6月13日から7月15日までの、インド人一家と過ごした1カ月余り。一言では言い尽くせぬ、さまざまがありました。しかし過ぎてしまえば遠い思い出。

彼らが撤収、いや帰国してからまだ10日程度しかたっていないのに、早くも喉元を過ぎれば熱さを忘れている今日この頃。我ながら、立ち直りが早く、爽やかです。また来年、同じ過ちを繰り返しそうです。

解放されてから直後は、部屋の掃除に大わらわの数日を送りました。それから人心地ついてのち、1カ月間、どうにも集中できなかった仕事に手を付け始めたところです。2カ月に1度発行予定だった『muse DC』も、今回は3カ月ぶりの発行といういい加減さ。

いったい今日はなにから書こうかと、脳みそをフル回転させるも、どうにも濃厚な出来事が多すぎてまとまりません。まとまらない頭をまとめようと、ホームページに書いている日記を遡りましたが、膨大な雑事と日々揺れ動く心の、あまりのまとめようのなさに、ぼうっとしています。

「インド人一家と行くボストン、ラスベガス、ユタ州国立公園10日間の旅」については、ホームページに写真入りで「旅日記」を書いていますので、「ライブな感覚」をお楽しみいただけるかと思います。

読み返すと、渦中にある者ならではの「エモーショナル(感情的)な表現」が散見されますが、それもまた、よしとさせていただきたい。

彼らの滞在中に、「家族」そして「家庭」というものについて、しばしば、深く考えました。全くの他人と、「家族になる」ということの、なんと奇妙なことか。A男と出会って7年、結婚して2年。今更なにを言っている、という気もしますが……。

他人と「家族になる」ということ。あまりにも日常的で、あまりにも普遍的なことにも関わらず、その事実をうまく飲み込めないで、妙な気分になったこともしばしばでした。

安部公房の戯曲に『友達』というものがあります。彼らが滞在している間、この戯曲のことを、何度も思い出しました。

この戯曲の話も含め、「家族」というテーマで、いつかきちんと、掘り下げて書いてみたいと思います。

でも、今日はともかくパワー不足なので、久しぶりにも関わらず、当たり障りのないことをいくつか書きます。

 

●最近は、「ヨガ」な毎日を送っている。

A男の姉、スジャータが毎日3時間のヨガをやっていることは前回、書いたかと思う。スーツケースにクルクルと丸められた「ヨガマット」が入っているのを見たときには、(うわっ! わざわざヨガマット、持ってきてるよ!)

と内心、驚嘆したものだが、実はわたしも同じヨガマットを持っている。以前、「ストレッチング用」に買っておいたのだ。

(これはわたしも、ヨガをやるべきだということだろうか)などと思いつつも、

(ヨガなんてスローなエクササイズは退屈でだめだ)と思っていた。

一方、A男はかなり乗り気で、早速、インターネットでヨガマットをオーダー。

「僕はこの、スカイブルーのマットを買うよ!」などと言いながら、うきうきしている。

毎朝スジャータにヨガの基礎を伝授され、本を購入し(「片隅の風景」7月8日参照)

http://www.museny.com/mihosakata/katasumi0703.htm

ヨガの哲学についてをも学ぶ真剣さである。

わたしは腰痛があるので、きっと一緒にやればいいのだろうけれど、しかし、少しでも「一人の時間」を持ちたかった身の上としては、朝っぱらからインド軍にまみれて、黙々とヨガをするのは、どうにも、どうにも、いやだった。

いやだったけど、A男がしつこく誘うし、だいたい自分の起床時間にわたしをも叩き起こすから、おちおち寝てもいられず。過度に頑なになるのもいけないわ。と素直に思う日もあって、結局は計10日ほど、スジャータの指導のもと、早朝ヨガをやった。

これが、予想以上に、よかった。

そして現在。わたしたちは毎朝、土日も含め、ヨガをやっている始末である。平日は6時、もしくは6時半に起床し、1時間強のヨガをやるという熱の入れようだ。従って就寝時間は10時半から11時あたりと、これまた健康的な生活である。

早く起きるのは面倒だけれど、でも、やり始めると、身体の筋肉がほぐれ、血液の流れがよくなっていくのがわかり、非常に気持ちがいい。ヨガの成果が出始めるのは3カ月から半年たってかららしいが、少なくとも腰痛には効いているようで、このところ痛みがない。

それに加えて、ヨガを終えた直後に浴びるシャワーの気持ちよさといったら! この瞬間のために、ヨガを続けられるといっても過言ではない。

A男に関して言えば、昔からサイネス・プロブレム(鼻が詰まった感じで、眉間が気持ち悪い、不快感がある)があったのだが、それがかなり解消して、最近はすっきりとしている。

しかも、出会って以来7年間、増加の一途をたどっていた体重が、減少し始めた。履けなくなったパンツが履けるようになり、これはかなりの朗報である。

一方、わたしの方は、腰痛が起こっていない、という以外、目に見えての変化はない。いや、あえて言うならば、少々、背中の贅肉が引き締まった気がする。

それと二の腕の「ぷるるるるるん」が「ぷるるん」ぐらいになったような気もする。

しかし、体重に関して言えば、やせるどころか、やたらと食欲が旺盛になって、太ってしまいそうな勢いだ。どういうことだ。

そんな妻に同情したのか、A男。今朝、目覚めて、わたしの顔を見るなり

「ミホ、最近、肌の調子がいいんじゃない? ピカピカしてるよ!」

と励ましてくれた。

あまりの蒸し暑さに、顔が脂ぎって、テカってるだけなんですけどね。

さて、折しも、米国ではヨガがブームである。近所のスーパーマーケットにも、ヨガマットやヨガビデオが売っている。この間のニューヨークタイムズにはやたら有名になった「ヨガ・マスター」の記事が載っていた。

豪華な家に住み、高級車を何台も所持する彼は、「ヨガのコンテスト」なども企画する暴れっぷり。どうにも、ヨガ本来の哲学からはかけ離れた様子ではあるが、アメリカ的と言えばアメリカ的である。

あと、「ホット・ヨガ」というのも最近はやっていて、うちの近所にもオープンした。室内の温度を上げ、暑い中でヨガをすることにより、通常より多くの汗をかき、身体の代謝をよくするらしい。

しかし、考えてもみてほしい。密室で、何十人もの人間が汗をだらだら流すなか、「スーハー・スーハー」と、深い深い鼻呼吸を繰り返すということが、どういうことかを。どう考えても、途中で具合が悪くなりそうだ。これもまた、嗅覚が敏感ではない人々の多いアメリカならではのヨガといえよう。

そういうわけで、かなり真剣に、ヨガに取り組んでいる我々だ。

 

●インドの家庭料理は健康的だ。

インド一家滞在中の収穫といえば、ヨガに並んでインドの家庭料理(ごく一部)を学んだことである。インドはご存じの通り非常に広い国で、人口も驚くほど多く、従って、同じ「インド料理」とはいえ、星の数ほども種類がある。

家庭によって頻用するスパイスの種類も異なるようで、それぞれの「家庭の味」が築かれている。

去年、アルヴィンドの父ロメイシュの後妻、ウマから習ったカレー(煮込み料理全般をカレーという)は、「キュミン、コリアンダー、ターメリック」(いずれもパウダー)が基本になっていた。

多めのオイルをフライパンで熱し、ベイリーフ、鷹の爪、好みによってシナモンスティックを軽く砕いたもの、カルダモンの実、クローブなどを入れる。

そこにショウガやニンニクのみじん切りを加えて炒め、香りが漂ってきたら、タマネギのみじん切りを加え、炒める。

この段階で、先ほどの「キュミン、コリアンダー、ターメリック」3点セットを加え、水分がなくなりベッタリするまで炒める。ここから先は、トマトのみじん切りを加え、チキン、豆、魚、など具になる材料を加えて好き勝手に味を調えていく。

これがウマのカレーだった。

一方、スジャータのカレーは煮込まず、どちらかというと簡単に炒める感じ。味付けも濃くなく、お腹にもやさしい感じだ。

彼女がよく使っていたのは「フェネル・シード、ブラウン・マスタード、フェノグリーク・シード、キュミン・シード」の4点セット。パウダーではなく全て粒だ。これらをオイルで炒め、パチパチとはぜる音がしたらショウガのみじん切りを加える。

これに、ブロッコリーやインゲン、オクラなど、好みの野菜を加えて炒めれば出来上がり。

その他、彼女から習った料理で気に入っているのは、PLAK PANEERと呼ばれるホウレンソウとチーズのカレー。これに入れるチーズを作るのが、なんとも楽しいのだ。

2リットルほどの牛乳を大鍋に入れて火にかけ、沸騰しはじめたらすぐに火から下ろす。レモン1〜2個ほどの絞り汁を加え数分おくと、水分が分離するので、ざるにあげて水分を捨てる。

すると固形化した乳製品がざるに残る。これがチーズだ。目の細かい手ぬぐいのようなものにチーズを包み、形を整えて、ざるの上に載せ、数時間、水分を切る。そうすると、豆腐のように真っ白い、柔らかなチーズができあがる。指先で押さえたときの、ふわっとした感触がかわいい。

ホウレンソウをゆで、みじん切りにして作ったカレーと、一口大に切ったチーズを混ぜて、出来上がり。この料理の写真を、やはり「片隅の風景」の7月24日に載せているので、ご興味のある方はどうぞ。あんまり「おいしそう!」には見えないのだけれど、結構、おいしいのよ。

このほかにも、「エビとココナツミルクのカレー」「チキンのホワイト・カレー(牛乳、アーモンドのペーストで作る)」「豆の煮込み」「インド風炊き込みライス」など、さまざまなレシピを学んだ。

食べたことのない料理を本で見て作るのではなかなか難しいが、一度食べたものは、再現するのが難しくないから、非常にいい経験だった。

レストランで食べるインド料理はスパイスが濃厚すぎたり、油脂を多く入れすぎて胃に重かったりで、とても毎日食べられそうにないが、家庭料理は実にお腹にやさしい。なにより、人工的な調味料を一切使わない、自然のスパイスを使えるところが非常に健康的だ。

思い返せば2年前、結婚式でインドに行ったとき、彼の実家で食べたインド料理は本当に本当に本当においしかった。

ケータリングのタンドーリ屋が家までやってきて、料理を作ってくれたのだが、ことに「タンドーリ・チキン」は、チキンそのものの味がいいのか、その味わいは絶品だった。

日本人一同、旺盛な食欲を発揮し、ことに父は、がん患者とは思えぬ体格と食欲でインド勢を圧倒し、しまいには、スジャータから

「ミホ、これは前菜だから食べ過ぎないようにって、みんなに通訳して」

とまで言われたものだった。

そう言えば、父だが、つい先日、肺ガンが再々再発し、先週よりまた入院している。でも、元気でがんばって、闘っているようだ。見る限りでは、とても病人には見えない健康的な父なので、今回もまた、数カ月の入院でがん細胞を撃退することだろう。

 

●いろいろと、ブーたれてはみたものの。

「1カ月以上も耐えられない!」

この台詞を何度つぶやいたことか。しかし、インド人にとって、息子や娘の家は自分の家も同然である。1カ月など序の口だということを、今回の経験を通し「身を以て」学んだ。

インド人移民の間では、母国から親を半年、一年、呼び寄せるのは一般的だし、インド人の夫を持つ日本人女性の友人らからも、3カ月、半年と義理の両親が滞在したとの話を聞いていた。

いや、インド人だけではない。シンガポーリアンやタイワニーズと結婚した友人知人も、同じような経験をしたと言っていた。

A男と結婚した時点で、このような事態が起こることを予測しておくべきだったが、ち〜っとも考えていなかった。かなり楽天的だった。

1カ月間、本当にいろいろあった。インド人は一般に、声が大きく多弁らしいが、スジャータもロメイシュも、比較的寡黙で、声も小さい。そんな中、一家で一番声が大きく攻撃的なのはわたし、次いでA男だった。

最初は小声でA男と口論していたが、数日後には地声、さらに数日を経ては、もう、なんの「ベール」をかけることなく、堂々とバトルを展開し、座を凍らせたこともしばしばだった。

なんと感情的で、我慢のない嫁と思われたことであろう。でも、その一方で、がんばって「やさしい妻」になろうと努力もしたことも、一応、書き記しておきたい。

帰る数日前の夕食時には、次の予定……「来年もまた来たい」「またみんなで一緒に旅行に行こう」などなど……まで話題に上り、全身が硬直し、一瞬、味覚を失ったものだ。

ともかく、最終的に、彼らは喜んで、笑顔で、帰っていった。なんだかんだと言いながら、わたしもニューヨークに避難することをやめ(10日間の旅行を経て、その避難するエネルギーがすでに失われていた)、彼らと一緒に過ごした。

わたしの「鬼嫁ぶり」にも、ひるむことなく、彼らはここを「我が家」と呼び、外出のあとなどは、「やっぱり我が家がほっとするねえ」などと口にしていた。

最後、空港へ向かう車を見送るときは、ロメイシュもスジャータも、目が潤んでいた。わたしも、不覚にも、ほろりと来てしまった。なんてこったい。

結局、彼らが帰ってから数日間、放心状態の中で掃除をし、人心地着いてから思った。確かに、義理の家族と一緒に「長い期間」を過ごすのは、大変だし、ストレスがたまるし、鬱陶しいし、勘弁して欲しいし、もう二度と御免だ! と思う。

でも、そうはいうものの、小家族に属するA男の、彼らは数少ない「血縁」なのだ。結婚した以上、「ある程度」は、そのあたりをしっかりと、受け止めなければいかんな。とも思った。

彼らがここに来て、最終的に、失ったものといえば、一時的な自由な時間。あとは、むしろ、得たことの方が多かったかもしれない。料理にせよ、ヨガにせよ……。

ってことは、ロメイシュからはなにを得たか? なんてことについては、深く考えるのはよそう。まあ、ともかく、1カ月が終わったのだ。

過ぎてしまえば、あっと言う間だった。

 

●そして、最近のわたし。

【ビーズ】

今更ながらビーズ作り、それもクリスタルを使ったものにひかれている。なんでも日本じゃとんでもなく流行っている風で、あっちこっちの首にビーズが下がっているらしいが、アメリカではそのような「全国的流行」というのはありえない。

だから、やったら簡単でシンプルなビーズのネックレスを作り、きらきらさせながら身につけているだけで、街で出会う人々に

「まあ! すてき!」

「どこで買ったの?」

「あなたが作ったの? まあジュエリーデザイナーなの?」

な〜んて言われたりするから、非常に気持ちよく、天狗になりやすい。

アメリカのビーズの雑誌やカタログなどを見ると、とてもとても、身につけたくない、怪しげなオブジェ風や、おどろおどろしい束のようなもの、無闇に大振りのもの、凝りすぎていて原型を留めず、なにがなんやらわからないアクセサリーなど、まあ、ともかく奇天烈なものが多い。

だから、むしろシンプルで清楚なもののほうが、インパクトがあるともいえる。

一方、数日前から日本のビーズのサイトなどを見ているのだが、まあなんと繊細で色合いがやさしく、美しく、上品で、清楚なことか。

「誰もがやっていることは、あまりしたくない」という、へそ曲がりなわたしゆえ、日本にいたらきっと始めなかったであろうビーズ作りであるが、流行のないアメリカゆえ、希少価値がありそうだから、ついつい始めてみた次第だ。

先週は郊外の卸屋にも行った。来月はニューヨークに行くから、ファッションディストリクトにも立ち寄ろうと思う。あそこには、ビーズだけでなく、さまざまな手工芸品や衣類の卸屋が軒を連ねているのだ。楽しみだ。

 

【『muse DC』】

『muse DC』は1カ月遅れながらも、8月中旬には発行する予定だ。次回はヴァージニアのワイナリー特集。ヴァージニア州には80を超えるワイナリーがある。はっきりいって味はいまひとつ。おいしいものは高い。従って、カリフォルニアのナパやソノマのワインの方が断然リーズナブルでいいのだが、ワイナリー巡りには、ドライブ&ピクニックの楽しさがある。

なだらかな丘陵地をのんびり走りながら、目的のワイナリーに行く。そこには、広大なワイン畑が一面に広がっている。ワインテイスティングをしたあとは、ワイン畑を眺めながら、ランチを広げるなど、ピクニックを楽しめる。

ヴァージニア州は「町おこし」ならぬ「州おこし」として、ワイナリービジネスに力を入れているようで、インフォメーションも充実している。そういうわけでワイナリー特集である。

ちなみに『muse DC』は、次号から、2色刷にすることにした。もっと、広告営業に力をいれなければ。

 

【2003年残りは、学生生活】

以前も書いたが、この4月、1カ月ほど英語の集中コースに通った。はっきり言って、成果は浅かった。講師もよくなかった。

その直後、インド騒動などがあり、勉強もろくろく継続しないまま、気が付けば8月が目の前。文具店に2004年のカレンダーが並ぶ頃になった。まずい。ぱっとしないまま2003年を終えてしまう。

本当は、車(中古)もしくはピアノ(中古)を買う予定でいた。しかし、悩んだ結果、もう、思い切って、ジョージタウン大学のEFL: English as a Foreign Language(英語クラス)に16週間、通うことにした。

これは、フルタイムの集中コースで、8月下旬から12月中旬までの約4カ月間のプログラムだ。ジョージタウン大学の語学学校は米国でも屈指のレベルで、非常に優れた内容だと聞いている。

アカデミックな英語教育を実践しており、Ph.D(博士号)取得希望の外国人学生や、企業のビジネスマン、あるいは公的機関の派遣者たちもここで学んでいるという。

なにしろ、フルタイムである。朝から夕方までだ。当然ながら宿題も多いらしい。それでもって、授業料もかなり高い。

今の自分に、その時間とお金を投資するだけの価値があるか、問いかけてみたところ、どうやらその価値があるらしいとの答えを得た。

グリーンカードを得た今となっては、ミューズ・パブリッシング、あるいは日本社会にだけにとどまった仕事を将来していく必要はない。本当の意味で「アメリカを相手に」仕事をしたいのなら、アメリカの企業に就職できるくらいの、上質な英語力が身に付いていなければ、イヤだ。というかダメだ。

な〜んてまた大きなことを言っているが、ともかく、「学生生活って楽しそう!」という気持ちも、実はかなりある。

ジョージタウン大学のキャンパスって、とてもすてきだし。

今日、実は申し込みに行ってきたのだが、優美な尖塔(時計台)を戴いた校舎、花が咲き乱れる芝生のキャンパスを歩きながら、

「ツタの〜絡ま〜るチャペ〜ルで、祈り〜を捧〜げた日〜」(『学生時代』)

を思わず口ずさんだりして、うきうきしてしまった。20年ぶりの「新入生気分」である。わずか4カ月間ではあるが、しかも語学クラスだが、また、学生時代を過ごす。

躊躇していたわたしの背中を押してくれたA男にも、ここは感謝せねばならないだろう。

多分、たいへんなことになるんだろうが、がんばろうと思う。

(7/29/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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