坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 97 6/3/2003

 


前回のメールマガジンを出して以降、連日、雨だの曇りだの変な天気で、日本の梅雨のようです。まるごと晴れた日は2、3日しかなかったように思います。

先週は晴れ間を縫って『muse DC』のVol.3を配達もほぼ完了、なかなかに評判もよく、DCでも少しずつ、『muse DC』の認知度が上がり始めているようです。

最近、ホームページを毎日のように更新するのが習慣になり、日記の他にもの「片隅の風景」という項で、毎日一葉の写真とそれに関する言葉を少し綴って紹介しています。

DC生活の断片をちりばめた、自分でも楽しみながら更新しているコーナーなので、ぜひのぞいてみてください。近々、A男やその家族、また日本語が読めない友人らにも読んでもらえるよう、英語版も「勉強を兼ねて」並行して書こうと思ってます。と、ここで宣言して、自分を鼓舞し、英文を書く訓練をしようと思っているところです。

来週は、インドからA男の父ロメイシュと姉スジャータがやってきます。スジャータの夫のラグバンはボストンの大学の研究室へしばらく出張なので、それに合わせてみんながやって来るのです。

ロメイシュとスジャータが1週間ほど我が家に滞在した後、A男と4人でボストンへ行き、A男の大学時代の友人マックスの結婚式に参加します。

古くからの読者はご記憶かもしれませんが、あの、ニューデリーでの結婚式にわざわざ来てくれた身長2メートル7センチのイタリア人マックスの結婚式です。ちなみに結婚相手はあのとき付き合ってた女性ではなく、新しいガールフレンドです。

ボストンで2泊ほどしたあと、A男一家と一緒にラスベガスへ行き、そこから1週間ほど国立公園を旅する予定です。

実はこのメンバーで、3年前の今ごろ、ちょうどこのメールマガジンを発行開始する数カ月前に、やはりイエローストーン国立公園へ旅行に行きました。インド人にまみれての旅は濃厚で、忘れがたい出来事の連発でした。今回も、どんなことになるのやら、楽しみです……。

ちなみに旅行後もまた、ロメイシュとスジャータは我が家へ1週間ほど滞在するので、計3週間、同じ屋根の下に暮らすことになります。長いです。ほんとに長いと思います。

でも、他の「日印カップル」曰く、インドのご両親が「6週間」とか「3カ月」滞在したとの旨を耳にして以来、3週間などなんのその、とも思います。滅多に会える家族ではないのだから、心やさしく迎えようと思います。がんばります。

 

●ブラジルから来た、サントスのこと。

語学学校の集中コースを終えたのち、先月は週に2回、計6回のカンバセーション(英会話)クラスに参加していた。英語力向上に結びついたかといえば、かなり怪しいが、クラスメートや先生との会話で興味深いことは少なくなかった。

教師は46歳のアメリカ人(白人)女性、ホープ。彼女はそもそもジャーナリストで、最近までアイルランドに住んでいた。彼女は幼少期、父親の仕事の関係でタイのバンコックに家族全員で移り住み、大学に入学するまでタイで育った。

最初の夫(アイルランド人)とアメリカで出会い結婚し、二人の子供を出産。その後、外交関係の仕事をしていた夫の赴任に伴いアイルランドへ。その後、世界を転々と移動する夫との生活と、自分の生き方をどうしても同一にできず(他の理由もあったに違いないが)、自分のキャリアを優先したくて、最終的に離婚。

現在は、アイルランドで出会った、やはりアイルランド人と結婚し、8カ月前、DCに戻ってきた。前夫と子供たちも、現在DCに住んでいる。

アイルランドではテレビ局に勤めていたので、DCでもテレビ局で「契約社員」として働き始めた。「メディアとは魅力のある職業だ」と信じてきた彼女は、アメリカのテレビ局に勤務して初めて、その条件の悪さ(保険・福利厚生なし)、待遇の悪さ(時給10ドル!)、周囲の人々の意地悪さ(他人の失敗を虎視眈々と狙う)、政治とコマーシャルにばかり左右される「言論の不自由」に辟易し、4カ月で辞めた。

そして以前、英語学校の教師をしていた経験から、今回もまた英語学校で働き始めた。

「あの4カ月は4年にも感じられた。この国に住み始めて、この国の病んだ部分を毎日のように見せつけられている」と眉間に皺を寄せながら言う。

アメリカ人ながら、生まれ育ったのがアメリカではないせいか、アメリカの「大いなる問題点」を「客観的に」批判する目を持っていて、それが実に的を射ていて面白い。しかし、どうしても、話が陰鬱な方向にばっかり運んでしまい、同時に気が滅入る。

アメリカの社会を冷静に一つ一つ検証していくと、「ネガティブ」な要素があまりにも多いのだ。それはアメリカに限ったことではなく、資本主義の世の中では共通して起こりうる問題の数々なのだが、アメリカの場合は、いい面、悪い面が両極端。

しかも悪い面が世界的に知られておらず「理想的な自由の国」というイメージを掲げているところが問題なのかもしれない。

この手の話題は簡単に触れられる内容でもないので、また別の機会に小出しで書くとして、ひとまずクラスメイトの面々を紹介したい。

ブラジル人の中年女性、サントス(ラストネームで読んで欲しいらしい)、IMF(国際通貨基金)で働く母の出張に伴い、インドネシアから一時的に渡米しているチキータ(24歳女性)、ブラジルの海軍出身、今は弁護士を目指して勉強中だが、数カ月の休暇を取ってDCに遊びに来ている男性レナート(30代)、そして夫の赴任に伴って渡米した日本人女性T子(40歳前後?)さん、そしてわたしの計5人。

クラスでは特に細かい自己紹介をしたわけでもないし、クラスのあとにおしゃべりをするわけでもなく、あくまでも授業中のカンバセーションの中で見知っただけのことなのだが、それでも、サントスの半生は、とても印象的だったので、ここで書き留めておきたいと思う。

彼女は、ブラジルの孤児院で生まれ育った。身内はいない。肌色がかなり濃い、ブラジル人だ。

多分20歳前後で渡米したのだろう。「わたしは35年、DCに住んでいる」と言っているから、現在は50歳代中盤だろうか。

ポルトガル語のなまりがきつい英語を話す。初めて会ったときは、笑顔も見せず、自己紹介もそこそこに、自分の持ってきていた本に目を落とした。その目は赤く充血していて、どこか体調が悪そうだった。

クラスが始まり、自己紹介の時、彼女は言った。「これから、英語力をきちんとつけて、コンピュータの仕事をしたい。そのために、英語の勉強をしにきたのだ」と。

彼女は、授業の途中にも、積極的にホープに質問する。カンバセーションの内容にも敏感に反応し、たまに自分のことも話し始める。

35年前、渡米した当初から、彼女はハウスキーピングの仕事をしていた。フロリダ州などは南米からの移民が多いせいか、時給などの待遇がかなり悪いが、当時、ワシントンDCはハウスキーピングの待遇も悪くなかったという。

ハウスキーパーを束ねる会社に所属し、ボスの指示に従って、DCの邸宅の掃除を担当する。これまで、数多くのセレブリティたちの、優雅な大邸宅を掃除してきた。

彼女はただ、邸宅の掃除をするだけでなく、そこに住む人々のバックグラウンドも積極的に学び、新聞にも目を通し、DCの政治、ひいては世界の政治にも関心を持ちつつ、生活をしてきた。

彼女が経験した仕事はハウスキーピングの仕事だけではない。警察機関の「死体一時安置所」で死体の整理をしたこともあった。以来、肉は口にしていない。

「人間の肉は、スーパーマーケットの肉売場に並んでいるのとまったく同じみたいなの。だから、どうしたって、もう肉は口にできない。わたしは魚しか食べない」

と彼女。

糖尿病その他の病気の副作用で目が充血しているほか、他にも持病があるらしい。

ブラジルには身内がいるわけでもなく、だから特に帰りたいとも思わない。しかも生まれ育った街は犯罪が多く危険なところでもある。だからDCに骨を埋める気でいる。

数年前、念願の家を買った。それまでは、ずっと狭いアパートメントに暮らしていたが、自分の家を持つことが一つの夢だった。ワシントンDCの動物園に近い、閑静な住宅街に、2ベッドルームの一軒家を買った。2、3年かけてようやく見つけたのだ。

(現在、家を買おうと思っているホープが彼女にあからさまに家賃や頭金を尋ねた。彼女がそれに答えたところによると)家は頭金が70,000ドル。つまり800万円程度。そして、現在、月々400ドル支払っているという。

「30年間、こつこつと働いてきて、お金を貯めたの。そしてようやく家を買った。わたしは独身だし、家族も誰もいない。でも、日曜日にブラジルの教会に行って、仲間たちに会えるのが唯一の楽しみ。

だから、週末、仲間たちを招いてワイワイと騒げる家が欲しかった。アパートメントにいたころは、近所の迷惑にならないように、息を潜めるように暮らしてたから……」

「買った家は改装が必要だったけれど、全部仲間たちが手伝ってくれたから、ほとんどお金がかからなかった。水道工事も、壁の張り替えも、みんなよく手伝ってくれた」

ようやく安住の地を見つけ、これから自分のやりたいことを始めるのだ、と彼女はうれしそうに話す。

彼女がこの国で受けた差別、苦痛、苦難は、彼女が直接言葉にしなくても、言葉の端々から、感じ取れる。それでも、彼女は、最終的に自分の物理的な拠り所を獲得した。

彼女の話を聞いていて、「ふるさとは、自分ひとりの力でもつくることができるのだ」ということを思い、打たれた。

最後のクラスだった昨日、サントスに取材をさせてもらう約束をした。自分が興味を持った人の話を、取材して文字に残すことも、わたしの仕事だということを、彼女を通して改めて感じた。

『muse DC』のインタビューページはまだきちんと確立されていないけれど、『muse new york』のときのように、他国から米国を訪れた人のインタビュー記事は今後も続けていこうと、彼女の話を聞きながら思った。

 

●お茶を点て、お茶を飲みながら、思うこと。

去年の初夏、母が渡米したとき、茶道用の茶筅と茶碗を持ってきてくれていた。

最近、それらを使い、抹茶を点てて、飲む。たいてい、午後3時から4時ごろのことだ。仕事が一段落して、気分を入れ替えたいとき、お茶を点てる。お茶を点てる、といっても、茶道のたしなみがあるわけではないから、自己流で点てる。

大学時代、ほんの数カ月、お茶菓子目当てと興味半分で、茶道教室に通ってこともあったが、悲しいかな、作法はほとんど覚えていない。

けれど、抹茶の味はとても好きだし、お茶を点てるその動作も好きだ。

ほどよく泡立てた濃緑のお茶を、窓辺のダイニングテーブルに運び、窓の外を眺めながら、飲む。窓の外にゆらゆらと揺れる豊かな木の葉の緑と、茶碗の中の緑とを、交互に見比べながら飲む。

晴れの日は青空を、雨の日は灰色の空を眺めながらひとり、静かに飲む。

両手で、器を抱えるように飲みながら、この「取っ手のない器」で飲むことの意味を思った。

最近では、ほとんど湯飲みを使わず、日本茶を飲むときでさえ、片手で持てるマグカップなどばかりを使う生活だ。マグカップで何かを飲むとき、それはいつも「片手間」だ。

新聞を読みながら、コンピュータの画面に向かいながら、あるいは誰かと話しながら。なにかを「しながら」飲んでいる。

しかし、両手でこの茶碗を持つとき、わたしは器と、お茶と、そして景色にのみ、心を配る。茶碗の感触に注意を払い、茶碗の模様を、お茶の色を、何とはなしに、眺める。

まるで底なし沼のような茶碗の緑の奥底に、何かが見えるような気がする。それは、窓の外に広がる外の緑よりも、濃く、深い。

数年前、米国で茶道を広めた山本温子レフコートさんが生前に書き溜めた『お茶の12カ月』という本を編集し、出版したことがあった。そのときに、お茶の世界観に触れ、大いに心を動かされたが、しかしそのときは、まだ何も肌で感じていなかった。

しかし、今こうして、ただ一人、両手で椀を持っているときに、お茶の世界観のほんの一隅を、垣間見たような気がした。漠然とだが、わたしは日本という国に生まれ育って、本当によかった。とも思った。

最後に、『お茶の12カ月』の冒頭に紹介されている文章はとても心に響くので、ここに抜粋したい。

-----------------------------------------------------

(前略)利休は茶聖と呼ばれ、現在の茶の湯の基礎を築いたと言われている。その弟子の一人が書いた「南方録」に利休が茶の湯について語った言葉が伝えられている。すなわち茶の湯とは、禅の教えを根底にするもので、水を運び、薪を取り、湯を沸かし、茶を点て、仏前に供え、他の人々にも施し、自分も飲む。仏祖のやってきたことを学ぶことであると。

人に尋ねられて利休が答えた「茶を点てる七つの極意」は茶道の真の心を表している。

一つ。客人が喜ぶ茶を点てること。茶を点てる技巧や使う茶器よりも、心のこもった茶であることが何より大切で、これは出会いのすべてに通ずることである。

一つ。水を沸かすために炭を運ぶ。いろいろと規則があるが、早く湯が沸くことが肝心。しかしそれは無駄をすることではない。

一つ。茶室によく似合った花を自然のままに生ける。

一つ。部屋は夏は涼しく、冬は暖かく、そのように感じるように整える。

一つ。約束の時間よりも早く終わるように心がける。日常生活もいつも余裕をもってのぞみ、最後にあわてるようなことはしない。

一つ。雨が降っていなくとも傘の用意をしよう。いちも突然の変化に対応できる用意ができている。

一つ。自分ではなく、人の心を思いはかって行動する。

これらのことは人間の生活全てに通ずる普遍の真理であり、茶の湯を学ぶ心である。日本は式の変化に富む美しい国である。人々は日常の俗事の中に美を見いだし、移りゆく自然を愛で、古き良き伝統を後の世に伝えていく。茶の湯には、日本の伝統的な文化が見事に凝縮され、今も生き続けている。

------------------------------------------------------

 

●ソックスと、便座と、風水と。

先日のカンバセーションのクラスでのこと。雨のせいか欠席者が2名で、出席したのは教師のホープを除き、わたしと日本人女性T子さん、インドネシア人女性チキータの3名だけだった。

いつもは新聞の記事などを読解し、それについて話し合ったりするのだが、天気も悪いしみんなだらけ気味で、世間話となる。

ある会話から、「自分の夫がいかにだらしないか」という話が持ち上がった。幸か不幸か、既婚者3名の夫は共通して、「身の回りの雑務が苦手」だとわかり、会話が盛り上がる。

「うちの夫は、ともかく、ソックスを脱ぎ散らかすのよ!」とホープが言えば、

「うちもそう! いつも、床の上に散らばすのよ」とわたしが相づちを打つ。

T子さんは「床ならいいわよ。うちなんて……」と続ける。

白熱したホープが、

「わたし、あまりに腹が立ったから、ある時、彼の汚れたソックスを枕の下に入れといたのよ。彼もこれで懲りるかと思って。でも、彼、ソックスに気づいたら、別段、驚くわけでもなくて、あ、ソックス……と引っぱり出して、また床に放って、寝たの。わたし、そのとき、気づいたの。いくら言ってもだめなんだって」

ホープはかなり自立心が強く、いかにも「男女平等」を主張してやまないタイプの女性に見受けられるが、彼女の口から「最初は教育しよう、なんて思ったけど、やめた」という、諦めとも達観ともつかない言葉を聞いて、非常に共感を覚えた。

「ともかく、女性にとっては簡単にできることが、きっと男性にとってはものすごく、たいへんな労働なのよ」とホープは力説する。

靴下にはじまり、飲みかけのコーヒーカップやグラスをコンピュータやデスクの周りに何個も放置すること、トイレの便座を上げっぱなしで下ろさないこと、脱ぎ捨てた服を椅子の背に載せたまま、特に冬場は油断すると幾重にも重ね、置き去りにすること……など、次々に事例が上げられる。

大いに場が沸き、大声で笑い、とうとう隣のクラスの先生がやってきて「ちょっとお静かに」と注意されてしまった。

男性でも几帳面な人はいるということも話し合っておきたく、わたしは友人の夫の話を例に挙げた。彼はともかくきれい好き。洗濯物は、まるで店のディスプレイのようにぴしーっと畳んで、クローゼットに、まるで商品見本のように整然と並べるらしい。

ソックスなんかも、平べったくきれいに伸ばしてペアで重ね、パタンと二つにきれいに折り畳み(丸めたりしない)、それを同じ方向ピシッと積み重ねてクローゼットに並べるらしい。

あと、食器を洗うときにも、食器ラックの手前から小さい皿を置き、徐々に大きいものへと順番に並べていき、食器ラック上の皿がグラデーションを形成するよう、芸術的に配置するらしい。更には、うっかり大きさが前後すると、わざわざ並べ替えるらしい。

もちろん、トイレは、便座の蓋まできちんと閉めなければ気がすまず、それをしない妻の方が叱られるのだとか。

それを聞いたホープは開口一番、「それは……彼は、病気だわ」

T子さんも、「わたし、きちんとしてる人より、だらしない方がいいかも……」

結局、みんな、好きで選んでるのよね。だらしない夫。人の夫を病気扱いにするし。

普段は饒舌なチキータだが、わたしたちの話を神妙に聞き入っていた。

「5年間付き合ってきたインドネシアに住んでるボーイフレンドが、そろそろ結婚しようって言ってるの。わたしは、来月一度、インドネシアに帰国したあと、ニューヨークの大学に行く予定だし、まだ結婚は早いと迷ってるんだけど……。余計に今の話を聞いて、迷ってしまった」と告白した。

夫の素行がだらしない云々で結婚を思いとどまる必要は、あたりまえだが、ない。でも、

「自分がいま、どうしてもやりたいことがあるのなら、絶対にそれを優先すべきで、ボーイフレンドとの結婚によって自分の夢を諦めたりするべきではない」

とホープはやたらと力を込めて言った。

一度目の結婚に、その件で終止符を打った彼女の言葉は、かなり説得力がある。

それには「わたしも同感だわ!」と力を込めて同意した。やりたいことをやっておかなければ、「あなたのせいでわたしは自分の夢を諦めたのよ」と相手を責めるときが来てしまう気がする。

ただし、自分に明確な野心や希望や目標がなく、夫となる人の夢に共感して、彼と共に歩く道を「切望して」選ぶならば、それはまた別の話だけれど。

わたしは24歳の時、大学時代から3年以上付き合っていたボーイフレンドに振られた。それは、彼が考えている未来像とわたしの描く未来像がかけはなれていて、わたしが彼との結婚を考えられなかったことが原因だった。

彼はわたしが海外取材へ出かけることをいやがった。とかく、身近でうろうろすることの方を好んだ。わたしは、たとえ何十億円積まれて「一生涯日本を出たらダメだ」と言われても、世界を見ることを選んだと思う。無論、誰も何十億円もくれないけれど。

わたしはどんどん、いろいろな世界を見たかった。世界への旅の、ほんの入り口に立ったばかりのわたしに、その向こうに広がる、好奇心が打ち震えるような世界を見ぬままに生き続けるなんて、とうてい考えられなかった。

結婚を考えないのなら付き合えないと彼は言った。わたしは、あのとき彼との結婚を選ばなくて、本当によかったと思っている。なにも振られた腹いせで言っているのではない。お互いにとって、それはよかったことなのだ。

別れの言葉を突きつけられたときは、「結婚します〜!」「仕事はもういい〜!」と泣きわめいたけれど、泣きわめきながらも(ああ、わたしは大嘘つきだ)と自分で突っ込みを入れていた。

以降、31歳でA男に出会うまでは苦み走った恋愛しかできず、辛い日々も少なくなかったが、これでよかったのだと、今のところは思っている。今のところは。

だから、ソックスのひとつやふたつ、大したことではないのだ。

話がそれたが、便座についても触れておきたい。

それまではバスルームのドアを開け放したり、便座を上げたままで、どうしても改善できなかったA男が、最近はきちんとドアをしめ、たまには便座の蓋までもきちんと閉じるようになった。

というのも、先日、ニューヨークの静さんが、娘のニキータちゃんと一緒にDCへ遊びに来たときのこと。アルヴィンドも交えて、家のことを話していたとき、風水(Feng Shui)に詳しい彼女が「水回りとお金は密接に関係していて、トイレのドアとか、便座の蓋とかをきちんと閉めないと、お金が逃げていくのよ」とまことしやかに言ったせいだ。

「お金が逃げていく」という言葉に敏感に反応したA男。今まではわたしが何百回注意しても、ドアを開けっ放しで平気だったのに、その話を聞いて以降、開けっ放しで出てきても、数歩、歩いあと、

「あ、Feng Shui、Feng Shui!」と言いながら、わざわざ引き返したりなんかして、ドアを閉めるようになった。

そして今ではすっかり、「閉めること」が習慣になっている。これは予期せぬ「風水効果」だった。

その話をホープにしたら、彼女は目を輝かせた。

「ワオ! いい話を聞いたわ! わたしはバカだったわ〜。そうね。強要するんじゃなくて、そういう方法があったのね。今夜、彼に言ってみよう。Feng Shui。楽しみだわ!」

果たして彼の夫の行動は改善されるのだろうか。興味深いところである。

これから、「靴下を脱ぎっぱなしにするとお腹をこわす」とか、「机にコップを置きっぱなしにすると財布をおとす」とか、いろいろな「迷信」をそれらしく作ってみようかしらん。二番煎じはもう、効き目がないだろうか。

(6/3/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


Back