坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 93 3/27/2003

 


ここ数日のワシントンDCは春めいていてとても心地よい陽気です。
先月の雪が遠い昔のことのように思えるほどの、春。

戦場は、ここから遠く、テレビを消せば、爆音も聞こえず。

そしてもうじき、桜の花が開きます。

 

●『muse DC』2号目発行と、ライブ活動と

先日、『muse DC』の2号目を発行した。1号目を出したときは、自宅オフィスで印刷できる手軽なものだったが、予算、労力、その他を検証してみた結果、急遽、『muse new york』同様のサイズ、紙質にアップグレードすることにした。

ページ数は現在8ページと少なめで、発行は隔月。先週、印刷が終わり、週の後半、集中的に配達した。現在、ワシントン首都圏の日系食料品店やレストラン、日本大使館など公共機関で入手できる。

今回、主に首都圏を中心に、何カ所かの印刷所に見積もりを取った結果、またもやニューヨーク郊外の中国系印刷所に頼むことになった。古くからの読者はご存じの通り、マネージャーのジェームズ(仮名)でおなじみの、あの印刷所である。

以前のように工場まで印刷チェックに行けないものの、これまでの経緯から、この程度のクオリティであれば、きちんと仕上げてくれるだろうと信じて「遠隔地発注」するに至った次第だ。

結果、送料込みでも、この界隈の印刷所よりもリーズナブルな予算で印刷してもらうことができ、非常にうれしい。過去、「仮にジェームズ」とは、もめ事が絶えなかったが、しかしミューズ・パブリッシングの歴史は、かの中国系印刷所と共にあるのだわ、と思うとそれなりに感慨深くもあり。

ちなみにワシントン首都圏で『muse DC』のような日本語のフリーペーパーは現在、ほとんどないため、ニューヨークに比べると人々に重宝されつつある模様。フリーペーパーだから、広告収入がなければ赤字になってしまうので、ある程度の広告営業をするつもりだが、すでに各方面からの問い合わせも少なくなく、いい感じである。

今回は、3月22日から4月7日まで開催されている「全米桜まつり」の情報をかなり掲載したが、この時勢、盛り上がりに欠くのは必至だ。日本から団体で渡米する予定だったパフォーマンスのグループなど、各方面でキャンセルが相次いでいるらしい。

当然のことだと納得するが、さまざまな感情の入り交じったため息が出る。

ところで、『muse new york』をやめたころは、「もう面倒だ!」なんて思っていたけれど、再開してみるとやはり取材や編集、レイアウトの作業は楽しい。いろいろなことをバランスよく続けていくのは簡単ではないが、『muse DC』も地道にやっていこうと思う。

実は一昨日、シャワーを浴びながら、ふと気が付いたことがある。

「ミュージシャン」について、何とはなしに考えていたときのことだ。たとえば、わたしが好きだと思う、あるいはわたしにとってすばらしいと思えるミュージシャン、もしくは楽曲が、常にヒットしたかというと、当然ながらそうではない。

多くの人がいいと思っていても、それが長続きするとも限らない。「実力」の定義を決めるのは、歌唱力や歌詞やメロディーのよさや外見のよさだけでもない。「よければ売れる」というわけではないのは、どんな世界にも共通することだ。

一曲売れただけで消えていくミュージシャンもたくさんいる。でも、消えていく、と思っているのは、あくまでも興味のない周辺の人々であって、実は地道なライブを続けている人もたくさんいる。固定したファンを持つ人もいる。

わたしは発展途上にあるので、自分の書いている文章をいいものだ、売れるべきだと声を大にして言うほど厚かましくはないが、その一方、これを生業にしている以上、「本を出版する」のは一つの「かたち」であり、結果であると思っている。

『街の灯』を出したことは、ニューヨークと自分の関係に一つの区切りをつけ、自分の新しい一歩を踏み出すきっかけになった。発行にあたっては、出版社や編集者とのやりとりを通し、よくも悪くも学ばされることも多かった。不完全燃焼の部分も大いにあった。

そして発行してからの、この半年間、次のステップを見極めるにあたり、どうにも先行きがくっきりと見えずに今日まで来ている。

書き続けることは書き続ける。書きたい事柄もある。しかし、ただデスクに向かって書き続けることは、自分は向かないということも、この数カ月のうちに再認識した。

そして、昨日、シャワーを浴びながら、ふと気づいたのだ。わたしにとって、『muse DC』やホームページ、また、メールマガジンは、ミュージシャンにとっての、小さなライブハウスでの、地道なライブ活動に似ているということを。

一流とか二流とか三流とか、メジャーとかマイナーとか、そういうカテゴリーの分類や、他者からの評価はこの際、ともかくとして、自分が毎日を、できるかぎり前向きに生活していくための、そして、手探りながらも何らかを発信していくための、ライブは、大切な場所ではないかということを。

メールマガジンの読者2000名、それから『muse DC』3000部。少なくとも、それらに目を通してくれている人たちに、わたしはライブ活動をしているのだと思うと、なんだか少し、霧が晴れるような気持ちになった。なにしろ、しばしば「五里霧中」になるわたしなので。

いつか発表されることを目標に、今後、作品を書き募るのも大切なことだと思うが、その一方で、こうして毎日生きている自分、ライブの自分を表現しながら、それを通して、何らかの作品に昇華していくことができれば、それもまた、すばらしいことではないかと いう気がした。

そう思い当たると、『muse DC』が、急に愛しく思えてきた。『muse DC』のカサッとした紙に触れながら、インクの匂いを嗅ぎながら、たとえ薄っぺらな冊子でも、もっともっと大切に、気持ちを込めて作っていこうと思った。

 

●「ライト・ショー」と、『27分の恋』と

24日の夜、夕食を終えたわたしたちは、テレビの画面を見つめていた。

バグダッドが、夕闇を焦がしながら、燃えている。

CNNのニュースキャスターが、その光景をして

「まるでライト・ショーのようです」と言った。

ライト・ショー? 

わたしは耳を疑った。A男と顔を見合わせた。わたしたちはしばらく、それぞれに憤りを口にした。爆弾は、打ち上げ花火なのか? これは、美しい光景なのか? まるでショーのように?

直後、わたしはクローゼットの奥の方にしまいこんでいる大きな段ボールを引っぱり出した。中には古い「カセットテープ」がぎっしりと入っている。そこから、高校時代に聞いていたカセットの一つを取り出した。

十数年ぶりに、聞いてみる。背筋がぞくっとするほど、懐かしい曲。ジューシィ・フルーツの『27分の恋』だ。

高校3年の夏。友人の千晶ちゃんが、掃除時間中、廊下の窓際で

「これ、絶対、坂田、好きなはずやけん。聞いてみて」

と言いながらくれたカセット。彼女の言うとおり、わたしはとても気に入り、それから何度となく聞いた。

ジューシィ・フルーツというバンドは、1980年に近田春夫のプロデュースのもと『ジェニーはご機嫌ななめ』でデビューし、かなりヒットを飛ばしたバンドだ。テクノ・ポップというのか、ロックというのか、歌謡曲というか、そのカテゴリーはよくわからないが、ともかく流行った。

イリアと呼ばれたボーカルの奥野敦子の声も独特な魅力があり、記憶にある方も多いかと思う。ちなみに『ジェニーはご機嫌ななめ』の出だしは

「君といちゃいちゃ してるところを 見られちゃった〜わ♪」である。

『27分の恋』は、ジューシィ・フルーツが自分たちの「独自路線」を踏み出す第一歩となったLPで、多分、それまでに比べると余り売れなかったのだと思う。その数年後に彼らは解散しているし、現在はどうなっているのかもよくわからない。

『27分の恋』は、米ソの冷戦をテーマにした曲が集められている。声高に戦争や平和を叫ぶ内容では、もちろんない。当時、ICBM(大陸間弾道ミサイル)がソ連から発射された場合、アメリカに到達するのは27分後、ということにちなんで、このタイトルとなったようだ。

たとえばA面1曲目の「禁星遊園地(作詞:森雪之丞・作曲:奥野敦子)」。これは、宇宙から、地球のあちこちで「美しい花火のような」火の手が上がっているのを、宇宙人と共に眺めている情景を歌っている。ロマンティックかつ緩やかなメロディーで。

いくら説明しても、音楽を聴き、歌詞を見ないことには、わたしが何を書いているのかおわかりいただけないことだろう。歌詞を書きたいところだが、著作権の問題もありそうだから、一部だけ、抜粋してみる。

「花火が花咲く 地球のラストショー S席をありがとう……」

「ジャポネもチャイナも 七色に燃える 双眼鏡ありがとう……」 

多分、CNNアナウンサーが口にした「ライト・ショー」という言葉が、わたしにこの曲のことを思い出させたのだと思う。

ついでに2曲目は「夢見るシェルター人形」という曲で、これは「夢見るシャンソン人形」の替え歌バージョン。核爆発の後、シェルターから出られない人形(少女)の心情を歌っている。

さらに4曲目はわたしが一番好きな「16月の渚(作詞:森雪乃丞/作曲:柴矢俊彦)」。

「いつかはきっと 絵の具も落ちて 無口な墨絵になるさ」という歌詞がぞっとするほどいい。最初に聞いてから、20年たつけれど、やっぱり、いい。

そして、バグダッドの風景は、「無口な墨絵」のようになりつつある。

高校生当時、わたしは、雑誌の付録か何かについていた、小さな日付がぎっしりと印刷された「20年カレンダー」というのを、部屋の壁に貼っていた。カレンダーは2000年までの日付を記していた。

時折わたしは、「2000年」のあたりを見ながら、(わたしはこのとき、いったい何をしているのだろう)と夢想した。

あれから20年後の現在。わたしは当時、想像しなかったところに住み、想像しなかった人とともに、テレビを見、想像したくなかった光景を眺めている。

人々の鬱々とした気持ち、平和を願う気持ち、戦いを止めたいと思う気持ち、なんとかしたいと思う気持ち、そういう「目に見えない感情」が、電波のような「力」となって、何かを抑制することになるのなら、あれこれと思いを巡らせる価値があるのに……と思う。

いろいろな種類の「真実」は目には見えないところに存在し、燃えさかる街だけが目の前に見える。何を寄る辺にして、何を感じ、何をどういうふうに、訴えればいいのだろう。

この戦争も、100年後の歴史の教科書で、数行の出来事になってしまう。

何もかもが、わからなくて、本当に、困る。

久しぶりに、何度となく、『27分の恋』を聞きながら、自分がこうして安穏としていることも、そうして、米国の爆撃で人々が死にゆくことにも、どうしようもできずに、ただ、時間だけが過ぎていく。

 

●ジプシーへの憧憬と、フラメンコと

これに類したことを以前も書いた気がするが、改めて書く。

「ジプシー」「遊牧民」「放浪」「流浪」「中央アジア」「中央ヨーロッパ」「大平原」「砂漠」「東西南北の人」「流離(さすらい)」「大陸」……

いつのころからだろう、わたしは、こういう種類の言葉に、とても強い憧憬を感じる。

音楽も、「ハンガリアン舞曲」とか「ポーリュシカポーレ」とか「中央アジアの草原にて」系統のメロディーを聴くと、グワーッと心を持って行かれてしまう。もちろん、他のジャンルにも、大好きなメロディーはたくさんあるが、これらの旋律が漂わせる哀愁は独特で、いたたまれなくなるような、拠り所のない郷愁をかき立てられる。

数年前に見たジプシーの映画"Black Cat White Cat"(邦題は「黒猫・白猫」)は、音楽、映像、ストーリー全般にわたって、お気に入りの映画の一つだ。

ことに最近は、自分の「居場所」について、あれこれと思案せずにはならない出来事が続き、現実逃避的に(もしもわたしがジプシーだったら……)などと夢想することもある。もちろん、あくまでも夢想するだけで、心底ジプシーに憧れているわけではない。ジプシー的な世界に、心引かれてしまう、というだけのことだ。

そんなこんなで、最近、フラメンコを習い始めた。

フラメンコの起源はジプシーで、ジプシーの起源はインド北部のラジャスタン地方に住んでいたロマ民族が起源だから、インドにも縁があるわたしとしては、親近感満点である。なんだかいろいろとこじつけているが。

スペインは大好きな国の一つで、これまでフラメンコを見る機会も何度かあったが、「習いたい」と思ったことはなかった。日本ではずいぶん前からフラメンコが流行っていて、習っている友人たちもいたけれど、自分がやろうとは思わなかった。

多分、心のどこかで「日本では中高年のおばさま方が好むダンス」だという思いこみがあり(実際そうなのだが)、まだうら若いわたしにはふさわしくない芸能であるという妙な思いこみがあった。しかし、ふと気づいたら、わたしはすでに、さほどうら若くはなかった。

実は、ニューヨークに住んでいた頃、短期間でジャズダンスやクラシックバレエを習ったことがあった。なにしろ徒歩10分圏内に何軒ものダンススクールがあるエリアだったので、気軽にレッスンを受けられたのだ。

もちろん、いずれもビギナークラスから始めたが、仕事を優先していたから長続きしなかった。いや、長続きしなかった理由はまだある。ジャズダンスにせよ、バレエにせよ、非常に「容姿の美しさ」が要求される踊りだということも一因だろう。

身体にピタッと密着したダンス用のコスチュームを着て鏡に向かうと、かなり意気消沈する。周囲の人々の足の長さや胴の短さが目について仕方がない。踊り以前の問題だ。

特に、アルヴィン・アレイのバレエのクラスに通ったときには、黒人男性が数名いたのだが、彼らの鍛え上げられた、まるで芸術品のような肉体にどうしても目がいってしまって困った。今となってはバレエのフォームよりも、彼らの見事なプロポーションの方が記憶に残っているから話にならない。

彼らはすでに他のダンスを習得した上で、バレエのビギナークラスを取っているから、根本的にスタートラインが違うわけで、そういうところにわたしが紛れているのは場違いではないかと思われたことも、長続きしなかった理由である。

ところが、フラメンコは違う。何が違うかって、別に足が長くなくても、少々太っていても、問題ないのである。思い返せば、今、心に残っているフラメンコダンサーは、決して若くてスタイルのいいダンサーではない。恰幅のいい、がっしり体型のおばさまの力強い踊りが印象に残っていたりする。

しかも、フラメンコは、上達すれば発表する場がある。クラスでは発表会などが頻繁に行われているし、すごく上達すれば、「踊り子」としてスペイン料理店などで出張ライブもできる。すごく上達すれば、の話だけど。で、それをやりたいのか、と問われると返事に窮するのだけれど。

なんだか、色々と偉そうに語っているが、実はわたし、まだレッスンを初めて2回目の身分である。我が家からバスで15分ほどのところにあるダンススクールで、先週よりレッスンを始めたばかりだ。

フラメンコを始めるにあたり、とりあえず必要なのは丈の長いフラメンコ用のスカートとスパッツ、カスタネット、そしてかかとのある靴である。フラメンコ専用の靴は今度マンハッタンに行ったときに買うことにしているので、それ以外はすべて先週のうちにそろえて、一昨日、レッスンに挑んだ。

クラスは、老若男女入り交じった15名くらいなのだが、案の定、プロポーション抜群の人などいないから気が散らなくていい。劣等感に打ちひしがれることもない。お腹のでっぷり出たおじさまや、スカートのウエストから贅肉がむちむちあふれているおばさまもいるところが、緊張感を和らげてくれる。

スカートをフリフリしつつ足踏みしたり、カスタネットでリズムをとりつつ足踏みしたりの基本的な練習ばかりだが、なんだかとても楽しい。

バレエなど他の踊りもそうだけれど、背筋を伸ばしたり、指先の動きに気を配ったりすることは、普段の立ち居振る舞いをきれいにさせることにもなるような気がする。

初日の練習でCDを購入し、自宅で「自己練習」するなど、今のところ非常に前向きにレッスンしている。更にはフラメンコやジプシーのCD、ビデオなども購入するなど、非常に意欲的だ。

デスクワークに疲れたら、スカートをはき、靴を履き、鏡に向かって踊る。なかなかいい気分転換にもなる。

いつまで続くことやら……。

(3/27/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


Back