坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ
Vol. 83 11/6/2002
今、ここから見えるもの。ゆらゆらと風に揺れる紅葉した木々、その向こうに広がるDCの街並み、彼方に連なるなだらかな山脈、その山脈の稜線を境に、風景の上半分を占める空と、そこに浮かぶ雲……。 今、ここから聞こえるもの。カテドラル(大聖堂)の鐘の音、スクールの校庭から届く子供らの声、ざわざわと木々の葉が擦れ合う音、車のタイヤが通りを滑る音……。 東側に窓があるわたしの書斎は、愛用のiMac越しに窓からの景色が見えるよう、デスクを部屋の中央に配置しています。朝は日差しが強すぎるので、少しブラインドを閉じていますが、10時を過ぎる頃にはちょうどいい具合に光が調和するので、ブラインドを大きく開け放ちます。 たとえ一日中、コンピュータに向かっていても、常に視界に空が入っているというのは、何とも心地よいものです。 今年の1月にここへ越してきて以来、冬、春、夏、秋と季節を一巡しました。瞬く間のことだったように思います。できることならもっと夏を楽しみたかったのですが、日本旅行から戻ってきたら、もうすでに秋が始まっていました。 去年の今頃は、テロ直後。心が塞ぎがちで、紅葉を美しいと感じ入る心境ではなく、何を見てももの悲しく感じられたものですが、今年はそれに比べずいぶんと心が穏やかです。 先週末はおむすびなどを持って、A男と二人、近くの国立公園へ紅葉を見に出かけました。でも、わざわざ遠くまで行かなくても、近所は紅葉の海で、通りを曲がるたび、目に飛び込む新たな彩りに心を奪われます。 雨上がりの今日、車を運転していたら、車体に木の葉をいっぱいつけた車をたくさん見かけました。まるで雪のように、車の上に、木の葉が降り積もるのです。何だか愛らしい光景です。 さて、長々と引き延ばしてきた旅日記、ようやく完結しました。旅を通して感じたことを、日記とは別に書きたかったのですが、またもや長くなりすぎるので、今回ひとまずお送りします。 来週はまたニューヨークです。14日6時からの紀伊國屋でのレクチャー&サイン会、ニューヨーク近辺にお住まいの方はぜひいらしてください。
●9月14日(金) わたしたちを乗せた新幹線は、昼頃博多駅に到着した。駅には両親が車で迎えに来てくれた。母とは5月に会ったばかりだったが、父とは去年の7月にインドで会って以来だから約1年ぶり。父は5月頃、肺がんを少々再発して、数カ月間入院していた。 抗ガン剤による副作用で髪が抜けているため、お洒落な帽子(キャップ)を被っていた。体重がずいぶん落ちたようでほっそりしていたが、それでも80キロ以上はある。身長は172センチだから、痩せてもなお、太りすぎだ。 ちなみにA男はこの5年間で10キロ以上も増量してしまい、やはり80キロ少しある。かなりまずい。二人して同じ背格好になってしまっている。 さて、駅の近くのホテルにチェックインしたあと、そのまま実家のある名島へ向かう。ヴィクトリアンスタイルでまとめられた国籍不明の我が家は、相変わらず母の好みが炸裂していて、帰省するたびにその濃度が高まっているように思われる。 A男も、「美穂の家は、日本っぽくないねえ。タタミルームもないし。変だねえ」と誉めると言うよりは不思議そうにしている。インド人夫としては、日本人妻の実家が英仏調というのも、妙な感じなのだろう。普通は畳に座布団、煎餅にお茶、みたいな部屋をイメージするだろうから。 ちなみにA男が我が家に来るのはこれで2回目。前回はボーイフレンドとしてだったが、今回は「夫として」の訪問だから、本人曰く気分的にリラックスしているらしい。母がランチの準備をする間、父のコンピュータでEメールをチェックするなど、気ままにおくつろぎの様子。 出された日本の梨とブドウ(巨峰)が気に入って、おいしそうに食べている。アメリカで手に入る洋ナシはそれなりにおいしいけれど、わたしも日本の梨が好き。たまに「アジアの梨」と称した丸い梨が売られているが、おいしくはない。甘くて水分がたっぷりの日本の梨は久しぶりでことのほかおいしく感じられた。 ランチだというのに、両親はあれこれと料理を用意してくれて、テーブルは実に賑やか。前回、A男が大いに気に入った霜降り牛を甘辛く炊いたもの、それに各種刺身、レンコンの煮物、サラダなど、全部を思い出せないけれど、ともかく「日本ならでは」のいろいろなおかずがいっぱいで、ごはんが進む進む。 A男は大喜びで牛肉やレンコンを食べていた。レンコンもアメリカではなかなか手に入らない食材だから、珍しかったらしい。 途中から妹も、大量のパンを持ってやって来た。夜はパーティーだというのに、昼間から思い切りたくさん食べてしまう。我が家は食べることが好きな面々ばかりだからなあ。説明するまでもなく、容姿にそれが現れているけれど。 その後、両親が大量に「買い占めて」くれた『街の灯』にサインなどをしたり、旅の報告などをしているうちに、瞬く間に時間が過ぎる。A男は満腹でリラックスしたのか、ソファーで昼寝を始めた。寝てくれた方が通訳をせずにすむので、わたしもホッと肩の荷がおりる。 夕方近くになり、一旦ホテルに戻ったあと、会食のあるホテルニューオータニの中国料理レストラン「大観苑」へ。東京滞在時から「おいしいチャイニーズも食べたい」とA男がいうのを、「福岡で食べられるから」と引き延ばしてきただけあった。 妹が選んでくれたというコースメニューは、わたしたちの好物が盛りだくさん。A男は特にぱりぱりの焼きそば(皿うどん)や、東坡肉(トンポーロー:豚の角煮風)がいたくお気に召した模様。紹興酒も初めて口にした。 ……。ついつい食べ物の話から書き始めてしまったが、肝心なのはご参加いただいた面々。まず、母の兄夫婦、母の妹夫婦とその息子二人(つまりわたしの従兄弟)、そして妹の夫の両親、我が両親と妹夫婦である。 それにしても、A男は気楽なもんである。普通ならこういうとき、一堂に深々と頭を下げ、 「本日は、このような晴れがましい席にて、皆様方にお目にかかれることを、心よりうれしく思います……」などと挨拶したあと、 「ま、お父さん、一杯どうぞ」 とか、 「あ、お母様のお兄様ですか。どうも、はじめましてA男です。こちらからご挨拶にお伺いするのが筋なんですが、わざわざご足労いただいて……」 などといいながら、テーブルをお酌をして回ったりしたあと、 「いやあ、美穂さんの手料理がすばらしすぎて、すっかり太っちゃいましたよ、ハッハッハ!」 などとお世辞の一つでも交えながら、場を盛り上げる責務があろうというものを……。 日本語がしゃべれない、というただそれだけで、憎らしいほど気楽なもんである。 「コレハ、ナンデスカ?」 「オイシイデスネ!」 などと、幼児のようなコメントを発しつつ、ニコニコしながらバクバク食べてるだけでいいんだもんね。おばさま方に「かわいい!」とか言われたりして。とほほ、ってなもんだ。 思い返せば結婚前、わたしの両親への 「お嬢さんをぼくにください」みたいな挨拶も、まったくなかったもんなあ。 その分、大変なのはこのわたしだ。テーブルをクルクル回しながら、各種料理を逃さず食べつつ、おしゃべり、通訳で口が動きっぱなし。 何はともあれ、みなさんに生(なま)のA男を見てもらうことができて、よかった。
●9月15日(土) この日、博多駅周辺の紀伊國屋書店を皮切りに、キャナルシティ、天神などの大きな書店を巡る。A男にとっては少々つまらなさそうではあるが、地元はしっかりと抑えておきたいので、店長へ挨拶し、資料などをお渡しする。 天神界隈は紀伊國屋書店、丸善、ジュンク堂などの超大型書店が徒歩5分圏内にひしめき合っていて驚いた。特に、新しくできたジュンク堂はアメリカのバーンズ&ノーブルにも似た本のディスプレイで店内も整然としており、いい感じ。A男はここの洋書コーナーが気に入り、わたしが営業に回っている間、しばらく立ち読みをしていた。 ちなみに、福岡での『街の灯』営業ぶりについては、詳細をホームページに掲載しているので、こちらへどうぞ。 http://www.museny.com/machinohi/machinohi-info.htm 本屋を巡りでエネルギーを使いつつも、おいしいものを食べる意欲は忘れない。ランチは豚骨ラーメン&餃子を食す。 夕方は両親と待ち合わせ、4人で「大東園」という焼き肉屋へ。福岡は食べ物がおいしいから、本当に幸せ。A男は今回の旅でお気に入りとなった生ビールをのみつつ、実に幸せそうだ。 好物の焼き肉を目の前に、すっかり饒舌になったA男は、京都観光や相撲の話など、あれこれと楽しげに話し始める。それにしてもここのカルビはトロみたいでおいしかった。 ------------------------------ ◆大東園(だいとうえん) 福岡市博多区上川端町1 092-282-0055 ------------------------------
●9月16日(日) 博多駅から列車で長崎ハウステンボスへ わざわざ日本に来て、なぜにオランダ? という気がしないでもないが、今回の旅で少々のリゾート気分を織り込みたく、わたしもまだ行ったことがないハウステンボスへ行くことにしていた。博多駅からハウステンボスまで直行の列車に乗ってゆく。 山間のひっそりとした場所に突如現れる、異国の風景。それにしても、なぜ、こんな場所にこんなリゾートを造ることになったのだろうか、地元の反対などなかったのだろうか、と少々不思議に思う。 到着する間際から、どんどん雲行きが怪しくなり、入場してほどなくしてから豪雨となる。傘を差していても歩けないくらいの猛烈な雨。しかたなくレストランに入り、ランチを食べつつ小降りになるのを待つ。が、ちっとも小降りにならない。 それにしても、このハウステンボス。噂には聞いていたが、オランダよりもオランダらしい、というか、オランダのシンボル的な建物が見事に凝縮されて集められている。わたしもA男もオランダに行ったことがあるが、ここはここなりに楽しめそうだと思う。雨が止めば、だけど。 2泊の予定なので、焦って観光することもない。今日のところはおとなしくホテルでリラックスすることにする。快適な部屋でワインを飲みつつ、本などを読みながら幸せなひととき。旅行10日目にして、ようやくほっとできる時間を持てた。 夜は、佐世保に住んでいる知り合いのNさんが大雨の中、ハウステンボスまでやって来てくれた。わたしたちが滞在していたのは園内のデン・ハーグというホテルだが、園外にある全日空ホテルで郷土料理のブッフェをやっているというので、そこで夕食をとることにする。 A男は平戸牛のステーキや長崎皿うどんの虜になり、何度もお代わりをしていた。 Nさんに、なぜ、ここにこのハウステンボスができたのか、その理由を聞いてみた。彼女の説明を聞いて納得がいった。ここはそもそも、土地の人には「避けられていた」場所らしい。 第二次世界大戦後、大陸から船で引き揚げて来た人々は、この大村湾の港に入った。しかし上陸する前に、この周辺で命を落とした人が少なくなかったというのだ。 ハウステンボスを建設する前、墓地を別の場所にきちんと造り、死者の霊を弔った上で、工事が着工されたという。 わたしは卒論で安部公房を書いた。彼は、終戦直後、満州(藩陽)で、過酷な無政府状態を経験したあと、翌昭和21年になって、ようやく引き揚げ船に乗り満州を離れた。しかし本土上陸間際になり、船内でコレラが発生し、「佐世保港外」に10日近くも繋留されていた。船内では死者はもちろん、発狂する者も現れたという。この時の特異な経験は、彼のその後の作品にも影響を与えている。 実際のところ、戦後、引き揚げ船が次々に港に入ったため、検疫などが追いつかず、彼のようにすんなりと上陸できなかった人が少なくなかったようだ。船旅の途中、すでに弱り切っていた人々の中には、劣悪な環境に耐えきれず、故郷を見ることが叶わぬまま、命を落とした。 (彼が書いていた佐世保の港とは、このあたりのことだったのだ……) Nさんと別れ、星がきらめく雨上がりの夜空を眺めつつ、遠い時代に思いを馳せる。ネオンに彩られた「オランダ風の街」が、まるで幻のように思えた。 あまり楽しい話題ではないので、A男には、この日、このことは言わずにおいた。
●9月17日(月) 目ざめれば快晴! ホテルの窓からは、澄み渡る青空と、朝日にキラキラと煌めく大村湾が見える。すばらしい朝だ。風は強いけれど、雨よりはずっといい。 朝日が心地よく降り注ぐレストランで、おいしい朝食のブッフェを食べた後、早速外へ出る。パレスやミュージアムを見学した後、水着を持って屋内プールへ。 このプールもまた太陽の光がさんさんと降り注ぐリゾート仕様。なんとも気分のいい場所だ。ここで泳いだり、ジャクジーに浸かったり、サウナに入ったりしたあとマッサージを受ける。マッサージの後はプールサイドでビールを飲む。ものすごーく気分がいい。 ランチはA男のリクエストにより「長崎皿うどん」が食べられる店へ。もともとパリパリ麺の焼きそばは大好きで、ニューヨークでもお気に入りのチャイニーズレストランでよく食べていたのだが、長崎皿うどんは特にお気に召した様子。ちなみにわたしは長崎ちゃんぽんを食べた。おいしかった。 あちこちを巡った後、日暮れの間際に、わが両親に勧められていた「お茶付き」のクルーズに乗る。このクルーズは、園内パスポートにて無料で巡れるクルーズとは違い有料だが、園内の運河を巡った後、束の間、外港に出るのだ。 A男はコーヒーとチーズケーキのセット、わたしは赤ワインとチーズのセットをオーダーし、あたりが夕映えに染まるなか、貸し切り状態(他のお客はいなかった)の船の旅を楽しんだ。 夕暮れの大村湾もまた、朝や昼とは違った美しさを見せている。 要所要所で音声ガイドが入るのだが、この大村湾は著名な作家(名前を忘れた)をして、「日本の地中海」と言わしめた、というようなことを言っている。「日本の地中海……」。そんな妙なたとえをせずとも、ここにはここの美しさがあって、地中海と比べるものでもなかろうに、と少しばかり滑稽に思える。 夜は「河童」という居酒屋で夕食。ここのお刺身もまた、予想以上においしくて、「日本食はいいねえ」と幸せなひとときを過ごす。 夕食後、スタジオのあるバーへ。ここでフラメンコショーが行われているのだ。ハウステンボスの開業十周年イベントの一環として、本場スペインから招かれたダンサーたち。彼らのフラメンコがまたすばらしかった。 わたしもA男も本場スペインはセビーリャで、何度かフラメンコを見たけれど、妙に観光地化されたタブラオ(フラメンコが見られるスペイン版居酒屋)のダンサーたちよりも、彼らの方がずっと洗練されていた。確かにステージなどはタブラオの方が「雰囲気」はあるけれど、見やすさ、ライティング、音響などはこちらの方が断然よく、わたしもA男も感激した。 (わたしたちは、どこの国にいるんだろうか)という訳の分からない気分を抱きつつ、ホテルに戻り、熟睡。
●9月18日(火) 今日もまたいい天気。昨日、巡り切れなかったところなどを訪れ、午後になってからハウステンボスを出る。次の目的地はタクシーで佐賀県の嬉野温泉だ。嬉野温泉までは1時間弱のドライブ。このドライブが、今回の旅でもっともわたしの心に強く染み入った。 山間を走る道路。時折見え隠れする大村湾……。穏やかに太陽の光を集める水面を見つめているだけで、心もまた穏やかになる。ふと、かつてここで故郷の土を踏まないまま死んだ人々のことが脳裏をよぎる。タクシーの運転手さんにそれとなく尋ねると、やはりNさんと同じことを言っていた。 運転手さん曰く、外地から戻ってきた18万人もの人々(この数字が正確なものかどうかはわからない)がここから上陸したという。ハウステンボスが造られるにあたり、きちんと霊を弔うために、少し離れた村に霊園が造られたのだという。 時折、小さな魚屋を通過する。「鯨」と書かれた看板が見られる。運転手さん曰く、この辺りには江戸時代から続いている有名な鯨卸の総元締めがあって、今でも調査捕鯨などで得られる鯨肉がここに一旦寄せられるのだという。もうずっと長いこと口にしていない鯨肉の味を、かすかに思い出す。 A男はきれいに剪定された家々の庭の木々を見ては、 「かわいい形の木だねえ。あれってボンサイっていうんだよね?」 と見入っている。似てるけど、ちょっとサイズが違うね。 黄色いカバーを付けたランドセルを背負い下校する子供たち。 緑豊かな田園風景。 それに紅さす曼珠沙華。 甍の波と、雲の波と、大村湾の波……。 なんて平和な光景だろう。こんなのどかな場所で生まれ育ったわけではないのに、心の奥の方にある郷愁をかきたてられる。 嬉野温泉ではお茶の露天風呂があるという宿に予約を取っていた。 チェックインするや、さっそく温泉へ向かう。A男は前回の旅で温泉が大好きになっていたから、今日を心待ちしていた。ちなみに前回は富士山の河口湖畔にある温泉と湯布院温泉に行った。 男風呂と女風呂は毎日交代し、今日は女風呂の方が眺めのいい広々とした露天風呂だった。夕暮れの静かなひととき、緑茶の利いた露天風呂でのんびりとくつろぐ。この歓びは、日本ならではだなあと、しみじみ思う。 温泉から上がり、浴衣に着替えたわたしたちは、ふたりしてほかほかとゆで上がっている。部屋に戻り、頼んでおいたマッサージを受け、またもや幸せなひととき。 マッサージのあと布団の上でうとうとしていると、女中さんが食事の用意に来てくれる。テーブルの上は、こまごまとした料理で埋め尽くされ、何とも賑やか。これでこそ、日本の旅館である。 冷たいビールで喉を潤し、バラエティに富んだ料理を味わい、今日もまた極楽だった。
●9月19日(水) 目覚めと共に温泉へ。今日は男風呂の方が眺めがいい。あらかじめ長湯しないように言っておいたにもかかわらず、A男はいつまでたっても部屋に戻ってこない。1時間近くもたってから、案の定、少々のぼせぎみにて戻ってきた。 朝から充実メニューの旅館の朝食。それらをきれいに平らげ、近所を散策し、旅館の池の鯉などを見た後、荷造りをしてチェックアウト。高速バスで福岡に戻る。 この日は日中、地元のメディアを訪問するなど、主に『街の灯』の営業をした。 そして夕方は、とても楽しみにしていた会合がある。大学時代、仲の良かった友達との再会だ。1人を除いて残り4人は、卒業直後以来初めて会うから、実に15年ぶり。 (みんなおばさんになってるんだろうかなあ……) などと、自分のことは棚に上げて勝手に思いを巡らせていたが、みんなに再会してびっくり! あのころとあんまり変わってない! っていうか、大学時代よりもきれいになってる! 彼女らの元気な様子を見て、なんだかとてもうれしくなる。最初からテンションが上がりっぱなしで、A男がおののいている。 ひとり一人、それぞれに近況報告をしたあと、懐かしい大学時代の話で盛り上がる盛り上がる。 一人は二児の母、一人は一児の母、一人は妊娠中、一人は去年結婚したばかり、一人はパートナーがいるものの未婚、そしてわたしと、みなそれぞれに違う身の上。 仕事を続けている人、結婚を機に辞めた人、学校の行事に積極的に参加している人、やはりみなそれぞれに違うけれど、それぞれに生き生きと輝いていた。みんないい感じで歳を重ねているのだということが、ひしひしと伝わってきた。 わたしにせよ、みんなにせよ、ひょっとして20代の後半や30代の前半に再会していたら、今のような穏やかさはなかったかもしれない。 わたしたちは15年の間に、自信や落ち着きを少なからず育んできたのだろう。だからこうしてきれいな笑顔で会うことができたのだろうと思った。 A男はわたしたちの騒ぎぶりに気圧されていたが、話題に入りたがるので(あたりまえだが)、それでなくても話したいことがたくさんあるのに通訳せねばならず、ものすごく面倒だった。 「9時までお酒、飲み放題やけん、どんどん飲まな!」 幹事をつとめる友人の声に、次々にオーダー。余り強くはないのに日本酒が好きなA男は、楽しげに盃を重ねる。そのうち、好都合なことに、彼はうとうととし始めた。これはチャンスとばかり彼を起こすことなく、皆で心おきなく日本語で話した。 本当にうれしくて、楽しい夜だった。
●9月20日(木) いよいよ、今日が最後の日。午前中、両親と一緒に車で「母校巡り」をする。『街の灯』をそれぞれ3冊ずつ、母校の図書館に「寄贈」すると同時に、校長先生にお目にかかり、挨拶及び営業をしようという次第。この経緯もホームページに克明に記した。ちなみに千早小学校、香椎第一中学校、(途中で転校した)香椎第二中学校、そして香椎高校を巡る。 わたしにとって、高校までの学校生活は、総じて楽しいものではなかった。特に香椎第二中学時代は、ドロップアウトした経緯もあり辛い思い出が濃厚で、のちにアルバムを破棄してしまったほどだ。だからわたしの手元には中学時代の写真が残っていない。卒業アルバムさえ捨てた。 その香椎第二中学が、皮肉にも、今回訪れて最も印象に残った。校長先生は妻鳥さんという女性だった。A男ともども、美しく整頓された校長室に案内される。 卒業生であるわたしが本を上梓したことを、とても身近なことのように喜んでくださり、あれこれと話が弾んだ。お茶まで出していただき、とても丁寧に対応してくださった。 この中学では妻鳥先生が校長に就任して以来、毎朝10分間、読書の時間を設け、生徒たちにできるだけ読書に親しむよう働きかけているそうだ。 「ぜひ生徒たちの前で、先輩としてお話をしていただきたかった」 と言われた。わたしも、何らかの形で母校の生徒たちの力になれればと思ったので、 「次回帰国する折にはあらかじめご連絡します」 と言った。 昼食は、妹が気に入っている蕎麦屋さん「松本」へ。ここで家族そろってそばを食べる。ここの手打ちそばがまたおいしい。懐かしの「ゴボウ天そば」に大満足。店主が『街の灯』を10冊も買い取ってくれた。うれしかった。 ------------------------------ ◆そば処 松本 福岡県糟屋郡宇美町宇美3503-8 092-957-6740 ------------------------------ 午後からは妹の車に乗せてもらい、地元の本屋巡り。温泉でゆっくりしてきたはずが、なんだかどっと疲れが出て来て、途中ユンケルなどを飲みつつ気合いを入れてまわる。A男は香椎のヘアサロンで散髪などする。 そして日本最後の夜。妹夫婦と両親と6人で、家族が行きつけの小料理屋「ふじ乃」へ。おいしい刺身や旬の味覚の数々が次々に供される。 最後の最後まで、美味なる料理が楽しめた今回の旅。料理が楽しい会話を育み、かけがえのない時間を与えてくれたような気もする。 ------------------------------ ◆ふじ乃 福岡市博多区中洲1-3-1岡本ビル1F 092-281-2826 ------------------------------ 今回の旅行は、A男にとって、これまで二人で経験した旅行の中で最高といっていいほど、楽しかったらしい。翌日、DCへ向かう飛行機の中でも、「本当に楽しかった」「いい旅行だった」と、何度も繰り返しては余韻に浸っていた。 言葉が通じないとはいえ、さまざまな人に出会い、みんなに親切にされ、とても居心地がよかったようだ。日本独特の、彼から見れば「異文化」もまた、ユニークで刺激的であったに違いない。 わたしといえば、半分仕事のようでもあるし、A男の通訳&コーディネートもせねばならないなど、そうそう気楽にはいかなかったが、それでも久しい時を経て大勢の人たちに再会できたのは本当によかった。 本を出版したと言うことは、本を出版したという事実を超えて、わたしにさまざまな機会を与えてくれているように思う。新たな出会い、再会、発見……。自分の人生が違った形で、また新たに動き出すような予感がした。 「きっかけ」を大事にして、新しい動きを起こせば、世界は広がる。
◆◆◆◆◆『街の灯』通信 Vol.4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●10月中に紹介された『街の灯』関連記事情報 記事の内容は『街の灯』のホームページに掲載しています。 ・Hanako(10月23日発行号) ・ダ・ヴィンチ11月号(10月5日発行号) ・シティ情報ふくおか(10月7日発行号) ・THE YOMIURI AMERICA 読売アメリカ社(10月18日発行号) ・リビング福岡(10月12日発行号) ・関門・下関の地域情報ステーション「ナビタウン」 http://www.navitown.com/ ---------------------------------------------------- ●坂田マルハン美穂 レクチャー&サイン会 場所:ニューヨーク紀伊國屋書店(ロックフェラーセンター) 10 West 49th Street, New York, NY 10020 日時:2002年11月14日(木) 午後6時より(無料)
●坂田マルハン美穂 サイン会 場所:サファリブックス SAFARI BOOKS 512 Mamaroneck Ave., White Plains, NY 10605 日時:2002年11月16日(土) 午後1時ごろより(もちろん無料)
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