坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 80 10/4/2002

 


先月21日、日本から戻ってきました。総じて楽しい18日間でした。この先数回は、日本紀行と称して旅のレポートをお送りしようと思います。「食べたものや行った先も詳しく知りたい」という声もちらほらと聞かれたので、自分自身の「思い出ノート」を綴る気分で、書き進めようと思います。

お時間のあるときに、ごゆっくりお読みください。

旅日記だけではなく、今回の旅で気付いたことも、コラム的に書き記す予定です。それは、また改めて、別の機会に送信します。

一部、日本に住んでいる人にとっては、不愉快に思う記述も多々あるかもしれませんが、あくまでも、自分自身の感じたことを忠実に、ここでは記しておきたいので、あらかじめご了承ください。

さて、先月上梓した『街の灯』は、地道ながらも少しずつ、成長しています。ホームページの『街の灯』コーナーには、この旅行記とは別に、営業に焦点を絞った日本の旅日記をすでに掲載しております。こちらもなかなか楽しい記録ですので、お時間のあるときに、ぜひご覧ください。

 

●9月5日(木)東京に到着。四谷のホテルにチェックイン後、ポプラ社へ

成田を目指す全日空機は、4日正午過ぎにワシントンのダラスエアポートを発った。かねてから患っていた腰痛が治まらず、出発前に鍼を打ちに行くなど、かなり慌ただしい旅立ちとなる。腰痛に14時間の空の旅はかなり応えたが、それでもなんとか無事にやり過ごせた。

5日午後成田着。久しぶりの日本。日本独特の匂いが懐かしい。蛍光灯の明かりが青白く見える。人々がひしめき合っているというのに、何だか静かな雰囲気だ。まずはトイレに入る。ここもまた、日本独特の雰囲気。アメリカでは、個室のドアの足もと、頭上が開放的で小さいのに対し、日本のドアは天井から地面までぴっしりと塞がれていて、圧迫感がある。和式の便座も久しぶりだ。

四谷にあるJAL CITYというホテルに予約を入れていたので、空港から新宿まで列車で行くことにする。日本語で書かれているにも関わらず、列車のインフォメーションがとてもわかりづらい。新宿経由大宮行き成田エクスプレスは、古びた在来線の車両だった。名前から察するに、新しい感じの車両だと思っていたので、一瞬、違う列車に乗り込んだかと思い、慌てて下りそうになった。一歩間違うとA男とはぐれるところだった。疲れていると判断力が鈍るのでよくない。

大きなスーツケースを伴ってではとても乗りにくい通路の狭い車両だ。しかも空席がちにも関わらず、切符は指定席になっている。動いている電車の中を、大きなスーツケースを引きずって歩くのは辛い。ある車両ががら空きで、だれもいなかったので、そこに座ることにした。列車は冷房が入っているにも関わらず、空気がじめっとしていて蒸し暑い。この夏、東京は異常な熱さらしいから、覚悟せねばなあ、と思う。

西日が照りつける車内で、A男と二人、ぐったりとしつつ車窓の外を眺めていたら、60歳前後のおじさんが隣の車両からやって来て、わたしの席の真後ろに座った。「カチッ」というライターの音。次の瞬間、頭上から降り注いでくるタバコの煙……。

電車でタバコを吸っていいのか……? と一瞬混乱するが、よく見ると灰皿が付いているから、ここは喫煙車だということを悟る。それにしても、一車両丸ごとがら空きなのに、なんでわざわざ人の真後ろで吸うのか? せめて、2、3席離れていれば、わたしも我慢できたが、真後ろから煙を吹きかけられたのではかなわない。

「すみません、もう少し離れた席で吸っていただけますか?」そう頼んだら

「ここは喫煙車ですよ! 隣の車両が禁煙車ですから、そちらに移ったらどうです?」

と嫌味たっぷりに言われた。

確かに彼の言うことはもっともだ。わたしたちは隣が禁煙車だとは知らなかったから、彼に頼んだのだが、確かにわたしたちの方が移動するべきだろう。しかし、何か、違う気がする。余りにも、思いやりというものが、ないじゃないか! ……なんてことを主張したところで不毛だろう。

「わかりました、そうします」

かなりムッとした表情でそう言ったあと、A男と二人、重い荷物を再び持って、狭い通路を通過して隣の車両に移る。疲れと腰痛も手伝って、無性に腹が立った。ああ、ここが日本だ。ああ、これがわたしの母国だ、と、大袈裟なまでに腐った気持ちになる。

新宿では、ホームから改札へ至るまでの通路にエスカレーターもエレベータもない。成田からの列車が乗り入れるにも関わらず、階段で移動しなければならないのだ。帰宅ラッシュと重なって、駅はたいへんな喧噪である。その中を、A男と二人で、大荷物を抱えて移動する。疲労困憊とはまさにこのこと。タクシーに乗ったときには心底ほっとした。

とまあ、旅の出だしは超不調だったが、なんとかホテルにチェックインし、シャワーを浴び、すっきりしたところで、A男と二人、『街の灯』の発行元であるポプラ社に挨拶に行く。ポプラ社は四谷にあり、ホテルから徒歩5分という近さなのだ。

今回、『街の灯』の編集を担当してくださった野村浩介氏と斉藤尚美氏に初めて対面する。電話や電子メールで何度もやりとりをしていたし、お二人の容貌はホームページの写真ですでに拝見してはいたが、それでもとても新鮮な感動があった。

そしていよいよ、配本を翌日に控え、刷り上がった『街の灯』との対面。上品でやさしい印象の体裁。ページをめくると、写真もきれいに出ている。本当に、ちゃんとした本だ。ついに、わたしの本が、出来上がった。書店に並ぶ本が、出来上がったのだ。

一瞬、深く感動したものの、次の瞬間には、「これを、できるだけ、多くの人に読んでもらうにはどうしたらいいのだろう」という課題が脳裏を占め、シビアな気持ちになる。

その後、野村さんと斎藤さん、わたしたちの4人で、四谷にある小料理屋「有薫亭」へ。夕食をごちそうになる。日本食が好きなA男は初日からおいしい料理を前にかなり飛ばし気味。刺身の盛り合わせをはじめ、多彩な料理が供されたが、中でもA男は初めて食べた牛タンと高菜ごはん、それと生ビールがいたく気に入った模様。好物の豚の角煮も喜んで食べていた。やっぱり日本の食事はおいしいなあとしみじみ。久しぶりの生ビールも、この気候にぴったりときておいしい。

野村さんと斎藤さんとは、もっとゆっくりお話をしたかったが、何しろ日本語ばかりで話しているとA男がぶーたれるので、いちいち通訳せねばならず、時間は瞬く間に過ぎていった。通訳分も含め、わたしは一人で相当しゃべったような気がする。長旅の疲れや腰痛を、すっかり忘れていた。

 

●9月6日(金)銀座でデパート巡り。昼は天ぷら。六本木で打ち合わせ

朝からしとしとと雨が降っている。朝食は、ホテルの近くにあるドトール・コーヒーで。カフェラテやサンドイッチ、それなりにおいしいのだが、朝から店内がタバコの煙に包まれ、白く霞んでいるのに閉口する。

今日は、明日の夜のパーティー会場となっている六本木のレストランへ昼過ぎに打ち合わせに行くことになっていたので、その前に何となく銀座へ行くことにする。ところが、大雨甚だしく、傘をさしていても濡れてしまうほど。

仕方なく建物に入り、銀座三越などデパート巡り。まずは地下の食料品売場を見学。あまりの色とりどりに目がくらむ。考えられないほどたくさんの、凝りに凝った菓子類の数々が、煌々と光る蛍光灯に、照らしだされている。

あちこちから漂ってくる甘くていい香り。別に食べなくったって生きていける「嗜好品としての食料」が、こんなにもバラエティ豊かにたくさんそろっているにもかかわらず、「不景気」なのだから、日本って、実に豊かな国だ。

三越は前回(1998年の年末から99年の正月にかけて)二人で日本を旅行したときにA男も来たことがあるから二度目だが、彼もまた改めて感嘆している。前回は試食した酢豚を気に入って3切れほども食べていた(わたしは恥ずかしかった)が、今回は特に菓子類の繊細さに目を見張っていた。またもやあちこちで試食をしつつ、「これはなに?」「あれはなに?」と見学する。

多彩なデザインのハンカチもまた、他国のデパートでは見られない光景だろう。それにしても、その種類の多いこと。少なくともアメリカにハンカチ売場はない。どこかにひっそりとあるのかもしれないが、とにかくないに等しい。傘の種類の多さ、品質のよさもまた、アメリカとは比べものにならない。

下着売場でもまた驚いた。女性の下着がこんなにもカラフルになっていたとは! 以前はピンク、ベージュ、白、せいぜい黒が主体だったような気がするが……。店舗全体が、まるで春の花畑のよう。著しくファンシーだ。A男もその光景に目を奪われ「きれいですね!」を連発している。ちなみにアメリカにもヴィクトリアズ・シークレットという有名な下着メーカーのチェーン店があるが、「ファンシー」というよりは「セクシー」なデザインのものが多い。

その後、文房具の伊東屋などめぐったあと、「天一」でランチ。実は前回の訪日時、A男はおいしい天ぷらを食べ損ねたことを悔やんでいたのだ。

「天一」はこざっぱりした店内で、落ち着いた雰囲気。カウンター席で、天ぷらを一つ一つ揚げてもらいながら、ビールを飲みつつ、アツアツを食す。素材によって、ただ塩をつけたり、あるいは大根下ろしたっぷりの出汁をつけたりと、違う味わい方を楽しめるのもいい。

A男はカリッと香ばしい歯ごたえの天ぷらが好きなので、ここの天ぷらの衣がやや柔らかいのが意外な様子だった。それでも上質の素材を揚げた天ぷらはいずれもおいしく、二人して満足な昼餉。

ランチのあと、六本木にあるインド料理店ラージマハールへ。明日のパーティーについて、店のマネージャーと簡単に打ち合わせる。その後、六本木の書店などをうろうろしたあと、天気も悪いし、疲れ気味だったので、四谷へ戻る。

ランチがかなりボリュームがあり、夕食に出かける気力もなかったので、近所のスーパーマーケットでビールや軽食を買うことに。久々の日本のスーパーマーケット。肉売場はアメリカの方が充実しているが、魚介類は本当に、日本がいい。新鮮な魚を見るにつけ「こんな店がうちの近所にあったら……」と思う。

お総菜が充実しているのもまた魅力。「軽食を」と言いながらも、あれこれと買い込んで、結構なボリュームになってしまう。

 

●9月7日(土)午前中、浅草でぐったり。夜は楽しい「出版記念&結婚披露」パーティー!

今日もまた雨だ。腰痛はよくなるどころか、再び悪化している模様。雨天に加え、東京の「人混み」が、かなりストレスになっている様子。なにしろ、人がしょっちゅう「ぶつかってくる」のだ。

地下鉄はどこもかしこも階段だらけ。できるだけ腰に負担をかけまいと、ゆっくりと昇降していると、<邪魔だ!>と言わんばかりに人々が傍らをかすめていく。かすめるだけならいいが、カバンや身体にぶつかられることもしばしばだ。そのたびに、腰に激痛が走る。ぶつかって謝る人など、誰一人いない。アメリカでは考えられないことだが、日本ではそれが普通だ。わかってはいるものの、腹立たしい。

歩道を歩いていても、猛スピードの自転車が肌に触れんばかりに追い抜いていく。A男と二人して、いちいちドキッとさせられること数知れず。駅などで走る人々もまた、恐ろしい。とてもじゃないが、老人や身体障害者は出歩けない街であることを痛感する。

地下鉄やJRの車内は、特有の「臭さ」に満ちている。人々の衣服に染み付いたタバコの煙や整髪料や雨に濡れた傘の臭いなどが混沌と入り交じっている感じだ。

「日本人は嗅覚に敏感で、臭いのが苦手だと思ったけど、なぜ、日本の地下鉄は臭いの?」とA男が問う。

わたしは東京で8年間、仕事をしていた。駅で走ったことも、数えきれず。タバコもかなり吸っていた。そのときには、こんな環境が当たり前だと思っていた。大して他人に気を遣っていたとも思えない。人にぶつかっても、よほどの場合でない限り、知らん顔をして通り過ぎていた。

けれど、離れた場所に暮らし、しばらくぶりに戻ってくると、そんなすべてにいちいち引っかかる。「これはこれでいいのだ」とは納得できない違和感が胸を占める。それにしても、東京。街から街へと移動するだけで、なんとエネルギーを要する場所だろうか。

雨降りだとはいえ、ホテルでじっとしておくわけにもいかない。前回訪れた浅草に、もう一度行くことにする。雷門で写真を撮り、仲見世通りをふらりと歩き、ばら売りの人形焼きを買って食べたり……。しかし、二人とも気分が乗らず、お参りをして早々に引き上げる。

帰り際、浅草の松坂屋の化粧品コーナーへ。というのも、A男が道行く女の子たちを見て言うのだ。

「ねえ美穂、美穂は自分のまつげが短いのは日本人のせいだっていうけど、みんな長いじゃない。どうして?」

「確かに、中には長い人もいるわよ。インド人ほどじゃあないけどね。でも、今、あなたが言ってる女の子たちは、みんなマスカラをしてるの、マスカラ!」

「なら、美穂もマスカラ、すれば? 買おうよ、マスカラ!」

というわけで、化粧品コーナーに行った次第。わたしだって、旅行には持ってきていなかったものの、マスカラの一つや二つ、持ってはいる。しかし滅多に使わない。コンタクトレンズをしているせいか、目に異物が入りそうで気になるし、それにウォータープルーフを使っていても、目周辺の構造の問題か、しばらくたつと目の下の方がかすかに黒くなってしまうのだ。

しかし、何だか最近はあれこれと改良された新商品が目白押しの様子。店頭で、店員に勧められるがまま、試し塗りをし、一本購入。バシバシのまつげに、A男もうれしそうな模様。

一旦ホテルに戻り、あれこれと準備をして、4時過ぎにパーティー会場の六本木に向かう。パーティーは7時からだが、5時から西日本新聞東京支社の記者の男性が『街の灯』の取材に来てくれることになっていたからだ。

無事取材を終え、ネパール出身だという店員の女性にサリーを着付けてもらい、早めに来てくれたヘアメイクの友人に髪を整えてもらっているうちにも、ゲストがやって来た。

パーティーは、それ自体を報告すると、ひどく長いことになってしまうので、大幅に端折るが、久しぶりにお会いする人たちばかりで、本当に懐かしく、うれしかった。また、電子メールや電話のみのやりとりで仕事を進め、一度もお会いしたことのなかった人に会えたのもよかった。

ゲストは全員で70名ほど。ひとり一人とゆっくり言葉を交わしたいところだったが、瞬く間に時間は過ぎていく。わたしとしては、特に司会やスピーチなどなく、ただ色々な人たちと話すパーティーでも構わなかったのだが、それだとやはり物足りないと思われた様子で、友人の一人が司会をかって出てくれ、あれこれと仕切ってくれた。

約1時間ほどが、ゲストからのスピーチタイムとなった。お互いが知り得る機会にもなってよかったと思う。日本語ができるアメリカ人の友人が、A男にスピーチを訳してくれたので、彼も退屈せずにすんだようだ。

約一名、古い知り合いが、わたしが15年ほども前に付き合っていたボーイフレンドの話をし始めたときには呆気にとられたが、それ以外はみなそれぞれに、とても温かい言葉を贈ってくださり、うれしかった。

途中、「結婚披露パーティー」から「出版記念パーティー」へ切り替える意味を込めて、サリーからカクテルドレスに着替える。わたしはオスカー・ファッション的だと思っていたが、友人らは八代亜紀的だと判断した模様。

パーティーではもちろん、『街の灯』を販売した。ほとんどのゲストが購入してくれ(ほぼ押し売り状態だったが)、本にサインなどしつつ(これは希望者へのみ)、宴は楽しく過ぎていった。

また、パーティーの最中に、知り合いの毎日新聞の記者がインタビューしてくれ、『街の灯』をどこかで取り上げてくれるという。うれしい限りだ。

日本を離れて6年。A男と結婚した今となっては、将来、日本に暮らすことは、多分ないと思われる。一時帰国だって、次はいつになるかわからない。こんな機会がなければ、もう、一生会うことのない人たちがほとんどたったかもしれない。そう考えると、ひどく大切なひとときだったように思われる。

 

●9月8日(日)表参道、原宿・竹下通りなどを散策。夜、友人一家と新大久保の焼き肉屋へ

久しぶりの晴れ間。今日は若者の多い街に行きたいというA男のリクエストに応じ、表参道あたりへ行くことにする。ここに来るのは、前回二人で来て以来、やはり3年ぶりだ。新しい建物、ブティック、カフェなどができていて、街が動いているのを感じる。

ふと、長い行列に出くわした。何の行列だろう……と二人で歩きつつ源を辿って行って驚いた。ルイ・ヴィトンのビルだった。ここであれこれと書くのはよすが、ともかく、驚いた。ルイ・ヴィトンのオープン当日(前週)に列が出来ていたのは、ニュースで知っていたが、未だに行列が出来ているとは……。

A男もわたしも、なんだか訳がわからなくなる。少なくとも、束の間の旅行者には、この国がどう不景気なのかを推察することは不可能なようだ。

表参道にウエディング関連のビルが新しく出来ていたので入ってみた。ここもまた、不景気とは無縁の雰囲気に包まれている。そんなことより驚かされたのは、そこで働いていた人たちの接客風景。

自動ドアが開くなり、左右随所に屹立した容姿端麗な若い女性が、次々に、

「いらっしゃいませ〜」「いらっしゃいませ〜」「いらっしゃいませ〜」

と、連呼するのだ。山びこかと思うよ。

声の高さもトーンも、おじぎの角度も皆一定(30度くらいか?)で、もう、機械みたいで、正直言って、恐かった。

日本じゃ、「いらっしゃいませ〜」と言われても、お客は無視するのが一般的だ。しかし、日本以外の国で、一方的な挨拶で終わるという国を、わたしは知らない。少なくとも私とA男が知る限りでは日本だけだ。

わたしはすぐに、その日本の感覚を取り戻したが、A男は挨拶されっぱなしというのがどうにも気持ち悪いらしい。「いらっしゃいませ〜」と言われるたびに

「コンニチハ〜」「ドウモ〜」と返事をするなど、愛嬌たっぷりの異邦人と化していた。

その後、恐いもの見たさで竹下通りの喧騒に突入する。その日は暑かったにも関わらず、もんのすごいフリルフリフリのファッションで歩いている女の子たちがたくさんいて、楽しかった。今はああいう、昔の少女漫画の国籍不明な主人公みたいなフリフリ・ファッションが流行っているのね。

A男も、平時にも関わらず、ハロウィーンの仮装を彷彿とさせる人並みに、驚きつつも大喜び。奇天烈なファッションの女性を見つけるたび、お互いに、「あっち見て!」「うわ、こっちも!」と大騒ぎ。すっかり体力を消耗してしまった。

その後、大混雑のスヌーピー専門店で友人の子供たちへのプレゼントを購入したあとランチ。A男はどのレストランが何の料理かわからないから、店の前を通過するたびに、概要を説明せねばならないのが面倒だ。「牛タンと麦トロ飯」の店を通ったとき、初日の牛タンを思い出したのか、その店がいいと主張。昼間から、お気に入りとなった生ビールで乾杯し、牛タンと麦トロ飯定食を食す。

夜は、新大久保に住んでいる友人一家、カマーゴファミリーと夕食。職安通り周辺が、韓国レストランや食料品店でいっぱいになっていて、以前とは様子がずいぶん変わっているのに驚いた。おいしい焼き肉をごちそうになり、幸せな夜だった。

ところでここ数日のうちに、A男はすっかり相撲ファンになっていた。毎晩、ホテルに戻るとテレビを付け、バイリンガル放送の相撲中継を真剣に見ている。

「ねえ、美穂、今、横綱は何人いるか知ってる?」

「……知らない」

「じゃあ、相撲レスラーのランクは、いくつあるか知ってる?」

「……知らない」

「美穂は、日本人の癖に、相撲のことは何もしらないんだねえ」

にわか相撲ファンは得意気に、最近得たばかりの知識を披露しては、わたしの無知を嘲笑する。

「僕はね、今、ヨコヅナ・タカノハナを応援してるんだ。タカノハナは太ってるけど、ハンサムだよね」

「それにしても、ムシャリマスは太ってるよね〜。280キロもあるんだってよ。それに。毛深いねえ。肌も黒いけど、乳首も黒いねえ〜」

ムシャリマス……? どうやら武蔵丸のことを言っているようだ。それはそうと、人の毛深さや肌の色を、とやかく言えないと思うんだけどね。なにを見てるんだか……。

 

●9月9日(月)東京最終日。取材を受け、友人と会い、夜は友人カップルと居酒屋へ

いよいよ東京滞在も今日で最後だ。東京を離れる前に、もう一度ポプラ社に立ち寄り、社長にも挨拶をしたかったのだが、何でも緊急事態が起こり、社員みな取り込み中となってしまったらしく、訪問が不可能となった。この次に帰国するのはいつになるかわからないので、もう一度編集部には挨拶をしておきたかったのだが、仕方ない。

午後は渋谷にあるJAL関連の制作会社、ウインズ出版へ。東京時代の友人(ライター)の篠藤ゆりさんが一部記事を書いている「JALファミリーレター」冬号の国際結婚カップルの記事に、わたしたちを紹介してくれるという。たまたま担当の女性Y女史とは、別の仕事でメールのやりとりをしたことがあった。Y女史からは篠藤さんとは別に、やはり「JALファミリーレター」の書評欄に『街の灯』を取り上げて下さるという話をいただいていた。

偶然、同じ冊子に取り上げていただけることになったため、篠藤さんと待ち合わせして、一緒にウインズ出版を訪れた次第。挨拶などをすませたあと、取材を兼ねてランチへ出る。わたしが篠藤さんから取材を受けている間、A男はY女史と話していた。彼女は英国に留学していた経験があり英語が話せるので、A男も会話が楽しめてうれしかったようだ。

その後、Y女史と別れ、3人で今度は渋谷のホテルへ。パーティーの日に韓国へコンサートツアーに出ていて来られなかったミュージシャン、朴保(パクポー)が会いに来てくれるのだ。彼は、この秋公開予定の日韓合作映画「夜を賭けて」の音楽を担当している。お祝いに、映画で使った曲が収められたCD「いつの日にかきっと」をくれた。わたしも『街の灯』をプレゼントした。

ちなみに「夜を賭けて」の監督は金守珍(きむ・すじん)氏。新宿梁山泊の演出をしている人物で、数年前、ニューヨークのジャパンソサエティで公演したときに、彼らと再会した。金守珍氏は、7日のパーティーの日、超多忙にも関わらず、仕事の合間を縫って一瞬顔を出してくれ、お祝いを残して去っていった。友人と呼べるほど親しいわけではなく、何度か顔を合わせ、話をした程度の「知り合い」にも関わらず、わざわざ足を運んでくれた。なんと義理堅い方だろうと、強く心を打たれた。とてもうれしかった。

わたしは「夜を賭けて」の原作(梁石日著)を7年ほど前に読んだきりだが、ぜひこの映画を観たいと思っている。興味のある方はぜひ、こちらのサイトをご覧いただき、劇場に見に行っていただければと思う。

http://www.yoruwo-kakete.com/staff.html

ところで、時を同じくして、篠藤ゆりさんも自著を出版していた。「旅する胃袋」(アートン刊)というエッセイ集だ。彼女とも本を交換しあった。

夜はA男がフィラデルフィアのMBAに通っていた頃の日本人クラスメートY君とその妻I子さんの4人で、九段下の居酒屋に行く。彼らはわたしたちのために、よさそうな店をリサーチしておいてくれた。

九段南にある「酒亭・田むら」という店。民芸調のインテリアが外国人客の興味をそそる。天狗の面や達磨、張り子の虎などが飾られていて、A男が「これはなに?」「あれはなに?」と質問攻撃を開始する。

ここは、料理もとてもよかった。刺身はとても新鮮だし、焼き物、煮物、いずれも素材もよく、味付けもいい。エビスの生ビールもおいしい。しかも、テーブルが仕切られていて、ここ数日、苦しめられていたタバコの煙も漂って来ず、とてもいい気分だった。I子さんは妊娠中だから、尚更空気のきれいな店でよかった。

A男は自分の友達と英語で心おきなく話せるのがずいぶんとうれしかったようで、終始ご機嫌だった。

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というわけで、東京編は以上です。次回は、京都・下関編と続きます。それでは、また。

 


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