坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ
Vol. 73 6/1/2002
日本はワールドカップに沸き返っていることだと思います。 今日は土曜日。小鳥のさえずりで、のんびりと9時過ぎに目を覚ましました。最近我が家で流行のベリーベリージュース(ブルーベリー、ラズベリー、ストロベリーをオレンジジュースやヨーグルト、もしくは牛乳でブレンドしたジュース)を飲みつつ、A男がなぜか会社からもらってきた大量のベーグルのうち一つずつをトーストし、朝食を終えたところです。 カテドラルの鐘の音を聞きながら、窓辺のミニバラを眺めつつ、先月購入したばかりのかわいらしいiMacに向かっているところです。iMacは予想以上に使い心地がいいコンピュータで、気に入っています。鏡餅を思わせる本体の上に薄いモニターがついていて、画面を上下左右に動かせます。コンピュータの作業を一段落してプリントアウトをしたものを読むときなど、画面をずらすとスペースが空いていい感じです。何かと便利です。 前回、コンピュータを購入してからわずか4年のうちに、気付かぬところでテクノロジーは大いに進歩していたのだなあと驚かされます。日本の場合はコンピュータに限らず、あらゆる電化製品が日々変化していますよね。ときどきこちらで、「日経トレンディ」などの雑誌を通してそういう情報を目にすると、そのすさまじい勢いにクラクラします。
●緑に、花に、抱かれる日々。そして今はバラの季節 DC生活を始めて以来、丸4カ月が過ぎた。2月ごろはまだ寒く、緑もなく、何を思うこともなかったが、サクラが咲き始め、新緑が芽生え始めた頃から、俄然、この街に愛着が沸くようになった。 サクラが散ってからも、チューリップ、ツツジ、ショウブ、ハナミズキ、パンジー、その他さまざまな花が、近所の家々の庭に、カテドラルの庭園に、街路に咲き乱れ、本当に心を和ませてくれる。 マンハッタンにいたころは、セントラルパークが自然に触れ合える大切な場所で、わたしは時折、足を運んでいたけれど、この近所は周辺がすべて公園のように、一歩外を出た途端、緑でいっぱいなのだ。 春を彩るサクラの花にも心を奪われたが、今、わたしが関心を寄せているのはバラの花。家々の庭先のバラ、壁に伝うバラ、そしてカテドラルの隣にあるビショップ・ガーデンのバラ……。サクラに引き続き、今までの人生で、わたしはこんなにもたくさんのバラを見たことはなかった。 ビショップ・ガーデンの小さなバラ園には、色とりどりの、さまざまな種類のバラが花を付け、天に向かって元気よく花を咲かせている。芝生や木々やその他さまざまな緑の、青く爽やかな匂いと、バラの花の甘くかぐわしい匂いとが入り交じり、何とも言えず心地いいものだ。 バラの花が大好きな母に写真を見せようと、一つ一つを丁寧に見ながらデジタルカメラで撮影する。わたしの手のひらよりも大きい、大輪の花もたくさんある。一本の茎から五つも六つも花が咲き、天然のブーケのようなバラもある。 あいにくバラの種類には詳しくないから、ただあれこれと眺めるだけなのだが、こんなにもさまざまな種類があったのかと驚かされるばかりだ。 先週は、ジョギングを兼ねて、ジョージタウンにあるダンバートン・オークスの庭園に行ってきた。ここもまたバラが満開ですばらしかった。ここへはすでに4回ほど足を運んでいるのだが、行くたびに違った花が咲いていて、行くたびごとに魅力的な表情を見せてくれる。 ダンバートン・オークスについては「Vol. 70」にも書いたけれど、改めてホームページで紹介している概要を引用する。 ------------------------------------------------------- ジョージタウンの一画に広がるダンバートン・オークス。1920年、かつてアルゼンチン大使だったブリス夫妻が53エーカーもの土地を買い取り、約20年かけて邸宅と庭園を完成させた。夫人はフランス、イギリス、イタリアの伝統的な庭園の要素を取り入れながら、オリジナリティあふれるアメリカンスタイルの庭園を創造したかったという。春、夏、秋と、それぞれに季節の花々を目にすることができる、心やすまるすばらしい庭園だ。 DUMBARTON OAKS GARDENS R and 31st st. NW, Washington, DC. 202-339-6401 3/15-10/31 2:00pm-6:00pm ($5) 11/1-3/14 2:00pm-5:00pm(Free) ------------------------------------------------------- わたしもA男も、庭園に入り、バラ園に足を踏み込んだ途端に「わあーっ」と声を上げた。色とりどりの、バラが一面に、それはもう見事に、咲いているのだ。わたしたちよりも遙かに背の高いバラもある。一つ一つを眺めつつ、匂いを嗅ぎつつ、ゆっくりと歩いて回る。 わたしもA男も、こんなにたくさんのバラを一度に見るのは初めてのことだったから、ことさら印象的だった。花びらの形はもちろん、厚さや柔らかさ、感触もそれぞれに違う。香りもそれぞれに違う。わたしは白いバラの、爽やかな匂いが気に入った。 それにしても、バラの花がどれも「笑っている」ように見えたのは驚きだった。切り花として売られているバラとはまったく違う、「優雅な花」というよりは、ひまわりにも似た「元気のよい花」に見えたのだ。 いくら言葉を尽くしても、その美しさは表現できない。ホームページの「ワシントンDC風景」のコーナーに写真をたっぷり載せているので、美しさの欠片をご覧ください。 http://www.museny.com/musehome.htm おまけの話。同じく「Vol. 70」で、Old fashioned Bleeding Heartと呼ばれる花の話を書いた。 --------------------- Bleeding Heartを直訳すれば「血を流す心臓」。キリスト教世界を彷彿とさせる名前が印象的だ。それは小さな草花で、スズランのように、小さな赤い花が茎からいくつも下がっているのだが、一つ一つをよく見ると、ハートの形をしていて、下の方からやはり赤い花弁が飛び出している。その形状が本当に、心臓から血が流れ出しているように見えるのだ。 --------------------- 先日、この間、読売新聞衛星版の読者投稿欄を見ていたら、見覚えのある花の写真があった。キャプションには「鯛釣草(たいつりそう)」とあるのを見て笑った。Old fashioned Bleeding Heartと同じ花だったから。 同じ花でも日米(もしくは日欧?)で、こんなにも呼び方が違うのかと思うとおかしくて。開花している姿が釣り竿に下がった鯛に似てるから鯛釣草らしい。なんと食い意地の張った名前だこと! わたしは日本で一度も見たことがなかったから、てっきり「洋物」の花だと思っていたけど、鯛釣草と聞くといきなり和物っぽい。 ちなみに原産は中国で、ケシ科の花らしい。正式名は「華鬘草(けまんそう)」。花の形が仏殿にかける飾りの華鬘に似ているのでこの名があるとか。写真を見たい方はこちらへ。 http://www.museny.com/image/dctravel/georgetown/tudor-heart.jpg 夕べは、部屋に飾っていたバラがしおれかけていたので、それが枯れてしまう前に花びらをちぎり、湯船に浮かべて優雅なバスタイムを楽しんだ。バラのほのかな香りに包まれて、まるで姫のような気分である。 でも、風呂上がりに花びらを後かたづけするのがちょっと面倒だった。姫気分、台無し。
●日本大使館で開かれた日米協会主催のパーティーへ行った ワシントンDCには日米協会という組織がある。まだわたしも詳しくは知らないのだが、日米交流のためのさまざまなイベントや活動を行っているらしい。教育関連のプログラムもあり、ボランティアを募って現地の小学校を巡り、子供たちに日本の文化を伝えたりもしているという。わたしも近々、時間の余裕を作って、そのようなプログラムに参加したいと思っている。 さて、先々週の21日、DCで働く日本人と他国人の交流のためのパーティーの案内が届いたので出かけてきた。場所は日本大使館。大使館の中に入ってみたかったので、うれしい。 日本大使館はうちから南東方向へ、マサチューセッツ・アベニューを下っていったところにある。バスが走っているが、徒歩20分程度なので散歩を兼ねて歩く。 6時頃、夕暮れの街は空気も澄み渡りとても心地よい。ただ、いつもよりポリスのパトロールカーが多かった。というのも、5月20日前後、アメリカではテロ関連の報道が再燃していたせいだ。 目立って報道されていたのは、9/11以前にブッシュはテロリストから情報を得ていた云々。でも、これって、テロの直後、巷ではすでに噂になっていたことで、わたしは当然周知の事実だと思っていた。 それに加え、政府が次なるテロの可能性を示唆し、マンハッタンのブルックリンブリッジや自由の女神などが標的になる恐れあり、という話が出た。その一方で、FBIは、 「いつ、どこでかはわからないけれど、アメリカでもイスラエルと同様の自爆テロのようなものが起こるだろう。そしてそれは、inevitable(避けられない、不可避)である」といった、漠然としたコメントを明確に発表している。 チェイニー副大統領もまた、テロ発生の可能性をalmost certain(ほぼ確実)としながらも、それが「明日なのか来週なのか、来年なのかわからない」となぞめいたコメントを発表。天災の予測よりも漠然として、気を付けろと言われても気を付けようがない。単に「警告したからな」という既成事実のための警告にすぎない気もする。あとでいろいろ言われないように。 そんな最中での大使館でのパーティーだったから中止になるだろうかとも思ったけれど、入り口での手荷物検査や金属探知器検査があったものの、物々しい雰囲気もなく、和やかにパーティーは開かれていた。 日本大使館は、オフィスのある建物と迎賓館的な建物とが左右に二つ並んでいる。パーティーが行われるのは迎賓館の方。天井の高いバンケットルームが二つあり、一つの部屋には大きなテーブルに日本料理がたっぷりと用意されている。もちろんワインやビールなどの飲み物もある。 バンケットルームからは広々としたバルコニーにも出られ、緑の森を見下ろせる。なかなかに雰囲気のいい場所だ。
この日もまた、結構たくさんの人たちに出会った。主には日本人と話すことが多かったが、日本で仕事をしていたアメリカ人や日本生まれの日本育ち、日本語ペラペラのアメリカ人たちとも言葉を交わした。 ある日本人女性はヴァージニアの小学校で教鞭を執っている。彼女の勤める小学校が福岡の赤坂小学校と姉妹校らしく、毎夏、交換ホームステイプログラムを実施しているとか。彼女も近々、子供たち数十名を連れて福岡へ行くのだという。わたしもそういう小学校に行きたかったとうらやましく思う。 夫婦共に弁護士で、日本の弁護士オフィスから一年留学、一年実地研修を兼ねて渡米しているというカップルもいた。子供連れで二年間の滞在予定らしい。 米大手航空会社のフライトアテンダントをしている日本人女性は、子供が三人いるらしいが、さらに日本の大学生をホームステイさせていて、その女性も伴ってパーティーに来ていた。 わたしは20歳のとき、初めて渡米した折、ロス郊外の家庭にホームステイをさせてもらい、貴重な経験をした。観光旅行では決して得ることのできない体験は、今でも忘れられない。わたし自身も、いつか大きな家に引っ越して、ホームステイの子供や学生たちを受け入れたいものだと思う。 ワシントンDC周辺でコミュニティ誌を発行している編集長(女性)にも会う。夫婦で出版や広告関係の仕事をしているとかで、彼女もまた三人の子供がいる。 ほかにも、政府機関で働く人、大学で研究する人、さまざま出会ったが、今回もまたもやニューヨークとの違いをまざまざと感じて、妙な気分だった。決め手となったのは「お子さんはいらっしゃるんですか?」という質問。 今まで、聞かれたこともない質問だったから、新鮮だった。DCはマンハッタンに比べると、「きちんと家庭を持っている」日本人が多いと感じる。ごく一部を見た上でそういうのもはばかられるが、みんな地に足が着いているなあと思う。 その一方で、マンハッタンの友人たちのような「熱さ」はなく、比較的淡々と、しかし着実にキャリアを積んでいる、という印象の女性が多い。それはそれでわたしにしてみると、とても刺激的だった。 わたしのような仕事をしてきた人はあまりいないから、自分のことを話すと、それなりに感嘆される。いつも「muse new york」は持参して、自己紹介のときに渡しているから。でも、「夫の勤務先がこちらだったので、ニューヨークを離れた」と要点だけ言うと、やや意外そうな顔をされる。自分でも話しながら「意外だな」と思う。 何人かから、「DCでもこんな本を発行しないんですか?」と尋ねられ、心の奥にくすぶっている火が燃え上がった。 今のわたしは、あれこれとやりたいことが胸の奥で渦巻いていて、それをどれからどう手を付けていけばいいのか、結構、逡巡している。すでに動き始めているプロジェクトもあるが、それが本当に、自分にとっていい方向か否かは、まだわからない。 見知らぬ人に会い、人から突っ込まれると、違った刺激を与えられ、自分を見直す機会になり、いいものだと痛感した。 閉会は8時だったけれども、みななかなか帰らずに、結局8時半頃までいたと思う。 みな話し足りなかった様子だった。 というわけで、来週の金曜日はうちでパーティーを開くことにした。マンハッタンにいたころは、会社設立当初、半年に一度の割合でパーティーを開いていた。特に目的なく、交流の場を設けるために。 毎回、3、40人の友人知人が集まり、食べたり飲んだり喋ったりでそれなりに楽しかった。パーティーに来た人同士で親しくなったり仕事に結びついたりしていたようで、それはそれでよかったのだが、「muse new york」を発行し始めたころから時間的、精神的な余裕がなく、そのような場を設けることもなかった。 これからはしばらく、この街に住むことになるのだから、新しいネットワーク作りに自ら動き出さねば、と思い始めているところだ。 ところで、この会合は、日本大使館により、場所と食事、飲み物が無料で提供された。このように、在米邦人と他国人との交流のために、場を提供していただくのは非常にありがたいことだと思う。 本当は加藤大使にも参加していただき、お話する機会があれば幸運だったのだが、あいにく大使館関係の人とはお話しする機会がなかった。 折しも中国の領事館の亡命騒ぎまっただ中だったから、やな方向に話が傾く可能性もあったけれど。何かと評判の悪い外務省、大使館、領事館関係。悪い噂はたっぷりあるが、今回は「よかった話」で締めくくりたい。 |