坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 68 3/15/2002

 


昨日、数日ぶりに歩いて近所まで買い物に出かけたら、あちこちに春が散らばっていました。

名前はわからないけれど、梅のような花を付けた木や、モクレン、スイセン、ジンチョウゲに似た低木、そして薄緑色の若葉を小さく付けた木々……。風もすっかり春の匂いがして、足取りが思わず軽くなります。

晴れた日のDCの空は、本当に澄み渡っていてきれいです。毎朝、目を覚ますと、ブラインド越しに空が見えます。アパートメントの屋根と、窓の角度の具合で、その空は直角三角形なのですが、目覚めた瞬間に、抜けるような青い三角が目に飛び込んでくると、とても爽やかな気持ちになります。

ところで来週は、ニューヨークに行きます。1カ月半ぶりのマンハッタンです。3月の上旬、ひどくマンハッタンが恋しくなって、本当は仕事の予定があるときにまとめて遊びにも行こうと思っていたのが、特に仕事の用事がないにも関わらず行くことにしたのです。

ホテルの予約を取って、友人たちとの約束などを取り付けているうちに、いつのまにか平常心に戻っていました。今になって(何も慌てて行くことはなかったかな)などと思ったりもしていますが、行きたいときに気軽に行けばいいのだとも思います。

ところで、9月11日から半年がたちました。9月10日には想像しなかった生活を、今送っています。

 

●ライフスタイルが変わった。「当たり前の生活」がとても心地よい

毎朝、A男が起きるのと同時に、7時ごろ目を覚ます。東に面した、観葉植物をたくさん置いている窓の前に立ち、朝日を浴びながら深呼吸。晴れている日は空がまばゆく、DCの街並みがくっきりと見渡せて気分がいい。

ハーブティーを入れ、コンピュータのスイッチを入れ、身繕いをし、植物に水をやり、A男のお弁当を作り、朝ご飯を食べ、コーヒーを飲むのが8時過ぎ。8時半くらいから9時にかけて、前日の日記をホームページに記す。

9時半あたりからは、もう、自由な時間。すぐにも仕事にとりかかる日もあれば、掃除や洗濯を始めることもある。

外出をしたり、家にいたり、人と会ったりして日中を過ごし、夕方の6時か7時あたりにはキッチンに立ち夕食を作り、9時頃には食事も片づけを終える。夕食の準備の前に、近所をジョギングしたりジムに行くこともある。

夕食後は、お風呂に入り、本を読んだりコンピュータに向かったり、たまにテレビやビデオを見ることもある。そして12時前後にはベッドに入る。

外食やデリバリーが激減し、毎日、健康に心がけた料理を口にしているから体調がいい。しかも早寝早起きのせいか、心身に疲れが溜まらない。土曜日曜は、ゆっくりと、自分たちのやりたいことをして過ごす。

こんな、当たり前とも思える、とても一般的な生活のサイクルを、今、私は社会人になって初めて、体験している。そして、随分と心に余裕が持てるようになった。何より今までと大きく違うのは「熟睡」できること。今までだったら土日はいつも疲れていて、10時過ぎまで寝ていることがあったのに、最近は8時ごろには目が覚める。

これまでの数年間、週末はお互いがフィラデルフィア-ニューヨーク、ワシントンDC-ニューヨークの間を行き来するの習慣になっていたから、週末とはいうものの気分が休まらなかった。

ところが、今は土日をフルに活用できる。土日をゆっくりと過ごせるようになって初めて、今までいかに無駄な時間とエネルギーを要してきたかがよくわかる。

「もう、あんな生活には戻れないよね」

ことあるごとに思い返しては、A男も私も同じことを言う。

ところで、今までは、「文章を書く仕事」=「コンピュータに向かう」という認識のもとに生活をしていたから、どうしても仕事は室内でせざるを得なかった。しかし、資料が必要な書き物でもない限り、紙と鉛筆さえあれば、どこででも書くことが出来るのだ、という超初心に、最近戻り始めている。

無論、今までの仕事-----muse new yorkの制作や、デザインの仕事や、取材のレポートなどに関して-----は、やはり最初からコンピュータに入力せずには効率が悪かったからオフィスワークになっても然るべきだった。

しかし、今、手がけている文章などは、外出先でも何かがひらめけば、思いのままをノートに綴り、後からまとめてコンピュータに入力すればいい。

確かに、コンピュータに入力する方が手書きよりもスピードが速い。しかし、コンピュータの前に座っているよりも、外に出て、頭を活性化させた方が言葉がスラスラと出てくる。ノートを横にして、縦書きで、気に入ったボールペンで、書く。書店のカフェで、ホテルのラウンジで、レストランで、書きたいと思ったときに書く。

ついでに言えば、忘れかけていた漢字に次々に出くわし、こりゃいかんとあとで辞書を引いたりするから、面倒だけれどもいい刺激になる。

つまり、ここ数カ月のうちに、アナログ的な生活に戻りつつあり、それが今の自分に、非常にしっくりときて気分がいい。

そうして、こういう生活を始めると、日本のニュースや日本の友人たちからの電話、メールの内容が、ますます自分の世界からかけ離れたものに感じられてきた。

もともと、日本にいる頃から、東京全体を覆い尽くすような「ああ、忙しい!」という空気が苦手だった。

満員電車も、遅寝遅起きのクリエイティブな人たちの生活も、タバコの煙にまみれたオフィスも、何もかもが、重苦しかった。私だってそこに同化してし、せざるを得なかったのだけれど、でもその渦中にありながら、この状況を自分は決してずっとは続けられないと思っていたし、だからやはり東京を離れたのだと思う。

恒常的に息が詰まっていて、自分がどこに向かっているのか、わからなかったから。

とはいえ、息が詰まっていない今、自分がどこに向かっているのかを明確にわかっているわけではない。偉そうなことを言える立場でもなんでもない。

ただ、ここ最近、特に、日本から届くニュースのいろいろなことに対して「おかしい」という気持ちが、日ごとに強くなってきて、強い違和感を覚えている。

これを日本で読んでいる人は、あるいは不愉快に思うかもしれない。自分が呑気な生活を送っているからこそ言えることだと反感をかうかもしれない。でも、それを承知で書いてみたい。

 

●私は、「忙しい」のか「暇」なのか、それとも「それ以外」なのか。

以前も書いたが、「忙しい」という言葉を口にするのが、私はあまり好きではない。

自分が忙しい状況にあることを、あえて口にしたところで楽になるわけでもなく、むしろ余計に気持ちをささくれだった物にさせるような気がしていたし、「忙しい」と口にすることによって、なすべきことができなかったことへの言い訳をするのは潔しとしない、と感じる気持ちもあったからだ。

とはいえ、今、思うに、東京で仕事をしていた頃の私は確かにいつも時間に追われていて忙しかった。その一方で、フリーランス時代は毎年3カ月の休暇を取って旅をしたりしていたから、総合的に考えれば、余裕ある時間を持っていたとも言える。

ニューヨークで仕事をしていたころは、東京にいたころに比べると、随分と自由な時間が持てたから(通勤や移動の時間が不要)、さほど忙しいという自覚はなかった。

そして今。私は「忙しくない」。もちろん、社員は自分一人とはいえ、会社を運営せねばらなないし、自身の収入も得たいし、やりたい仕事もある。そしてそれらをやっている。しかし、時間の余裕がある。忙しくないし、あくせくもしていない。

さて、そんな自分の状況を表現するとき、私は適切な言葉が思い当たらないことに気が付いた。

例えば友人と電話をする。

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友人「元気? 最近どう? 忙しい?」

私「ううん。マンハッタンにいるときに比べたらもう、断然ゆっくりしてるよ。急ぎの仕事もないし、営業もしてないからね」

友人「じゃあ、暇なんだ」

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ここで私は、答えに窮するのである。そして、気付いたのだ。私自身を含め、大抵の日本人の頭の中には、「忙しい」の対義語として「暇」という言葉が存在しているということを。

そして加えていうならば、「忙しい」にも「暇」という表現そのものに、あまりポジティブな印象がない。

今、私は「忙しくない」。しかし私は「暇ではない」。

やりたいことややるべきことは色々とあって、それはただボーッと空を見ることだったり、木々の新芽をチェックすることだったり、文章を書くことだったり、読書することだったり、ピアノを弾くことだったりするかもしれない。

ミューズ・パブリッシングからの新しい印刷物の企画を考えることかもしれないし、イベントやパーティーの構想を練ることかもしれない。

そしてそれらは、私が生きていく上で、とても大切な「肥料」ともいうべく事柄で、さまざまな経験を通して、血となり肉となっていくわけで、決しておざなりにはできない事柄なのである。

にも関わらず、そんな状況、つまりやりたいことをやる時間を持っているという状況を表現する適切な言葉がないことに気が付いたのだ。

「私、最近、街角で春の兆しを見つけるのに忙しいのよ」

なんてことを言ったら、あほかと思われそうである。マンハッタンを離れて、ちょっとおかしくなったんじゃないかとさえ思われるかもしれない。

「私、最近忙しくてさあ」

「私、最近、暇でさあ」

この二つの表現では本来網羅できない、大切な状況を簡単に表現する言葉が、ない。強いて言えば

「私、最近、時間に余裕があってさあ」

となるだろうか。しかしこれも、今ひとつピンとこない。

無論、「暇」という言葉にはいくつかの意味合いがある。手元の辞書によれば

1. 何もしていないで手が空いている時間。またその状態。忙しくないこと。

2. 休み、休暇

3. 何かをするのに必要な時間

4. 「離縁」「解雇」を和らげていう語

以上4種類の意味が挙げられている。

ちなみに英語で「暇」に相当する言葉はTimeである。つまり3のニュアンスが強い表現になる。しかし、日本人が現在使用する際の「暇」は、1 の状況を表現するのに用いられていることが多いのではなかろうか。

皆が「忙しい」のに自分だけが「暇」なのはよくない。忙しくなければ不安になる。忙しいことこそ充足、みたいな空気が、なきにしも非ずだと思うのだがどうだろう。さらに言えば、

「忙しいから**が出来ない」

「忙しすぎて**するのを忘れてた」

という具合に、「忙しい」という言葉が免罪符になって、それがどういう理由で忙しいかはさておき、言い訳として成り立ってゆく。

もちろん、人によって「忙しい」と感じるレベルが違うから、本当に忙しい人にとって、私の文章は不愉快かもしれない。

例えば、朝起きて子供と夫に弁当を作り、子供を保育園に送りだし、会社に行って仕事をし、夕方、子供を迎えに行き、家に帰ってきて洗濯機を回しながら夕食をつくり、子供たちを寝かせて、ふと気が付けば夜の11時。こういう人の言う「忙しい」は、本当に忙しいんだろうなと思う。

例えば、夫はリストラで解雇され収入がなく職探しに明け暮れ、子供二人の学費を捻出するために自分がパートに出ねばならず、さらには義母の介護もせねばならず、睡眠時間は毎日4時間程度。こういう人も、本当に忙しいんだと思う。

駆け出しの社員で上司に次々と仕事を命じられ、しかし不景気だから文句を言って首を切られるのもイヤだし、辛いけど休日出勤もこなして、たまの休みはひたすら寝るだけ。しかも薄給で貧乏。こういう人も忙しそうだ。

しかし、インターネットでチャットしたり、テレビを延々と見たり、芸能人のゴシップを追ったり、小泉には裏切られたとぼやいたり、夫や同僚の愚痴話に花を咲かせたり……ということに大幅に時間を割いている人でさえも「私は忙しい」と言う。

別に、誰が忙しかろうが、暇だろうが、所詮はどうでもいいことだ。ただ、この趨勢にはひたすらに息が詰まる。そのことを言いたいだけなのだ。

不景気、不景気、不景気、なのに忙しい。新聞のテレビ番組欄を見ていても息が詰まる。なぜだろう。「ひきこもり」だの「宗男」だの「虐待」だの「監禁」だの、憂鬱な文字ばかりが踊っている。

そして人々はそんなニュースの渦に巻き込まれながら、さも忙しそうに見える。

私がただ単に年を重ね、スローになっただけのことなのか? それともアメリカのライフスタイルにすっかりなじんでしまったからか? 私は批判がましいだろうか?

もちろん、私は、自分が現在感じ得る、ある一種の傾向を指摘しているだけであり、皆が皆、そうだとは決して言っていないので、念のため。

断るまでもなく私は日本人だし、これから自分が成す仕事も、やがては日本で開花させようと思っている。だからこそ、アメリカに住んでいても、日本の情報は得るし、一つ一つを気にかけて、無論に日本にいるとき以上に「日本人であること」を意識して生活している。

だから、尚更のこと、年々自分の感覚から遠ざかる風潮に、大いなる違和感を覚えるのだ。情報が蔓延しすぎていて、通気性が悪くて、呼吸困難に陥りそうである。

しばらく日本に帰っていないので、多分、情報が偏ってこんな想像をするに至ったのかもしれない。今年は久しぶりに東京へ行く。自分の目で、東京の空気を見てこようと思う。

ところで、これを書きながら、昔読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出した。よく覚えていないけれど、確か時間についてを書いていたように思う。読み返してみよう。

 

●3月10日の日記から。あの日から半年がたった。未公開映像を見た。

※以下の文章、飲食中の方は、後ほどお読みになることをおすすめします。

明日、3月11日は、9月11日から半年ということで、今夜9時からCBSで特集をやっていた。

たまたま去年の夏以降、FDNY(ニューヨーク市消防署)のドキュメンタリーフィルムを作っていた兄弟がいた。彼らは毎日のようにFDNYのとある分署を訪れ、一人の新入り消防署員の動向を通して、FDNYの素顔を撮影するべくカメラを回していた。

あの日の朝もやはり、二人はカメラを抱えて、消防署員たちと行動を共にしていた。一機目が激突するシーンを捉えた映像が何度かニュースでも流れたが、あれを撮影したのが彼らだ。

彼らはあの日、消防署員に同行し、ワールドトレードセンターの内部に入って撮影をしていた。その未公開フィルムが特集で放映されるという。案内役はロバート・デニーロ。彼はワールドトレードセンターに近いチェルシー地区にレストランを持っているということもあり、選ばれたようだ。

番組は9時から。8時に夕食を終え、1時間ほど新聞などを読み、9時になってテレビの前に座った。

画面に「9/11」という小さな文字が浮かび上がった途端に、なんだか胸が苦しくなり、次第に頭が痛くなりはじめた。

もう半年もたっているし、落ち着いて見られるだろうと思ったのに、5分、10分たつうちに、頭痛は益々ひどくなり、呼吸がしにくくなってきて、何度も深呼吸する。どうしたというのだろう。自分でも過剰反応過ぎるな、と思いつつ、それでも画面を見つめる。

そんな私の様子を見て、A男は、

「美穂、もし泣いたり落ち込んだりするんだったら見ないでよ!」と言う。

「なによ。うるさいねえ、もう!」

と言いつつ、映像を追う。別に泣くつもりも落ち込むつもりもなかったし、平常心で見られると思っていたのだ。

テレビの画面に、一機目が激突するシーンが現れた。あの直後、何度もニュースで見た映像。

"Oh, Shit!  Oh, Shit!!"

消防士が繰り返す、叫びともつぶやきともつかないその言葉が耳に付いて離れない。

画面は、ワールドトレードセンターの北棟1階で、若手消防士たちに作戦を指示する年輩の消防士たちの姿をしばらく映し出していた。

やがて2機目の激突を知り、消防署員たちは困惑と焦りと緊張が入り交じった、なんとも言えない表情を見せている。(何とかせねばならない)と苦心しながら作戦を練る一方で、(手の施しようがない)というやりきれぬ気持ちが、痛いほどに伝わってくる。

そのうち、轟音があたりを包み込み、地鳴りと共に画面は激しくぶれた。人々の叫びにならない叫び。南棟が崩れ落ちた。消防署員も、カメラマンも、砂塵の中を逃げる。カメラマンは時折レンズを指で拭いながら、とにかく状況を映し出そうと懸命だった。

そんな映像を見ているうちに、私の呼吸までもがどんどん苦しくなり、煙たくもないのに咳が出てきて、本当に吐き気がしてきた。

ちなみに、画面は決して露骨な映像を映し出しはしなかった。空から降ってくる人や、傷ついた人や、遺体など。

にも関わらず、いったいどうしたというのだろう。

「A男、私なんだか吐き気がするんだけど、あなた平気? 夕食で悪い物食べたんじゃないよね」

ひょっとすると夕食のエビがあたったのかもしれないと思い、彼に尋ねてみる。

「僕は吐き気はしないけど、さっきからプープーおならが出るんだけど」

「それは言わなくてもわかってる。聞こえてます」

いいように解釈すれば、彼もまた緊張感で腸の動きが活発になっているのかもしれぬ。しかし、彼はそこまで過敏ではないような気もするのだが……。

A男のことはさておき、この激しい頭痛はなんだろう。しかし私はどうしても見ておきたかった。やむなく頭痛薬を取り出して飲むが、やはり頭痛は治まらない。

命からがら逃げ出してきた消防士が、消防署に戻り、水を飲んで、吸い込んだ砂塵を吐き出しているシーンが映し出された。その途端、私の吐き気もピークに達して、トイレに駆け込んだ。で、夕食をほとんど全部、吐いた。

汚い話で失礼。

「私って意外にデリケート」って、薄々勘づいてはいたけれど、ここまでとは思わなかったから、正直なところ驚いた。それからも、ものすごい頭痛が続いて、テレビも見ずに、しばらく書斎のソファーで静かに横たわっていた。そのうち、気分が落ち着いてきた。

当事者でない私でさえ、こんなにも、反応してしまうのだ。家族をなくした人、自分自身が逃げ出してきた人、直接関わりのあった人たちには、たとえ半年後だろうと一年後だろうと、平常心でこの映像を見ることはできないだろう。

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結局、あれは食あたりだったのだろうか? 実は未だによくわからない。頭の中では絶対に大丈夫だと思っていたのに。

もしも身体が映像を見ることを拒絶していたとするならば、私もやはり、相当のショックを受けていたのだろうとも思う。

こんなに、穏やかで、気分よく生活をしていても、ふとした拍子に、世界ががらりと変わる。心持ちが著しく変わる。

世界とは、なんて混沌としているのだろう。結局は、ひとりひとりが、無力な大海に浮かぶ笹舟のようにも思えるし、ノアの箱船を作り上げることが出来る叡智を備えているようにも思える。

人間の力の大きさと小ささの、その両極端を思う。

世の中から、このような「悪い出来事」が、少しでも減ればいいのにと、ただ単純に、そう思う。

ちょっと抽象的だけれど、今日はこのへんで。

 


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