坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 67 3/4/2002

 


3月。DCでの生活も1カ月が過ぎ、生活に動きが出てきました。気候が少しずつ暖かくなるのに伴って、そろそろ私も外に出て、ネットワーク作りを始めようと思っています。

ところで夕べ、マンハッタンの夢を見ました。マンハッタンを舞台にした夢ではなく、マンハッタンそのものが主役の夢で、人間は登場しません。そんな夢を見るのは初めてのことで、目覚めた後、妙な気分でした。

夢の中で、住み慣れたアッパーウエストサイドやブロードウェイの風景が、まるで映画のワンシーンのように流れていました。多分、マンハッタンへの未練がましい気持ちの現れだろうと思います。我ながら、結構、鬱陶しいです。

ところで、このメールマガジンですが、当面は個人のホームページに書いている日記から抜粋して掲載しようと思っています。ホームページをご覧になっている方には重複する内容かもしれませんが、ご了承ください。若干、表現などに手を加え、こちらの方を「ややフォーマル」にしています。

 

●インド人と結婚した日本人の女性とランチ

去年、インドで結婚式を挙げる前、私は少しでも多くの「日本人の視点からのインド情報」得たくて、「インド」「結婚式」をキーワードにサーチエンジンで検索した。その時、妹さんがインドのニューデリーで結婚したという女性のホームページにたどりついた。

彼女のホームページには、妹さんの結婚式の模様がわかりやすく記されていて参考になったので、掲示板にお礼のメッセージを載せた。それ以降、何度か言葉のやりとりを交わした。

妹さんも「ミホ」さんといい、奇しくもワシントンDCで働いているという。いつかお会いしたいと思いつつも、これまではニューヨークとの行き来で多忙だったので実現せずにいた。

ようやく先日、連絡を取り合ってランチをご一緒した。彼女は10年以上、DC近辺に住んでいて、こちらの企業に就職している。このメールマガジンを読んでくれているそうで、A男のことも、少しばかりイメージができるよう。

それぞれの出会いのことや結婚のいきさつなどを話す。初対面ではあるけれど、なんだか伴侶がインド人であると言うだけで、不思議な親近感がわく。ちなみに彼女は私の妹と同じ歳で、彼女のお姉さんと私が同じ歳だった。

実は、彼女と会う前日、今月末に渡米するA男の両親の、我が家での滞在日程について、ちょっともめていた。2週間程度にしてもらおうと決めてたのに、いつのまにか3週間を超えるスケジュールになっていたのだ。

まあ、普段離れているんだから、それくらいいいだろうと思われるかもしれないけれど、でも3週間以上って、かなりの長さ。A男は昼間、会社だからいいけど、私はずっと家で仕事をしているから、あれこれと気を遣うだろうし……。お互いが気持ちよくいられるボリュームが、2週間程度だろうと思ったのだ。

5年前、ニューヨークにA男と二人で住んでた時期にも、彼のお父さんが一人で3週間ほど滞在したことがあった。結構、辛かったのよね。朝からアバのCDをガンガンかけてるし(インド人はアバ好きな人が多いという噂)。それでもマンハッタンには出かける場所が多いからよかったけれど、DC観光はミュージアム好きでもない限り、3週間もかけて観光するほどでもないし……。

そんな話を、ミホさんにしたら、「3週間は短い方です」ときっぱり言われた。彼女の夫の両親は6週間もいたらしい。それも、義母に仕事の予定があったから6週間で帰ったらしいのだが、もしも仕事がなければそれ以上になっていただろうとのこと。

ちなみに彼女の友人の、やはりインド人夫を持つ日本人女性の家の場合は、なんと半年間滞在だったらしい。半年……。それは旅行と言うよりは最早同居で、それなりの住環境が必要ではないかとさえ思える。

そういえば、シンガポール人の夫を持つ知人(ニューヨーク在住)も、夫の両親が4カ月も滞在してびっくりしたと言っていた。

でも、皆、異口同音に言うのは、お母さんが食事を作ってくれたりして、家事の手伝いをしてくれるから、最初懸念しているよりも楽しくやれたということ。特にシンガポール家の場合、義母は3食作ってくれて、お弁当まで持たせてくれて、実の娘みたいにかわいがってくれたとも言っていた。

3週間って、多分、短いのよね。少しばかり反省した。

 

●ワシントンDCでもネットワーク作りを開始。福岡のご近所さんに出会う

2月28日、DCの日米協会が主催する「アジア・ネットワーキング・ナイト」というパーティーに参加した。ビジネス交流会みたいなものだ。

私は読売新聞の衛星版を定期購読しているのだが、それにパーティーへの案内のチラシが折り込まれていた。わずか10ドルの入場料で、誰でも参加できるという。DCに拠点を移して1カ月。そろそろネットワークを作り始めなければと思っていた矢先だったからちょうどよかった。ニューヨークには日本人がたくさんいるから、無差別に日本人を招くような催しは少ないが、ここはDC。日本人が少ない分、誰でも受け入れる感じがいい。

会場はダウンタウンのホテルのボールルーム。A男もアジア人だから行きたいと言うので、夕方、二人して出かけた。

会場では、日米協会やアジア・ソサエティ、その他アジア各国の企業が数社、資料などを配布している。ゲストは約半分が日本人、それ以外はアジア各国プラス白人といったところか。最初に軽くスナックを食し、ワインなどを飲みながら、誰かと知り合いになるべく会場を見渡す。

今日の目的は、ビジネスチャンスを探すというよりは日本人の知り合いができれば、と思っていたので、最初に目があった女性と話をする。

「初めまして。坂田と申します」

「DCは長いんですか?」

名刺を交換しつつ、ありきたりな、差し障りのない会話から始まる。

彼女、仮にS子さんとしておこう。高校を卒業した後、オーストラリアの大学に留学し、その後、ハワイ出身の男性と結婚し、今10歳になる双子の子供を出産、しばらくハワイに住んでいたが、7年前(多分)に渡米し、ワシントンDCに暮らし始めたとか。

「私はニューヨークに先月までいたんですよ。向こうで仕事をしてたんですけど、夫がこちらで仕事をしているので、思い切って移ってきたんです。ニューヨークの前は東京で仕事をしてたんですけどね」

「私は福岡なんですよ」

「えっ? 私も出身は福岡ですよ。 福岡のどちら?」

「粕屋郡です」

「えーっ! そうなの? 私、福岡市よ。香椎!」

「私は粕屋の志免町よ」

「私、香椎高校やったとよ(急に博多弁)、志免から来た友達、いっぱいおったよ」

「うっそー、じゃあ、**先生知っとろう? 私、**先生の娘と友達よ」

「えーっ! 知っとうくさ。私、**先生から英語ならったもん。今考えたらすごい発音やったけど」

「私は福高やったと」

「中学時代、仲良かった友達が福高に行ったよ」

「え、誰?」

「学年が違うかもしれんけん、知らんと思うけど。W田K代っていうと」

「うっそー! 知っとーよー、Kちゃんやろ? もう信じられん。ハンドボール部で一緒やったもん」

「じゃあ、N口N子も知っとーと?」

「知っとー知っとー!」

結局、S子さんと私は同じ歳だった。W田は私が中学時代、一番仲の良かった友達だ。こんなところで、こんな出会いがあるとは。世の中、というか、世界は狭いね。ここは、ワシントンDCのウィンダム・ホテルよ。福岡の西鉄グランドホテルやないとよ。

S子さんとしばらく同窓会のごとく、極めて馴れ馴れしいのりで話をしたあと、何人かの人たちと名刺を交換し、今度、ゆっくりお話ししましょうという人たちにも数人巡り会い、それなりに、収穫のあるパーティーだった。しかし、S子さんとの出会いが濃厚で、他の会話は記憶に薄い。

今後、いろいろな団体や企業が主催するパーティーにはできるだけ顔を出して、早くこの街になじまなければと思っている。

 

●インド家庭料理に挑戦する。失敗は成功のもと……?

DCに暮らしはじめてからというもの食生活が一変し、平日は家で料理をするようになった。二人分だと料理をして材料にも無駄が出ず、健康にもいい。今までも、A男と一緒の時は、時々は料理していたけれど、一人の時はついつい外に出たり、出前を取ったり、適当な物を作って済ませていた。

中でも、ここ1カ月のうちで大好評だった一品について、ホームページの「食の記録」から抜粋する。

今月末、A男のお父さん(ロメイシュ)と再婚した女性(ウマ)が一緒にDCに来るのだが、その話をしていたときに、彼曰く、

「美穂、機会があったら、ウマと一緒に料理したら? 美穂が作るのもいいけど……、彼女からインド料理を教わってもいいしね」

とさりげなく要求してきた。

一応、うちにもインド料理の本はある。彼のお姉さん、スジャータが彼が大学進学の際に買い与えた本だ。しかし、以前私は「ニンジンのデザート」作りで泣く思いをした。偉大なる徒労、とでも言おうか。

やっぱり、ニンジンデザートの失敗談を書かなければ、今回の成功の喜びが伝わらないから、長くなるけど、これをはじめに紹介しよう。

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(1月上旬のある日の出来事)

すべては先日、スーパーマーケットでニンジンを買ったときに始まった。

「1袋お買いあげの方に、もう1袋無料」とある。ニンジンばっかりそんなに要らないから半額にしてくれればいいのに、と思いつつ、2袋をカートに入れる。

そして夕べ。

「私、明後日ニューヨークに帰るけど、あのニンジンの残り、どうしようか」

とつぶやく私にA男がハッと思いついたように言った。

「僕の大好物の"*&#$@*&%"作ってよ! 冬のおいしいデザートなんだよ」

「な、なに?」

「"*&#$@*&%"だよ。インドのデザート。スジャータがくれた料理の本に作り方がのってるはずなんだけど……。

そう言いながら本棚に向かい、作り方を発見した彼はうれしげに私に示す。

その名もGAJAR-KA-HALVA。レシピを見てみるに、確かにニンジンを大量に使っている。しかし……こんなもんが本当においしいのか?

見たところ、あり合わせの材料で作れそうである。どんなものか興味もあったので、今日作ってみることにした。しかし、食べたことも見たこともないものをレシピだけで作るというのは、心もとないものである。

大量のニンジンを、すり下ろす代わりにミキサーで粉砕。それに牛乳とカンダモン(スパイス)を加え、厚手の鍋で煮ること約30分。水気が飛ぶまで煮るらしいが、焦げ付かせるとまずいので、鍋のそばに立っていなければならないのがどうにも時間の無駄。

文庫本を片手に読みながら鍋の中をかき混ぜる。時折、屈伸や股上げなどエクササイズをしたりもする。

ニンジン牛乳に水気がなくなったら、植物油を加え、さらに炒める。本には、「ニンジン牛乳が赤茶色くなるまで30分ほど炒める」とあるが、30分たってもちっとも「赤茶色く」ならなくて鮮やかなオレンジ。40分ほど炒めているうちになんだかパサパサになってきたので、こりゃいかん、と火をとめ、最後の仕上げに砂糖とレーズン、アーモンドを加え、いちおう完成。でも、赤茶色にはならなかった。

味見をするも「……」な味。これって、おいしいわけ? これでいいわけ? 本に書いてあるように「とてもニンジンで出来たとは思えない味」っていうのには同意するけど、だからって……ってな味。

A男が帰ってきて、できあがりを見せると

「えーっ 本当に作ってくれたの? うれしい!」

と大感激している。色はオレンジでよかったらしい。喜んでいる彼を見ながら、一抹の不安。喜びすぎるな! これは多分、まずいぞ!

夕食が終わり、そのあやしげなニンジンデザートを供する。ニコニコしながらスプーンを口に運んだA男……。表情固く沈黙。

「こ、これさ、悪くないんだけど……、もっと砂糖がいると思う。もうちょっと甘いんだよ。あと、ちょっとパサパサしすぎてるかな」

まずいならまずいと言え!

そもそも「赤茶色」を目指したのが第一の失敗。第二はデブ防止のため砂糖をやや少な目にしたのもまずかったらしい。でも、その二点を改善したところで、ものすごくおいしくなるとは、はっきり言って思えない。

えらい時間をかけて作った割には大失敗。何やってんだか。今度は同じインド料理でも、食べたことのあるものを作ることに決めた。

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……ということがあったから、インドの家庭料理は避けたかったのだが、一方で「チャレンジ精神」が沸き上がってきて、食べたことがあるものなら挑戦してもいいかなあと思い、作ってみたのだ。我ながら、つくづくチャレンジャー。

まずはチャパティ(ロティともいう)と呼ばれるパンを作る。これは小麦粉を水で練って、クレープ状にして焼くだけの主食。日本ではインドのパンと言えば「ナン」だけど、少なくとも彼の自宅の日常食はチャパティだった。

ナンの方がふっくらしておいしいけど、チャパティの方が簡単だから今日の所は楽な方を選んだ。

チャパティをこね合わせた後、湿った布巾に包んで数時間、寝かせておく。両手を使い、しっかりと全身の体重をかけてこねるから、リズミカルに動けばエクササイズになる。

メインディッシュは「ホウレンソウとラム肉のカレー」。日本のインド料理店では見かけないけれど、ホウレンソウのカレーは一般的なのだ。キューブ状のカッテージチーズ入りというのがベジタリアンの多いインドじゃ定番のよう。

たーっぷりのホウレンソウを茹でて、タマネギ、ショウガ、ニンニクなどをペースト状にしたものとラム肉、それからトマト、ヨーグルトほか各種多彩なスパイスを入れて、煮込む。

こう一気に書くと簡単そうだけど、これが結構、面倒なのだ。こまごまと炒めたり煮たりが必要だし、それぞれに調理の順番もあるし。しかも鍋のそばから離れられないから時間がかかる。

新聞を読みながら混ぜるもんだから、ピチャピチャと鍋の外に飛ばしたりして、エプロンもキッチンも緑のシミだらけ。ならば集中しろと言われそうだが、30分以上も、ただ鍋の中を見つめて混ぜ続けるなんて、余りにも退屈すぎる。

……で、中盤で味見をしたんだけど、青ざめたね。まずくて。

(本の通りに作ったんではまずい! この間のニンジンの二の舞になる!)と気づいた。この料理は何度か食べたことがあるから、好きだった味に近づけようと、あれこれ加えた。スパイスやらミルクやら生クリームやら醤油やらなんやら。

で、しばらく煮込んだら、なかなかいい味が出てるじゃないの! あー、よかった。1時間以上もキッチンで費やして、まずいもんが出来たんじゃ、話にならぬ。付け合わせを作るエネルギーなどもう全然なくて、お得意のジャガイモ・アルミホイル包みをオーブンで焼き、チャパティを平たくのばしてフライパンで焼く。

やがてA男帰宅。ドアを開けるなり

「ンー、オイシソウ!」

匂いはどうやら上出来らしい。

さらにはキッチンの鍋をのぞき

「ワー、オイシソウ!!!」

見た目もどうやら上出来のようだ。

そしていよいよディナータイム。ちょっとばかり、どきどきする。私としては、なかなかいい味だと自負していたのだが、彼がどう思うかわからないし。これって逆に言えばインド人に日本の肉じゃがを作らせるようなものだからね。

嬉々としてチャパティを手でちぎり、カレーをすくって食べるA男。

「おいしい! おいしいよ! 美穂!」

よかった! 味も上出来らしい。心中で拳を握る。

「僕はインド人だからインド料理がやっぱりホッとするよ。毎日こんなのがいいなあ。昨日のブイヤベースよりも100倍おいしいよ!」

100倍とは、これいかに。

気に入っていただけてうれしいわ、でも毎日インド料理を作るのはいやだわ、と複雑な気持ち。

彼はインド人らしく、カレーにヨーグルトを添えながら、それはもうおいしそうに食べる食べる。

「おいしいなあ。なんか心までリラックスするよ。ふるさとの味って感じがする。美穂、ありがとう。これからも、インド料理作ってね」

「……でも、インド料理、時間がかかるし、結構面倒だから、あんまり作りたくないなあ。たまにならいいけど。料理は気分転換程度にとどめないと、多分、続かないと思うのよ。仕事を優先したいし」

「じゃあさ、一度にたくさん作ってよ。ぼく何日か同じものでも大丈夫だからさ。そしたら美穂も手間がかからなくていいでしょ」

確かにそうだけどさ。私は何日もインド料理を食べたくないです。

 


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