坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ
Vol. 62 12/15/2001
今は12月15日土曜日の午後。先週の月曜から金曜までニューヨークで過ごし、また夕べDCに戻ってきました。こんな行ったり来たりの生活も、あと1カ月で終わるかと思うと、ニューヨークを離れる寂しさもあるけれど、正直なところほっとする気分です。 今年は本当に暖冬で、そもそも寒いのが嫌いな私にとっては喜ぶべき状況にも関わらず、然るべき時に然るべき気温でないというのは、なんだか妙に「気持ちが悪い」ものです。 夕べもDCに到着し、ユニオンステーションからタクシーに乗って自宅に向かったのですが、コート、いやジャケットさえ要らないほどの暖かさが心地悪く、運転手に「今年はほんとに暖かいわね」と声をかけると、「いやあ、この暖かさはクレイジーだよ。もう2週間もこんな陽気だからね。身体に悪いったらありゃしない。何しろ、今頃、花を付けてる桜があるんだよ」とのこと。 DC名物の桜が狂い咲きしているようなのです。それにしても、肌の浅黒い南米出身らしきドライバーが、異常気象を好ましく思っていないにせよ、暖かい気候を「身体に悪い」というのも、なんだかおかしいものでした。 肌を刺すような冷たい空気に包まれてこその年末年始気分。年が明けてから急に冷え込むのかもしれません。
●ワシントンDCの新居は、カテドラルの向かいのすてきなアパートメント 先週の土曜(8日)、新居を探しに出かけた。ワシントンDCが誕生する前からあるポトマック河畔のジョージタウンが第一候補だったのだが、気に入った物件が見つからなかったので、ジョージタウンから北へ3キロほどの場所にあるアパートメントに決めた。 ナショナル・カテドラル(大聖堂)のはす向かいにある、丘の上のアパートメントがそれだ。ナショナル・カテドラルは世界でも有数の大きさを誇る美しいゴシック建築の大聖堂で、同時多発テロ被害者の追悼式が行われた場所でもある。 アパートメントの駐車場で、ちょうど車を降りた瞬間、カテドラルの鐘の音が鳴り始めた。その清澄な音色に、たちまち心を奪われた。そしてその刹那、「ここに住みたい!」と思ったのだ。 いくつかの鐘が柔らかに調和しながら鳴り響くその音色は、何とも表現しがたい甘美な感傷を導く。中世の面影を残した欧州の小さな街にいるような心持ちにさせられる。 閑静な住宅が点在するこの界隈には、散策に適した公園があるほか、2キロほど先にはスミソニアンが経営する動物園(入場無料!)がある。以前そこへジャイアントパンダを見にいったという日記を書いたかと思う。 また、アパートメントの向かいにバス停があり、ジョージタウンとデュポンサークルというDCの二大繁華街へのアクセスも便利だ。バスを使わずとも30分ほど歩けば両方の繁華街に到着する。オーガニック専門のスーパーマーケットがすぐ近くにあるのもうれしい。ついでに言えば、DCではおいしい部類に入る日本食レストランが近所に2、3軒あるのもいい。 車で北へ10分ほど走ると、メリーランド州の繁華街であるチェビーチェイスやベセスダという街に出る。ショッピングモールやデパートが立ち並ぶモダンな住宅地だ。 便利なロケーションもさることながら、なにより気に入ったのは、アパートメントそのものだ。70年ほど前に建てられたゴシック風の建築物で、かつてはセレブリティ(著名人)のためのホテル・スイートだった。アパートメントのオフィスには、J.F.ケネディやフランク・シナトラなど、顧客だったセレブリティの写真が飾られている。 その後、この建物はジョージタウン大学に買い取られ、しばらくは「学生寮」として使われていた。その間、建物の管理が行き届かず、すっかり痛んでいたのを、最近になって大手不動産会社が買い取り、建物全体の大改装を行った。そしてこの7月からアパートメントとして一般の人たちが入居できるようになったのだ。 ロビーフロアやサロンなどは、アンティークな欧州情緒を残しながらも、各部屋は近代的な設備が整っていて新品。2ベッドルームだからバスルームも2カ所あり、「朝のラッシュ時」も、ゆっくりと一人ずつ使用できる。大きくて深いバスタブがついているのも願ったりかなったりだ。 以前も書いたが、マンハッタンのアパートメントの場合、洗濯機は各部屋に取り付けられていないから、洗濯のたびにランドリールームまで行かなければならない。しかしDCのアパートメントには、部屋に洗濯機と乾燥機が備え付けられているから、「ながら洗濯」ができて便利だ。 アメリカのアパートメントは多分、どの都市でもそうだと思うが、冷蔵庫(巨大)やオーブン(巨大)、電子レンジ、食器洗浄機(巨大)、コンロ(4つ)、などはあらかじめ備え付けられている。古いアパートメントだと、いくらきれいに掃除されているとはいえ、誰かが使った後の古いものを使用せねばならないが、今回は新築だから、どれも新品で気持ちがいい。 1階にはジムやプール、ビジネスセンターもあるし、春には蝶が舞うというバタフライガーデンもある。しかもマンハッタンの場合、アパートメント内のジムであっても会費を払わなければならないが、DCでは無料で使えるからうれしい。 現在暮らしているマンハッタンのアパートメントに比べると、広さは倍以上だが、家賃は25%増程度。いかにマンハッタンの不動産が高いかがわかる。「この値段でこんな快適な部屋に住めるなんて!」と、かなり感動した。 マンハッタンを離れるのはいやだけれど、住環境を考えると圧倒的にDCの方がいいので、とても前向きな気持ちになった。今は来月の引っ越しが楽しみだ。
●今年もA男の会社のクリスマスパーティーに行って来た。野望燃ゆ 先週の日曜(9日)、A男の会社が主催するベンチャーキャピタル・ファームのクリスマス・パーティーに行って来た。基本的には去年のメールマガジンにも書いたのと同じコンセプトなのだが、開催された場所が去年とは別のボスの自宅だった。 http://museny.com/magmag/mag22.htm アーリントンのマクレーンと呼ばれる住宅地。住宅地といっても、一軒あたりの敷地が何エーカーもあるから、家はぽつんぽつんとしか見えない。木立の中を走り抜け、地図にならって車を走らせる。 周りを木立に囲まれた小高い丘の上に、石造りの家が見えてきた。すでに何十台もの車が周囲に停められている。 家に入った途端、私はもう、その優雅なインテリアに釘付けになった。広大な土地のあるアメリカだから、広い土地や広い家は珍しくない。しかし、いかに洗練されたインテリアに整えるかは、住み手のセンスと個性にかかっている。 モダンで無機質なスタイル、カントリースタイル、ヨーロピアンスタイル、オリエンタルスタイル……と、各々の好みによって感じ方も違うだろうが、そのボスの家は、なんとも私の好みに近い、すばらしいものだった。 建築そのものはチューダースタイルと呼ばれるもの。彼らはギリシャ出身だけあり、欧州のエスプリを随所に生かした、それは完璧に一貫したテイストで調和されたインテリアだった。ライブラリィに置いてある高級インテリア雑誌をぱらぱらとめくったら、この家が十数ページに亘って特集で紹介されており、建築デザイナーのコメントが延々と記されていた。 これだけ自分の世界で統一した家屋を仕上げることができれば、建築デザイナー冥利に尽きるだろうと、感に堪えない気分になる。 1階だけでもやたら広い部屋が7つほどある。しかし広いからといって間延びしているわけではなく、ソファーやテーブル以外の装飾品が随所にほどよくあしらわれ、何とも居心地のいい空間を演出している。各部屋に備えられた大きな暖炉で、ゆらゆらと炎が揺れているさまもいい。 地下にはビリヤード用のルームや小さなシアター、ミーティングルームなどがある。この日はパーティーに参加した人たちが連れてくる子供たち約150名のパーティールームになっていて、ディズニーの映画が上映されていたり、クッキーペインティングや折り紙のコーナーがあったり、「サンタクロースと写真撮影」のコーナーが設けられていたりと、豪勢な幼稚園といった風だった。 2階は二人の娘たちの部屋やゲストルームなどがあるらしい。さすがに見せてもらいはしなかったが、雑誌の写真で見る限りでは、これまた一泊させてくれと言いたいほどに素敵な部屋だった。 だいたい、1階だけでも2メートル以上はあるクリスマスツリーが4、5個もあって、それぞれに趣向を凝らした飾り付けが施されているのだ。「はぁ……。すごい」とため息混じりに感心することしきりである。 詳細を書き連ねるときりがないので省くが、「私もこんなところに住みたい!」という野望が、めらめらと燃え上がった。 広く快適な場所に身を置いていると、頭の中がどんどん活性化する気がする。こぜまーいところでちまちまと考えるよりは、バーンと広いところでダイナミックに考える方がいいよなあ、いやがおうにも創造力が刺激されるよなあ、などと思う。 人によっては「生活感のない家は苦手」という人もいるけれど、私はきれいに整った環境が大好き。部屋が散らかっていると仕事に集中できないけれど、すっきりした場所だと、頭の中がとてもクリアになるし。 すみずみまで気を配られた家具調度品、食器類、絵画、豪華なフラワーアレンジメントなどを眺めつつ、今年は出会った人たちよりも、料理よりも「家そのもの」に心を奪われたパーティーだった。 A男と二人で 「すごかったねえ」 「あんなところに住みたいねえ」 「あそこまで広くなくてもいいけど、半分のサイズでいいから住みたいねえ」 「何年後になると思う?」 「あと20年かな」 「そんなに待てない! 私もがんばって稼ぐから、もっと短縮しようよ」 などと、好き勝手なことを口々に言いつつ、なんだかとても景気がいい気分で帰ってきた。 いろいろな事件があって、「自分にとって大切なのはなんだろう」としみじみ考えることの多かったこの一年。しかし、私の物欲は健在だった。なんと言われようと、この国に住む以上は、お金がないよりあったほうが遙かにいい。少なくとも私とA男はそう思っている。 その夜、私にも増して、家やインテリアに対して敏感で、物欲旺盛な我が母に電話をしたら、案の定、「まあーっ、その家、行ってみたぁ〜い!!」と、大いに関心を寄せていた。来春、家族を日本から招いたときに、連れていきたいくらいだが、A男の上司の家に我が家族を連れて行くのも、変な話だろうな。っていうか迷惑がられるだろうな。 その家が雑誌に紹介されている旨を話したら「その雑誌、欲し〜い! 送って〜!」といわれたので、早速バックナンバーを取り寄せている。今回のところは雑誌で我慢してもらおう。
●我が家にも、ささやかにクリスマスがやって来た 10日月曜日、ニューヨークに戻って来たら、日本から小包が届いていた。日本の両親が送ってくれたものだ。中には、おいしい「寿司用海苔」をはじめ、私が好きなおかきやお煎餅などがたくさん詰め込まれている。親元を離れてかれこれ18年。誕生日やクリスマスなど、一年に何度か送られてくる小包は、いつ受け取っても嬉しいものだ。 今回はクリスマスとあって、お菓子入りの赤いブーツも入っていた。子供の頃から毎年父親が買ってくれていたのが今でも続いているのだ。中高時代、反抗期でろくに両親と口を聞かなかった時期も、やはりもらっていた。 今年は不二家のペコちゃんの絵がついたブーツ。日本のお菓子はパッケージが小ぎれいで、こまごまとしたところまで工夫されていて、久しぶりに見ると本当に感心する。サンタクロースの衣装を着たペコちゃんのマスコットも付いていた。A男にも見せてから一緒に食べようと、一旦開いて、また詰め直した。 父いわく、最近はこのブーツ入りのお菓子が減ったのだとか。いろいろな種類のお菓子類が出回っているし、子供も余り喜ばないのだろう。 今年は引っ越し前だからクリスマスの飾り付けなどもしていないので、このブーツが唯一、部屋にクリスマスの雰囲気を運んでくれるものとなった。
●アントニオ猪木さん、ありがとう! 私も「闘魂」を心に刻み込みました 火曜日、ロサンゼルスに住む友人のRさんからパッケージが届いた。ワクワクしながら封を開けると、力強い筆致で「闘魂 アントニオ猪木」と書かれた色紙が入っていた。その両脇には、前回紹介した小畑さんの名前と彼女へのメッセージも記されている。 Rさんと小畑さん、私は共通の友人。Rさんが猪木さんと面識があることを私たちは知っていたが、それ以上の詳しいことは知らなかった。ところが、ちょうど小畑さんの家に行った日、帰宅してメールをチェックしたらRさんからメッセージが届いており、最近、仕事で猪木さんに会う機会が多いとの旨が記されていた。 Rさんもまた猪木さんの大ファンで、以前から猪木さんをはじめとするプロレスの話はしばしば彼女から聞いていた。以前はフィラデルフィアの公民館(!)へ、小川直也さんの試合にも連れていってもらったこともあった。試合後、公民館の裏で鍛え上げられた身体の小川さん(すごくかっこよかった!)と立ち話をしたことが忘れられない。 というわけで、猪木さんに迷惑がかからないようであれば、小畑さんへのサインを頼めないものだろうかとメールを送ったところ、Rさんは快諾してくれ、サインだけでなく、「元気ですか〜!」に始まる声のメッセージ、トレーニング中の猪木さんの「生写真」も同封して送ってくれたのだ。 サイン入り色紙をしみじみと眺め、椰子の木の下で長い棒(「闘魂棒」と言うらしい)を持ってトレーニングしている姿に見入り、西海岸の海風の音込みのメッセージを何度も聞いた。ファンじゃない私までもが、エネルギーをもらっている気分になった。 翌日、近所の額縁屋に色紙を持っていき、ちょうどいいフレームを作ってもらった。家宝になること間違いなしやね。そして木曜日。小畑さんと、もう一人の友人M子を招いての鍋パーティーの日に渡すことにした。 何でも小畑さんは数日前に風邪気味になり、白血球が下がっていることから数日入院していたらしいのだが、検査の結果、がんの病状自体は好転しているようで、ドクターから「小さくなることはない」と言われていた肝臓部に転移していた大きめのがんが、早くも半分ほどの大きさになっていたという。 我が家を訪れた彼女は、顔色もよく、元気そう。サーモンやエビを入れた「海鮮鍋」を皆でおいしく食べたあと、いよいよプレゼントの時間。 猪木さんの声に、サインに、写真に、彼女はもう、大感激。 「今、がん細胞が一気に消えた気がする!」 「もう、ものすごーく力が湧いてきた!」 と、しばらく興奮状態で、私もM子も、とてもうれしい気持ちで彼女を見守った。 「私はね、小学5年生のときからもう、ずーっと猪木さんのファンなのよ!」 と、まあ、正直言って、普段であれば周囲がひいてしまいそうな盛り上がりようだったが、状況が状況だけに、「よかったよかった」という気持ちでいっぱいだった。 アントニオ猪木さんとRさんに、心から感謝する。 たとえ間接的にでも、こうやって、ものすごいパワーで人を力づけたり励ましたりすることのできる人というのは、本当に偉大だなあと痛感させられた出来事だった。 |