ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 6 10/06/2000

 


取材を終え、原稿を整理して、一段落。今、夕方の5時過ぎです。SAMUEL ADAMSというボストン産のビールの季節限定「OCTOBER FEST」というのを、飲んでます。SAMUEL ADAMSのビールはこくがあってとてもおいしいので、アメリカにいらした際にはぜひお試しください。ちなみに、この間、コリアンスーパーマーケットで買ったスルメが肴です。

ワシントンDCで仕事をしていると、なぜか一日が長く感じられます。マンハッタンは、たとえ同じようにオフィスにこもって仕事をしていても、何となく時間の流れが早くて、気ぜわしいものです。でも、東京で仕事をしていた頃の方が、更に時間の流れ方が早く感じられたような気がします。何しろ、東京は街そのものが大きいから、移動に時間がかかりますよね。地下鉄の乗り継ぎや通勤に割く時間がとても長かったように思います。その点、マンハッタンは小さくて細長い島ですから、移動時間は非常に短くてすみます。

私は歩くことが好きなので、打ち合わせや取材の際は、少し早めにオフィスを出て歩きます。マンハッタンは碁盤の目状に街が形成されているので、ストリート(丁目)とアヴェニュー(番街)を数えれば、だいたいの所要時間がわかるのも、歩きやすい理由かもしれません。栄枯盛衰が激しいマンハッタンにあって、街の様子を眺めつつ歩くのは、いい刺激にもなります。新しくできたブティックに立ち寄ったり、レストランの軒先に出ているメニューを眺めたり……。アメリカの食生活はどうしても高カロリーになりがちですから、せめてそれくらい歩かないとカロリーを消費しきれない、という理由もあります。

1週間に一回程度を目途に発行しようと思っていたこのメールマガジンは、個人的な盛り上がりにより、ほぼ日刊状態になっております。誰かが確実に読んでくれていると思うと、毎日、書きたいことが脳裏に浮かんできます。それはそれで、なすがままに進めて行こうと思います。

今日は、いただいたメールを多めにご紹介しています。

 

★恐るべし、チャット。

今朝、クリーニング店に行った。アメリカのクリーニング店の大半はコリアンによって経営されている。その店も例に漏れず、受付には40代半ばとおぼしき女性が店番をしていた。伝票を切りながら、彼女が話しかけてくる。

 

「あなたはどこから来たの?」 

<4年前、日本から来たの> 

「日本のどこ? トウキョウ?」 

<韓国の近くの福岡よ。知ってる?> 

「フクオカ? あら、私行ったことがあるわよ。別れた夫がフクオカ出身だった

のよ。フクオカのどこ?」

 <市内の東区というところ> 

「ヒガシク? 偶然ね。私の夫もヒガシク出身だったの。あのあたりはたくさん団地があるわよね」 

<旦那さんは日本人だったの?> 

「お父さんがコリアンで、お母さんが日本人。彼が韓国に遊びに来てたときに知り合って、結婚したの。しばらくは2人で韓国に住んでいて、それから2人でこっちに来て……。子供は娘が3人いるわ。12、11、10歳の年子なの」 

<まあ、女の子3人なの。ずいぶん賑やかでしょうね> 

「ええ。夫とはいろいろあったけれど、娘たちがいてくれるから……。ねえ、あなた、インターネットのチャットって知ってるでしょ? あの、リアルタイムで会話する……。夫はね、4年前にチャットで、日本に住んでいる日本人女性と知り合ったの。彼女は離婚したばっかりで、子供もいたんだけれどね。夫と彼女はチャットで親しくなったらしくて。ある日突然、夫から、離婚してほしいと言われたのよ。彼女と結婚したいからって。本当に私びっくりしちゃって。結局、私たちは離婚して、その彼女は日本から子供を連れて来たの。今、彼らは一緒に暮らしてるわ」 

<まあ…。随分たいへんだったのね> 

「夫は2週間に一度、うちに来て娘たちに会ってるけれど、私はこうして店に出て、絶対に彼には会わないの」 

<わかるわ、その気持ち> 

「最近になって、夫は私に悪かったって謝るんだけど、もう何もかも取り返しがつかない。手遅れなのよね。本当に……」 

<……少なくとも、お嬢さんたちがいて、よかったわね。きっとあなたのことをとてもよく理解しているんだろうし> 

「ええ。本当に。それにしても、私はインターネットって、嫌いだわ」

彼女は極めてにこやかに、からっと身の上話をしてくれたのだが、きっとすさまじい修羅場があったのだろうな。福岡市東区出身の元夫も、やってくれるやないね! という感じ。それにしても、朝から、かなり重たい会話だった。

 

●Comment. 5 (A.Mさん)

私は現在カナダのトロントに在住しています。ワークングホリデーでカナダに来て、もうすぐ1年になります。現在、ツアーガイドという仕事をしておりますが、これはシーズンもので、10月末になると終了するということです。私の家の大家サンの妹さんがNYに在住していて、彼女とご主人はお医者さんだそうです。ご夫婦には3歳になる女の子がいるのですが、ご夫婦とも忙しく夕方の2時間だけ、11月からベビーシッターを探しているらしいのです。アメリカは(カナダもですけど)子供の人権が守られている国ですよね。

その国で、ベビーシッターをして何かあったらと思うのですが、NYでのベビーシッター状況っていうのは、どういうものなんでしょうか? やはりベビーシッターに絡んだ裁判とかたくさんあるのでしょうか? それから、やはり簡単に訴えられてしまったりするのでしょうか? 私がもし、NYへ行くとしたら一緒の家に住む形になるのですが、場所がブロンクスなのです。ブロンクスは、危ない!とよく聞くのですが、Rhinelander Avenue,Bronxというあたりに住んでいるそうです。ご存知ですか? 早く決断しないとならないのですが、場所が場所なだけに決め兼ねているのです。何か情報があったら教えていただけないでしょうか?(一部抜粋)

>>このような質問は、確かに観光に関する質問ではありませんが、お返事するのに窮する内容です。でも、なんだか切羽詰まっていらっしゃるようなので、ちょっと考えてみます。

まず、ベビーシッターについてですが、A.Mさんは、ご自分がベビーシッターをするべきかどうか、悩んでいらっしゃるのですよね。確かにアメリカは訴訟の国ですから、何かトラブルを起こせば訴えられる可能性は日本よりかなり高いです。ベビーシッターについての訴訟のニュースも耳にしたことがあります。しかし、それは幼児を虐待していたという事実があったからで、訴訟されて当然の事件でした。

マンハッタンは夫婦共働きの家庭、シングルマザーの家庭が非常に多く、その分、ベビーシッターもたくさんいます。働く女性にとっては、本当にありがたいところです。街角では、白人の赤ちゃんを乗せた乳母車を押す、黒人やヒスパニックのベビーシッターたちを頻繁に目にします。私の目から見ると、彼女たちはさほど神経質になっているようには思えません。極めてのびのびと子供に接しています。子供たちに対して、故意に不当なことをしない限り、つまり明らかな理由がない限り、訴えられることはもちろんないでしょう。

万一、依頼主とA.Mさんとの相性が合わなかったり、条件が折り合わなければ、訴訟云々の前に解雇される可能性はあるかもしれません。いずれにせよ、どんな仕事にも何らかのリスクはあると思います。

次にブロンクスについて。確かに安全だとは言い難い地域かもしれません。アフリカ系アメリカン、ヒスパニック系アメリカンの住民が多く、犯罪も少なくありません。しかし、夜間一人で歩いたり、危険だと言われる場所に近づかなければ、それほど危ない場所だとも思えません。私はニューヨークに来てすぐの1カ月間、ブロンクスの家庭にホームステイしていました。彼らは白人とヒスパニックのカップルでしたが、長いことブロンクスに住んでいて、別段危険な目に遭ったことはなかったようです。ただし、このような危険か、危険でないか、の判断は極めて個人的な価値観に拠るものだと思います。心配性の方がそのエリアに暮らすと、別の意味でストレスがたまるかも知れませんし、必要以上に警戒して疲れてしまうことになるかもしれません……。

話が横道にそれますが、日本人以外の人の中には、地震や火山噴火が起こったり、地下鉄でサリンがばらまかれたり、住宅街で臨界事故が起ったり、電車の中で女性の身体を触る男性がたくさんいる日本のことを、なんと危険でおぞましい、と思っている人もいるのです。

とにかく、ベビーシッターを難なくこなしている人は大勢いるし、ブロンクスで平和に暮らしている人も大勢いるということを、お伝えします。

 

●Comment. 6 (Dさん)

今回の障害者のお話は印象深いものでした。実は4年前に3週間ほどアメリカへ行き、その際にバスも利用したのですが、車椅子を完全に椅子ごと乗車させるシステムには驚きでした。もっとも、私がもっと驚いたのはミホさんのおっしゃる通り、誰1人も乗降に時間がかかっても嫌な顔一つせず、また、文句もいわないことでした。実はこの時にはバスの乗降エレベーターが途中で故障し、10分以上もバスに閉じこめられたあげく、バスを乗り換えることになったのですが、その間、車椅子の客が外で待っている間は本当にだれ1人文句をいったりすることがなかったんですね。もう感動でした。温かい! そこは早春のロス郊外だったのですが、人々の心もロスの陽射しのように感じたものです。当の車椅子の方は急いでいたのか、次のバスを待たずにその場から姿を消してしまいましたが、日本ではこうはいかないでしょうね。それにしても、あの、しゃべるのから歩くのまで、何から何まで行動が速いニューヨーカーでも、そういうときはやはり沈黙を守るのですね。

(中略)日本はご承知の通りの長寿国家。もっと、福祉関係に目をむけていかなければいけませんね。

>>弱者に対して手助けをする、困っている人を見かけたら声をかける……。どんなに慌ただしい街であっても、マンハッタンではそれが日常の光景です。例えば、バスで長いこと待たされて、実は心の中で悪態をついているかも知れない。それでも、涼しい顔をして待つことができる。、多くの人が、他者に対して優しく温かく接せられる、あるいはそれを装うことができるというのは、純粋にいいものだなあと思います。

(メールアドレスは、どちらでもOKです。)

 

●Comment. 7(Rさん)

私は鎌倉の田舎にすんでいます。NYは大好きな町ですし、最近は貧乏でいけないと言う事もあり、ホームページの宣伝を見たときは胸がちくちくしました。私は鎌倉市のモニターなどもしているのです。鎌倉は道、特に歩道が最悪なので、今、研究会をしています。

今回の障害者の話はこのまま皆にみせます。

ところで今回の韮ですが、嫌いじゃなかったら韮ばかりの餃子がおいしいですよ。もちろん韮以外のものもいれるのですが、作ってから冷凍しておけば結構便利ですよ。簡単ですので、レシピを送ります。(まだ、韮があるとは思っていないのですが・・・)

 

・餃子の皮:25〜40枚位

・韮:好きなだけ(日本の束で、3〜4束位かな)みじん切り(適当で大丈夫!)

・豚挽き肉:100〜250g(韮の量で考える)

・海老:適当(多いほうが好き200〜300g位) 叩いてつぶす

 

材料はこの位、要するに何を入れてもいいって訳。韮、肉、海老に、塩、胡椒、醤油、トウバンジャン、砂糖(ほんの少し)、ごま油を少したらしてから良く混ぜればできあがり。皮で包み密封してから冷凍すれば2〜3週間は美味しく食べられます。1ヶ月は大丈夫と思うけれど、判らない。美味しいのでいつもわりと直ぐに食べてしまう。(一部抜粋)

>>ニラのレシピ、どうもありがとうございます。ニラ、まだ残ってます。もう、冷蔵庫でシナーッとしてきました。ところで、とっておきのニラの話があったので、以下、ホームページの日記(チャイナタウンへ行った)から抜粋します。

<……以前、ニラの束を買ったことがあった。束と言っても日本のそれのような直径3センチ程度の細いものではなく、軽く直径10センチはある。家に帰り、まずは数センチずつに切ってから洗おうと、まな板に載せ包丁を入れた。一刀入れたあと、バラリと崩れたニラの陰から、なにやらもぞもぞと動くものが……。思いっきり息を飲む。なんと、バッタが紛れているではないか! しかも、脚と羽の一部がない!! うわっ、切ってしまったのだ!!! 元気なバッタなら手でつかめるはずなのに、なぜか半殺しに遭ったバッタは恐ろしくてつかめない。ウゲーッと一人唸りつつ、割り箸で持ち上げて除去。ニラはもちろん洗って食べた。バッタが紛れてるなんて新鮮な証拠、と思う一方で、

「バッタの脚のかけらが紛れているのでは……」と思うと食が進まなかった。>

ニラの話題は、これでもう、終わりにします。

 

●Comment. 8(R.Kさん)

私は今23歳で、出版業界で働く事を目標に、DTPのスクールに通っています。来年の3月に終了するのですが、就職ができるかどうか、不安で‥‥。そんな時、sakataさんのメルマガに出会いました。今は、東京で経験をつんで、いつか海外で、仕事ができたらなぁと大きな野望??をもっています。sakataさんの会社では、求人(NYまたは日本)の募集はしないのですか? あと、そちらの情報誌に、日本のコメントや読者からのお便りをのせるコーナーはないのでしょうか? 私は文章を書くのが好きなので、ライターになりたいと思ったのですが、大学卒業っていう条件がひっかかります‥‥。(一部抜粋)

>>どう返答するのが適切かわかりませんので、とりあえず私の経験を少し書いてみます。編集者、ライター、デザイナー、カメラマンなど、このような業界の人の多くは、駆け出しの頃、薄給で過酷な労働をこなしています。もちろん私もその一人でした。給料をもらいながら勉強させてもらっているんだ、くらいに思わなければやってられないほど、かなり大変なものです。私自身は、大学の卒業式まで就職が決まっておらず(就職活動はすべて玉砕。当時はバブル経済のまっただ中で、青田刈り、なんて言葉がはやってたにも関わらず……)、ひとまずは東京に出てアルバイトをしつつ仕事を探そうと思っていました。

卒業式の日にそれを知った教授が驚き呆れて、ご自分の友人を介して、小さな制作プロダクションを紹介してくれました。そこで働いた数年間に、編集や出版の基礎をたたき込まれた気がします。

駆け出しのころは、体育会系で頑丈な私が、当時住んでいた千葉県柏市の駅のホームで気を失い2度救急病院に運ばれたくらい(夜の常磐線は、お酒の匂いが充満していて最悪だった)、都会の暮らしと仕事に疲れ切っていた日々でした。そして、泣けてくるほど貧乏でした。更にはボーイフレンドにも振られ、孤独でした。実家から届く宅急便の段ボールの片隅に、母が手紙と共に、1万円札を数枚、しのばせてくれたこともありました。まるで、演歌です。でも、そんなことは、この業界の人にとっては、全然珍しいことではありません。多分。現在はどうだか、わかりませんけれど。

あと、大学卒業云々は、大手の出版社にでも就職しない限り、関係ないでしょう。文章は、本人が切磋琢磨する以外に、方法はないと思います。私自身は、日本文学科の出身ですし、英語はろくにできなかったし、日本語が勝負の仕事をしてきたので、まさか自分が海外で会社を興すことになろうとは、当時考えていませんでした。でも、常に「向上心」はあったと思います。あとは、その時々にひらめいた目標に向かって、がんばって仕事してました。今でも、その気持ちにあまり変わりはありません。私は「念ずれば通ず」と常に思っていますので、たとえ時間がかかっても、少しずつ、自分にとってうれしいことを、実現していきたいと思っています。R.Kさんも、いつか海外で仕事ができると信じて、まずは東京でじっくりと経験を積まれたらいいと思います。

それから、弊社の発行物には、読者投稿のページはありません。ホームページにはコーナーを設けてますので(まだ誰も投稿していませんが)、ぜひご利用ください。

尚、弊社は現在、求人の予定はありません。


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