坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ
Vol. 58 11/17/2001
いよいよ来週後半からサンクスギビング・ホリデーです。先日、ロックフェラーセンターの辺りを歩いていたら、恒例のクリスマスツリーの設置が始められていました。いよいよ年末のホリデーシーズンがやって来ます。しかしながら、気持ちがちっとも高揚しません。 いつもならば、この時期、クリスマスのイルミネーションに彩られた街を歩くのはとても楽しいはずなのに、どうしても心がパッとしません。多くのニューヨーカーが同様の心境であるに違いありません。 それでも敢えて気持ちを入れ替えて、ショッピングに出かけたり、エンターテインメントを楽しもうと思っています。 さて、先週は束の間、マンハッタンに戻り、昨日(金曜)の夜からまたDCに来ています。
●飛行機が怖い……。メンテナンスを徹底して欲しいと願うばかりだ 「旅行が好き」ということは、おのずと飛行機に乗る機会が多いということになるのだが、私はそもそもから飛行機に乗ることが好きではない。多分、根本的には「怖がり」なんだと思う。 飛行機が大きく揺れると心臓がドキドキするし、しかも乗り物酔いをする方なので、揺れの後には具合が悪くなり、ぐったりとしてしまう。 先日、ボストンからワシントンDCに戻るときも、テロのことが頭を離れず、毎日何便もの飛行機が飛んでいるのだし、大丈夫だと思っても、当面は飛行機に乗る気がしなかった。A男を説得し、早朝出発のアムトラック(長距離列車)で7時間もかけて帰ってきた。 つい最近、ボストン-ワシントンDC間に、Acela Expressという新鋭の車両が登場し、その「未来的なインテリア」の車両を体験したかったこともあって、列車の旅も悪くないと思ったのだが、新幹線のように特別な線路が設けられているわけではなく、従来の線路上を走るから、料金が割高な割にはスピード感に欠けていた。 とはいえ、リクライニングシートでぐっすりと眠り、7時間があっという間に過ぎた、快適な旅ではあった。 11月12日月曜日、DCからニューヨークに戻る予定で、夜は友人と食事をする約束をしていた。ところが金曜日、病院へ行き、その結果を月曜日に本人出頭で受け取る必要があるとわかり、戻る予定を1日ずらすことにした。 月曜の朝10時ごろ、予定の変更を告げようとニューヨークの友人に電話をしたとき、クイーンズに飛行機が墜落したことを知らされた。「また?!」という言葉が口をついて出た。マンハッタンにつながる橋やトンネルはすべて閉鎖された。予定通りに列車に乗っていたら、途中で引き返すことになっていただろう。 墜落の原因は事故だとされている。しかし事故だろがテロだろうが、ショックと痛み、そして恐怖は変わらない。 テロ以降、航空業界が人員削減をはじめたと聞いて、心配性の私が真っ先に気になったのが事故だった。そもそもアメリカの大手航空会社のいくつかは、テロ以前からそのメンテナンスの手落ちがしばしば指摘されていて、問題になっていた。それに加え、たとえば整備員すら削減されていたとしたら、事故に結びついても不思議ではない。 アメリカ以外の国に住んでいる人は、「アメリカともあろう大国が、この時勢で整備を手抜きするはずがない」と思うだろう。でも、アメリカに住んだ経験のある人ならば、「やっぱり、アメリカだもんね」と、この事態に納得してしまうに違いない。 このメールマガジンでも、「アメリカ人のいい加減さ・大ざっぱさ」については、何度か書いてきたから、うなづける読者も少なくないだろう。だいたい、大統領選挙のときからして「いい加減さ」が炸裂していたし……。 だから、飛行機の整備員がいい加減だったとしても、全然不思議ではないのだ。 それに空港のセキュリティーシステムにも大いに問題がある。荷物などのチェックは、通常、外注の業者がやっている。テロ以降、とある業者の仕事ぶりが徹底しておらず、ナイフを所持していた人を何人も見逃し、最終的に航空会社のチェックでそれが発見され、どこだかの空港が契約を取り消したというニュースを聞いた。 私の知人(駐在員夫人)は、1、2年前、全日空便で一人で日本へ帰国する際、チェックイン前のスーツケースのX線チェックの際、ハンドバッグを盗まれた。 本来、チェックイン前の荷物チェックではハンドバッグをマシンに通過させる必要がないのだが、彼女は深く考えずベルトコンベアーに載せた。その時点で、明らかに「盗まれた」らしく、パスポートも航空券もなくなり、帰国が不可能となった。 彼女いわく、「どう考えても、セキュリティーの人たちがぐるになって盗んだとしか考えられない」とのこと。 散々な目にあった彼女のエピソードの詳細は省くが、このような事態は決して珍しくないという話しも聞いた。 それにしても、ニューヨークで必死の思いで働き、たくさんのお土産を持って祖国に帰ろうとしていたドミニカ共和国の人たちを思うと、心が痛むばかりだ。
●ここ数カ月のビデオ&映画で印象に残ったのは「シュレック」「アメリー」 ビデオは毎週末、少なくとも1本は観ているし、映画は月に1、2回は観に行っているが、最近、印象に残る映画が少ない。理由の一つは、ニューヨークではなくDC郊外の劇場に行く機会が増えたからだろう。 マンハッタンならばヨーロッパやアジアの映画を上映する劇場がいくつもあるのだが、アーリントンのこの近所では、主にハリウッド映画など「エンターテインメント色」が強い物ばかり。 「どこかで必ず大笑い」するか、「過激なアクションにハラハラ」しなければならない映画ばかりだから、どうにも好みに合わないのだ。その上、A男と一緒の場合は、彼の好みとの調整も必要で、日本にいたころのような「私にとっての名画」に出会う確率は低い。 当時は意識していなかったが、東京・日比谷のシネシャンテなどは、ヨーロッパやアジアの味わい深い映画を、本当によく上映していたなあと懐かしく思う。 ついでにいえば、24歳の時、転職の境目で激貧状態に陥りそうになったとき、編集プロダクションの仕事を終えた後、深夜までの数時間、シネシャンテの1階にあるカフェ「ガルボ」でウエイトレスのアルバイトをした時期があった。「女工哀史」のような日々だった。 だから、今思えば、実際に東京で映画を楽しむ金銭的にも精神的にも余裕が出来たのは、25歳から30歳までの約5年間なのだが、ニューヨークでの5年間に比べれば、ずっと心に残る映画を観てきたように思う。 さて、日本でも間もなく上映される「Shrek シュレック」。これは数カ月前劇場で観た後、先週、ビデオでも観た。コンピュータグラフィックのアニメーション映画だが、ユーモアと風刺も嫌みがなく、爽やかに楽しめた映画だった。 主人公の怪物、シュレックの声が「オースチン・パワー」でおなじみのマイク・マイヤーズ、そのお供のドンキーがエディ・マーフィー、そしてプリンセスがキャメロン・ディアスというキャスティングも絶妙だった。 日本では、シュレックをダウンタウンの浜田雅功、プリンセスを藤原紀香がやるらしい。ホームページにストーリーも紹介されているので、興味のある方はこちらへ。 http://www.shrek.jp/ ところで、同じような系統の映画で「モンスター」というのが今流行っていて、A男が見に行きたいと言っているのだが、この主人公のモンスターのひとりが、「一つ目」で、どこからみても、「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉オヤジをパクっているとしか思えないキャラクターだ。大人も十分に楽しめるとの噂なので、近々観てみようと思う。 昨日、アーリントンの劇場で観たフランス映画「Amelie」もとても気に入った。邦題はどうなるのか知らないが、多分そのまま「アメリー」ではないかと思う。 子供の頃の感受性と行動力をそのまま持って育った若い女性、アメリーが、同じアパートメントに住む人たちや働いているカフェの同僚たちの人生に、スパイスを添えるような「ユニークないたずら」をしかける。最終的にはボーイフレンドとハッピーエンドというストーリー。 パリのモンマルトルの情景が何ともいえずノスタルジックで素敵だし、BGMも情趣にあふれているし、アメリー役の女性が役柄とあまりにぴったりでチャーミングだしで、とても楽しめた。 http://www.amelie-themovie.com/ 観ているうちに、「フランスに住みたい」と思い始めた。
●近所にオープンしたインド人親戚が経営するサンドイッチ・チェーン店 インドへ結婚式に行ったとき、A男の父方のおばさんと話す機会があった。 「うちの息子夫婦は、ヴァージニア州に住んでるんだけど、今度DCに近い街にレストランをオープンするのよ。その時には遊びに行ってね」 彼女はそう言い、私たちも、オープンが決まったら連絡をくれるよう頼んだ。 数カ月前、A男の義兄が学会でフィラデルフィアに来ていた。1日だけ時間があるからと、私たちのアーリントンにある自宅を訪れたのだが、地下鉄駅からうちのアパートメントに向かう途中、前述の「息子夫婦」にばったり出会った。なんと彼らは、うちのビルの真正面に、お店をオープンするために、下見に来ていたのだった。 そして先週、ついに店はオープンした。レストランではなく、ファーストフードのチェーン店だった。Quizno'sという、焼きたてパンを使った温かいサンドイッチを売る店だ。 おばさん夫婦も手伝いのため、インドからはるばる来ていた。インドではサリーを着てコンサバティブに見えたおばさんが、制服の黒いキャップをかぶり黒いエプロンをして、せっせと働いている。一方、おじさんは椅子に座って、特に手伝いをしているふうでもないのに疲労困憊の様子。この家系は本当に、女性の方がテキパキとしていてさばけている。 おばさんが「気づいたことがあったら何でも言って」というから、私も真剣に店内をチェックする。メニューボードのライトが暗くて、料理がおいしそうに見えないこと、什器の置き場所が不便なことなどを告げると、即刻おばさんが息子夫婦に指示する。ものすごく真剣だ。 Quizno'sはチェーン店だから、いちおうマニュアルもあるし、Quizno'sの社員が最初の数週間、指導に当たるらしいのだが、それでもマクドナルドやケンタッキーのような大手と比べると素人っぽい。 そもそも、日本のように「オープニングは完全な状態で」という概念がなく、「オープン当初は欠けている物があって当然」というのがアメリカの常識だから、非常出口のサインがテーブルの上に置かれたままだったり、メニューが全商品揃っていなくても、まあ、仕方ないのである。 しかしながら、サンドイッチの味は想像以上によくて、これから時々訪れようと思ったくらいだ。できたてのサンドイッチをごちそうしてもらったお礼に、近所に撒くための大量のチラシを受け取った。 手伝っているうちに、「自分の店を開きたい」と思い始めた。
●日本の慣習、あいまいで誤解を生みやすい言い回しが、本当に苦痛になってきた 13日火曜から16日金曜まで、今回のニューヨーク滞在は3泊4日と超過密スケジュールだった。火曜の午後は、日本から来た新聞記者が、テロ関連の話を聞きたいと言うことで我がオフィスにやって来た。 あらかじめ、「私の直接の知り合いには、亡くなった方も、そして亡くなった方の家族もいないから、そういう人の話を聞きたいのであれば協力できない」と伝えていた。それでも構わない、少しでも多くの人の話を聞きたいから、と言われたから会うことにしていたのだが……。 よくよく話を聞いてみると、新聞の新年特集でテロの被害に遭った人やその家族を取り上げるようで、結局は、「直接被害に遭った人知り合いはいないか」あるいは「そのような人をどうやって捜せばいいだろうか」という「相談」だった。 てっきり「私自身の体験を聞きに来る」と思っていた私は、途中で頭が「???」状態。彼がその場にいたときには、さほど感じなかったのだが、彼が帰った後、よく考えてみて、「結局、何だったわけ?」「電話ですむ話だった」と思った。 私の知り合いの通訳を、予算がないからということで、普通ならうちの会社を通して受けるべきところを直接紹介し、ニューヨークの日系社会の事情などをちらほらと話し……。 「テロに関して、できるだけ多くの人に、現状を伝えたい」と思う気持ちがあって引き受けたことだが、なんだかピントはずれ。あの事件以降、この手の依頼が多く、困惑することがしばしばだ。 最近、日本からの仕事の依頼で、「的を射ていなくて要点がつかめない」ものが少なくなく、それがかなり耐えられなくなってきた。お金のことをはっきりと言わないのはもちろん、日本人の回りくどい言い回しは、誤解を生む。ましてやこの件については、仕事ではなく「協力」なのだから、なおさら目的を明確にして欲しいものだ。 昔はそれも「日本の文化」「精神的土壌あってのこと」などと思って、特に反感を抱くこともなく、私自身もそういう行動を取っていたのかもしれない。しかし最近は、その曖昧さが、はっきり言って辛い。もう、日本に帰って仕事をすることが、いよいよ出来ないな、と思う。はっきりと物を言って、周囲に疎ましがられること間違いなし、だから。
●日本料理店の開店パーティーで、捕鯨船に乗っていた寿司職人の半生を聞く この夏、イーストヴィレッジにオープンした日本食レストランのオープニングパーティーに行った。以前、グランド・ゼロの帰りにA男と行った店「えびす」だ。 私の友人の夫(建築デザイナー)とその友人が共同経営者。muse new york にも広告を出してくれた。だからというわけではないが、雰囲気もよく、料理もおいしく、おすすめのレストランである。 EBISU RESTAURANT そこで出会ったお客の一人の話がとても興味深かった。最初は「俺の趣味は釣りなんです」に始まって、ニューヨーク界隈で釣れる魚の話で盛り上がった。 ブロンクス沖だかどこだかで獲れる秋のサバは関サバよりもおいしいとか、ヒラメはどこどこが最高だとか、イカを一夜に何十匹釣ったとか……。 (おっちゃん、それは話が大きすぎやろ!)と突っ込みたくなるような釣り自慢が延々と続くのだが、友人の夫が彼と共にしばしば釣りに行くそうで、あながち大げさな話ではないらしい。 現在47歳、秋田県出身の彼。子供の頃食べた魚と言えば、川魚ばかりで、海の幸を口にする機会は余りなかった。小学校5年生のある夜、いつものように隣の家へテレビを見せてもらいに行ったときのこと。 白黒の画面には、アメリカの田舎らしき光景。サーモンの川上りの情景が映し出されていた。ドキュメンタリーフィルムのような映画だったらしく、毎年同じ川に戻ってくるサーモンを追ったその映画に、彼はひどく心を揺すぶられた。今でもその映像は、くっきりと脳裏に刻まれているという。 その経験が、彼と、海と、魚とを結びつけた。小学校の卒業文集には「将来は、船乗りになって、世界中を回って、おいしいものを食べたい」と書いたらしい。 16歳のとき、両親の反対を押し切って捕鯨船に乗る。それから200カイリの協定が決まるまでの4年間、彼は捕鯨船に乗って、南極、北極のどちらへも行ったという。 一艘の船に乗組員は300名ほど。目標期間内に定められた重量の鯨を捕獲しなければならない。ミンククジラにザトウクジラ、ハッカククジラと、さまざまな鯨を捕らえた。 20数メートルの鯨なら、十数名がかりで約10〜15分できれいに裁く。新入りは先輩の作業を見ながら、教えられることもなく自ら裁き方を習得するという。 「流れ落ちる血以外は、すべて何かに使われる。捨てるところは何もないんです」 彼の話を聞きながら、小学校の頃、社会科の時間に捕鯨船の仕事についてイラスト入りの教材で学んだことを鮮明に思い出した。船の中に缶詰工場があり、その場で缶詰が作られ、油は石鹸などのために保存される。 彼の体験話は、すべて教材にあったそのままで、とても興味深かった。昭和40年代、当時の学校給食には、鯨肉のカツや鯨肉の角煮など、しばしば鯨料理が登場したものだ。魚屋には鯨肉のベーコンが安くで売られていて、ショウガ醤油を付けて食べるとコリコリとした歯ごたえが実においしかった。 20歳で捕鯨船を下りた彼は、それから南米ペルーはリマにある日本料理店で11年働き、その後ドミニカ共和国へ、そしてニューヨークへは5年前に訪れた。 「今、どこの寿司屋に働いているの?」と尋ねると 「72丁目」とだけ答える。 「それって、ウエスト? イースト?」 「ウエスト」 72丁目のウエストには数軒の寿司レストランがあるが、日本人が好んでいくような店は一つもない。まさかと思いつつもさりげなく、 「それって、寿司食べ放題のあの店?」 と尋ねると、彼は無表情にうなづく。 さっきまで、「おいしい魚を釣って、心を込めたおいしい料理を作って相手に出すことが幸せ」と言っていた人が、なぜ20ドル前後の一定料金で「握り寿司食べ放題」という中級店で働いているのか、一瞬、戸惑った。 そんな私の戸惑いを察したかのように、彼は続けた。 「グリーンカードのスポンサーをしてもらってるんですよ。だから辞められなくて」 「開店から閉店まで、まるで機械のように寿司を握りっぱなし。息をつく間もないくらい。1テーブル200もの寿司を一気に握りますからね。腱鞘炎になっちゃって……」 以前、アメリカ人の寿司の食べ方について触れたことを思い出していただきたい。なにしろ、日本で言うところのにぎり寿司の概念がうち砕かれる。私も一度、その店に行ったことがあるが、従業員は店内を言ったり来たり、とにかく大食い競争のような勢いで、人々はここぞとばかり寿司を食べまくっていた。 それにしてもグリーンカード。みんな、それぞれに、苦労してるんだなあと、改めて思った。
●長すぎた春……。交際期間5年という歳月の、大きな分かれ目 インドの結婚式に来てくれたA男の学生時代の友達、マックスのことは、以前、書いたかと思う。身長2メートル7センチのイタリア人男性だ。彼が数カ月前、ワシントンDCに来たときに、一緒に食事をしたのだが、その時、旧友だという女友達を連れてきていた。 その二人の雰囲気にただならぬ気配を察知していたのだが、やはり。つい先日、5年来のガールフレンドと別れたという知らせがA男のもとにきた。マックス曰く、彼女とは一緒に暮らしていても気が合って違和感はなかったが、結婚したいとは思わなかったという。 5年という歳月の重みに悩んだ末、イタリア人の彼女に別れを告げ、今は例の旧友だった彼女とつきあい始めたのだという。 「やはり」と思いつつ、残された彼女の心中を察した。彼女は私から見るに、とても知的で性格の優しい女性だったのだ。長年一緒に暮らしていた二人が別れるというのは、離婚ほどではないにしても、本当にたいへんなこと。私も過去に、たまらんほど辛い経験を数回しているので、想像に難くない。 そんな矢先のこと。アメリカの印刷会社に働いていた友人がイギリスの支店に転勤になると言うので、数日前、もう一人の友人と含めて三人で食事に行った。彼女には5年付き合ったボーイフレンドがいて、同棲している。 インド料理レストランでビュッフェ・ランチを食べながら、 「で、彼とはどうするの? 遠距離恋愛も大変だよね」と軽く言ったところ、 「実はさ、この間、別れたの」 何でも、イギリスに一足先に赴任していたボス(といっても7歳年下)と、イギリスでの仕事などについて打ち合わせをするため、数カ月前に渡英したらしいのだが、そのとき、それまでの1年以上は職場で会っても何とも思っていなかったのが、週末、顔を合わせたときに、お互いのプライベートの側面にぐっと引き込まれ、一気に恋に落ちたらしい。 彼はフランス人で、フランスに3年付き合った彼女がいたからこそ、ニューヨークから英国転勤を望んだらしいのだが、わが友人に出会ってすぐにその彼女とは別れ、今、将来の話はトントン拍子に進み、二人は近々結婚するプランを立てているという。 急展開! でも、なんだかすてきだわ。 「前の彼のとき、私、一時、ものすごく結婚したかったんだけど、彼はまだレディじゃなかった(準備ができてなかった)のね。今回、イギリスに行くことについても、引き留められるわけでもなかったし。いつかは結婚すると思っていても、5年もそのままだと、結局は、縁がなかったってことなんだよね。多分、私たち、イギリスで何年か働いた後、二人で南仏で暮らすと思う。フランス語の勉強も始めたの。彼の家族にも会わなきゃいけないし」 なんだかいいなあ。彼の故郷が南仏なんて。A男の祖国は暑苦しいニューデリーだもんな。奇抜だけど、何というか、ロマンスには欠ける……。私らしいと言えば私らしいのだけれども。 ニースにアルル、マルセイユ、エクサン・プロヴァンス、いったい彼らはどこに住むことになるのかしら。 「私もプロヴァンスに住みたーい! 絶対遊びに行くからね!」と、三人して盛り上がる。 そういうわけで、5年という歳月は、結構、大切なポイントだったのね、ということを、改めて認識した次第。私とA男も、実は際どいところにあったから、人の縁とは本当に、「タイミング」なのだなと、思わずにはいられない、ふた組の恋愛話だった。
●アメリカでは「白い歯」が常識。「質問の多い歯医者さん」 アメリカ人は「歯が命」。歯並びの悪い子供はきちんと矯正しているし、黄ばんだ歯は忌み嫌われるから、「ホワイトニング」は一般的だ。 ときどきテレビの出演者が、強烈な漂白剤にでも浸したが如く、不自然なまでに白い歯を見せていることもある。そんなアメリカのテレビを見慣れていると、日本語チャンネルを見て、日本の芸能人の汚い歯を見てギョッとすることがある。特にお笑いタレントなどに、歯に無頓着な人が多いようだ。 アメリカでは、それがコメディアンであれ何であれ、舞台に立つ大前提として「美しい歯」が要求されるから、歯並びが悪かったり、黄ばんでいたり、ましてや黒ずんだような歯をした芸能人、著名人は見られない。 さて、私には、前歯から数えて5番目の歯に、銀色の輝けるクラウンが被せられている。もう20年ほど前に日本の歯医者でやられた醜悪な治療だ。当時の日本は、虫歯を銀で詰めるのが一般的だったから、言いたくないが、私の口は開くと、きらりとまぶしい。 きらりとまぶしい歯は、アメリカで生活する上で非常に好ましくない。いや、万国共通にチャーミングではないと思う。普段は奥歯の銀を露出する機会はないのだが、大口を開けて笑ったときに、5番目の歯の銀が「キラン!」と輝く。青春時代をこの歯で過ごしてきたかと思うと、今更ながらもったいなかったと思う。 A男は私が大口を開けて笑うたびに、彼にとっての「キラン!」に変わる擬態語にて、 「チンック!」と叫ぶ。そして言う。 「ミホ、警察犬は前歯を折ったとき、わざわざ銀の歯を入れられるんだってよ。どうしてかわかる? 光る歯は怖くて、犯人を威嚇するからだって。ミホ、その歯、怖いから、変えてよ早く」 そう言われ続けて早5年。 今までは「海外旅行者傷害保険」で生活していたから、もちろん歯科治療はカバーされておらず、おちおち虫歯になってもいられない状況だったのだ。 ちょっとした治療やチェックアップだけで数百ドルを支払わねばならないし、1度はクラウンの差し替えで1000ドル以上もかかった。しかしこちらでの治療は、歯と限りなく同じ色のクラウンに付け替えてくれるから、見た目がとても美しい。 前置きが長くなったが、結婚したおかげで、A男の会社の保険が使えるようになり、晴れて心おきなく、歯科通いできる身の上になったわけである。そこでさっそく、5番目の歯を差し替えるべく、行きつけの歯医者へ行った。 日本語が話せる韓国人の歯科医で、やったら元気で声が大きい日本人女性のアシスタントがいる。この二人がまたよく喋る。アシスタントは40歳くらいだろうか、とにかくまくし立てるようなテンションで、高エネルギーの私にも太刀打ちできない。 一方、韓国人の中年ドクターは、おっとりとした日本語ながらも、世間話的質問事項が多い。 この日、2年ぶりに訪れ、結婚したから夫の保険を使えるので、5番目の歯をはじめ、あらゆるチェックをしてほしいと頼んだ。 口内のレントゲンを十数枚取る間、アシスタント女性は質問の連発。 「どこで結婚したの?」「日本の家族は?」「結婚式はどうだった?」「インドは暑い?」「何食べた?」「結婚式は何着たの?」「飛行機で何時間かかるの?」 もう、口を開けっ放しだから答えられないっていうのに、容赦ないのだ。口からレントゲンのフィルムを出し入れする数秒間に答えるしかない。 しかもアメリカじゃ考えられないような禁断の質問「子供はどうするの?」まで出てくるから参った。「そんな質問はタブーでしょ」とはっきり言った。それでしばらく静かになった。 久しぶりだから忘れていたけど、この歯医者、いつもこうなのだ。 ほどなくして、治療のため、ドクターが入ってきた。すると、先の彼女の質問に似たような質問を、またもや投げかけるのである。無視するわけにもいかず、口をフゴフゴ言わせながら答えるもんだから、なんだかバカっぽい。 良心的な値段で、腕も悪くないし、基本的には「フレンドリーでいい人たち」だから時々訪れていたのだが、今回は辟易した。でも、虫歯をいくつか発見されたので、数回通わなければならないのは確実だ。 歯医者は、静かで、無口な方がいいかもしれない。 |