ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー
Vol. 47 6/24/2001
またしばらく、ご無沙汰していました。毎日が飛ぶように過ぎていきます。 7月中旬から2週間、灼熱のインドへ結婚式に行って来ます。なんでも、インドは4月から6月が一番暑くて、摂氏45度になったりするそうです。来月は雨季に入るから少しマシになって、35度くらいになるみたいです。 冬がベストシーズンらしいのですが、よりによって変な季節に結婚することに決めたものです。私たちが出会ったのが5年前の七夕なので、何となく7月にしたのです。更にはA男も私も8月が誕生日で「夏はめでたい季節」という印象があったものだから、祝い事をまとめてみたということもあります。 以前にも書きましたが、そもそもインドで結婚式をするつもりなどなく、できればハワイなどでこぢんまりとやりたかったのです。でも、ハワイにはヒンズー寺院などないだろうし、あったとしても、わざわざハワイでインド式の結婚式をすることもないということで、結果的にはインドで式をすることになりました。 幸いなことに、式にあたって私はなんの準備もする必要がなく、全部A男のお父さんと、継母(実母は7年ほど前に他界)と、お姉さんたちが準備をしてくれていています。至れり尽くせりで、とてもありがたいです。 結婚関連のイベントは3日にわけて行われるらしいです。初日は、親戚の主催による「前夜祭」。これは、歌ったり踊ったりの「出し物」があるそうです。A男は「野暮ったいからやりたくない」と、電話で断ろうとしているところを、私が「そんな伝統的な行事こそ面白い」と主張し、やってもらうことにしました。 翌日は昼間、自宅で結婚式です。庭にたき火のように火をおこして、その周囲を二人で回るなどの儀式をするそうです。面白そうです。昔は、新郎が「馬に乗って」新婦の家を訪ねたらしいのですが、まあ、私の家は日本ですから、馬で行くわけにも行きませんし、それは端折るようです。馬のかわりに象などがくればいいのに……。 結婚式ではみんな、踊らなければいけないそうです。それに、普段はターバンなどを巻かない人たちも、式の時の正装として、ふわっとしたターバンを巻くようです。A男の姉の式の写真をみると、みんなピンク色のターバンを巻いていました。私の父や妹の夫も、巻くことになるかもしれません。そして、阿波踊り風の踊りを踊るのです。 3日目は、夜、ホテルで披露宴です。これは、所謂パーティー形式で、多分、さほど奇抜なことはないと思います。私としては、せっかくなら奇抜にまとめてほしいという気もするのですが……。 私の衣装は、すでに赤とオレンジの2種類のサリーが用意されているようで、髪の毛は切らないようにとの指令も、義母からEメールが届きました。A男のお父さんがのんびりおっとりしているのに対し、A男の実母もそうだったようですが、継母もまた、非常にさばけた人のようで、とても気を遣ってくれます。私の両親と妹夫婦の宿の手配や滞在中の旅行のプラン、それに私たちの新婚旅行のプランまで、すべてコーディネートしてくれているのです。 式の前日には、「ヘナ」と呼ばれる染料で、手の甲に入れ墨のような模様を入れます。技術のある人が出張サービスで家に来てくれるらしくて、式に参加する親戚などは、みな染めるようです。1カ月ほど残るそうですが、もちろん私も染めます。面白そうですから。 ただ、一つの懸念は、結婚式の最中に、花嫁は親戚一同から饅頭のような菓子を「食べさせられる」こと。たこやきほどの大きさの菓子を、順々に口に押し込めらるらしく、A男の姉の体験談によると、非常にお腹一杯になって辛かったとのこと。そんなもので、カロリーを過剰摂取するのはなんとも不本意! ダイエットが台無しです。でも、それを食べることが嫁入りの証らしいので、我慢しなければならないようです。 さて、前置きが長くなりましたが、先週、書きかけたものも含めて、時間が前後しますが、思い出したところから書いていきます。短いのやら長いのやら、バラバラで全然統一感がありませんが、ご了承ください。
●肉体労働の日々:おつかい編 弊社において肉体労働、といえば、主にmuse new yorkの配達である。先々週の水、木は夏号の配達に追われたのだが、火曜日に突然、別の肉体労働も舞い込んできた。 その前日、日本から電話があった。知人を介して私を知った、とある編集部の男性からだ。彼が編集する雑誌で、「有名人がおすすめするニューヨークみやげ」という企画があり、その商品を読者プレゼントにしたいのだが、ニューヨークで購入して送ってくれる人がいないという。一両日中にこちらから発送しないと撮影に間に合わないらしい。それで、何とか私に代行してもらえないかということだった。 よく言えば「バイヤー」。平たく言えば「おつかい」である。お買い物リストを見ると、ボディーシャンプーや化粧水、ハンドクリームや歯磨き粉(!)などが大量に列記されていて、重そうである。おつかいはちょっとなあと思いつつも、相手の編集者も困っている様子だし、もちろん「お駄賃」は請求するのだから、結局、引き受けた。 イーストサイドにあるデパート「バーニーズ・ニューヨーク」や「ブルーミングデールズ」のほか、近所のドラッグストア、コスメティックストアなどを、メモを片手に転々とする。太陽が照りつける。荷物はどんどん重くなる。快適だと思って購入したAEROSOLESというメーカーのサンダルをはいているのに、すでに豆ができそうな気配……。 リストアップされている商品の物珍しさに、いちいち一つずつ多めに自分の分も購入し、散財している。 今回の仕事、いや、おつかいでの収穫は、とてもいいボディシャンプーに巡り会えたこと。ナチュラル・ハーブが素材で、特に今のような季節、汗でべたついた身体をすっきりさせてくれる。商品名はDr. Bronner's Magic Soaps。ペパーミントやユーカリ、ラベンダー、アロエベラなどがある。 アメリカの石鹸類は、香料がきついものが少なくないので、ナチュラル素材のものはとても重宝する。 結構、楽しめたおつかいだった。
●小泉純一……? ずっと本棚に入っている本で、読んだか読んでいないかさえ覚えていない本がたくさんある。多分15年くらい前に買っていたであろう、森鴎外の「青年」という本を、DCへ出発する直前に、本棚からつかみとって、バッグに入れた。 列車に乗り、ぱらぱらとページをめくってはっとした。 主人公の青年の名前が「小泉純一」というのだ。小泉首相と一字違い。いや、ただそれだけのことなのだが、なんとなく、心にとまったので書き記す。
●お手伝いさん:ハウスキーパーに来てもらうことにした 数カ月前から、ハウスキーパーの女性に、来てもらうことにした。なにもかも自分でやろうとすると、自分の首を絞めるばかりで、心にもゆとりがなくなるから、最近、時間とお金の使い方を、少しずつ変え始めたのだ。 部屋が散らかっているとリラックスできない性分だが、かといって自分ですみずみまで片づけるには時間もエネルギーも必要。仕事が立て込んでいるときは気がせくし、精神衛生上よくない。 昔は「掃除も気分転換のひとつ」などと自分にいいきかせていたが、そういう発想もやめにした。気分転換ならもっと違うことをやりたい。公園に散歩に行ったり、近所のカフェやバーでくつろいだり、エンターテインメントを楽しんだり……。 ニューヨークには1週間か2週間に一度の割合で来てもらう。DC別宅もA男に頼んで、やはり1週間か2週間に一度、ハウスキーパーを手配してもらった。 やはりプロは違う。洗剤の選出から拘りがある。 ニューヨークは年輩の日本人女性が一人で3時間ほどかけて、DCはメキシコ人女性が3人がかりで1時間ほどで仕上げてくれる。ふだん手の届かない部分の埃を取ってくれたり、キッチンやバスルームをピカピカに磨き上げてくれる。ニューヨークの場合は、階下のランドリー室で洗濯もしてくれるので、非常に助かる。 外出先からピカピカの部屋に帰ってくるときの気分はとてもいい。かなりの幸福感である。 ちなみに、ニューヨークで私がお願いしている人は1時間15ドルだから1回につき45ドル、DCでは、1回につき40ドル(1ベッドルーム)。リーズナブルな値段で、気軽にハウスキーパーを頼めるのは、アメリカのいいところだと思う。
●肉体労働の日々:muse new york配達編 初日はいつものごとく、郊外から配達。ハーツでレンタカーを借り、段ボール10箱をトランクや後部座席に積み込んで出発。マンハッタンの最西端を南北に走る「ヘンリー・ハドソン・ハイウエイ」を走っていた。まずは、95号線を右に折れて、ウエストチェスター郡に向かうのがいつものルートなのだ。 ところが、考え事をしながら運転していたら、分岐点での標識を見落とし、ひたすら真っ直ぐ走っていて、気が付けば、見慣れぬ風景。 引き返すにも、訳が分からず、途中でハイウエイを降りるも、ブロンクスの住宅街などに紛れ込み、まだまだ配達は1軒もすんでないのに、1時間以上もうろうろと道に迷って、ものすごくいらいらした。いらいらするほど勘が鈍って判断力が落ちるから、たいへんな悪循環である。 もう、配達には慣れた気でいたのがよくなかったらしい。 翌日は、例のジョージさんが手伝ってくれたので、マンハッタンの配達ながらも手際よく進んだ。 ジョージさん、前回にも増して「日本志向」が高まっている様子でかなり深刻。 「俺さあ、優しい日本人の女性と寄り添って生きる……っていうのに憧れるわけよ。あの『赤ちょうちん』の世界みたいに」 「あ、赤ちょうちん??? ……ジョージさん、それって、『神田川』のこと?」 「あ、そうそう、それ!」 「赤い手ぬぐい」と「赤ちょうちん」を混同してしまったらしい。全然違うやろ。 以前も書いたが、彼は一家揃って、30年ほど前に渡米した。彼は今44歳で、人生の大半をアメリカで過ごしているにも関わらず、日本が恋しくなるのは、最近になってからのことだという。自分の両親を見ていると、母親はなんだかんだと言いながら、父親に「尽くしている」ふうにみえるし、二人の姉も、夫に料理を作ってやったり、こまごまと面倒を見たりして、「温もりにあふれている」風に感じるらしいのだ。 知的で美しいアメリカ人女性を伴侶に持ちながら、彼女を大切に思いながらも、「ピンとこない」毎日を送っているジョージさん。贅沢な悩みだと本人も重々承知しているけれど、しっくりこない感覚は日を追うごとに増すという。国際結婚というのは、いろいろとあるのだなあと、周りの人々を通して学ぶことが多い。
●話題だという映画「パールハーバー」を見た その前の週の土曜日、パールハーバーを見に行った。歴史の描写、云々は別にして、戦闘シーンはエンターテインメント映画そのものだし、船が撃沈される様子もタイタニックみたいで、そういう映像にあまり興味のない私は、延々と見ることが辛かった。 ラブストーリーと言うにもピンと来ないし、愛国心云々というのもなにか違うし、なんだか中途半端な印象を受ける。 ただ、私が衝撃を受けたのは、当時のアメリカの豊かさだ。戦争突入の背景にある国民感情は、「貧しく追いつめられてぶっちぎれた日本」に対し「優雅で華やかな暮らしをぶち壊されたアメリカ」である。 ボランティアの看護婦たちが、ハワイの病院に派遣されるのだが、彼女たちの華やかなこと。艶やかなドレスを身にまとい、派手な口紅を塗り、ヘアスタイルは美しくカールして整えられている。 柔らかな日射しの降り注ぐ病室には、まっさらな白いシーツが整えられたベッドが並び、カーテンが風になびく。薬品などの医療器具もたっぷりそろっている。 主人公のパイロットがヨーロッパの前線に向かう際に身につけているコートはバーバリー。腕にはタイメックスの時計。 着飾った男女がパーティーに繰り出す。恋に落ちたカップルはホテルで夜を過ごす。必ず帰ってくると男は誓い、出征する。 千人針とか防空壕とか防空頭巾とか集団疎開とか食糧配給とか特攻隊とか玉砕とか、そういう心が締め付けられる灰色をした言葉が、当然ながらそこにはない。 ついでに言えば、山本五十六の役をしていた男性が、あまりにも陳腐に映った。日本語もなんだか妙な言い回しで、当時はあんな言葉づかいが普通だったのかと混乱してしまうくらいだった。 日本でも公開され始めているとのこと。日本用にいくつか変更されている言葉があるらしいが、そのまま上映すればいいのにと思う。
●Muse:ミューズの意味 読者の方から、ミューズの意味を教えてほしいとの問い合わせがあったので、簡単に説明する。ミューズ(ムーサ)とは、ギリシャ神話に登場する、九人の女神の総称で、それぞれが、詩、音楽、舞踏、歴史など、芸術や学問を司っている。 ミュージアムやミュージックは Museが語源となっている。 一方、動詞のmuseには、「熟考する」とか「黙想する」「物思いに沈みながら、心の中でつぶやく」といった意味がある。 日本では薬用石鹸の商品名として知られているかと思うが、なかなか意味深い、とてもいい名前なのである。私のイニシャルであるMSが含まれているのも、ついでにいえば、とても気に入っている理由だ。本当にいい名前だと思う。
●ひらひらとフェミニンなドレスを購入 今、アメリカはセールのシーズン。夏物のファッションなどがあちこちのブティックやデパートで安売りされている。 最近、私もA男も、週末はきちんと休んで楽しもうと決めたので、二人で町歩きをする機会が増えた。ニューヨークに暮らし始めて5年たつが、こんなにリラックスした夏を過ごすのは、初めてのような気がする。 いつも夏は慌ただしかった。ミューズパブリッシングを設立したのは渡米後翌年の夏。その次の年は、そもそもマンハッタンで仕事をしていたA男が、MBA(ビジネススクール)に通い始め、フィラデルフィアへ引っ越しをした。その翌年には夏休みの間の仕事のために、さらに一時的にコネチカット州へ引っ越し。そして去年はMBAの卒業、就職に伴ってDCへ引っ越し……。結局A男の都合に振り回されていた感もあるが、ともかく夏はいつも落ち着きがなかった。 さて、先日、ブランチをすませ、アッパーウエストサイドを歩いていたら、ベッツィー・ジョンソンというブランドのブティックでセールをやっているのを見つけて入った。 以前の私なら着なかったであろう、ひらひらとしたデザインの、とてもフェミニンなドレス(ワンピース)がたくさん並んでいる。この手の愛らしいデザインのものは、日本では「大きなサイズ」がないから、たとえ欲しくても買えなかったというのが現実だ。 でも、しつこいようだが、アメリカの衣服のサイズは本当に大きい。私は標準サイズがちょうどいいから、合うサイズがなくて悲しい思いをすることがない。 ベッツィー・ジョンソンの小さな店内には試着室が4つほど並んでいる。試着室の中には鏡がないから、いちいち外に出て、大きな鏡に姿を映して検討する。 試着室は私を含めていっぱいで、みなが入れ替わり立ち替わり外に出て、鏡に姿を映しては、ポーズをとる。お互いの服を批評し合うなど、かなり賑やかだ。A男は鏡の脇に置いてあるイスに座って、私が試着するドレスにコメントをそえる。 A男は自分の服を買うときには全然決められず、非常に優柔不断で、何度もしつこく私の意見を求めるのだが、彼の私の服装に対するコンセプトは非常に明快。「エレガント(上品・優雅)」で「フェミニン(女性らしい)」、そして「セクシー」であることが、どうやら重要らしい。 私が本来好んでいた「スポーティー」で「カチッとした」印象の服装は、彼の好みと大いに反するのだ。この5年間のうち、私のワードローブ(洋服ダンス)の内容も随分と様変わりした。 私の着る服に、偉そうにコメントするA男を見て、他の女性たちもA男の意見を求め始める。 「ねえ、この色はどう? 丈は短すぎるかしら」 「このドレスとさっきの花柄のドレス、どっちが似合う?」 「これは胸元があきすぎてるかしら?」 次々と発せられる質問に、 「君には黒いドレスが似合うよ。パーティーなんかにもいいし」とか、 「さっきのドレスの方がよかったと思うよ」とか、 「仕事には向かないだろうけど、プライベートならいいんじゃない」 などと、ファッション評論家のように対応している。 尋ねる相手を間違っているのではないか、という気もするが、あながちそうでもなく、不思議なもので女性の服装などには極めて的確なアドバイスをするから、面白いものである。 私は、裾が風にひらひらとなびく、フェミニンなドレスを2着購入した。
●肉体労働プラス精神労働の日々:むやみやたらに取材編 某クレジットカード会社が発行するガイドブックの取材で、先週は月曜から木曜までの日中は、ひたすら歩いていた。
誤解を恐れずに言えば、旅行ガイドブックなどの仕事は、基本的に駆け出しのライターがやる場合が少なくない。何軒もの店やレストランなどに足を運び、必要な情報を集め、あくまで客観的な情報を文章にまとめることは、たいへんではあるけれど、難しい仕事ではない。 ひどいところでは、海外のガイドブックを作るのに、現地の学生に取材させたりしているところもある。 そんな仕事が、弊社にも舞い込んでくる。取材は約100軒近く。「駆け出しの仕事」などと偉そうなことを言っている場合ではない。ありがたく引き受けることとする。 シンプルな仕事とはいえ、お店取材の仕事も結構楽しいもので、またもやゲーム感覚気分がわき起こる。1日のノルマ軒数を決め、「いざ出陣!」とばかり、炎天下の中、たくさんの資料やカメラを入れた思い鞄を抱えて外へ出るのだ。 初日はアッパーウエストとアッパーイーストサイド、翌日はミッドタウン、3日目はダウンタウンと、ひたすら歩いた。雑誌の特集などは別として、ガイドブック程度の小さな写真なら、最近ではデジタルカメラでの入稿が多くなったから、カメラマンを雇わず、一人二役を兼ねる。 「新しい店」「ユニークな店」を求め、注意を払って歩いていると、街の様子がいつもと違ってみえる。この街は、本当に栄枯盛衰が激しく、常に動いていることがひしひしと感じられる。 どんなにユニークな店でも旅行者向けではなかったり、ニューヨーカーに人気のレストランでも日本人の口には合わなかったりと、店を選出するのも簡単ではない。 普段はめったに足を運ばないエリアで、しゃれたブティックやレストランを発見するのはうれしい。とてもいい店を見つけると、今度muse new yorkで取材しよう、などと下調べにもなる。 先週は暑くて参ったけれど、なんとか大半の取材を終わらせることができた。週末に休むためには、夜は夜で、原稿やデザインの仕事をしなければならない。かなり達成感の高い週だった。
●長距離を移動するカボチャ アメリカのカボチャは水っぽい。日本で売っているほくほくとした「西洋カボチャ」は、日系の食料品店などでしか手に入らない。先日、ニュージャージーで、恒例の日本食料を大量に購入した際、日本のカボチャを数個、購入した。 そのうちの一つをDCにも持ってきた。スーツケースに入れて。 DCとニューヨークの行き来が多くなるにつけ、食料などをむだにすまいとあれこれ持ち運ぶようになった。 さっき、カボチャを煮て、おやつがわりに食べたところ。サツマイモに共通するおいしさがあって、間食にもぴったりだと思うのは、私だけだろうか。
●ダイヤモンドを巡る旅:最終回 ダイヤモンドを巡る旅は、その2、その3と続けたかったのだが、思い切り端折って最終回。いろいろあったが、今、私の薬指には、きらきらと輝く石がおさまっている。 Vol. 40でも書いたが、アメリカの婚約指輪はなにしろゴテゴテしている。私は、できるだけ長い歳月、いつも身につけていられる、できるだけシンプルなものを求めていた。 理想の指輪を求めてリサーチ開始。結婚関係の雑誌やウェブサイトをのぞいたり、打ち合わせなどで外出するたび、ジュエリーショップで足を止める。しかし、どうしても気に入ったものが見つからない。 ついに私はミッドタウンにあるダイヤモンド街に足を踏み込んだ。47丁目、5番街と6番街の間の1ブロックは、ユダヤ人を中心とした宝石商たちの店舗がぎっしりと軒を連ねているのだ。中国、コリアン、ロシアなど他国の商人たちも見られる。 ショーウインドーにきらめく、素人目には海のものとも山のものともつかない宝石の数々。私は獣を追うハンターのような鋭い目つきで、プラチナのリングのデザインを眺める。ショーウインドーには、宝石がついているもの以外に、台座の部分だけも陳列されているのだ。 数軒目のショーウインドーで、ついに、見つけた。ティファニーの、私が求めていたデザインとよく似たシンプルな台座を。ちなみにティファニーの商品の一部は、このダイヤモンド街の職人たちが手がけているという噂も聞く。 店内に入り、加工の具合やデザインをチェックする。その後何軒か訪ね、いくつかの店で、似たデザインのものを見つけた。 結局、私は宝石商の友人Hさんに連絡をする。以前、muse new yorkやメールマガジンでも紹介した、エメラルドの貿易をやっていた彼女だ。彼女は今、ダイヤモンド街にある宝石関連の学校で勉強を重ねている。 彼女と相談した結果、彼女にすべてアレンジしてもらうことにした。予算と希望のダイヤのカラット(重量)を伝える。それにより、ダイヤの質を考慮してもらう。もちろん彼女への手数料も予算に含まれる。 中途経過はいろいろあったが、最終的に、彼女を通してベルギーのアントワープからダイヤモンドを取り寄せ、ダイヤモンド街の中で最も加工技術が上手だと思われる店で台座を購入し、セッティングしてもらった。 もう、すでに「婚約指輪」に伴うロマンティックな雰囲気は霧散しているが、A男も「Hさんに頼んだら?」とお任せ気分だったし、二人で予算も相談したので、あとは私とHさんとのやりとりになった次第なのだ。 ダイヤモンド街では基本的にはクレジットカードは使えず、すべて現金勝負。だから、Hさんにあらかじめ小切手を渡し、彼女が購入の際に現金化して支払うことになる。なんだかその怪しげな雰囲気が私の好奇心をかき立てる。なにしろ、ダイヤモンド街には、店頭に並んでいるのはごく一部で、それぞれの店舗が強靱な金庫を持ち、相当の在庫を保有しているのだ。 あの1ブロックだけで、いったいどれほどの「金銭的価値」があるのか、想像もつかない。マンハッタンで最もヘビーなブロックなのである。 さて、先々週の木曜の夕方。「ブツ」の取引を行うことになった。待ち合わせの場所は、ダイヤモンド街に近い、ロイヤルトン・ホテルのバー。あらかじめネイルショップに出かけて、指先を美しく整える。どの色がいいだろうと、いつもより長い時間、色選びに迷った結果、「アマルフィ」というイタリアの海岸の名前が付いた色を選んだ。淡い金色のそれは、柔らかな光のようである。 Hさんより一足先についた私は、はやる気持ちを抑えつつ、マティーニを飲みながら待つ。 ニコニコしながらHさんがやってきた。いい仕上がりだったに違いない。 「ここで感動しちゃだめなんだよね。今日はあくまでも検品、検品。本当の感動はあとにとっとかなきゃね」 などと言いながら、安っぽい箱を開け、中から黒いビロード製のケースを取り出し、パカッと蓋を開ける。 きれい! すてきなデザイン! キラキラしてる!! 指にはめてみると、とてもすんなりと収まる。私の手にとてもしっくりとくる。Hさんも「すごくいいよ、似合ってる」とほめてくれるし、私もそう思う。台座を求めて何軒も訪ねた甲斐があったというものだ。 下世話な話だが、Hさんを通して作ってもらった婚約指輪の価格は、市価の3分の1程度。日本だともっと高いから4分の1程度かもしれない。その現実もまた、喜びを増幅させる。 なくしたらいやだから、指輪はそのまま身につけて帰り、家に戻ってから柔らかな布で磨いて箱に戻し、家にあったリボンなどをかけて、きれいな紙袋におさめた。 翌日、DCから戻ってきたA男に、「お祝いの件」と言いながら、その紙袋をさりげなく渡す。A男もこのときばかりは気を利かせていて、翌日のブランチとディナー、両方に、すてきなレストランの予約をいれてくれていた。 「お祝いは昼と夜のどっちがいい?」 と聞かれ、夜まで待ちきれないから昼にすることにした。A男が連れていってくれたのは、近所のアッパーウエストサイドにある、こぢんまりとしたフランス料理レストラン「Cafe des Artistes (1W. 67th St.)」という店だ。近所ながら、まだ一度も訪れたことのない店だった。 まずはシャンパーンで乾杯。そのシャンパーンの色が、昨日塗ってもらったマニキュアの色と全く同じであることに気づいて、ささやかに感動した。 前菜に生のオイスターを食べたあと、ロブスターサラダにポトフをオーダー。そのポトフのおいしかったこと。鍋ごとテーブルに供され、テーブルでウエイターからサーブしてもらうのだが、具もたっぷり入っていて、ゆうに二人分はある。トロリとした「マロー・ボーン(牛の骨髄)」、柔らかに煮込まれた牛肉、それに各種野菜。コンソメのスープもとても上品な味で、本当においしかった。 食後は甘みを抑えたホイップクリームがたっぷりのパイに、ストロベリーやブルーベリー、クランベリーなど、ベリー類がたっぷりあしらわれたデザートを二人で分ける。さらには、食後酒にポルトガルの甘いワイン「ポートワイン」を少し。至福のブランチだった。 「お祝い」の詳細は、公表するには恥ずかしいので割愛するが、レストランを出るときには、私の薬指にはキラキラと光る石が収まってた。 こんな小さな石なのに、しかも、受け取ることを予想していたのに、こんなにうれしい贈り物は、これまでの人生でなかったというくらいに、うれしかった。 小学校に入学するとき、福岡の新天町にある大隈カバン店でウサギのマークのランドセルを買ってもらい、さらにはクロガネの学習机を買ってもらったとき以来の、それは強い感動だった。 午後の街を歩きながら、何度も石を光に翳してみた。太陽の光、電灯の光、夕陽の光、キャンドルの光……。それぞれの光によって、違う色や輝きを呈する石。小さな石の中に、無数の光の破片が息づいているように見える。 A男に「もう、いいかげんにしたら?」と言われるくらい、折に触れ、眺めている。 1週間以上たった今でも、そのうれしさは変わらない。毎晩、ハンドクリームを丹念に塗って、爪もきれいに整え、一人悦に入っている。 いつまで続くことやら……。 |