ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 30 2/25/2001

 


たいへんご無沙汰しています。最後に発信してから10日間、DCにてほぼ軟禁状態でコンピュータに向かい続けたのち、火曜日にニューヨークに戻ってきました。それからいくつか取材などをして、muse new york の春号も仕上げて、今は土曜日の午後。またもやワシントンDCにいます。

本当は、久々の休日をニューヨークでのんびりと過ごしたかったのですが、たまたまA男のおじさん(A男の母親の兄)がインドからアメリカへビジネスで来ていて、わざわざ私たちに会いに、DCまで来るというのです。一緒に食事をしようと誘われ、そのおじさんはかなりA男と近い関係にあるため、断ることができずに、もう、へとへとになりながら、またもやDCへ来ました。

今、ジョージタウンという街のカフェにいます。駅からタクシーで直行してここへ来、夕食の待ち合わせまでの1時間半を、せめて有効に使おうとこうしてノートブックを開いた次第です。夕食は、先日紹介した、クラブケーキ(カニのコロッケ風)がおいしいシーフードレストランで取る予定。

「ああ、おいしいものを食べるぞ、もう!」 という感じです。

 

●こんどはパキスタン人タクシードライバーの身の上話

さっき、DCのユニオンステーションからジョージタウンまでのタクシーのなかで、またもやドライバーと話しが弾んだ。4時間の列車の旅で、疲れ切っていたのだが……。私は、職業柄「インタビュー癖」がついており、人についつい身の上話をしゃべらせてしまう傾向にある。自分のことも気軽に話すから、向こうも気を許すのだろうけれど。

彼は1979年にパキスタンからアメリカにやってきた。最初はニューヨークで5年ほどドライバーをやっていたが、それ以降はDCへ移り、15年以上たつ。

「パキスタンへは時々帰るの?」

「いや、一度帰ったきりだよ。兄弟はたくさんいるけど、ほとんどがドイツとアメリカに移民したんだ」

ここで延々と身内の退屈な話が続く。それを遮るように次の質問。

「一日にどれくらい運転するの?」

「2to 2。午後2時から夜中の2時まで。毎日だよ。僕は独身だし、やることないから、仕事が人生なんだ。アメリカは、パキスタンに比べるとずっと経済が強いから、ここで働いてる。でも、僕を見てごらん。このひげも、髪型も、それに来てる服だって、20年前から何一つ変わっていない。ここに住んでいても、ぼくはアメリカナイズされたくないんだ。ぼくは生活のためにここにいるけど、アメリカの文化が好きでここにいるわけではないんだ」

「この間、タクシードライバーの許可証の更新のために病院で健康診断に行ったんだけど、ドクターが驚いてたよ。「君の健康状態は "More than perfect"、完璧よりも上だ」って。何をどうしたら、こんな健全な身体が保てるのかって聞かれたよ。僕はね、20年間、一度も外食したことがないんだ。もちろん、マクドナルドなんて行かないよ。アメリカの食事は添加物ばっかり。身体にいいはずがない。」

「ぼくは毎日自分で食事を作るんだ。ルームメイトと一緒にね。彼もパキスタン人なんだよ。パキスタン料理専門のマーケットに行って、新鮮な野菜や肉を買って、毎日料理するんだ。チャパティってパン、知ってる? あの平べったい。そう、あれもちゃんと小麦粉からこねて焼くんだよ。あれは翌日まで持つけど、3日はだめだね。だから一日おきに焼くんだ。昔ながらの食事しかしていないから、ぼくは20年前と体型は変わらないし、『完璧以上に健康』なんだよ」

彼はわずか10分ほどの間、ずーっとしゃべり続けていたが、上記のコメントは印象に残った。健康だから彼が幸せかどうかは別として、なかなかインパクトのある話しだった。ちょっと時間がとれないからと、ここ2週間、まともな料理もせず、ビタミン剤などを飲んでお茶を濁していた自分をちょっと反省した。

 

●デトロイトとフォードのことなど

車に詳しくない私だが、リサーチを重ねて書き上げた。野球の発祥地「クーパースタウン」につづいて、自動車の聖地「デトロイト」の記事だ。デトロイトには自動車三大メーカー、通称ビッグスリーがある。フォード、GM、そしてクライスラー。フォードが運営しているアミューズメントパークで毎年開催されている「オールドカーフェスティバル」が50周年を迎えたと言うことで、昨年の秋に取材に行った。

記事では、オールドカーフェスティバルの話しに加え、自動車の歴史なども紹介している。世界で初めてガソリン・エンジンによる自動車が誕生したのは、1885年のドイツ。時を同じくして、カール・ベンツ氏とゴットリーブ・ダイムラー氏が別々に発明したとされている。その後、ヨーロッパ各地に広まり、まもなくアメリカにも伝えられた。

1908年、創業から5年の歳月を経て、フォードが初の大衆自動車「T型フォード」の販売を実現する。自動車1台の価格が平均2000ドルを超えていた時代に、T型フォードは850ドルで販売開始されたという。その後19年間で、のべ1500万台の売り上げを記録。最終的には1台290ドルまで値下げされた。

ヨーロッパで「上流階級の乗り物」として誕生、普及した自動車を、フォードは「大衆の乗り物」として普及させた。彼はまた、ベルトコンベアーによるオートメーションを開発した人物でもある。

貧農に生まれた彼は、農民の生活に不可欠な輸送手段を、列車や馬車にかわって自動車が担うようになれば、どんなにこの国が豊かになるだろうか、と夢見ていた。

T型フォードの出現、普及により、それまでは、この広大な国土を、鉄道という「線上」でしか移動できなかったのを、自動車で縦横無尽に移動できるようになった。流通システムがドラマティックに変化したのだ。今では当たり前のことだが、当時は夢のようなことだったに違いない。

故障が多く、性能が今ひとつのアメリカ車。けれど、歴史を紐解くと、創業者の祖国への思いが、産業やビジネスの発展に大きく寄与していることに気づき、感慨深い。

 

●バレンタインデー、みなさまはいかがお過ごしでしたか?

アメリカでは、バレンタインデーは「二人の愛を祝福する」といった意味合いを持つので、もちろん、日本のように女性が男性にチョコレートを贈る日ではない。カップルは二人で食事に出かけたり、プレゼントを交換したりする。結婚した夫婦も、子供をベビーシッターに預けるなどして、二人で出かける場合が多い。

主には男性が女性へ花を贈ったり、チョコレートを贈る場合が多いようだ。ちなみに、アメリカは、贈答菓子と言えばチョコレート、せいぜいクッキーくらいしかない。日本のデパートの地下のように、無数の菓子類が美しくパッケージされ陳列されているのを見たら、アメリカ人は驚嘆の声を上げるに違いない。

A男は、18歳までインドにいたから、日本人のようにバレンタインデー情報に洗脳されておらず、未だに2月14日がバレンタインデーだということを覚えていない。だから、2月に入った段階で、何度か告知せねばならない。

どんなに忙しくても、バレンタインデーはしゃれたレストランで食事をしようと決めていたのに、気づけば数日前。二人してあわてて、あちこちのレストランに電話をするも、すべて満席。ようやく見つかったと思えば、普段は一人50ドルも払えばおいしい料理が楽しめる店が、この日ばかりは「プリフィックスで1人150ドル」なんて言うから、いやになる。プリフィックスとはコース料理のようなもので、それ以外のアラカルトはオーダーできないのだ。クリスマスイブやバレンタインはこのような「決まったメニューを高い値段で」出す店が多い。

去年も同じ失敗をしたわよね、なんてお互いの段取りの悪さを責めつつも、仕方ない。結局、しゃぶしゃぶを食べに行った。アメリカ人をはじめとする「非日本人」にとっては、エキゾチックな日本料理店でバレンタインの夜を過ごすのは「粋」だろうが、私にとっては……ねえ。という感じ。

酒マティーニを飲み、DC名物カニがたっぷりの「カニ酢」、茶碗蒸し、ちょっと奮発してトロやウニの寿司に加えて、しゃぶしゃぶ。おいしかったし、お腹いっぱいになったし、それなりに楽しい食事だった。ちなみに、今年はプレゼント交換はなかった。

 

●パンダを見た。かわいかった。

アメリカでも、パンダはやはり「客寄せパンダ」だった。

先週の土曜、煮詰まりきっていた私は、もうこれ以上コンピュータを見るのも触るのもいやだという拒絶反応を起こして、イライラ・プリプリしていた。

このままじゃいかん、気分を変えようと、動物園に行くことにした。幸い天気もいい。A男もまたタフな1週間だったようで、彼は家でのんびりしたいと言うのを、「いやなら、私、一人で行くわよ、動物園」と言って準備を始める。せっかくいい天気なんだから、爽やかな外の空気を吸わなくては。人が出かけるとなると、一人になるのは寂しいらしく、A男ものろのろと着替えはじめる。

動物園は、先日紹介したスミソニアンが運営している。ここにはジャイアントパンダがいるのだ。

私にとってパンダと言えば、上野動物園のカンカン、ランランだ。1972年、日中友好条約の証として贈られた、あのパンダたちである。あのころ、本当にパンダがはやったものだ。私の妹も大きなパンダのぬいぐるみを持っていた。オルゴールが内蔵されたパンダも持っていた。

広い敷地内にパンダは2頭。それを見る人間は山ほど。オスのパンダが、メスのパンダにかみついたり、抱きついてみたり、木の上から落としてみたりと、やんちゃ坊主のようで、それはそれはかわいい。その上、やたらと「でんぐり返し」をするのだ。その身体のやわらかいこと。仕草もかわいくて、観客から何度も歓声が上がる。ずーっと見ていても全然飽きないかわいさだった。パンダをあんなに間近に長い時間見たのは初めてだったので、とてもうれしかった。

ほかに印象的だったのは、ゴールデン・ライオン・タマリンというサル。金色の毛に包まれた、しっぽの長い、とても小さなサルだが、顔の作りが人間みたいで、怖いくらいだった。じーっと見つめ合ったりした。詳しくは

http://www.wnn.or.jp/wnn-z/data/south/tamarin.html

これは孫悟空のモデルになったサルではないか、と思いこんでいたのだが、調べてみたらキンシコウという違うサルだった。その写真が、すごく孫悟空そっくりで衝撃的だったので、興味のある方、こちらへ。

http://www.yomiuri.co.jp/chubu/doubutu/kin0531.html

それから、モンゴルのフタコブラクダもいた。見渡す限り地平線のゴビ砂漠で、ラクダに乗ったときのことを思い出した。私を背中に乗せたラクダが、ゆっくりと立ち上がったとき、想像以上に視線が高くなったことがとても印象的だった。ラクダのコブは、とても柔らかくてフワフワしで、気持ちよかった。

スミソニアンは研究所を兼ねているだけ合って、見るに辛い展示物もあった。透明のガラスの向こうで、おそるべき数の蟻がうごめいていたり、巨大なゴキブリがわさわさしていたり。

ああ、書いているだけで気持ち悪くなってきた。失礼。

A男は、巨大なタコがスタッフと一緒に遊んでいる姿にいたくひかれて、随分長いこと見つめていた。スタッフが水槽の上からゴム製の人形などでタコの吸盤に軽く触れると、タコがそれに「じゃれついて遊ぶ」のだ。

そういうわけで、数時間をのんびりと動物園で過ごし、おいしい夕食でしめくくり、随分気持ちが和んで帰ってきた。


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