ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー
Vol. 18 11/29/2000
今日は11月29日。ロックフェラーセンターの巨大なクリスマスツリーの、点灯式が行われる日です。昼頃、打ち合わせの帰りに五番街を通過したのですが、交通規制のためのフェンスなどが路肩に寄せられ、夜のイベントへの準備が始められていました。 いよいよ、本格的なクリスマスシーズンです。この時期になると、街の文房具店やカードショップはたいへんなにぎわいとなります。アメリカ人にとってクリスマスカードは一年のうちで最も大切なカード。日本人にとっての年賀状のようなものです。 お店には、実に多彩なクリスマスカードがズラリとディスプレイされ、ニューヨーカーたちは、一枚一枚手にとって、真剣に選びます。企業の場合は、カタログで出来合いのカードの中から好みのものを選び、ロゴやオリジナルのメッセージなどを印刷してもらうのが一般的です。私もそろそろ準備を始めなければいけません。 最近、うちの近くのブロードウェイ沿いに、「Paper Access」というカードやペーパーの専門店がオープンしました。センスのよいカードがたくさんあり、また、自分でデザイン、印刷する人向けの、洒落たペーパーや封筒などもあります。この間、スーパーマーケットに行った帰りに立ち寄ったのですが、あれこれと眺めているだけであっと言う間に30分以上も過ごしていました。来週早々にはきちんとクリスマスカードのコンセプトを決めて、紙を買いに行こうと思っています。 ニューヨーカーはオフィスのデスクに家族の写真などを飾るのが普通ですが、もらったクリスマスカードもまた、机のすみや棚の上にきれいに並べます。ピンで壁に留める人もいます。私もこの季節、いただいたカードは本棚にきれいに並べ、年末まで飾ります。 さて、muse new york冬号の印刷が終わり、今日、製本されたので、明日、オフィスに届きます。金曜と来週の月曜は、配達です。3カ月に一度の豪華肉体労働が待っています。 さて、今日は印刷所にまつわるエピソードをご紹介します。
●印刷工場のことなど サンクスギビング・ホリデー明けの月曜日、朝の10時。muse new york冬号の印刷のため、今、印刷所に来ている。今日は1日、印刷所、およびその周辺で過ごすことになる。第1回目の印刷チェックを終えて、近所のマクドナルドで朝食のエッグマフィンを食べたところだ。 muse new yorkの場合、印刷は、4ページを大きな紙にまとめて配したものを輪転機にかける。今のところ合計20ページだから、5回、印刷チェックが必要だ。最初の段階でインクのノリを見たり、汚れがついてないかなどを確認し、問題がなければ輪転機を回して1万部、刷る。刷っている間は、私はすることがないので、工場の中をうろうろしたり、読書したり、食事に出たり、こうして持参しているノートパソコンに向かったりする。 マンハッタン島の東部、イーストリバーの向こうに広がるクイーンズ区にある印刷所までは、オフィスから片道実質1時間ほど。Muse Publishing, Inc.を立ち上げて以来約3年間、ほぼ9割近くの印刷をここに頼んでいる。マンハッタン内にも印刷所はあるが、こことは比較にならないほどコストが高い。一方、もっと田舎の州などに行けば安いところもあるが、印刷の現場に立ち会えなくなるので、現実的ではない。 たいていの制作会社は印刷に立ち会わず、印刷所に任せきりのケースが多いのだが、心配性プラス「日本の品質」に拘る私には、そんなことは怖くてできない。多分、「日本で」この仕事をしてきた人なら、任せきりにはできないはずである。 アメリカで「お任せ」すると、時に、とんでもないことが起こるのだ。フロリダの投票用紙ですら、ああなのだから。 この印刷所は、親族経営の町工場、といった規模。オーナーは、香港出身の中国人中年女性。仮にジャネットとしておこう。ジャネットの甥(仮にジェームズとしておく)が、マネージャー。請求書を切るなど財務関係はジャネットが責任者で、ジェームズは現場の仕切やスケジュール管理、見積もり作成などを担当している。彼は多分、私と同じくらいの歳だろう。この工場はアメリカにあるとはいえ、完璧に中国。スタッフ同士の会話も中国語だ。 最近でこそ、その頻度は低くなったものの、はじめの頃は度重なるトラブルに何度も頭を抱えた。今のところ、トラブルの割合は7割から4割程度に減った。一応、進歩している。 日本の出版業界の常識を抱えて来た私は、アメリカの出版業界の基準に慣れるまで、いくつかの失敗と、大いなる戸惑い(怒り)を経験した。印刷に至る前の、デザインの出力工程や入稿のスタイルも日本とは異なる。現物が仕上がって、クライアントに納品されるまで、日本時代には感じる必要のなかった緊張感がある。なにしろ、運送上のトラブルも多いのだ。航空便はFEDEXを使うのでまあ、安心だが、大量の印刷物は、予算の関係上、陸送となる。アメリカは広いから、西海岸まで軽く1週間はかかってしまう。陸送の場合、段ボールに入った印刷物が損傷して届くことも多い。遅れるなんて日常茶飯事。「箱ごと紛失」ということも、珍しくないのだ。 さて、印刷所に関するエピソード。ある時、新聞折り込み用のフライヤー(チラシ)の印刷を頼んだ。黒インクだけの一番安いオフセット印刷だが、紙は「薄いブルー」を指定していた。さて、印刷当日、1時間かけて印刷所に向かい、現場へ。するとそこには、なぜか「薄いグリーン」の紙が用意されている。なぜ? 白黒印刷担当のおじさんに(中国人)問いただすも、彼は英語ができないので、会話にならない。 ジェームズを探し、理由を尋ねる。私はブルーを頼んだはずだけど。 「グリーン紙が余ってたんだよ。グリーンでもいいでしょ?」 「いいわけないでしょ! ブルーと言ったらブルーなの!」 「そうか、それじゃ仕方ないな。明日また来て」 「……!!」 こんなこともあった。小冊子の印刷。予算の都合上、表紙だけ分厚い紙で中は薄手の紙で印刷することになった。ところが印刷所に着くと、表紙の紙をオーダーするのを忘れていたとジェームズは言う。だから明日来てくれと。 私は来た道を引き返す。怒りに打ち震えながら。 翌朝。到着した私に、ジェームズが苦笑しながら手招きをし、倉庫の方へ連れていく。 「正しい紙をオーダーしたんだけどさ、紙屋が箱のラベルと中身が違うものを送ってきてたんだよ。今、気が付いたんだ」 今度は紙屋が失敗か……。鼻息荒く、大股歩きで、来た道を引き返す。 3日目。印刷所に到着。ようやく正しい表紙の紙が届き、その印刷を終えて、中身の印刷に取りかかる。仮刷りを手に取る。 「あれ、この紙、薄くないじゃん」 いやな予感がする。ジェームズを呼ぶ。間違えていた。分厚い紙を取り寄せていた。結局、分厚い紙の方がきっちりしてるし、クライアントからは重量の制限はなかったし、できれば分厚い方がいいって言ってし、もういいや、という気持ちでそのままGOとした。 出来上がりを見たクライアントは 「まあ、思ったよりもとてもしっかりしたものができたのね、坂田さん」と喜んでくれた。怪我の功名である。まさか、「印刷所が間違ったんですよ」なんて言えない。「ぎりぎり予算の枠内でおさまったので、いい紙を使ってみました!」と朗らかに答える。 これは結果としてよかったからいいのだが、うまくいく結末ばかりではないのだ。とにかく、この手の行き違いが多く、何度も無駄足を踏み、憤ることしばしばである。 けれど、月日の流れと共に、現場のおじさんたちとも顔なじみになり、そこはかとない「愛着」が生まれてきたのも事実である。特にカラー印刷担当のおじさんと白黒印刷担当のお兄さんとは、頻繁に仕事をしているので、ずいぶん仕事がしやすくなった。 カラー印刷おじさんはベトナム・サイゴン出身の中国人華僑だ。輪転機の横にある机の上には、妻(きれい)と娘(かわいい)の写真、それにタッパーに入ったランチ(スープに入った麺であることが多い。のびてしまいそうでいつも気になる)とお茶、醤油などの調味料が並んでいる。時々、中国語の歌謡曲を流しながら仕事をしている。 机の横の壁には、中国の五言絶句(一句が五字からできあがっている漢詩の句)の「書」が掛けられているほか、ベトナムの風景入りカレンダーもある。輪転機の裏側の、見えにくいところには、かわいい中国人タレントのヌードポスターが貼ってある。職場にヌード写真とは、これまたいかに、である。 ヌードポスターで思い出したが、以前、かわいらしいクマのイラストが入った印刷物を刷っていた時のこと。インクのノリが安定するまで、試し刷りには使用済みの紙を使うのだが、輪転機から次々に飛び出してくる紙を見て愕然とした。全裸の若い男性がもつれあう無数の写真が全面に印刷された紙の上に、我が愛しのクマが印刷されていたのだ! ううぅぅぅ。 この印刷所では、英語はもちろんアジア各国語の新聞や雑誌、レストランのメニューにカードなどあらゆるものを刷っているが、ゲイの風俗誌まで刷っているとは知らなかった。それはそれは刺激的な写真群だった。こんなことをフェミニストなアメリカ人女性の前でやったら、セクシャルハラスメントで訴えられるだろう。 刺激的な写真に目が釘付けになっている私をよそに、カラー印刷おじさんといえば、全裸の男性など眼中にないという様子で、くわえタバコで刷り上がりの紙をカートに移動する。ちなみに、紙やインクなど極めて可燃性の高いものを扱う工場でありながら、くわえタバコである。禁煙が徹底しているアメリカにあって、やはりここは中国なのだ。 とはいえ、カラー印刷おじさんは、かなりの職人気質。最初の頃こそ、私が細かいチェックをして何度もやり直しを頼むので、鬱陶しく思っていたようだが、最近は、最初の段階から、完成度の高いものを仕上げてくれるようになった。私が言わなくても「この辺りの色、もう少し明るくしようか」など、自主的に直してくれることもあるので、とてもうれしい。機械は旧式だし、規模も小さいから作業効率は悪いけれど、その分、密に仕事ができるのはありがたい。 一方、モノクロ印刷のお兄さんは、いまひとつお気楽気分で仕事をしている。muse new yorkはモノクロだから、彼と仕事をする機会も多いのだが、私が小さな汚れなどを見つけて、これを取ってくれと頼むと、大げさに目を凝らしてみて、「えっ、これを取るの?」というような表情で、苦笑いなどさえする。最初の頃は、そんなやりとりで時間を費やしていたが、今では彼も随分、「重箱の隅をつつく」私に慣れてくれた。 断っておくが、私はなにも、過度に神経質で厳しいわけではない。あくまでも「日本の標準」を保ちたいだけなのだ。それは、ニューヨークで私がこの仕事を続けていくための、ぎりぎりの条件でもあり、意地でもある。何しろ、ほとんどのクライアントが日本企業であり日本人だから、アメリカ感覚の仕上がりを納品するわけにはいかないのだ。 いつだったか。何かの雑誌に載っていた、中国系のアパレル関係の工場主が嘆いていたコメントを思い出す。 「日本人のバイヤーときたら、洋服を裏返して糸のほころびまでチェックするから、やってられない」 アメリカ人は、裏地がほつれていようが、ちょっとほころびがあろうが、あまり気にしない。でも、日本人は違う。完璧であることが基準なのだ。 さて、月日を追うにつれ、私も印刷所との付き合い方に慣れてきたし、彼らの方も努力してくれていることがわかってきた。しかし、半年前、ジェームズの不手際で、muse new yorkの印刷チェックに行ったにもかかわらず、3日にわたって無駄足を踏むことになったことがあった。3日目の帰り際、私は、怒り心頭に達した。いくら安いからって、こんなにスケジュールがずれて、基本的なミスが続くなんて、もうこれ以上、耐えられない! 頭に血が上った状態で、工場から地下鉄駅まで歩く10分の間、私は初めて、他の印刷所を使う決意をした。よほど高い印刷費を支払わない限り、どの工場も、クオリティや対応は変わらないことは知っている。でも、どんなに自分が間違っても「絶対に謝らない」ジェームズにも腹が立っていたのだ。トラブルが起こると、社員同士の会話で中国語を使われ(普段からそうなのだが)、私がまったく理解できないのも、ついでに言えば不愉快だった。 霊感の強い人だったら、駅までの道を歩く私の背後に、メラメラと燃えさかる真っ赤な炎が見えたことだろう。それくらい、私はワナワナと怒りに打ち震えていた。 そして翌週、すでに頼んでいた印刷物のチェックをすませ、「これで最後かも」と思いつつ印刷所を去ろうとした。その時、オーナーのジャネットが私を手招きし、小声でこう言ったのだ。 「この間はごめんなさいね。ジェームズにはきつく言っておいたから。あのmuse new yorkの印刷代は請求しないから、許してちょうだい」 私はびっくりした。いくら無駄足踏んで、スケジュールが狂って、腹が立ったとはいえ、お金は当然払うべきだ。しかも印刷費は決して安いものではない。「気にしないで、ちゃんと払うから」と辞退したのだが、彼女はゆずらない。結果的にうれしいことではあるけれど、驚いた。それと同時に、彼女の勘の鋭さにも驚いた。なぜなら前回、私が激怒していた状況を彼女は直接見ていないし、これまでもこんなトラブルは何回もあったから、たいして珍しいことではなかったのだ。ただ、不満が積もり積もって、「もう、この印刷所とはおさらばだ!」と思ったタイミングで、彼女は「今回は請求しない」と言ってくれたのだった。 私はジャネットのことをよくは知らないけれど、経営者として現場で仕切る一方、自らあれこれと肉体労働をし、それでもきっちりとメイクをして女性らしさを漂わせ、そして見るところはしっかり見ている彼女に対して敬意を覚えた。 -----------と、いいところで締めくくろうと思ったのだが。 今日もまた、ジェームズはやってくれた。今日、全部印刷するっていうから、スケジュールを調整してきたのに、半分は明日に延期だとか。ああ。もう。明日の予定、変更である。やれやれ、だ。ま、これがニューヨーク流、いや、中国流なのだ。仕方ない。 異国で仕事ができるのだから、それだけでもありがたいことだと思おう。 |