坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 133 4/5/2005 


●人生は、おとぎ話
●あれからもう、1年
●宮沢賢治『注文の多い料理店』


一昨日から夏時間、サマータイムとなりました。夏時間の始まる日曜日は、なぜかいつも、独特の軽く明るい風が吹いていて、不思議なくらいに心が沸き立ちます。わたしが夏が好きだということもあるのかもしれませんが、本当に、わくわくとするのです。それにしても、日が長くなるというのは、うれしいものです。

今年は春の訪れが遅く、ここしばらくはずっと雨や曇りの悪天候が続いていました。しかし、夏時間に変わったとたんに、昨日、今日と快晴で、例年よりずいぶん開花が遅れている桜も、一気に満開となりそうな気配です。それでなくてもこの地の春は短いのですが、今年はもう春を飛び越して、すぐさま夏が来そうです。

さて、わたしたちは明日からロンドンです。またしても、A男のヴィザの関係でついさっきまで、行けるかどうかあやしかったのですが、直前になって確定しました。インド国籍保持者は、欧州を訪れるにもヴィザが要ります。

英国大使館は我が家から歩いて10分ほどだから、いつでもヴィザを取りに行けると思っていたのですが、先週水曜日の深夜、申請の手続きをしようとインターネットで情報を集めていたら、なんとワシントンDCの英国大使館は最近になって、査証業務を行わなくなったことが発覚。

ニューヨーク領事館で査証を取らねばならないとあるのですが、郵送ではもう間に合わないません。これはもう出向くしかないとアポイントメントを取ろうとしたところ、向こう10日先まで予約はいっぱい。

ミーティングの予定も入れ、航空券も予約したのに、英国に行けないじゃないの! と大騒ぎとなりましたが、結局翌朝、「ヴィザ取得代行業者」に電話をしたところ、アポイントメントの枠を押さえているとかで、ぎりぎり明日出発の日の朝までにはヴィザを準備できるだろうとのことでした。

またしても「危険な綱渡り」状態に陥っていましたが、先ほど、1日早くヴィザのスタンプが押されたパスポートが届いたとのことで、なんとか明日、出発できることになったのです。本当に、インドの国籍は融通が利きません。彼には米国市民権を取得する必要があるかもしれないと痛感します。

英国行きの名目はA男の転職活動ですが、おまけに休暇も取って10日ほど滞在するつもりです。滞在中、列車でパリへも行きたかったのですが、英国はシュンゲン協定(欧州連合(EU)加盟国の一部が結んだ「検問廃止協定」)に加盟していないので、英国外には出られません。

10年前に取材で訪れたコッツォルズ地方がロンドンから比較的近いので、ガーデン巡りなどを楽しんでこようかと思っています。次回、旅のレポートを書ければと思います。

 

●人生は、おとぎ話

わたしが、ホームページの「片隅の風景」という項に、毎日の写真と言葉を載せるようになってから、2年が過ぎた。毎日の暮らしの中での、目に留まった風景、心に刻まれた出来事、記憶に残った味などを、写し、綴っている。

もちろん、いつもは「真実」を記しているのだが、4月1日は、エイプリールフールだったので、いつもとは違って「本当ではないこと」を書いた。3枚の写真 <青空、スイセン、青いペンキを塗る人> とともに。

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【4月1日のできごと】

今朝、ベッドの上で瞼を開いたら、窓の向こうに広がる、澄んだ青空が目に飛び込んできました。とてもよい眺めでしたので、しばらくは起きあがらずに、その青空を見つめていました。すると、まるで空から溶け出したみたいに、青い小鳥が現れて、わたしたちの窓辺へ舞い飛んで来ます。

わたしは起きあがり、静かに窓辺へ歩み寄りました。小鳥はその黄色いくちばしに、小さな緑色の葉っぱを、くるくると回すようにしながら、くわえていました。わたしがそのさまを見つめていると、小鳥は葉っぱを窓辺にはらりと落とし、「ピョロロ」と一声、かわいらしく鳴いたあと、ハタハタと、また青空に溶けこむように飛んでいきました。

夫はまだベッドですやすやと眠っています。わたしは窓を開けて、その葉っぱを見つめました。つやつやとした、黄緑色の新芽です。葉っぱの中ほどに小さく、"Spring"と読めます。葉っぱを拾い上げたら、その文字が、さらさらと金色の粉になって、風に舞い飛びました。きらきらと朝日を受けて、あたりが一瞬、ぱあっと明るくなりました。ようやく、春が来たのです。

わたしは弾むようにベッドに飛び乗り、「春が来たのだから、起きてください」と、夫をゆさゆさと揺り動かし、冬眠から起こしました。それからわたしはキッチンへ行って、今日のために用意していた茶色い卵を籠からたくさん取りだして、ゆで卵を作りました。湯気が立ち上るあつあつの卵の殻をむき、大きなボウルに入れて、胡椒をふりかけ、マヨネーズと混ぜ合わせます。

それから食パンを、丁寧にスライスして、数え切れないくらいの卵サンドイッチを作ります。サンドイッチと紅茶のポット、それからナプキンを何枚か、バスケットに入れて、出発です。今日はスイセンの合唱を聴きに行くのです。春が来た日、スイセンは歌います。それを卵サンドイッチを食べながら聴くのが、毎年の、わたしたちの「ならわし」なのです。

街では早速、春の準備が始まっています。水色や黄色の家々は、ペンキの塗り替えが行われています。その様子を眺めるのは、とても楽しいものです。街を抜けて、運河を渡り、しばらくは木漏れ日の中を歩きます。やがて緑の丘の、木のふもとから、スイセンの歌声が聞こえましたので、今日はそこで過ごすことにしました。

黄色や白の、スイセンのハミングを聴きながら食べる卵サンドイッチは最高の味です。パンもいい具合に焼けています。途中から赤い小鳥もやってきて、ときどき一緒に歌います。「もうたくさん」というくらい、食べ終えるころには、ポットの紅茶もぬるくなって、夕陽が丘の向こうに沈んでいきます。

赤い小鳥たちは、ぷるるんと身震いをして、夕陽に向かって飛んでいきます。瞬きをする間にも、紅色の空に溶けこんで、もうすっかり、見えなくなってしまいます。わたしたちも、立ち上がって、洋服に付いたパンくずを、たんたんとはたいて、スイセンにお礼を言い、手をつないでハミングしながら、家に帰ります。

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これを書いた数日後、母に電話をしたときのこと。開口一番、母が言う。

「この間は、ピクニック、楽しそうだったわね〜」

「え? いつの?」

「卵サンド持って行ったんでしょ?」

「やだ〜! お母さん、本気にしてたの? あの4月1日のできごとは、作り話よ! エイプリルフールでしょ! 」

「え〜! そうだったの?! わたし、すごく楽しい気持ちで読んだのよ。本当の話じゃないの?」

そこからはもう、二人で大笑い。

「青い鳥が来ただなんて、この春は、ミホたちいいことがありそうね〜 と思ってたのよ! なんか、ミホは、新しく文章の路線を変えたのね〜と思いながら読んだんだけど、まあ、そうだったの?」

「青い鳥がほんとに葉っぱをくわえて来るわけないじゃない!」

「だって、ミホのところは、赤い鳥が飛んでたでしょ。だから青い鳥が来てもおかしくないな、と思って」

確かに、赤い鳥は我が家の近所で飛んでいる。

この地上6階の我が家の窓辺に、リスが遊びに来たこともある。

「それに、アルヴィンドはいつもぐっすり眠るでしょ。だから冬眠してるみたいに寝てるってことなのかと思ってね」

確かにそう言われると、真実を、ほんのちょっと脚色した、という程度に映るかもしれない。

「でも、卵をたくさんゆでないよ。アルヴィンドはコレステロール高いんだし、マヨネーズなんかたっぷりかけた日には、健康に悪いしさあ。第一、スイセンが、歌うわけないやん!!」

「そうでしょ、ダイエットしてるって言ってるわりに、おかしいな〜とは思ったんだけどね。でも、楽しそうと思ったのよ。夕暮れまで、って書いてあったから、ミホたちはずいぶん、ゆっくりとピクニックしてたのねえ、と思ってね」

スイセンが歌うとは思わなかったまでも、わたしたちが卵サンドイッチを持ってピクニックに出かけたと、母は思ったらしい。

そのころ、福岡地方には震度2か3の微震があったようだが、母は大いに笑っていたせいか、揺れを感じなかった様子。

笑いの余韻を残しながら電話を切ったあと、一抹の感傷が心をよぎった。

世の中には、現実と虚構をはっきりと区別しなくてもいいことが、意外にたくさんあるのではないかと思った。もちろん、それらを混沌とさせてしまうと、他者との関わりの中での「正常な社会生活」に支障を来してしまうことがあるかもしれない。

けれど、それが過去のことであるならば、母が楽しいと感じてくれたなら、もう、それは本当に起こったこととして、記憶に留めておくのも幸せな気がしたのだ。

「本当に起こったことかも知れない」と考えるともう、わたしは好物の卵サンドをたっぷりと食べた気持ちになり、スイセンを見るに付け、小さな歌声が聞こえてくるのではないか、という気さえする。

現実のわたしたちの4月1日は、金曜日だからA男は仕事に出かけていたし、わたしは肩こりがひどかったので、マッサージセラピーに出かけていた。その行き帰りにスイセンの花々を眺め、壁にペンキを塗る人を見かけたけれども。

ともあれ、ワシントンDCの、この場所に暮らして本当によかったことは、米国の首都という場でありながら、身近に豊かな自然が満ちあふれていることだ。

ことにカテドラル(大聖堂)周辺の庭園には四季折々の花々があり、小鳥たちが歌い、夜明けのころや、夕暮れ時は、本当に自分が、妖精物語のなかに紛れ込んでいるような気持ちになることがある。

もう20年近く前に観た、『ホテル・ニューハンプシャー』という映画を思い出す。ジョン・アーヴィングの同名小説を映画化したもので、わたしはむしろ、小説よりもその映画が好きだった。

作家だった女の子が「人生はおとぎ話よ!」と言いながら、窓から飛び降り、自害する。その最後のシーンが、特に印象に残っていた。

「人生はおとぎ話」

最近は、そんな言葉が、かつてなく心に迫ってくる。

 

●あれからもう、1年

明後日、4月7日は、小畑澄子さんの命日だ。これからは、桜の季節が巡り来るたび、彼女のことを思い出すだろう。そして5月の薫風が吹き抜ける頃には、父のことをしみじみと。

去年の10月に、こんなことがあった。こんな出来事こそ、本当はもう、夢か現か、区別などせず、本当にあったことなのだと、思えることの方がよほどいいかもしれないと、今になって思う。

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【携帯電話】(OCTOBER 6, 2004)

桜の花が散るころ、大切な友だちが死んだ。

新緑が芽吹くころ、日本に住む父が死んだ。

そして初夏の風が吹くころ、祖母が死んだ。

 

夜明け前。

眠りの中で、わたしは、死んだ友だちと、電話で話をしていた。

彼女の携帯電話に電話をしたら、いつもの声で「もしもし」と彼女が出た。

「久しぶり!」

「元気?」

「相変わらずよ。そっちはどう?」

「結構、居心地いいわよ。あなたのお父さまにお会いしたわよ。おばあさまにも」

「すぐにわかった?」

「うん、全然問題ない。お二人とも、お元気そうだったわよ」

「またこの番号にかければ話せるよね」

「うん」

「また電話するね」

電話できるんだったら、死んでしまった感じがしないな、会えないだけで。

そして、目が覚めた。

地平線の真下に、太陽が潜んでいる時刻はまだ、

夢と現が入り乱れ、

息を潜めて、携帯電話を見つめる。

http://www.museny.com/image3/katasumi2004-2/100504.jpg

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●宮沢賢治『注文の多い料理店』(序文)

「人生は、おとぎ話」と、書いているとき、宮沢賢治のことを思いだした。宮沢賢治を他人事と思えなくなったのは、この街に住んだ収穫のひとつかもしれない。確かわたしは、彼の著書を持っていたはずと、書棚の文庫本の背に目を走らせた。

あった。『注文の多い料理店』。パラパラと、ページをめくり、序文に目を走らせる。かつて読んだときには、さほど心にとまらなかったはずの文章が、深く染み入ってきた。

この文章のすばらしさを、今になってわたしは、なんの抵抗もなく、たいへんな親密さで、彼の多分込み上げてくるような思いを、受け止められるようになった。40歳になろうか、というころになってようやく、37歳で他界した彼の言葉を。思えば小畑さんも、37歳だった。

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わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。

わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまたわけがわからないのです。

けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

大正十二年十二月二十日 宮沢賢治

イーハトヴ童話『注文の多い料理店』(全) 新潮文庫

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(4/5/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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