坂田マルハン美穂のDC&NY通信 Vol. 132 3/26/2005 |
ワシントンDCの、今年の桜の開花は遅く、4月上旬が満開とのこと。街角はようやく、スイセンやクロッカスなど、春を告げる花々が芽吹き始めていますが、寒さと暖かさが行ったり来たりの、まだ不安定な時候です。 ところで、わたしがニューヨークからワシントンDCに移ったのは2002年の1月。あれから丸3年が過ぎ、4度目の桜のころを迎えます。ついにはこの春が、わたしたちにとって、この街で迎える最後の春なりそうです。 ワシントンDCが一年で一番美しいこれからの数カ月を、大切に過ごしながら、次へのステップを踏み出す準備をはじめているところです。
●近々、ひとまずシリコン・ヴァレーへ「小移動」か? ニューヨークからDCへ移ってきたばかりのころは、「この街には2、3年しか住まないだろう」と思っていた。かといって、次はどこへ行きたいのか、明確なプランがあるわけではなかった。 これまでも、折に触れ書いてきたことだが、DC在住1年が過ぎ、2年目に入り、ジョージタウン大学の語学学校で「インド経済」についてリサーチしはじめたころから、「インドに行きたいかも」と思うようになった。 それは当初、かなり奇抜な思いつきのように思えたし、A男ですら抵抗感を示していたけれど、月日を重ねるごとに現実味を帯びてきた。 昨今、インド経済は急速な成長を続けており、米国とインド間のビジネスもかつてなく強固になりつつある趨勢だ。A男が身を置く米国のヴェンチャー・キャピタル業界も、インド市場に目を向け始めている。 米企業がインドへの投資計画を立て始めているとはいえ(それは当然、大きな見返りを期待してのことだが)、インドの投資市場はまだ開拓がはじまったばかりで、その受け皿ができあがっていない。 投資が国境を越えることで、ビジネス法の差異などによる壁は当然ある上、ビジネスの慣習も当然異なる。米国内の企業に投資するのとは全く異なる問題が、数多く横たわっている。 このように、成熟していないマーケットに飛び込むにはリスクも多く、当然ながらA男が望む条件を備えた会社を見つけること簡単ではない。しかし、いずれにせよ、そこにビジネスチャンスが存在することは明らかである。 この1年余り、わたしたちはインド移住を目指して、かなり積極的に動いてきた。夫が「前線」でがんばっているのはもちろんのこと、加えて妻のアグレッシブな内助の功とにより、インドへの道筋が、このところ具体的に見え始めてきた。 が、インド行きのその前に、まずは数カ月のうちにカリフォルニアのサンノゼ、通称シリコン・ヴァレーと呼ばれるエリアへ「小移動」することになりそうだ。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++ 【ヴェンチャー・キャピタルとは】 成長が見込まれる未上場の企業に対し、株式投資 (equity) の形で資金を提供すること。 主には、金融機関や機関投資家などから運用を委託された資金をもとに、ファンド(fund: 投資事業組合)を立ち上げ、そのファンドを通して投資を行う。 投資を行う際は、もちろん、多角的な視点からその企業を調査をする必要があり、将来性があると判断した上で、見合った資金を決めるほか、会社経営に密接に関わりながら、株式上場に向けてサポートする。 米国ではIT企業をはじめ、多くの企業が、創業当時にヴェンチャー・キャピタルからの支援を受けて大企業に成長している。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●なぜシリコン・ヴァレーなのかといえば……。 シリコン・ヴァレーとは、サンフランシスコ郊外のサンノゼ、サンタクララ、パロアルトといった地区の俗称で、数多くのIT関連企業やヴェンチャー・キャピタル会社がここを拠点としている。この地がハイテク産業の集積地となる背景になった理由のひとつは、パロアルトにあるスタンフォード大学の存在である。 そもそも1990年代後半に盛り上がった米国でのITブームを支えていたのは、インド人や中国人などアジア系移民・非移民たちだった。つまりこの界隈にはアジア人住民が非常に多い。 わたしたちが移住を目論んでいるバンガロアは一方、「インドのシリコン・ヴァレー」と呼ばれており、米国のシリコン・ヴァレーとの結びつきが非常に密である。 A男が現在勤めている会社は、本社ボルティモア、ワシントンDC郊外(ヴァージニア州)、そしてシリコン・ヴァレーの3箇所にオフィスを持つ。 A男はヴァージニア州オフィスに勤務しているものの、この1年はインド関連の投資に関するプロジェクトに携わっていたため、主にはシリコン・ヴァレーオフィスとのやりとりが多く、出張も多かった。 今の会社の社員として、インドオフィスを設立し、米印を行き来する状況が最も「安全」かつ「順風満帆」な状況ではあるが、今の会社は、一昨年、中国市場に巨額の投資をしたばかりで、インド市場へはまだ二の足を踏んでおり、インドオフィスを立ち上げる気配は当面ない。 加えて、彼も勤務5年目。ヴェンチャー・キャピタル会社としては創立がかなり古く、資本が安定しているという利点がある反面、年輩者が何もかもを牛耳る傾向にあり、若者が育たない土壌がある。 そんな背景も手伝って、彼は思いきって新天地への転職を試みることにしたのだ。 当初は、現在の会社と関わりのあるヴェンチャー・キャピタル会社に転職する予定だったが、ここにきて、バンガロアやムンバイにオフィス設立を計画しているという米国の会社からの打診が続き、このところあちこちへ面接に出かけている状況だ。 彼が転職を考えている会社の大半がシリコン・ヴァレーを拠点にしており、転職後、一時期は本社で勤務したあと、インド赴任になるであろう公算が大きいことから、ともかくはシリコン・ヴァレーを目指そうということになった次第だ。 4月中は、カリフォルニアへの下見に加え、わたしはミューズ・パブリッシングの閉鎖業務も含めニューヨークへ行かねばならない。友達にも会っておきたい。引っ越しの荷造りに加え、タイダルベイスンに桜見も行かなきゃならない。 5月上旬はA男がシカゴ大学でレクチャーを頼まれたので、わたしも同行する予定で、中旬にはフィラデルフィアのMBAの5年に一度の同窓会イベントも行われるため、これにも参加しておきたい。 まるで「政治家の妻」みたいに、夫の行動に密着している昨今だが、それはそれで、今は楽しい。 一連の行事が終わる5月下旬、うまく時間が取れれば、2週間ほどかけて「アメリカ大陸横断」をしながら、車でカリフォルニアを目指そうと計画中である。前々から行きたかったサンタフェや、いくつかの国立公園を経由して西に入ろうと思うのだ。 シリコン・ヴァレーでは家具付きのアパートメントを借りる予定で、早速インターネットで調べたところ、さすがカリフォルニアだけあり、屋外プール付きの椰子の木揺れる物件などがあれこれと登場。すっかりわくわくと、開放的な気分になっている。 家族や友人を招けるよう、ちょっと広めの部屋を借りよう、とか、日本へも近くなるから帰国しやすいな、とか、実はまだ行ったことのないハワイにも行きたいものだ、などと思いを馳せている。
●それとも、ロンドン経由でインド直行の「大移動」? と、まさにここまで書いたところで、会社にいるA男から電話が入った、今は金曜の午後。 この数週間すっかり「Go! Go! West!」で「気分はカリフォルニア」だったところに、逆方向からのアプローチが……。 「ロンドンとチューリヒ拠点の会社から面接に来て欲しいって連絡があったから、再来週、どっちかに行くことになったんだ。ミホも一緒においでよ!」 ロンドン、チューリッヒ、どこについて行くのもやぶさかではないが、となると、カリフォルニアは、どうなるの……? もしもその会社が一番だ、ということになったら、いきなり東回りでインド直行の可能性も出てきた。 「米国-インド間」ビジネスを考えてきたところに、浮上した「欧州-インド間」ビジネス。A男としてはどちらでも、条件がよければいいらしい。それまでは、「米国-インドの架け橋になるのだ!」などと言ってのだが、最早拘りはないらしい。わたしにしても、この際、どっちでもいい。 折しも今日の新聞にこんなニュースを見つけ、我々は怒りを覚えていた矢先だった。 "U.S. IS SET TO SELL JETS TO PAKISTAN; INDIA IS CRITICAL" 米ブッシュ政権が、パキスタンにF16という戦闘機を売却するとの政策転換を示したのだ。パキスタンがテロ直後のアフガニスタン侵攻の際、米国に協力したことなどを「評価した」上で、パキスタンに「核兵器搭載可能」な戦闘機を売却するという。 そもそもパキスタンは、「核開発の父」A.Q. カーンを通して、イラクやら北朝鮮やらあっちこっちに「大量破壊兵器の作り方」を広めた国である。 今となっては、A.Q. カーン個人の仕業ということになっているが、無理矢理そういうことにしたのは米国である。大量破壊兵器があるからとイラクには攻撃をしかけておいて、その一方で軍事国家なパキスタンに戦闘機を売る。 もちろん、印パ関係にも大きな影響がある。インド政府はもちろん大いなる遺憾の意を表明したようだが、ブッシュの言い分としては、「インドにも同機種の戦闘機を売りますから、双方の軍事的バランスが取れていいでしょ」ということらしい。 昔から延々と行われてきたこととはいえ、腹立たしいことこの上ない。 話がそれたが、発作的に「いっそ米国より欧州か」の気分が盛り上がるのも仕方がないというものだ。 そんなわけで、来月は、わたしもロンドンへ1週間ほどついていくことになりそうだ。西へ行くのか、東へ行くのか、最早さっぱりわからないが、こうなるとワシントンDCは中間地点で便利だ、とうことになるから妙なものである。
●いっそファミリービジネスの渦に身を投じるか? あれこれと、インド移住のきっかけとなる可能性があるとはいえ、確実な方向が決まらないというのは、何かと気持ちが落ち着かないものでもある。 そもそも転職が決まったら、数カ月は休暇を取って長期の旅行に出かけよう、なんて話しも出ていたのだが、いざ蓋を開けてみると、そんな時間的な余裕はなさそうで、だから「転職活動」を通して旅行を楽しむ、という強引な作戦に出ようとしている。 そういう意味で、ロンドンでの面接はナイスなタイミングであった。 いくら「前向きに楽しく将来を検討しよう」と励まし合っても、わたしはともかく、常に事態に直面しているA男としては、ストレスを感じることも少なくないはずだ。 先日はふと、 「伯父さんに、電話してみようかな〜」 と、口にしていた。 A男の母方の祖父は1933年に製糖会社を設立し、インド最大の製糖会社に育て上げた。祖父は自分がリタイアするときに他に売却するつもりだったらしいが、最終的には一人息子である伯父が引き継いだ。 一人娘であるA男の母も、生前はその会社の役員で、A男の父もまた役員であった。しかし、A男の母の死後、A男父はビジネスの才覚があまりない上、伯父との確執もあって、早々にリタイア「させられた」状態だった。 こうなるといかにもファミリービジネスのいざこざで双方疎遠になりそうなところだが、A男の家族親戚は非常に小さく、血縁の範囲が非常に狭いので、波風立たせておきながら、親密な関係を保ち続けているややこしい状態ではある。 伯父の代になって、製糖ビジネスだけではなく、製鉄や鉄工関連のビジネスもはじめており、日本の大手金属会社もクライアントに持っている。昨年末、ニューデリーで伯父と顔を合わせた際、 「ミホ、ぼくはこの間、日本へ出張に行ったよ。ぼくは、すき焼きは好きだと思ったが……豆腐。豆腐料理は、ちょっと、よくわからないなあ〜」 などと、すっかり好々爺な風情で語るなど、リタイア間近なムードを漂わせていた。 一方、会社を継ぐことになるであろう一人息子、つまりA男の従兄弟は、二人のキュートな娘を前に、見るからにのんびりとした「アットホームパパ」な雰囲気で、会社経営に積極的なムードではない。 マネジメントがうまく行っていないこともあり、成長は横這いとの噂を聞いていたが、わたしたちには無縁のことだ、とこれまで関心を持たずに来ていたのだった。 ところが先日、その会社のホームページを見て驚いた。相当に規模が大きいのだ。聞けば聞くほど、それは素人目にも明らかに、「宝の持ち腐れ」な状態である。 「ちょっと、ヴェンチャー・キャピタルもいいけどさ。A男、この会社、なんとかしたほうがいいんじゃない?」 「いっそ、わたしはニューデリー在住でもいいよ。暑いのは我慢するよ。土地も家もあるしね〜」 「ところで、マルハン家全体の持ち株は何パーセント?」 と、いきなり畑違いな製糖会社に関心を示したところ、 「ちょっとミホ! 僕は伯父さんの会社を乗っ取るつもりじゃないからね」 と戒められる。そりゃそうだ。 ファミリービジネスは違った意味で、問題がたっぷりありそうだ。 しかし、いずれにせよ、自分にとって何か大きなことを成し遂げようとするときには、さまざまな障害が現れるのは当然のことで、それを乗り越えいかねばならない。 A男は32歳。まだまだ若いのだから、色々なことにじゃんじゃん挑戦してほしいと思う。そう言えば、日本で話題の堀江さんも32歳。断然、スケールが小さくなるけれど、わたしがミューズ・パブリッシングを始めたのも32歳だった。 スケールの大小はさておき、30代前半というのは、培ったキャリアをバネに、大きく飛躍する時機だと思う。わたしも人ごとではなく、A男が落ち着いたら、次なる飛躍を目指して麗しき40代を送りたいものだ。 40代の話題はさておき、インドに家族や親戚など、頼ろうと思えば頼れる人たちがありながら、なんとか自分の力で築いてきたネットワークで故郷に戻り、仕事をしようとしているA男は、考えてみれば実に立派だと思う。 自分の夫をあからさまに褒めるのも何だけれど、普通だったら、家族や親戚のつてを一番に考えるのではなかろうか。そう考えると、もうしばらく、内助の功をがんばろうと思う。 という、妻の心を知ってか知らずか、夫は今、隣室で、くだらないテレビ番組を観ながら「うひゃひゃひゃひゃ!」と阿呆のように笑い転げている。妻が案ずるほど、ストレスは、あまり感じていないのかもしれない。 なんだか平和な、今現在、土曜の午後である。 (3/26/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan |